日本の弓術 (岩波文庫)

日本の弓術はこんな本です

日本の弓術の感想・レビュー(556)

矢を射ようとしてはいけない、的に当てようと思ってはいけない・・・弓術なのに何で? さすが、河合隼雄先生お薦めの本だ。ここには、意識と無意識、有と無の世界観がある。 禅を始めとした仏教だけでなく、意識・無意識や自然・宇宙との調和は日本神道にもあるはずで、いずれはそちら方面も読んでみたい。 私の趣味であるゴルフは99%メンタルだと思っているので、この本の話はゴルフにも通じると思った。 しかし、「丹田呼吸法」って、昔習ったことあるけれど未だできないし・・・。でも、今度練習場で試してみよう(笑)。 ★★★★★
★24 - コメント(2) - 2月20日

通訳の友人による回顧が心地よかったわたしたちの中に流れる精神性にすこしだけ触れることができた、と感じるということは、わたしもかなり西欧的な思考になっているのだろうわ
★1 - コメント(0) - 2月11日

大正の終り、ドイツ人の論理哲学者が東北帝大で哲学の講義の傍ら、禅の理解のため高名な弓道家から弓術の極意を学びます。その年月は5年に及び、彼はついに弓術の究極の目的である無の境地を知ることになります。言葉が通じないけれども深く分かり合った師弟に感動しました。
★3 - コメント(0) - 2月8日

20年以上も前に読んだ本を再読。最近、禅や仏教関係の本をよく読んでいるので、とても面白く読めた。20年前は何にも分かっていなかっただろうな。もちろん、現状でも悟っているわけではないので、本当のところで、分かっているわけでは無いのだが。
★2 - コメント(0) - 2月7日

著者はドイツ人哲学者。研究のため日本滞在中に弓道を習い、先生の教えに戸惑いながらも模索し続け、ついには免許皆伝にまで至ります。武道に詳しくない私にとって、弓道がスポーツの一種ではなく精神的鍛練であることがまず驚きでした。著者はそこから更に日本文化の根本を禅の思想に見出だそうとしています。弓道を通して西欧と日本の考え方の違いが分かる、興味深い一冊。
★3 - コメント(0) - 2月5日

人間の眼は自分を見ることは不可能に創られているから、何かしらの道(この場合、弓道)と、師(自分が経験していないことを経験している人)に照らし合わせ、矯正が必要。見てもらう為、そして自分を無くす為。自我を徹底的に無くした先に残ったものが「個」なのだろう。今の僕に足りないものがたくさん書いてあった。師弟に限らず人との繋がりが希薄になっている現代。我流とオリジナリティが混同している現代。僕には、実際に接した人で師と呼べる人はいないように思う。強いて言えば猫かなぁ。この二人の師弟関係を読んでいて少し羨ましかった。
★35 - コメント(0) - 1月25日

前から思っていたが、西洋人は禅を過大評価し過ぎている。釈迦の教えの根本が禅であると思ってるかのようだ。釈迦が求めたのは自身のみならず、一切衆生の幸福だろう。それが禅の思想・修行によって得られるのか。達磨の故事を少しでも知れば、無理だと解るだろうに。ところどころ面白い部分もあったが、所詮、私だけは識っている、という自慢話だ。ただ、読んでる途中、中島敦の「名人伝」を読みたくなったので、読んだ。ヘンゲルと中島敦はともに、死ぬ前に書いた原稿のほとんどを処分した。そこは似てる。
★3 - コメント(0) - 1月9日

 再読。読みながら禅と武術の関係について考えていてふと「お前の心を安心させてやるからその心とやらを持ってきなさい。」と言った達磨と慧可の話を思い出した。僕は武術マシーンに徹した人が達人、善意マシーンに徹したのがホトケだと思っている。心をなくしてマシーンに徹した時達人となり、心の無いことを悟って、私心無き無私の善意に徹するのがホトケではないかと。
★3 - コメント(0) - 1月8日

再読。学習が思うように進まなくなっているとしたら、それは不信のせいかもしれません。その不信は自身の常識が壊れるほどの事実を目の当たりにすることで氷解します。著者のオイゲン氏が技術によって的を射るのではなく、精神によって的を射ることを理解するエピソードは、何度読んでも鳥肌がたちます。線香1本程度の暗闇の中で的に中てるだけでもすごいってのに、2本目が1本目の矢の筈に中たり割いてしまったのですから。それを目の当たりにしたら、考えも態度も変わりますよね。+今高めたいことに対し畏敬の念を持てているだろうか?
★23 - コメント(0) - 1月2日

ドイツ人の学者がドイツにおける神秘主義を理解するために日本の禅について学ぼうと来日した。その際に,言葉を駆使した理屈ではなく、経験を持って習得するという観点から弓道を習うことにし、師匠と通訳をつけて本格的に修行する。実戦における弓術は、本書まで深く掘り下げないで実用的な面を重用するであろうが、達人の域に達すると、禅、悟りなど思想の深みに入っていくのかなと思った。あらゆる職業や技術も極めれば、精神の奥底で同じような真理に達するに違いない。ドイツの神秘主義にも興味を持った。
★37 - コメント(0) - 2016年12月19日

ドイツ人が日本の弓道家に弟子入りして、日本の深淵なる禅を学ぼうと試みたという話。「弓を射ることは弓と矢とをもって射ないことになり、射ないことは弓も矢もなしに射ることになる」身震いがした。薄い本ながら内容は非常に濃いものになっている。余裕のある字間で書かれた文章には雰囲気があり、高潔な世界観がうかがえる。阿波師範が語られる精神世界は現代の日本において遠いものになってしまっている気がするのが残念だ。日本人としてのアイデンティティを再認識させられる名著だと思う。一人でも多くの人に読んでほしい。
★5 - コメント(0) - 2016年12月18日

禅においては、座ること歩くこと食べること日常のあらゆる行動、あらゆる所作が悟りへの道であり、それを武道に適用したときにどれだけの高みに到達しうるのかが垣間見える。師が暗闇で矢を射って、一箭目は的の中心に、二箭目は先の矢の筈に当たるという、よく漫画に出てくるようなエピソードが壮絶。元ネタはここか。西洋論理主義を超克し、非論理的な禅の真髄に触れ、その体験を西洋に伝えたヘリゲル先生恐るべし。またそれを一定のノウハウ化に成功していた日本文化すごい。甲野先生周辺など極く一部以外ほぼ失われているけれど。
★10 - コメント(0) - 2016年12月12日

かつては戦国時代武将達が人を殺めるための弓術。弓道でありながら武道、武道でありながら敵は己自身。武道であり芸術。芸術でありながら表現しない。異文化しかも外国の言葉の壁を乗り越え教えを乞い研鑽しその精神を奥義を知る。謙虚に熱く学ぶその姿勢も感心させられた。前傾姿勢を取りながら「不動の中心」となることは難しい。それを筆者は技巧の上で徹底的に研究したとされる件は覚えがありかつての自分とかさね忸怩たる思いで読んだ。的はあってないようなもの。「ヘリゲル君と弓」は必読。ここに筆者がその後どのように理解したかが分かる。
★56 - コメント(5) - 2016年12月5日

ドイツ人の哲学者が日本で阿波研造に弟子入りし、五年間で阿波先生から弓道五段の免状を頂く。有り得ないドラマの陰に、有り得ない苦悩と解脱への努力。阿波先生もヘリゲルも、中島敦による「名人伝」の領域に達している。それは神の領域。
★41 - コメント(2) - 2016年11月19日

弓術は技術にあらず。道を極め悟りの境地へ至るためのもの也。ドイツの哲学者が日本に滞在し弓道を習い、免許皆伝を受けるまでの過程と弓道を通して日本文化の底流を流れる禅の精神をドイツ人向けに解説したもの。伝統芸能や武道は本来言葉で説明するものではなく実践を通して体得するものであることがわかる。言葉で説明でき、客観的に観察できるものだけが正しいわけではなく、経験によって主観的にわかるものもあるのだ。道という名付けようのないものを言葉を換え、例えを使ってなんとか伝えようとしている『老子』のように思えた。
★64 - コメント(4) - 2016年11月12日

A.G
日本人にとって、弓を射ることはスポーツではなく、徹頭徹尾、精神的な過程である。かっこいい。日本の良さを改めて確認できたと思います。静かだけれども、どこか力強い。凛とした日本人の振る舞いを目の前で見ているような感覚を持ちました。一人の日本人として、このような精神的な強さを身につけたいと思います。著者のヘイゲルさんの努力も並のものではなかったでしょう。途中で技巧に走ってしまい、先生に見放された時の焦りは痛いほどわかりました。数々の困難を乗り越え、ようやく認められたときの喜びは計り知れないものでしょう。
★7 - コメント(0) - 2016年11月5日

無心になることに努めず、的を狙わずに自分自身を射る。精神的に桁外れの境地が存在することを知った。
★1 - コメント(0) - 2016年10月10日

西洋の物事に対して一つ一つ道筋を付けて、段階的に理解する所謂論理的思考と、その思考を棄却し、ただ無心になることを求める禅の考え。著述者ヘリゲルは禅の考えに理不尽を覚えながらも、弓を極めようと苦悶してその境地へ師匠の阿波師範と向かう話。本書はオイゲルが母国で講論した内容の為、オイゲルと同じ西洋人向けに書かれている。そのため、私達には当たり前の事だと思われる事が多々登場する。だったら、日本人にとってこの本は然程も役に立たないかと言うと、違う。それは禅に触れ、考える期会が現代人の私達には生活上殆どないからだ。
★17 - コメント(1) - 2016年10月8日

弓道を嗜んだことはありませんが、弓道には『正射必中』と言う言葉があることは知っています。これを読んで、更に深い示唆が見えて来た様に思えました。私は凄く遠くにあるなと・・ 短い本ですが、神仏習合の日本特有の価値観の側面も直感的に感じる事が出来ると思います。
★8 - コメント(0) - 2016年9月9日

よかった記憶がある
- コメント(0) - 2016年8月29日

mat
無心の動きについての認識がより深まる。
- コメント(0) - 2016年8月22日

ドイツ人著者が日本で教鞭をとった時期に習った日本の弓術は技巧ではなく精神的に射るもの。 中てると思うのではなく、無意識に射る、矢が放たれた瞬間に戻ってくる自我、丹田で行う呼吸、全て体で行う技巧ではなく、精神で行う術。今でも日本人ならなんとなく直感でわかるものかもしれないが、それを極めるまでの長い鍛錬と修練、一本の矢を放つまでの精神統一は著者と同じくらいの時間がかかりそう。武術もスポーツの一環となっていると技巧中心だろうから、精神的な鍛錬をさせてくれるような道場が今でも残っていて欲しいとは思うけど。
★5 - コメント(0) - 2016年8月20日

 年月を経て、僕たちの身体感覚やものの考え方は、この頃の日本人よりも、むしろヨーロッパの人々のそれに近くなってしまったのかもしません。そのことをなんだか寂しく思いました。本来の武術・武道の世界に、もっとふれてみたいと思います。
★12 - コメント(0) - 2016年7月24日

まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持ちになろうではありませんか
★9 - コメント(0) - 2016年7月22日

私も昔剣道をやっていたけど、どの武道にも共通の思想があると思った。丹田に力を込めるという点や、目標物を狙って当てようとするのではなく自分の気を高め集めて、適切なタイミングで動くという点など。誰か、この本を読んだ人と話がしてみたいな
★13 - コメント(0) - 2016年6月17日

弓道に限らず~道とつくものは目的を目指すことを嫌いますね。最終的には無心の境地に至るようになっていて、それは禅の精神から来ていると思われます。近代的な世界に生きている我々からすると珍しい考え方にも思えますが、よく考えてみると目的を置かないで頑張っていることって結構ある気がします。むしろ目的が無い事が世の中のほとんどをしめているように思えてしまうから不思議です。
★11 - コメント(0) - 2016年6月11日

万物は無より生まれ無に帰する。それ故、生と死は一つであり、同じものである。私はこのことを頭では理解しているが、おそらく本質には近づけてゐない。むしろ遠ざかつてゐるやうに思ふ。いや、もはや思ふこと自体がそもそも誤りなのだ。ー「心頭滅却すれば火もまた涼し」ー一見ふざけたやうな言葉にも思へるが、果たしてこの本を読むでそのやうな感想を持てる人が何人いるだらうか。
★16 - コメント(0) - 2016年5月21日

弓術(弓道)を精神的にここまで極めた方とその教えを会得したドイツ人が居たことに感服した。師の禅に通じる教えに疑問を抱き、壁にぶつかりながらも体得して行く過程が面白い。ゲルマン根性と哲学者としての探求の資質があったからできたのではないか。暗闇で師が放った二つの矢の話は驚くべきことで、読んでいてこの真偽のほどを疑問に思ったが、解説にある師の言葉で本当のことだと確信して唸った。
★25 - コメント(0) - 2016年5月12日

カッコいい!実証する先生がすごい…
★2 - コメント(0) - 2016年5月12日

何度も読んだ本をまたもや再読。現代のワタクシ達も本書が描かれた当時のドイツから来た著者と同じく古き時代の日本の精神は理解からは遠く、本を読み進めながら著者と一緒に触れ学んでいけたような気がします。 最初にこの本を読んだのは高校生の頃だったか…岩波文庫を読んでみたくて本屋で岩波名著を色々手にしたもののギッシリ詰まった文章と小さすぎる文字にドン引きしてページ数少、行間大、文字大の三拍子揃った本書を買った記憶がありますw。そんなネガティブな選び方だったのに、いつの間にか墓まで持って行きたい1冊になりました(笑)
★7 - コメント(0) - 2016年5月5日

日本の文化を吸収しようしてその上ではなくてはならない禅の心を学ぼうとしたへんゲル氏。彼は、禅を学ぶのには日本にある術を学ぶのが一番だと考えた。花道、日本画、弓道など。彼は妻と共に弓道を学ぶことを決心する。彼なりの弓道に対する考え、修練、そして弓道と禅の考えが書かれているものである。武道にたずさるものとしてその修練の葛藤そして弓への想いはよくわかる。今でも武道学ぶものの心構えとして日本人が読んでもためになる。素晴らしい良書だ。
★6 - コメント(0) - 2016年5月1日

16-76】大好きな小説のエピグラフに使用されていたのがきっかけで知った一冊。語られる禅の思想を少しでも理解したくて考え考え読み進めてたから結局ものすごく時間がかかってしまった。そもそもヘリゲル氏が言葉での理解を超えた境地で体得した精神を言葉で理解しようと試みる事自体無謀なのかもしれないけど…。実際に会得を経た方のアウトプットは価値も説得力も段違いだから、こういった講演の原稿というかたちで現代でも読める事に感謝したい(講演日が1936年2月25日、80年前!)。再読必須です…。
★8 - コメント(0) - 2016年4月24日

「弓と禅」の元になった「日本の弓術」岩波文庫。仏教徒でもあった故スティーブジョブス氏の愛読書。直接、業績アップには繋がらない、禅の教えを日常生活に取り入れていた。まさしく「急がば回れ」の精神である
★3 - コメント(0) - 2016年4月19日

弓道が好き。いつかどこかでもう一度弓を引きたいものである。
★1 - コメント(0) - 2016年3月29日

文章がかっこいい。またその5年間の弓と矢を用いた内面的自己研鑚の過程も。頭ではなくみずから経験しなければならない。それがあって初めて理解される。ドイツ人へリゲル氏の弓道・禅との出会い、その師弟愛。日本の非言語的なものを言語的に表してくれているといえるか。ありがたい。映画にでもなりそうなストーリーにも感じたが、すでにカラテでこのようなのがあったか‥?薄い本なのですぐに読み終えることができ、また内容も他に無く面白い。いい文しびれる文がかなりある。オススメです!
★4 - コメント(0) - 2016年3月19日

ドイツ人のヘリゲルが日本の弓術道場で弓を学んだ経験を通して,禅の概念を学んだ記録である. 弓を射るときは,的に当てることを考えてはいけない.これは,弓を射るという行為の裏側にある日本人の精神性を表している. 弓を射ることは,的に当てて点数を稼いだり,人を殺すことに目的があるのではなく,精神を無へ返すことにある.その結果として,矢が的に当たるだけである. ただし,こういった精神は弓道だけでなく,そのほかの武道や華道にもみられるだろう.その点に言及せず,弓道にだけ言及しているのは若干いかがなものかと思う.
★3 - コメント(0) - 2016年3月6日

uni
ドイツ人のヘルゲル氏が、日本の弓術に戸惑いながらも修行をしていくさまは、西洋的なものの考え方にに慣れ親しんできている身としては、その悩みが理解できる気がした。素晴らしい取り組み方だと思えた。
★1 - コメント(0) - 2016年2月12日

本書で紹介されている神学者マイスター・エックハルト。著者によれば、彼はキリスト教徒でありながら禅の境地に達していたらしい。人間の認識が行き着く先。ジョーゼフ・キャンベルが千の顔を持つ英雄でもかたっていたように、「それ」とは自己を超えた先にある究極の何かとの合一であるようだ。禅に限らず、あらゆる神や宗教、その他の学問は、「それ」にいたるための入り口にすぎないのだろう。「それ」が究極的にはひとつのものだとしても、そこにいたる道は無数にあるようだ。
★4 - コメント(1) - 2016年1月30日

弓を汚らわしい手で扱わないでほしい。
★4 - コメント(0) - 2015年12月30日

戸惑いの連続 本書は合理主義のドイツ人、ヘリゲル氏が母国で行った「日本の弓術」講演をまとめたものと、阿波先生・ヘリゲル氏を取り持った小町谷氏の回顧録。 ヘリゲル氏が受けた阿波先生からの指導はまるで禅問答。的ではなく自分を射抜く、的は狙ってはいけない、(弓を引いているのに)力を抜け等、戸惑うばかりだったと思う。 日本人の私でも「ん?んん?」となってしまうのによく耐えたなとwそしてやはり弓は難しい…
★16 - コメント(5) - 2015年12月27日

日本の弓術の 評価:98 感想・レビュー:184
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