哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)
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哲学の使い方 岩波新書巻はこんな本です

哲学の使い方 岩波新書巻の感想・レビュー(151)

哲学という教養であったり、歴史を拒否し、哲学することにこだわるために、その手段である言語や場所にこだわり、哲学カフェの実践を語る。安易な読みや解釈を拒否し、読む者にも根源に迫る哲学を強要する。教養を求める一般人には辛い一冊。
★1 - コメント(0) - 3月26日

第1章は理解でき、第2章はよくわからず、第3章には共感できた。使えるものがあれば儲けもんくらいのスタンスで読む本の気がする。理論がそのままでは通用しない「現場」―それは世界の中にアメーバ状に存在するーにおいて「哲学する」場を作るファシリテーターになりたい。
★6 - コメント(0) - 2月27日

思索する事に対する肺活量が必要であるとの言葉が印象的だった。ぐずぐず考え続ける事が人生という営みである、との事。哲学の学術的記述の部分は、ちょっと理解しきてなくて、学生時代にもっと哲学書を読んで、センスをつけておきたかった、と思った。臨床哲学という独自な考え方も、朝日新聞の『折々のことば』欄なんかも、その実践なのかな、と、思ったりして。朝日新聞の『折々のことば』欄を毎日読んでいるうちに、いろいろ重なって辿り着いた本。多動的なのか、一途なのか、自己判断できない読書傾向の僕は、思索と趣味には肺活量が欲しい。
★14 - コメント(0) - 2月20日

日常に思索の時間を組むきっかけになった。自分なりの”哲学”を温めていきたい
★1 - コメント(0) - 2月10日

態度を保留することは情けないことではなく、哲学的思考を行う上で最も重要 かなり救われた
★3 - コメント(0) - 1月26日

さっと読んだだけでは意味が理解できなかった。 また時間作って再読予定。 「身体は、物体として知覚されるより先に幻想されるものである。」 知的なわくわくがある哲学だけど、何分使ってる言葉がわかりにくい。 普段使わない言葉だけに、じっくり時間をとって理解したいと思う。
★5 - コメント(0) - 1月26日

「対象にナイフの切れ味を押しつけるのではなく、対象がナイフの研ぎかたを指示してくるその声を聴くべきだったのだとおもう。そのために、ときにはわざと滑りの悪い言葉がもとめられることもありうる」「ジョヴァンニ・モレッリが絵画の真贋、作者鑑定のために注目するのは、画家が属している流派の様式といった人目に付く特徴ではなく、耳たぶや爪や手足の指の形、あるいはもつれた髪や襞の多い布といった「見過ごしやすい細部」であった」「破片において考える(アドルノのいうエッセイ)」 私は私の世界を新しくできるかもしれない。そう思った
★1 - コメント(0) - 1月4日

つい先日、友だち(北欧の人)が、ご両親と社会情勢について白熱した議論を居酒屋で繰り広げている姿を見て、いいなあと思った。私には何か自分自身の根本というか、これは譲れないと言うものが足りていないんじゃないか、だから議論ができないのではと思い、その何かを埋めるために役に立つかなあと読んでみた本。分からない、読み解けない部分も多々あり、再読必至。まずは「思考のための肺活量」をあげていこう。
★1 - コメント(0) - 2016年12月24日

様々な学問の上に位置する哲学。今の社会における一般的な答えというもののほとんどは誰かの利が働く。一側面から見えた物では本質は語れない。哲学は自己に問うことから始めなくてはならない。教育の世界で学ぶ哲学にしても過去の歴史を知るための授業でしかなく、そのため日本の哲学は世界から批判の対象になっている。最近テレビなどに見るタレントの社会的制裁も人の嫌悪感が一般常識の中に組み込まれているだけだということはあまり知られていない。哲学は深い。
★58 - コメント(0) - 2016年10月25日

思考はいつ哲学になるのか。
- コメント(0) - 2016年10月20日

わからないけれどこれは大事ということを掴むために、答えのないものに対峙しつづけるために、息をつめて世界をみる。
★27 - コメント(0) - 2016年9月16日

書き下ろしは、集中して読みやすい。物事をしっかり考える。いろんな補助線を見つけるために。一日二十四時間のなかに、二十五時間目以降の時間をつくる。
★2 - コメント(0) - 2016年9月2日

臨床哲学,応用哲学に興味がある.まずは哲学が使える市民を目指す.
- コメント(0) - 2016年8月1日

鷲田さんにしてはわかりにくい(マイナスの意味ではないです)普段から哲学すること、哲学の現場について
★3 - コメント(0) - 2016年3月30日

哲学にとっての現場はどこか。哲学はいつ、どんな時に哲学でありうるのか。ともすれば抽象の中で完結してしまいがちな「哲学」に具体的な「場」を与えることで、その位置づけを改めて問い直そうという、血の通った一冊です。鷲田清一さんの語り口は柔らかくも的確で、本文中にある「非方法としての方法」のこの上ない実践のように思われます。真理とは個人の頭の中にあるのではなく、関係の中で少しずつ見えてくるものなのかもしれません。
★2 - コメント(0) - 2016年3月18日

哲学カフェに行ってみようと思う。この本自体は分かりづらかった。まぁ分かりづらいものを楽しむのも哲学?
- コメント(0) - 2016年3月18日

哲学とは問いを立て直すこと、また新しい問いが生まれるプロセス。問いを立て直すことで、物事を複眼的、立体的に捉えることができるようになる。印象に残ったのは、プロフェッショナルとは他の分野のプロとうまくやっていける人であって、自分の専門分野だけしか分からない人はスペシャリストでしかないという文章。また、ある課題に対して1つの面からのアプローチのみで「解決する」ことはほぼなくて、異なる視点からの考察、アプローチにより解決らしい方向へ「近づく」という見方がより正しいのかなと思った。
- コメント(0) - 2016年3月1日

★★☆☆☆人は哲学に意味への問い、理由や根拠への問い、生きる骨格になるようなもの、そして普段よりもっと深い思索のあり方を期待する。忖度する。議論のプロセスが尽くされて初めて開けてくる道がある。自らの理解の枠組みに翻訳して現実を理解する。
★2 - コメント(0) - 2016年2月25日

「わかりそうでわからない」と「わかないようでわかる」。この二つの間をグルグルと回転するような読書体験だった。決してわかりやすい本ではないし、そもそもわかりやすい話でもない。結局のところ、本書が伝えたかったところの哲学とは何なのか。明確な答えなどないのかもしれない。ただし、わかりにくいことは怖いことだがそれを恐れてはいけないとは思った。
★1 - コメント(0) - 2016年2月7日

「必要なのは、世界のさまざまな事象についての言明を一つのうちにシステマティックに基礎づけ、統括してゆくような知ではなくて、むしろそれらの言明をインターテクスチュアルに相互翻訳し、多様な柄をもつ織物として編んでゆく、そういう知であるはずだ。」136
★1 - コメント(0) - 2016年1月22日

哲学を武器庫にすること。この本を足がかりに、現代哲学の古典に触れて感化されたい。
- コメント(0) - 2015年12月21日

入門という感じ。1つのことに詳しくというよりは広く述べてくれている。
- コメント(0) - 2015年12月17日

哲学を日常的に使う、人生の役に立てる。
★5 - コメント(0) - 2015年11月29日

難しい! 自分にはさっぱり理解出来なかった。多少理解出来たのは、プロフェッショナルのあるべき姿の話と、哲学カフェの話くらいであろうか……。もっと初心者向けの内容なのかと思っていた。
- コメント(0) - 2015年11月7日

「使い方」というタイトルに惹かれて読んだけど、全般的に難解だった(T_T) かろうじて終章がなるほどーって思えた。
- コメント(0) - 2015年10月31日

何かといえば、効率性やその場での素早い決断力ばかりが持て囃される昨今だからこそ読まれるべき一冊。これまで象牙の塔で研究されるものとばかり思われていた哲学という学問がこれ程までに未知の可能性と決して即物的ではない有効性を孕んでいるということに改めて驚かされる。例え声が小さくても、その場で当意即妙な切り返しができなくても、自分の頭で考えそれを口にすることができる、それが許される場がこの日本でささやかながらでも、少しずつ広がりつつあるという事実には何とも言えず勇気が与えられる。ずれまたじっくり読み返したい。
★3 - コメント(0) - 2015年10月21日

日本で哲学というと手の届かないところにある、非現実的な思考であり、高尚で役には立たない研究であるというのが、一般的な印象だろうと思う。その功罪を明らかにし、より現実的で応用可能なものとしようというのが鷲田哲学だろうと思う。事実、分かりやすい言葉で丹念に私たちの身近に引き寄せる哲学の仕方には、実践的な活用方法がある。私自身、鷲田さんの哲学的著作を通して、思考方法が柔軟になったと思う。誰にでも寄り添えるような鷲田さんの言う哲学のあり方は、今の現代人に合う哲学のあり方なのかもしれない。
★17 - コメント(0) - 2015年9月28日

わからないことをわからないまま考え抜くこと。答えを出すのではなく、問いを「更新」していくこと。田中美知太郎の「技術の技術」としての哲学、アドルノの「非方法の方法」としてのエッセイ、ギンズブルグの「セレンディピティとしての知」など、視界が開けていくような概念が次々と繰り出されてすごく面白い。ウィリアム・ジェイムズの「哲学は、見なれたものを見しらぬもののようにあつかい、見しらぬものを見なれたもののようにあつかう」という言葉は忘れないでおきたい。
★2 - コメント(0) - 2015年9月25日

たぶん、他の著者の本を読んでいれば、わかってるといいたくなるだろう。それでも、読んで良かったと思える本だった。正直、総まとめ的ではあったし、何度も同じことを言っていた。それでも、ひとつひとつの言葉が、ひとつひとつの引用が、すとんと、腹におちた。引用したいですが、なんとなくやめておきます 笑。本を読んで欲しいので。
★5 - コメント(0) - 2015年7月10日

平易な単語が並んでいるのだけど内容自体は難しめだった。再読不可避。
- コメント(0) - 2015年6月29日

哲学をどのように使うか考えると言いつつ、第一章はよくある哲学談義に終始していて退屈だった。が、二章からは非常に面白い。正解を得ることでなく、納得を得ること、そこへ向けて外への繋がり方、対話の仕方。なかなか示唆に富むが、一番興味深いのはエッセイの効用。「~である」という断定やきれいな論理でなく、もっと軽はずみで断片的で、体系化への欲望を拒むエクリチュールの肌理こそが重要だという。
★6 - コメント(1) - 2015年6月21日

2015.06.08(06/29)(つづき)鷲田清一著。  05/31  (ⅲ)そもそも。  “なぜ?”とどうしても問わずにいられない瞬間がある。  「初期設定」や、「フォーマット」を改めて意識の上に乗せ、吟味、場合によっては書きかえる。  そのプロセスとしての哲学。  「おのれの端緒が絶えず更新されてゆく」=メルロ=ポンティ。  問いの地殻変動。  解消どころか逆に増殖する。 
★38 - コメント(0) - 2015年6月8日

2015.05.29(05/29)(初読)鷲田清一著。  05/24  石川県の高校で講演、女生徒から手紙があった。  [解決の手がかりとなる一つの手段となりませんか、哲学は?]  状況のなか、どうするのがよいのかわからないまま、とりあえずことにあたるほかない これは大事だ、と思うことをつかむこと。  しかし、性急に答を出そうとするのではなく、答がまだ出ていない、という無呼吸の状態にできりだけ長く耐えられるような知的耐性を身につけること。  だというふうな話をしたのであるが、生徒さんのすてきな捉え返し。 
★53 - コメント(2) - 2015年5月29日

最近、予定調和的にわかりきった結論に進んでいく議論によく直面する。しかし、足場を強固に固めて積み立てていくような進め方ほど思考を停止させるものはないとアドルノを引用し本著で述べられていた。これに対し、「思考の肺活量」という表現は非常に心地よい。わかりやすさの誘惑に打ち勝ち、わからないまま問いを問い続ける肺活量がない限り、複雑な現代社会の課題は解決できないだろう。結局、哲学は何か?どう利用すればいいのか?は理解できなかったが、「思考はいつ哲学なのか?」と本著の最後で問いの次元をあげてくれたのがよかった。
★2 - コメント(0) - 2015年5月18日

思考の肺活量をつけないと深く考えられない。新しい視点を持つことも大切。
★1 - コメント(0) - 2015年4月25日

「ほんとうに大事なことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題がじぶんのなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水しつづけるということである。知性に肺活量をつけるというのはそういうことである。」 その知性の肺活量を鍛えることの大切さを繰り返し訴える。哲学を「使う」とは何か、これまでの哲学はどういうものであったか、哲学は一体、何をするものなのか、を問い直す本書。わからないことをわからないとしてぐずぐずと考えろ、何がわからないのかを考えろ、と繰り返す。じっくりと腰を落ち着けて読むしかない。
★1 - コメント(0) - 2015年4月2日

題名に惹かれちゃった。再読だが、読みこなせない。 ごめんなさい。
★1 - コメント(0) - 2015年3月31日

こんなに身近な話題で哲学できるとは思わなかった。私の頭の中で、連句を巻く=対話する=哲学する、と結びつき、インスパイアしている。 【心に残った言葉】「反省」や「内省」が哲学の方法と思い込まれてきたが、それ以上に「対話」という、複数の経験の突き合わせの方法こそが、対立する意見をともに納得させるロゴスの浮上の場――ダイアローグはもともと「理を分かち合う」という意味だ――として考えられてきたことを忘れてはならない。(11頁)
- コメント(0) - 2015年3月22日

哲学というのは近寄りがたく高尚な浮き世離れしたものだ,というイメージを覆してくれました。ところどころ難しい引用や説明もありましたが,なんとなく「哲学はこういうものなのかもしれない」とか「こういうふうに哲学でものをとらえるといいのかも」とか思えるようになりました。ものごとをとらえる手がかりをつかむ,というのを意識していきたいものです。
★3 - コメント(0) - 2015年3月16日

哲学は使うものだというタイトルの意味がよくわかった。問いを持ち続けること、日々更新していくこと。哲学は学問にしておくのは勿体なかろう。人それぞれの哲学があるという表現の「哲学」で良いじゃないか。
★1 - コメント(0) - 2015年2月27日

哲学の使い方 岩波新書巻の 評価:82 感想・レビュー:56
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