「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用はこんな本です

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用の感想・レビュー(156)

人間社会と科学の関係を論じる科学論。ソーカルとブリクモンの2人は、その重要性を十分認識していたからこそ、この本を書かずには居られなかったんだと思います。文系頭の自分としては「感謝に堪えない」と言わざるを得ません。自然科学の中で確立した原理は100年経とうとその価値を損じるものではない。そこに目を付けたポストモダン思想の論者が自説を権威づけるために、その原理を濫用した。正解があるわけではない文系の分野だからこそ、安易にそういう逃げに走るべきではなかったように思えました。
- コメント(0) - 2月14日

知的不誠実
- コメント(0) - 2016年9月17日

有名な哲学者やポストモダン思想家たちが如何に科学的知識を濫用し、意味を成さない文章を生み出しているか、物理学者である著者たちが代表例を取り上げ解説している。ラカンやドゥルーズといった有名な科学者でさせも、現代科学の言葉を意味を成さない形で使用しているのはポストモダン思想に対する信頼を失わせるには十分であると思えた。
★2 - コメント(0) - 2016年7月2日

人文学に明るくないが、本書内の数々の科学的知識の濫用をみると暗澹たる気持ちになる。特にラカンとイリガライがひどいかな。それにしても事の発端となったソーカル事件の周辺の反応の多くが感情的なのはなぜだろうか。思うに人文学を擁護する側はテクストの少なくとも一部を理解していなかった事を指摘されたことへの怒り、批判に賛同する側は過去理解できなかったことで(必要のない)劣等感を植え付けられたことに対する意趣返しではないか。科学の分野でも山師がのし上がることはあるが自浄できなかったのは人文学の大きな失点だと思う。
★7 - コメント(0) - 2016年5月27日

15-120/2
- コメント(0) - 2016年3月24日

ここでも何度か書いてしまいましたが、哲学系の本でイメージだけで数学用語が誤用されていることに、数学科出身者としていつも不愉快でした。本作は痛快です。よくぞ言ってくれました。涙ぐみます。
★4 - コメント(0) - 2016年1月25日

「本はなにもいってないぞ!人に教えられるようなことなんかひとつもない。信じられることなんかひとつもない。小説なんざ、しょせんこの世に存在しない人間の話だ、想像の中だけの絵空事だ。ノンフィクションはもっとひどいぞ。どこぞの教授が別の教授をばか呼ばわりしたり、どこぞの哲学者が別の哲学者に向かってわめきちらしたり。どれもこれも、駆けずりまわって星の光を消し、太陽の輝きを失わせるものばかりだ。お前は迷子になるだけだぞ」 ー『華氏451度』ー
★6 - コメント(0) - 2015年11月29日

物理学者たちによるポストモダニズム批判。ポストモダニズムの専門誌が掲載してしまったソーカルのパロディ論文、A境界を侵犯すること、も収録されている。
- コメント(0) - 2015年11月10日

歴史的価値は極めて高い本だ。二十世紀後半の思想を牛耳ったポストモダンの終結を意味する本である。ポストモダンの代表的哲学者ラカンにドゥルーズがめためたにやられている。科学用語を理解もせずにいい加減に使っていると指摘している。ラカンの大文字の他者だが、それは二十歳前後では理解できず、三十代後半になってやっとラカンの理論だったことを知った。この本は1998年に発行されており、2012年には日本で文庫になっている。これからポストモダンを大排撃していくぞ。そして文系再編だ。
★6 - コメント(0) - 2015年10月24日

第一の間奏は認識論的相対主義について比較的まじめに扱っている。 他の部分はギャグパートとでも言うべきか、正直言って意味不明な科学の濫用をしている論文の誤りを著者が指摘するという形になっており痛快であった。大学の学部1、2年レベルの物理・数学の知識があるとあからさまにデタラメな引用がされていることがわかるので読みやすくなるように思える。
★5 - コメント(1) - 2015年10月14日

1998年初出。2000年邦訳初出。科学社会学のストロング・プログラム(130頁~)。知識とは、正当化された真である信念か、それに類似したものと考えているが、ブルアは社会学者にとって知識とは人々が知識とみなす一切のもの(133頁注113)。このプログラムは曖昧であるというのが結論という(139頁)。インドの民衆のための科学の運動に参加した生化学者メーラ・ナンダ(157頁)。相対性理論と社会学の結びつきは、よくてもアナロジーどまり(197頁)。
★33 - コメント(1) - 2015年10月7日

タイトル通りの本。取り敢えず読破はしたものの、難解な部分はあまり頭に入ってこなかったのでまた改めて再読したい本。中身は自分の理論を一般大衆に納得させたり、もっともらしくするために、なんとなくしか理解していない科学用語など、難解な言葉を使ったものを次々に批判していく。少なくともこの本に出てくるくらいの知識は身につけたいな。
★1 - コメント(0) - 2015年10月2日

かなり難解。ポストモダン思想とやらに明るければすらすら読めるのかな?
★1 - コメント(0) - 2015年9月10日

硬派な左翼の物理学者による批判。文庫化ついでに背景やその後の展開など解説してくれているとよかった。
★1 - コメント(0) - 2015年8月4日

ポストモダンに片足つっこんでいる人間としては、非常に耳に痛い。けれども、とりあえず難解なこと言っておけば、ごもっともに聞こえるというのは、知的怠惰だろうなあ。
★3 - コメント(0) - 2015年6月27日

いわゆる「ポストモダン」思想家の欺瞞を容赦なく暴いた著書。それにしても自然科学の用語の意味を十分に理解せず、文脈さえも無視して引用し、それが権威として通用してしまうとは、現代思想って一体何なのだろうか。例として出されたクリステヴァ、ボードリヤールの文章は全く理解不能。現代思想はこれらの「知の欺瞞」を乗り越えて再生することができるだろうか。私はちょっと不安。
★6 - コメント(0) - 2015年6月22日

近代や自我への批判から構造主義に至る流れには共感していたので、原著の欠点を知って驚いた。科学の知見を無条件に他分野へ導入したり、論理的思考を放棄する危険性などは理解したつもりだけど、本書をよく理解するためには哲学や科学を結構知らなきゃいけないし、とても教養が身に付く本だと思う。ひとまず、ラカンとクリステヴァは科学を乱用して理論を構築し、イリガライとラトゥールは科学に無知なのに科学を批判し、ボードリヤールとドゥルーズとガタリは疑似科学も含め意味不明だと解釈した。読んでて物理数学くらいはやり直そうと思った。
★7 - コメント(0) - 2015年4月5日

面白かった。アカデミック版の『トンデモ本の世界』。ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ボードリヤール、ドゥルーズ=ガタリなどのポストモダンの有名人の論文の科学用語や知識の濫用を「意味不明である」「どういう関連があるのか一切説明されていない」「科学知識は誤りである」とバッサバッサと切って痛快。と言っても批判の内容は明確だし、批判も科学的な記述の誤り留めて人格批判などはなく抑制されてる。きっかけになったソーカル事件の論文が付録になっていて、これがポストモダンの科学濫用の理解度チェックテストみたいに楽しめる
★4 - コメント(0) - 2014年10月8日

文脈を一切無視して本書を読んで得た感想を述べれば、「語り得ぬことについては沈黙せねばならない」、これである。本書の射程は実に抑制的であり、著者達もまた、そのことを何度も何度も繰り返している。fashionable nonsenseに抵抗するための一書。私も、気をつけないと。
★3 - コメント(0) - 2014年6月7日

大学に入学祝いに読むことをお勧めします。
★3 - コメント(0) - 2014年4月17日

批判対象に含まれる著作を読んではいないが、私が読んだ本の中にも本著が批判する構造を持つものが入っていたと思う。そのような本を読む時は、唐突な比喩・論理飛躍は、一旦読み飛ばし度々言及される場合に限り読み返すというのが”作法”だと理解している。”作法”に従っている限り瑣末な、読み飛ばされるはずの部分を、いたずらによって批判されたことが不毛で感情的な論争を生んでしまったということだろう。
★5 - コメント(0) - 2014年3月22日

理系の知識がそこまでない自分にもわかったのは、アナロジーを用いる時にはちゃんと説明も添えよう、ということ。ラカンやドゥルーズが理系の人々から一顧だにされておらず、一方で人文科学の人々は論文中に最新の科学用語を散りばめているという筆者の指摘は、当時の学問における歪みを示している。さて現在はどうなっているのだろうか?
★3 - コメント(0) - 2014年3月10日

前から気になっていつつ、ようやく読みました。とても良い本。特に人文科学、社会科学系諸分野に関心を持つひとにとっては必読書のひとつになるかと。いわゆるポストモダンの思想家の言説に見られる疑似科学的用語の濫用とその弊害を、誠実かつユーモラスに指摘しています。言っていることは実はとても穏当で、「自分がわかっていないとわかることについて適当なことは言わない」、「自分なりの言葉遣いをするときはちゃんと説明する」と、私としては文句なしに受け入れたいと思えるものです。
★9 - コメント(4) - 2014年1月28日

デタラメなパロディ論文がカルスタ雑誌に採用された事で、ポストモダン哲学に対する痛烈な批判となったソーカル事件。その反響を受け、現代思想の哲学者たちが科学用語をいかに誤用しているかを明らかにしたのが本作。間奏の認識論的相対主義に対する批判も含め、一貫しているのは知に対する誠実さなんだと思う。インパクトの強さもあり同書は読まれる事無く語られる事も多いのだが、やはりそれはソーカルの趣旨に反する行為なのだろう。しかし60年代フランスって何であんなに小難しいんだろうね。後半ソーカルさんも投げやり気味なのが笑える。
★31 - コメント(0) - 2013年11月23日

こうゆう論文は文学に使ったらめちゃくちゃ面白いやろうな。小谷野敦いわく「やけくそ哲学」らしい。
★2 - コメント(0) - 2013年10月19日

内田樹さんとか、ドヤ顔で、カール・ポパーを持ってきて、科学なんてある特定条件でしか通用しない物語に過ぎないんだよ、とか言ってるので、まだポストモダンの悪しき慣習は終わってない。
★5 - コメント(0) - 2013年9月1日

これ程までに腹を抱えて笑い転げたくなるほど面白いとは予想外だった。一般向け入門書レヴェルの知識があるかないかも知れない哲学者が、数学的・物理学的に全く意味の通らない出鱈目を吐き散らかしていると喝破する様は確かにとても爽快だけれど、しかしその出鱈目が本当にメタファーとしても無意味と断じられるだろうかと思うと少し立ち止まりたくなる(権威主義的だろうか?)。 何にせよ本書の主張に、更に意味不明さの度を増した反論が返されるところまで行って初めて一個のコンテンツ(即ち地獄)の完成なのだと思った。
★3 - コメント(1) - 2013年8月22日

仲正昌樹先生の本にもあったが、ポストモダン思想を論じる場においてはどの学問に軸足を置いているのか分からない「思想家」が大勢おり、別の学問の畑から用語や概念を引っ張り出してきて思想を論じる者もある、このへんがポストモダンの特徴の一つだと。この本はそのような風潮の中で間違って引用された科学の記述に関して糾弾する本。正直、ポストモダンについての知識が浅かったために半分も理解できていない感がある。勉強してから再読したいと思った一冊。ラカンが虚数と無理数を取り違えて議論しているとか、くすりとするところもあったが
★6 - コメント(1) - 2013年8月5日

本書は大きく2つに分けて、8人(ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリ、ヴィリリオ)のポストモダニストに対する批判と、認識的相対主義と「ポストモダン科学」の誤解についての批判からなる。前者は「これらの言説がかくも名声を獲得し、今日まで暴かれることもなく来ることを可能にした文化的状況」(p. iv)や体質について考えさせられる(ある種(感心|驚愕|失笑)させられる)。(続く)[1/3]
★3 - コメント(2) - 2013年8月4日

実際に読んでみると予想以上に無視してはいけない内容でした。序文も結語も主張しているのは極めて穏当なこと(ただし個別の批判は多少誠実さを欠く)。ラカンやドゥルーズの場合は「ネタからベタに」なってしまった感があるけど(笑)むしろ一番真剣に議論する必要があるのはラトゥールの章かと。批判されている哲学者たちがそれぞれの分野で科学者が積み重ね磨き上げてきた努力に対して敬意を欠いていたのは間違いないけれども、この本で勢いづいて「ポストモダン」でくくられてしまう議論をまとめて軽視する人がいるのは不幸の一言。
★5 - コメント(0) - 2013年7月17日

勝手にもっと過激な本かと思っていたが、特に序盤のラカンの章なんかはごく控えめに、慎重に書いているという感じを受けた。後ろに行くにつれだんだんクソ真面目にコメントするのがめんどくさくなってきた感じが伝わってきた。「いうまでもないが、ゲーデルの定理が登場しないようでは、この業界の仕事として完全ではない。」(p.259)は笑った。
★4 - コメント(0) - 2013年7月4日

ソーカル事件から興味を持って読みました。連想したのは『トンデモ本の世界』。一方はオカルトで一方は思想という違いはあるものの、科学を間違えたまま引用しているという点では同じように思える。それにしても引用された文、論旨の意味が解りづらいなあ。自分など大学時代に論旨をわかりやすく書け。と怒られたものだが、哲学は違うのかなあ。あと社会や歴史に数式や公式を当てはめるのは、左翼の持っている病理だと思った。世界ってそんなに単純なものじゃないと思うけど。付録の論文は本文を読んだ後に読むと、実に皮肉が効いていて面白かった。
★33 - コメント(0) - 2013年6月20日

はじめの数ページを読んで「これは事件だ・・・」と唖然としました。 当たり前のことを無駄に難しい言葉でもって表現する。科学的理論を社会科学に強引に当て嵌める。専門用語を『皆さんご存知のとおり・・・』といって使って相手を圧倒し博識ぶる。 そういった一部の社会科学者の流れに対し、疑問を投げかける一冊です。 何より日本語版訳者(でいいのかな?)に田崎先生の名前があったというのに驚きです(笑)
★7 - コメント(0) - 2013年4月27日

「意図的にわかりにくく書かれたポストモダニズムの著作と、そこから醸し出される知的不誠実は、知の世界を毒し、すでに一般大衆の間に蔓延している軽薄な反-主知主義に拍車をかけることになる。」という苛立ちと呆れ顔が文面から想像出来るような、鋭く冷たい文章が笑っちゃうくらいに面白い!!ポストモダニズムの哲学者たちの文章を長々と引用したあげく、「文章全体は完璧に意味不明だ」と切り捨て、「珠玉の言葉」とおちょくるキレの良さに痺れる。とはいえ、やり玉に挙げられた人々が全く反論しないはずもなく、その後も論争へも興味がわく。
★5 - コメント(0) - 2013年4月17日

人文・社会系がやりがちな「とりあえずわかりにくい表現を意味もなく多用して凄そうに思わせること」「極端な相対主義・反知性主義」を戒める内容。ラカンやドゥルーズなど現代思想の大御所たる人たちがやれば許されるし追随さえ生まれてしまうというのがまた恐ろしく、未だにそういう科学知識の間違いによる議論の混乱が見受けられる。この手の本を読むたびに、そういう類の議論を見破る力をつけなくてはならないし、ましてや自分がそういう論文を清算しないようにしようと思うのみである。
★3 - コメント(0) - 2013年4月13日

「自分が何を言っているかを知っていることはいい事だ」と言い、基本的には腹を抱えて笑いながら読む本ではあります。  とはいえ、(十把一絡げにするのは良く無いのは承知の上で)所謂「文系」分野における数学/物理学知識の濫用について、或いはソーカル事件に興味があるのであれば、まずここからでしょう。
★1 - コメント(0) - 2013年3月24日

斬られる側の文章は何を言っているのかほぼ分からなかった。兎も角現代思想の頂点にいる者達も数学、科学を相当適当に織り交ぜるていることが良く分かった。私自身、ゲーデル、カオス、不確定性、非線形性、あたりは確かにインチキ臭く使われているのを目にしたことがあるが、一方で、これらは知的に魅力的なテーマであることは疑いなく、科学者のみが独占するのではなく、大いに人文系でも活用してほしいという気持ちはある。思想家が最低限理論を押さえた上で、議論する節度をもてば良いのかなと思う。
★3 - コメント(0) - 2013年3月17日

意味のない科学用語を羅列して作為的に分かりにくくしないこと。質の低い実験データの解析からそれらしい用語を使って"盛った"論文を作らないこと。エピローグについては定期的に見返していきたい。
★2 - コメント(0) - 2013年3月12日

面白い。人文社会学分野の一部における深刻な病理を描く。精神分析分野でトポロジーを出すラカン、量子力学等をいいかげんに持ち出すガタリやドゥルーズ。彼らの文章に欠けているのは明晰さと用語の定義だろう。一方で科学概念の濫用には目を覆う。フランス流明晰さが光るポアンカレも泣こうというものだ。論語の「知らざるを知らずとす。是知れる也」肝に命じ、理解不足の概念の不誠実な使用は避けるべし。数学や物理学ではヒルベルト空間、シュレーディンガー方程式、等の言葉の輝きに"酔って"基礎学習を怠り衒学にひたる事は大敵。自戒も込めて
★13 - コメント(2) - 2013年2月3日

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用の 評価:82 感想・レビュー:59
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