武道から武術へ―失われた「術」を求めて

武道から武術へ―失われた「術」を求めての感想・レビュー(33)

2016年9月21日:yama
2016年7月7日:いいちゃん
稽古とは反復という同じことの繰り返しではなく、自身の躰と問答し、作用反作用を発見していく事かしら。日々の研鑽から、常識となったセオリーを疑い、工夫の中で体験、体得し、さらにそれのレビジョンを上げていく。「武」が彼我をコントロール下に置く事にあるなら、その「術」は、解らないけども何故かできてしまう妙なるものの事か。武術の入口がわかった頃には老い。人の一生は短い。
★20 - コメント(0) - 2015年10月26日

2015年9月12日:サボテンチョップ
2015年4月16日:さけフレーク
2015年1月3日:よう
2014年11月25日:ナミノホサテライト
2014年10月18日:oko1977
2014年5月8日:はじめ3号
とんでもない武術観の世界だな。言っている事はなかなかわからないが、甲野善記氏の人生観には多いに賛同できる。私にわかるかのは居合における翡翠の術利と刀を両手を近ずけて、握る部分ぐらい。そういえば現存する土方歳三の愛刀にも両手を近ずけて、握った後があるらしいので、江戸時代ぐらいまではその握り方はあった証拠になるのでは。
★2 - コメント(0) - 2014年2月26日

非常に難しいですが、自分の稽古を見つめ直すきっかけになった。特に「普段の稽古をただ続けるだけではだめ(意訳)」というのは納得。動きの質を高めるための研鑽がもっと必要と感じた。
★2 - コメント(0) - 2013年5月11日

2013年3月5日:mt
2013年2月26日:銀ちゃん
体の捌き方という方向から読んで面白かった. 印象に残ったのは『居つく』ことの気づき? スキーを操作する時の体の動きと通じるような. 観る方では,滑降競技のごく一部の人でしか 判然としないけれど,やってみれば体感できる. あと,『旋段の手』『虎拉(とらひしぎ)』という手の形. ちょっと試しただけでも,首の後ろの真ん中付近の 肩の高さあたりにミシっと伝わる感じがある.
★1 - コメント(0) - 2012年10月5日

2012年3月19日:shionoh
2012年2月19日:
2012年2月4日:ウタマキ・コウ
2012年1月7日:kuloe
2011年12月2日:ヨッシー
2011年11月22日:siccs
自分の稽古をもう一度考えなおしたくなった。
★1 - コメント(0) - 2011年10月31日

2011年9月30日:はぴい
tom
体の使い方の面白さを語る本。当たり前のように思っていても(生まれたときから使っているから、当たり前と思うのは当然のことなのだけど)、気づいていないことがいっぱいあるのが自分の体であり、目的を持って、いろいろと考え、工夫していたら、新しい発見があるということを書いている。武道やスポーツだけでなくて、体に故障があったり、楽器を演奏するなど、身体に関することに応用も可能。成果をまとめて、独りでも試すことができるようになることを期待します。
★5 - コメント(0) - 2011年9月14日

2011年9月2日:Takuya Shoji
2011年8月9日:rainyshu
2011年7月25日:mkikuchi03
2011年7月24日:nmk
武術と武道の違い、ということは著者がずっと述べておられることですが、武術的な身体理論はもちろんのこと、日本文化を論じるならせめて江戸時代の文献ぐらいは読む必要があるなということをあらためて感じました。
★1 - コメント(0) - 2011年6月10日

--/--:kinghang
--/--:aiochi1990

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