ムッシュー・テスト (岩波文庫)

ムッシュー・テスト (岩波文庫)
あらすじ・内容
若き日の内的危機から構想された「ムッシュー・テストと劇場で」.作者の分身エドモン・テストを巡る思索は生前,手紙・日記など5篇刊行されたが,特異な連作小説は生涯書きつがれた.瞬間の思考をいかに捉え,分析し記述するか.自己と向き合う鏡の如き装置=小説を通じて強靱な頭脳は何をなしたか.唯一の小説集を決定版新訳で.

あらすじ・内容をもっと見る
196ページ
364登録

ムッシュー・テストはこんな本です

ムッシュー・テストを読んだ人はこんな本も読んでいます

あひる
1624登録

ムッシュー・テストの感想・レビュー(181)

架空の認識像「テスト氏」を巡る思弁。非常に難解。偶像としての人物「テスト氏」の超越性についての語り。例えば一切の著名の識者は、公に自身を曝す段階を踏んでいる点で「テスト氏」の可鍛性に及ぶところではないそうである。終始「果たせるかなああテスト氏」といった具合に「テスト氏」の像を種々のカテゴリーを越えて、高いところに結ぶ。序盤とテスト氏夫人の語り部分以外は場面も見えてこず大変難解。自分の書いたものを見せた感想がこの作品の雰囲気に似てるといったものだったので読みました。
★4 - コメント(0) - 3月9日

小説というより断片集っぽい。筋書きがあるわけではないし。「青春とは、約束事がよくわからぬ時期、よくわかってはならぬ時期である」(9頁)/「愛とは、一緒に馬鹿になれることにある…馬鹿げたことも獣性もすっかり許されて」(83頁)/「何の異議も聞かず、あの生ま身の抵抗にも、あの餌食にも、あの他者にも出会わずに生きるなど生きることではない」(112頁)
- コメント(0) - 2016年12月25日

247
ん〜、、難解。自己との鏡像関係にある《精神》そのものをヴァレリー自身の人間性と合わせて「ムッシュー・テスト」なる人物を作り出したのであろうが、わかる部分は分かる、し、面白い。分からない部分はちんぷんかんぷん。。。でも、それをこの作品に則って言えば、「分かることはどうでもよい」のか???そして、「見る」ことの考察を以降意識して再読したい。
- コメント(0) - 2016年9月10日

ヴァレリーのことあまり知らずに読んで爆死。
★2 - コメント(0) - 2016年1月31日

三週目。相変わらず書いてあることは理解不能なまでの域で、僕の凡庸なありふれた頭脳だけではとても理解できそうにない。抽象的言語の数々に戸惑いを覚えつつもどこか惹きつけられる小説で何度も読んでしまう。ヴァレリーは今の所これしか読んでないので詩集の方もいつかは挑戦したい。
★7 - コメント(0) - 2016年1月1日

統合失調症患者の精神分析みたいなものか
- コメント(0) - 2015年11月1日

H
中井久夫さんが傾倒している詩人、ということなので読む。言葉は平易だけれどあざやか。ひとは他人と自分を区分けするために、自らの感性や知性とよばれるものに安住しがちだけれど、それを放っておくだけでは砂の城のように脆く、やがて来る波に足ををとられて転んで、自ら崩してしまう。ヴァレリーは訥々とちいさな違和を観察することをとく。自己規定の小さな箱に自分を閉じ込めたとき、わたしはわたしから疎外され、他人に孵化してしまうだろう。そのことに耐えられないのなら、信じるものは担保しつつ、眼差し、疑いつづけるしかない。
★4 - コメント(0) - 2015年10月28日

「わたしは世界のほうへは向いていない。わたしは顔を壁のほうに向けている。」ポール・ヴァレリーの連作小説。己の分身とも言えるムッシューテストの思索、人格、生き方を描く。覚書にも思える文体は小説と呼べない部分も多く、文頭引用の通り、いわゆる壁打ちというものでは、と思わなくもない。
★3 - コメント(0) - 2015年8月20日

ヴァレリーが恋に狂って精神状態が嵐になってたときに、それをおさめるために登場したのが、この「ムッシュー・テスト」。ヴァレリーの分身とも言われているが、ヴァレリーの戯画化でもあり、また理想でもあったろう。馬鹿なことは苦手な語り手と、愚行に走りかねないヴァレリー。そうした卑小な存在を理性の怪物、強烈なテスト氏によって圧倒する救済の物語のようにも読めた。「本質的なものは生命にさからう」の名言は、両義的に思えた。つまり、ヴァレリーを叩き直すテスト氏の一喝とも、また、ヴァレリーの自己正当化の弁とも。
- コメント(0) - 2015年5月15日

明晰さって何でしょうね。冗談の類だとおもうのですが。
★2 - コメント(0) - 2015年4月25日

おふらんすの好みそうな難解で断片的、それでいて抽象的。読む環境を選ぶ一冊。静かな喫茶店なんかで楽しむ感じだった。所々は突き刺さる。だが三島由紀夫の流れるような文学に触れちゃった日本人の一人としては二度と読まない類の駄作かも知れない。日本文学の瑞々しさを今ここで改めて称える。
★2 - コメント(0) - 2015年3月24日

難しい。テスト氏のような意識的な明晰な思考は常人では10分と持たないっていうのは腑に落ちた。人は外的環境からの刺激で、感情をゆさぶられる。しかし、テスト氏は長年の思考訓練でそれらを克服している。そんなテスト氏を周りの人達からの視点で描いた作品である。難解であるが、この意味不明さがなんか魅力的と思った。
★1 - コメント(0) - 2015年3月23日

再読。ムッシューテストという作者の分身である人物を中心に展開される思索はエロティシズムや近代批判など様々な観点から試みられたという。断片的に試みられるその思索内容は一度読んだだけでは到底理解は出来ないと思う。人間の本質や感覚、思考や神、科学や文学といったところまで幅広く言及しており、読む度にいろいろと勉強になる本だと感じました。
★8 - コメント(0) - 2015年3月1日

初めて聞いた言葉が至る所にあって、理解するのは難しかった。文学、というより哲学的な本だと感じました。(しかし、ムッシューテストは哲学を確か否定していた)。難しかったが、所々で解る部分もあり、いろいろと勉強になる本。ちょっと不思議な本でもありました。
★3 - コメント(0) - 2014年10月18日

【BOOK(2014)-163】!!!!!
- コメント(0) - 2014年7月24日

思索と感覚、有益と無益。理解しようとするたびに遠くへ行ってしまう。難解なのは翻訳のせいもあるのかと疑ってしまった。
★3 - コメント(0) - 2014年6月5日

テスト氏という名の輪郭のつかみづらい男性が登場する思弁的な小説。非常に難解。難しくて読んでいるときに眩暈がした。(苦笑)。それでも、思考の純度を高めて彼岸の世界に到達しようとする試みはスリリング。感傷や感情に溺れないで、どんなことでも分析的に考えようするのは西洋の哲学の伝統だが、案外仏教などの東洋哲学に通じるものがあると感じた。3番目のテスト氏の奥さんの手紙は親しみやすい。堀口大學の『月下の一群』に収められていたヴァレリーの詩の機知とユーモアを思い出した。
★104 - コメント(0) - 2014年6月2日

これ、原書で読みたいですね。といっても私はフランス語できないんだけどね・・・。
★10 - コメント(0) - 2014年4月28日

解読難し。 思考の哲学、自分との向き合い、頭の中の何人かの他人、それを理解できずとも感じれることができた。頭をフルに回転させて少しでも著者の表現を理解しようとするが、自分には、ほとんど理解できず、翌日には、知恵熱なのか…3日寝込んでしまった。(笑) しかし、また時を置いて読もうと思える不思議な魅力の作品でした。私的感覚ですが、何かに悩み気が病んでいるときには、良い方向にも向かうし悪い方にも向かうと感じれる作品でした。
★1 - コメント(0) - 2014年2月13日

「ムッシュー・テストは言う。わたしの可能事はけっしてわたしを捨て去りはしない。// ーそして、デーモンが彼に言う。おれに証拠を見せろ。おまえが、いまでもなお、おまえみずからが、こうだと思ったとおりの人間に他ならぬことを証明してみろ。」
★2 - コメント(0) - 2013年12月26日

「マダム・エミリー・テストの手紙」は感銘を受けた。無限大の籠の中の鳥。それが彼女である。ヴァレリーもこうして恋した夫人を囲っておきたかったのだろうかと、妄想をたくましくしてしまった。
★2 - コメント(0) - 2013年9月18日

オルター・エゴとはまた異なる、ヴァレリーの精神に対する考察の結晶体であるテスト氏を巡る短編/断片群。テスト氏の言動は奇しくも同年に生まれたプルーストの様に内省と観念に対する可能性を突き詰め、その可能性を提示しないという選択肢にこそ可能性を見い出した。それは時に「沈黙しなければならない」とも言われた場所だが、だからといってそれは思弁を止める事を意味しない。語られない場においてこそ思弁は紡がれ、精神は結晶化されるのだ。反転した可能性の存在に対する確信―それはどこか、倫理と呼ばれるものに似ている気がするのだ。
★28 - コメント(4) - 2013年9月10日

zom
役に立たないこと
- コメント(0) - 2013年7月28日

これぞ哲学世界のアウトサイダー。彼の思考には「共感」できても、「理解」だけは絶対にできないだろう。
★1 - コメント(0) - 2013年4月22日

序の文字体は珍しくも教科書体の表記だった。小学生の国語の教科書と同じ活字だ。強靭な頭脳、明敏な発明家、正確に思想を認識する人は無名の人、己を出し惜しむ人、告白せず死ぬ人ではないか、と書かれている(17ページ)。有名人はプライベートで逆に生き辛いだろうな。ムッシュー・テストは証人である(131ページ)。「人間は自分ではのぞまなかったことをのぞうもうと試みるものだ」(144ページ)。人間というものは、怖いもの見たさが払拭できないな、とつくづく思わされる箇所。テストは誰もが嫌いだろうが、人生もある意味テストか。
★6 - コメント(0) - 2013年1月30日

ムッシュー・テストに纏わる変奏としてのこの幾つかの小篇が、各自の視角からテストの怪物観念の面貌を露わにしてゆく、というのが本書の一応のプロットであるように思われるが、このような晦渋な作品に対して、通念を縁に読解を試みるのは賢明と云えるか定かではない。と云うのも、テストの実相は読み手から逃げ去るまでもなく端から現れて居らず、我々に知りうる彼の肖像は自意識の闘争の相に見ゆる明晰な錯乱にすぎないからだ。その場に於いて、彼は「可能性の魔」となる。意識を介して、可能事を余さず捉える。貪欲な知性を具える自意識の化身。
★3 - コメント(0) - 2013年1月4日

テストさんは可能か不可能かの認識の度合い、距離にしか興味が無い。「彼の激しく短い生命は、既知と未知との関係を設定し組織するメカニズムを監視することについやされる(13)」。可能なものは「自己の瞬間的部分」の集合であり、それを一つ一つ観察することはできるが、全体としては予測できないし把握もできない。ところで、そんな不可知なシステムとしての自己は、「存在する一切をただ自分だけのために変形し、自分の前に何が差し出されようと、それを手術してしまう」。だから、「見ること」と「存在すること」は違う。と、まとめてみた。
★3 - コメント(42) - 2011年7月13日

精神の怪物、ムッシュー・テストは結局のところ何ら生産的な産物を残さない。それでいながら自分を他の連中と比べられたがらず、大衆に対して冷笑する。「ムッシュー・テストの肖像のために」に見られるような一見含蓄のあるような箴言は、意味が曖昧で何を言わんとするのか理解しがたい。そういった意味ではまさにフランス的であり、ひどく衒学的な作品だと思う。
★1 - コメント(0) - 2011年7月12日

正直さっぱりわからない。しかし、極稀にある意味のとれそうな部分にさしかかると、物凄く興奮する。彼の評論や詩などを読んでみた上で、また再読してみたい。
★3 - コメント(0) - 2011年5月14日

名状し難い感覚・認識の表層を捉えて、冷淡に、また時には半ば興奮気味に語らせる。それを読み手が理解出来るかどうかを別にすれば、よくこれほどに説明が、テキストとして書き付ける作業が可能なものだと思ってしまう。
★1 - コメント(0) - 2011年2月8日

あまりピンとこなかった。小林秀雄訳で読んでみよう。
★3 - コメント(0) - 2010年10月13日

難解ですね。晦渋な作家といわれるわけですよ。これほどまでに自分の精神と向き合ったら人は生きていけるのか?この世で名声を博しているものは自分の精神を削って生きているという考えがおもしろい。ヴァレリーもその一人だったのに、そのむなしさを感じていたんですね。
★6 - コメント(0) - 2010年8月27日

思考の純粋性、外界の何ものにも歪められず、自らの囲いに生きる孤高の思考。知性主義ではあるが、人間主義ではない。「なんぴとも人間ではない」のだから。個人と個人を橋渡しする言語は知性を犠牲にするものである。これは反人間主義だろう。知性は人間の所有物ではなく、知性こそが人間を所有している。
★4 - コメント(0) - 2010年8月20日

カルヴィーノの『パロマー』が好きな人なら絶対本書も好きなはず。パロマー氏に萌えるならテスト氏にも萌える。膨大な言語の渦に取り巻かれながらも不確定の世界に生きるのがテスト氏だ。つまり、テスト氏にとって言語はテクストであり、したがってそれに準拠しつつ千千に乱れた生をつづるテスト氏自体もテクストなのである。テスト氏にも死はある。だがそれもテスト氏が臨終に述懐するように「ひとつのみかた」でしかない。「辞書であり墓地である庭」をみつめるそのまなざしがこのテクスト化するテクストをずれこみつつも規定していく
★6 - コメント(0) - 2010年7月22日

小林秀雄訳を先に読んでいたせいで、清水訳の透明さに驚いた。重なれそう。
★3 - コメント(0) - 2010年5月12日

いつか再読
★1 - コメント(0) - 2010年5月10日

ムッシュー・テストの 評価:56 感想・レビュー:47
ログイン新規登録(無料)