月と篝火 (岩波文庫)

月と篝火 (岩波文庫)
あらすじ・内容
イタリアの寒村に生まれ育った私生児の〈ぼく〉は,下男から身を起こし,アメリカを彷徨ったすえ,故郷の丘へ帰ってきた――.戦争の惨禍,ファシズムとレジスタンス,死んでいった人々,生き残った貧しい者たち……そこに繰り広げられる惨劇や痛ましい現実を描きながらも美しい,パヴェーゼ(1908-50)最後の長篇小説にして最高傑作.

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月と篝火はこんな本です

月と篝火の感想・レビュー(129)

国を離れ40歳となった主人公が生まれ育った故郷を訪れる、言ってしまえばそれだけの話だ。それなのにこの黄銅色の切ないような眩しさは何なのだろう。孤児として養父と義妹たちと暮らした日々。成長し、農夫として汗を流していた日々。戦争。渡米してからの断片的なエピソード。幾つもの出会いと別れ、かつて起こった出来事たち。作中の時間は決して留まってはいないのに、主人公の思考と共に過去のある点から点へと連れて行かれる、その心地よさに溜息が漏れてしまう。すごいな。幾つもの詩篇、あるいはひとつの音楽のような充実した読書だった。
★26 - コメント(4) - 3月13日

パヴェーゼ自殺直前、最後の長編で代表作。パヴェーゼは4冊目にして、やっと慣れてきたような気がします。しかし、まだまだですねぇ。
★8 - コメント(0) - 2月17日

葡萄の樹の列、黒ぐろとした榛の影、低い玉蜀黍の斜面、労働や収穫すべてが季節どおりになされたこと、主人の娘たちのまぶしい姿、ピアノの音色、華やかで賑やかな祭。私生児で、5ペンスの養育費のために貧しい家に引き取られ、立ちゆかなくなり労働力として農場に繋がれて育っても、あの頃の生活は懐かしく美しい。貧困や戦争で、不幸な死で、季節ではなく歳月が過ぎ去っていき、ものがわかるようになって振り返ると、美しい季節は手に届かない場所にある。“ぼくは何でも投げ出しただろう、あのチントの目でふたたび世界が見られるものならば。”
★11 - コメント(0) - 1月18日

素敵だった、少年時代を過ごしたイタリアの村に帰り、死んでいく人を見、死んでしまった人を思う主人公、淡々とした描写だからこそ引き立つイタリアの血の熱さ心の熱さを感じた。
★3 - コメント(0) - 1月16日


★2 - コメント(0) - 2016年10月13日

こうして岩波文庫で読んだことになっているが、実は図書室の古書整理で譲り受けたネンキの入った本。1966年出版とはまぁ…笑。浪人時代、予備校の授業で「チェーザレ・パウェーゼの日記(?)」のような文章を読んだ。どんな論説であったのかはよく覚えていないが、過去の日記を現在の自分が書き直す…そんな内容だった気がする。自分にとっては苦しくも充実していた時代を思い出した。
★2 - コメント(1) - 2016年9月27日

過去は常に輝いているし、失われたものは決して戻っては来ない。名を上げ功を遂げた主人公が故郷に帰るだけの話だが、全編を郷愁と寂寥が覆いつくしている。作品全体が黄昏の光の寂しさに包まれているようであった。主人公の過去も決して幸福とは言い難いのだが、振り返ればやはりそれは光輝いているなあ。大して戦争と貧困が全てを奪い去った現在の村の状況。それでも筆者の筆にかかると、林も丘も全てが美しく見える。主人公の視線を通してみているせいなのか。そして語られる人々の移り変わり。静謐な絵を見ているような、そんな読書体験でした。
★82 - コメント(0) - 2016年9月25日

★★★★
★1 - コメント(0) - 2016年9月12日

美しく静かな故郷への郷愁。貧しさと戦争が村の人々を奪っていった跡。金持ちのあさましさ、貧しい農民の無知からくる無謀、もたらされる悲劇。なのに、村は変わらず、自然は美しい。住んでいた人の死も悲劇も、静かに抱きこむ。その村の出身ではないから、どこが生まれかを知らず故郷も持たないから、親と思っていた人達に去られた自分だから、村の美しさに抱く郷愁はとても強い。しかし、アメリカで財をなしたとて、それがなんになる?そこに留まり様々な事を見届けているヌートの地に足の着いた強さは、主人公の過分な感傷をあやふやにする。
★142 - コメント(1) - 2016年9月8日

複雑な構造の作品。登場人物も多く難解。情景描写の流麗さに惹かれ読み進む。しかし、結末が近づくにつれ、消化しきれていない部分も含め、重層的な構造がじわじわと効いてきて、この上なく深い味わいを見せてくれる。いつの日か再読必至。何故か、ヘミングウェイの「日はまた昇る」との親和性を感じた。
★35 - コメント(1) - 2016年9月3日

NAO
イタリアの貧しい村で、死んでいった者たち。生き残った者たち。私生児であったために主人公のなめた苦しみは計り知れないが、私生児であったために彼は村を離れ、貧しさと縁を切った。だが、代々村に住み続けている者は、どんなに貧しくても、そこでどんな惨劇が繰り広げられようとも、土地を離れることができない。ようやく戦争が終わっても貧しさは変わらず、死ぬことも生きることも辛い現実。主人公の故郷への思いは、自分だけが貧しさから逃げてしまったことへの贖罪か。冷徹でありながら美しい散文詩のような文章に圧倒される。
★53 - コメント(1) - 2016年8月1日

孤児だった主人公の貧しい少年時代、主人公の回想と村に残った親友が語る周囲の人々の末路、過去よりなお悲惨な現状。重苦しい物語だが、文章が非常に美しいために読み進めたくなる。主人公は帰郷の間、自らの過去の幻を避けながら探すような複雑な心境でいたが、祭(=非日常)の時にはまた帰郷すると言い残した彼自身が亡霊のようなものだと思った。ハッピーともアンハッピーとも言えない結末が絶妙。
★18 - コメント(5) - 2016年6月27日

図書館本。フォークナー「響きと怒り」ほど極端ではないにしろ、主人公の回想などを用いて、時系列が異なる出来事が語られる構成を取っており、最初のうちは物語に入り込むのにすこし苦労した。戦争/暴力/貧困といったつらい現実を、ユーモアがなく若干散漫にも思える語り口で描いており、昭和の日本純文学にこれと近い作品があるようにも思えた。散文詩ともよべるような繊細かつ魅力的な情景描写が全編を覆っているのがこの作品の長所であり、これがなければ最後まで読み続けられなかったかもしれない。(G1000)
★30 - コメント(0) - 2016年6月19日

【ガーディアン必読1000冊】主人公「ぼく」は、本書の著者パヴェーゼその人なのだろうか。これは自伝的小説なのだろうか。物語の舞台である北イタリアは、パヴェーゼの生まれ故郷でもある。その「ぼく」は、私生児として生まれ、《アングィッラ》(うなぎ)とあだ名され、極貧の下男から身を起こし、屈強な若者となって兵役を機に村を出て、アメリカを彷徨った後、資産家として懐かしい故郷の丘へと戻ってくる。ファシズムとレジスタンスの惨禍を経て、一見美しい風景が「何もかも同じ」に思えるが、多くの人々の死と記憶が埋められているのだ。
★87 - コメント(0) - 2016年6月16日

最後まで、投げ出さず、文字を追うことで精一杯。そんな自分の読書力不足に歯噛みしつつ読了した。誰も幸せになれないのは、時代のせいなのか、著者の心境のせいなのか。「丁寧に生きる」「今を生きる」などの理念が空虚に響く。どのように生きてもいずれは死ぬし、生き方は死に方を保証しない、と突き付けられた気分。私はこの穴に落ちるのが怖いから、錯覚でも「よく生きよう」と思う。 #ガーディアンの必読小説1000冊
★43 - コメント(0) - 2016年6月14日

田舎の村での暮らし、祭り、美しい女達…鮮烈だけれども、どこか遠い。それは過ぎ去った、決して再び手に入らない、それ故に「ぼく」が渇望する過去だから。足の悪い、貧しいチントと変わるためなら何でもなげ出しただろうほどに再びそれを望むのは、何か満たされぬものや哀しみがあるのかなあ。ヌートは賢い。どこにいても自分は同じであることを知っていたのか。
★23 - コメント(1) - 2016年6月12日

月は世界であり自然あるいは運命。篝火は祭礼行事として故郷を表しつつ、個々の人生の灯火なのだろう。戦後、故郷に帰ってきた男の少年時代の回想と現在の農村の描写を交え、喪われた故郷への嘆き、農村の変わらぬ貧しい生活の問題を語りながらも、中心が曖昧な、どこかもどかしい形で物語は淡々と進む。主人公がモーラの農場での過去を語り、時間が再構成され、失ったものが明らかになることで、物語は奥行きを増す。農場の娘達に寄せる「ぼく」の思慕と彼女らに待ち受ける運命の対比、その象徴が「月と篝火」、この小説のタイトルに繋がるようだ。
★57 - コメント(7) - 2016年6月12日

パヴェーゼ初読み。読了し表紙の「星月夜」をじっと見つめる。静まり返った町と荒々しさを感じる夜空。表紙は月も星も青一色だが、それが却って作中の「利鎌のような月」とリンクする。主人公にとっての「故郷」は、決して優しい場所ではなかっただろう。だがそんな場所でも、彼にとっては拠り所だったのか。長い戦争のあと帰郷した主人公。その気持ちは憧憬か懐古か。あるいは贖罪のつもりだったのだろうか。仲間たちから離れ渡米した主人公と、自国に残り戦い続けた昔馴染みたち。彼らの思いと「草のみが残った大地」があまりにも悲しい。
★73 - コメント(1) - 2016年6月12日

孤児で故郷を持たないはずの主人公が帰郷する。アメリカに逃げ、成功をおさめた主人公に、故郷にい続けたヌートが語る故郷の人たちに起こったこと。戦争、ファシズム、レジスタンス、裏切り、粛清。。主人公はなぜ帰郷したのか。ヌートやジェノバの仲間たちと共にいなかったことへの贖罪だろうか。
★38 - コメント(1) - 2016年6月12日

パヴェーゼ初読みですが、イタリア人の滅びの美学を堪能しました。プロレタリア文学のような枠を乗り越えて(シンパシーは感じるものの)貴族、富農だけではなく、故郷そのものが滅びていく。「ぼく」には強い異邦人性、旅人性、それでいて故郷と女性たちへの強い憧憬が感じられる。耽美的な文章ですが、ナチスから背中に銃を突きつけられながら戦わなければならなかったイタリアを象徴するような親友ヌート、そしてアメリカ帰りのぼくは戦後を象徴する男です。ゲスな男として生き永らえるのか、誇りある男として滅びるのか、イタリア人は難しい。
★83 - コメント(1) - 2016年6月12日

【第13回G1000チャレンジ】イタリアの田舎で孤児として育ち、その後アメリカに渡り成功を果たし故郷に帰ってきた「ぼく」。そこにはもはや彼を知るのは年上の友人ぐらいで彼と関わりのあった人々はことごとく不遇な死を遂げていた。「私」は何の目的で故郷に帰ってきてのだろうか..。回想で語られる痛ましい事実。戦争の惨劇。読み手の私に見えてきた心象風景は色彩のない乾いた世界と喪失感。目に浮かぶ『月と篝火』はこんなにも美しいのにその輝きの中から悲しい魂の叫びが聞こえてきて心を揺さぶられた。
★59 - コメント(2) - 2016年6月11日

久方ぶりに帰郷した“ぼく”による一人称の物語だが、“ぼく”は主役というより記録者的役割を演じている。眼前にある今の故郷と、記憶の中のかつての故郷、そして次第に明らかになる第2次大戦中の悲劇。命がけで戦ったパルチザンや、時代の渦に巻き込まれ痛ましい最後を遂げた人達。おびただしい血が流されたのに、結局故郷は何も変わっていなかった。ファシズムに雷同した勢力は復活し、貧者は相変わらず困窮のどん底に喘いでいる。かつての“ぼく”のリプレイを見るようなチントはその象徴。作者のやるせなさが伝わってくる。[G1000]
★44 - コメント(0) - 2016年6月11日

アルバにある大聖堂の石段の上に置き捨てられた私生児。貧農の一家に引き取られ、兵役を機会に村を出てその後アメリカに渡り、みなが忘れたころに財を成して帰ってきた「ぼく」という主人公が語る物語。彼を迎えたのは、人が孤独でないことを告げる故郷とサルトの丘の大工のヌート、そしてかつての「ぼく」を見るかのようなチントという少年。「村人たちのなかに、植物のなかに、大地のなかに、おまえの何かが存在し、おまえがいないときにもそれが待ちつづけていた」故郷は、ファシズムとレジスタンスの戦禍が押し寄せ、村人を巻き込み血に染めてい
★86 - コメント(1) - 2016年6月10日

まずゴッホの表紙絵に惹かれた。マジックリアリズムの難解な世界、解説を読みながら何とか読了。名前を持たない主人公が帰郷、〈ぼく〉の分身的存在の登場人物や過去との二重構造で、物語の動機である〈丘〉の上に立ち耳を傾ける。孤児への拘りは、孤独への信仰のようでもあり、榛の茂みが神話的な象徴のように大地を覆っていた。篝火の丘に燃えたラストは、ファシズム、黒シャツ、パルチザンなど、背景にあるイタリアの暗い歴史への生贄のようだった。『故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。故郷は人が孤独でないことを告げる』⇒
★66 - コメント(1) - 2016年6月10日

原文の時制はフランス語で言うなら“単純過去”(イタリア語知らないけど“近過去”?)が多用されているのではないか。それに一文一文が短い。そのリズムが心地いい。ただその時制の性質そのままに、思い出の人々も情景も作者自身の感じ方も過ぎ去ってしまってもう戻らない。その過去が幸せに充ちていたかというとそうでもない。イタリアの農村の豊かな風景と村人達の絆というイメージは覆される。貧しさは人々の心を荒ませていた。戦争は人々の表情を更に強張らせた。それでも人々の声が聞こえてくる。寂寥と憧憬が共存する。その切なさが美しい。
★56 - コメント(3) - 2016年6月10日

孤児、捨て子として生を受け、養育費欲しさに彼を引き受けた養父母に育てられた、故郷を持たないはずの「私」。戦争をきっかけに遠くアメリカで成功を収めたにも関わらず、第二次大戦後、何故疎外感と空虚、貧困しか感じられなかった「故郷」に戻ろうとしたのか…「私」はそこに何を求め、何を探していたのか。何が起きたのか。「私」はやはりパヴェーゼ自身だったのかもしれない。再生の象徴である「月」と「篝火」を描いたこの作品を2ヶ月足らずで書き上げてからたったの4ヶ月後、語るべきを全て語り尽くしてしまったかのように、彼は自殺した。
★112 - コメント(4) - 2016年6月10日

アメリカに渡って金持ちになった割にはそれほど幸せそうでもない。アングィッラ(うなぎ)というあだ名以外には名前も出てこない主人公。貧しくて私生児と蔑まれてキツイ農場での労働だっのに「あの頃に帰りたい」と言っているのはなぜだろう。いくらアメリカだからって無一文から叩きおこすにはそれなりにイヤなこともしてきたはず。この土地は純粋だった自分を重ね合わせた憧憬の場所だったのだろうか。しかし帰ってみるとヌート以外はみんないなくなっていた。そこでもやはり戦いはあったのだ。淡々とした写実的な文章がじんわり滲んでくる。
★44 - コメント(7) - 2016年6月10日

親もわからない孤児であった「ぼく」は、やがてジェノヴァを経てアメリカに渡り、そこで経済的な成功を果たして村に帰郷する。「成長物語」との見方もあるが、これは「ぼく」が何かを得る物語ではない。むしろ、ここに語られるのは喪失の物語であり、漂泊する魂の物語である。「ぼく」が故郷を離れていた間に多くの人が亡くなったが、最も象徴的なのは小説の最期に語られるカンティーナの物語だろう。「ぼく」は、故郷は、そしてイタリアはなんと多くのものを失ってしまったのだろう。戦争は終わったが、パヴェーゼの絶望は深い。
★315 - コメント(3) - 2016年6月9日

故郷を一度出て戻ってきたぼくと、故郷にいつづけたヌートと、ぼくの子ども時代を写したようなチント。3人を取り巻く人々、戦争、暴力、貧困、そして迷信のようなもの。最近になってなんとなく感じているのだが、明白な説明はないが人が昔からやり続けてきたことには、それなりの意味があるのだと思う。故郷はただそこにあり続け、変わらないものも変わりゆくものも含めて、どんな存在をも受け入れる。人が生まれながらに宿命を背負っているとしたら、土地にもそのようなものが宿っているのかもしれない。
★47 - コメント(3) - 2016年6月7日

2016年375冊め。【186/G1000】​夏至の夜に豊穣と再生を願って焚かれる篝火。それは死者を供犠する炎でもあり、私はこの祭りに、雰囲気がまったく違うはずの日本のお盆を思い出さずにはいられなかった。「うなぎ」が憧れていた美しい三姉妹もそれぞれ悲劇的な死を迎えたことが明かされる。「去年までそこに残っていた、篝火を焚いたような跡が」​。少年チントは炎から逃れ、「うなぎ」の再来となっていくのだろうか。その炎は、新たな時代の始まりを照らす篝火か。
★105 - コメント(1) - 2016年6月6日

故郷の村に帰ってきた『ぼく』の回想録の形式で描かれる叙情的な32の断章。私生児として育ち、下男、農夫、脱走兵となり海を渡った流転の半生の末、『ぼく』は何を思うのか。ファシズムとレジスタンスという時代を背景に、厳しい人生に立ち向かって死んでいった者たち、悲しみを受け入れて生き残った者たち。かつて働いていた農場主の三姉妹は、貧しくはなかったが幸せにはなれなかった。女優の夢破れた恋人。輝きも失せた憧れだった年上の友。儚くみえる人生を誰もが懸命に生きたのだ。村の風習の篝火は、死んでいった者たちへの鎮魂歌の象徴か。
★88 - コメント(1) - 2016年6月5日

<ぼく>とヌートの周りで死んでいった夥しい数の人々。変わったはずの<ぼく>と変わってないはずのヌートだが、二人の心には今でも通じるものがある。「幼いころ小耳にはさんだ、ほんのひと言でも・・・きみの目をひらかせるのに充分だったのだ」。時代に翻弄されながら時代に立ち向かう人々。戦争と平和・ファシストとパルチザン・司祭と共産主義者。イベントのお題だったが超フライング。
★21 - コメント(0) - 2016年5月24日

故郷を離れ大きな世界を見た語り手と田舎・村(小さな世界)に留まったヌートとが対照的に描かれている。月と篝火には誰もが与えられた平等な時間(受け入れざるを得ない逃れられない現実)、再構築、再生・・・そして破壊の意味を含み損なうものすら知らない方が幸せであるような小さな世界の閉塞が描かれ、作中の美しい田園風景における葡萄畑はある意味搾取される者をかなり生々しく象徴しているように思う。「権力は、人々が無知である事によって〜利益をえている連中の手に握られているのだから(p.212)」。
★6 - コメント(0) - 2016年5月20日

淡々とした文章だが、どんどん人が死ぬ。美しい自然の描写が印象的。しかし人が死にすぎ。作者自身この後自殺…。
★4 - コメント(0) - 2016年1月1日

美しく光あふれ、極細の糸で編み上げられたレースのような繊細な描写のなかに、かくもモノクロームな孤独が充ちるのをずっと感じていた。財を成し、貧しい故郷の村に戻ったぼくは懐古を辿るけれど、変わらぬ景色のなかに変わらぬ自分は見つけられない。あの頃のままの自分はもういないし、誇れるはずの自分も見出せない。閉じた世界を開こうと静かにもがくが、自分の足跡にわけもなく自信をなくし、見渡せば見知った人の死の影ばかりが覆いつくす。起承転結などないラフスケッチに、とんでもなく透き通る絵の具をのせたような歪な美しさを感じた。
★158 - コメント(20) - 2015年11月9日

<私生子>で根なし草の主人公と、土地に根差した幼なじみのヌートが20年ぶりに故郷で再会する。かつて丘の上ではパルチザンが大勢殺され、街にはファシストやドイツ兵の遺体が流れ着き、貧しい農民が搾取される現実は変わらない。主人公はかつて地下組織に関係してアメリカに逃れ、ヌートはパルチザンを密かに支援した過去がある。祭りの喧騒、寒村の葡萄畑、五感に染み入るような美しい情景と戦争の残した悲哀が溶け合ってやるせない余韻を残す。過去と現在が断章で連なる構成のせいか、読んでいると酩酊感が。
★9 - コメント(0) - 2015年9月12日

私生児として過ごしたイタリアの貧しい農村での過去とアメリカで財を成して帰ってきた今との断片がぱらぱらと連なっていて朦朧としながら読み進めたんだけど気づいたときには明瞭なイメージが残る面白い読書でした。知り自ら生きること、住む場所を移すこと、役割を果たすこと、自分の選択を背負うこと、自分以外の人のことを知ること、みたいな話に気持ちを寄せながら読んだ。詩みたいだなとも思いました。
★7 - コメント(0) - 2015年8月7日

R C
貧しい「私生児」から成長し、故郷を出てアメリカで資産を蓄え帰郷、生き残り貧しさの中に生き続ける人々や死者に思いをはせる。過去の回想と現在が入り混じり、少々読みづらい。そこがこの作品の深さでもあるのでしょうが…貧しい寒村を描きながらも自然の描写が美しい。
★9 - コメント(0) - 2015年4月26日

月と篝火の 評価:100 感想・レビュー:61
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