行人 (新潮文庫)

行人 (新潮文庫)
あらすじ・内容
この世でいちばんわからないのは自分の心ではないだろうか――。繊細すぎるがゆえに孤立する主人公を描き名作『こころ』へと繋がる長編小説。

学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。

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行人の感想・レビュー(1267)

頭はいいが他人を理解できず不安に駆られてしまう一郎のような人は程度の差こそあれ現代にも沢山いると思う。他人というものを理解できない不安、他人から自分も理解されてないのではという不安。それが強迫観念になって一郎を襲う。「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」この言葉はインパクトが強かった。もっと夏目漱石読みたい。
★18 - コメント(0) - 3月23日

学者であり頭の切れる一郎は、妻への不信を発端にやがて他者という存在一般を解することができなくなってゆく。その知識人ゆえの苦悩を二人の視点(二郎、H)から語られるのが本作の大まかな構図(こころと良く似ている)である。話の中核はあくまで一郎の苦悩にあるので、他の部分(例えば三沢の女性観や二郎の結婚の話など)では中途半端感が残った。最終盤は小難しいが「孤独な我執を捨てきれずにいる一郎はしかし一方では邪念の萌さない幸福を手に入れたいと望んでおり、彼はこの袋小路の自家撞着に苦悩している」のだと私は解釈した。
★7 - コメント(0) - 3月20日

いろいろな読み方が許されるだろう中で、僕はこの作品が、人間にとって真面目であることは一種狂気の状態であるということを、痛ましいほど鮮明に描き切ったものとして読んだ。理性的である余り神経衰弱を引き起こした一郎は、彼にとっての救いの道を、死ぬか狂うか宗教かに見出したが、僕はここに個人主義モドキを加えることによってある程度苦しみを受け入れることができたりしたんじゃないかなぁ、なんて思ったりしたけど、アホかな…。一郎のような明晰さを持って無くても、おそらく人間には厄介な真面目さ=狂気がある。再読可能性の高い作品。
★19 - コメント(0) - 3月17日

二郎を中心とした2つの三角関係。共通項が”我意”も、差異は関係性。加えて、二郎一家の男性陣vs.女性陣の対照性が齎す我意の深み。父が下宿から二郎を実家へ連れてくる件と、直と2人で過ごした和歌山の件が象徴。一郎の語る道徳vs.自然にも通じる感。生・存在への疑と不安。絶対の境地を問うが故の苦悩が、『こころ』のKの顛末にも繋がるのではなかろうかと推察。一方、直の心情が常に痛みとなる。我意故に許される?家族・夫婦故に許される?時代とも片付けられるが、生々しく問いかける心の暗部。
★70 - コメント(0) - 3月9日

頭と心が追いつかない苦悩が存在していた
★3 - コメント(0) - 3月5日

この作品は『彼岸過迄』までとはちょっと構図が違う。主人公は高等遊民でも実業家でもない、どちらかと言えば平凡な人間である。彼は社交もよくできるし、悩むこともない。この作品で主眼が置かれるのはもう2人、主人公の兄、一郎とその妻の直である。直は心を表に出さない人間である。そうして曖昧なことを曖昧なままで済ますことを得意とする。対して、一郎は普通の人の数倍は頭脳が明晰で、さらにものごとに対して自分で定まった評価ができなければ動けない人間である。彼らにとって結婚は悲劇だった。いったい、誰かが悪いのだろうか?
★3 - コメント(0) - 2月27日

主人公二郎を取り巻く人々の結婚問題を描いた物語だが、本当の主人公は気難しい学者の兄一郎。彼の妻に対する猜疑心と夫婦の冷たい関係が同居家族を悩ませ、二郎も妹も結婚に二の足を踏む。なぜ兄夫婦が上手く行かないのか。イライラしながら読み進めると最後に、兄の親友Hの手紙がその秘密を解き明かす。単なる性格の不一致ではなく、兄の思想・生き方が絡んで来て難解。◆どうも彼は禅的な世界観を信じるものの、悟る事が出来ず中途半端な精神状態だった。これは「門」の宗助と同じ。自分が妻を悪くしたと分かっていたので何やら安心。
★23 - コメント(2) - 2月25日

これまで読んだ漱石の作品では、裕福層が苦悩に陥る様が多く見られました。恐らく彼らは世間の批判や節制に苦しむでしょう。それでも一般庶民から見れば“不幸のどん底”には程遠く、それだけに本作の「死ぬか、気が違うか、宗教に入るか。」という精神的な苦悩はこれまでになく闇が深く感じました。正直、中盤までは今までの小説に似た展開にマンネリ感を感じましたが、終盤の展開で、それまでの流れにも面白みを感じられるようになりました。あの時嵐が来なければ、友人が入院しなければと。同じく神経衰弱に苦しんだ漱石の心情を思わせます。
★37 - コメント(2) - 2月22日

学生時代に買った本を、今読む。「僕は絶対だ」。漱石は小説を書くことで、精神の崩壊をぎりぎりのところで食い止めていたのだろう。
★7 - コメント(0) - 2月19日

漱石は本当に人の内面を描くことに長けている。 一郎を単なる気違いと揶揄することは簡単だが、他人を理解できない苦しみや相容れない孤独感は誰もが根源的に有しているものだと思う。そして、face-to-faceのコミュニケーションが乏しくなった現代においては、よりその孤独感を感じる人が少なくはないのではないか。
★5 - コメント(0) - 2月4日

この主人公の兄さんは大変だ。熟睡中が唯一の心安らかなるときだろう。頭が良すぎる人は辛そうだ。それに加えてお金と時間がある場合、そのひとは尚更苦労するのだろう。物事の追求を適当なところで切り上げることが出来、また、追求する暇もさほど無いのが一番幸せなのかも。最後のほうに、僧侶の悟りの話が出てくるが、思考の限りの末に辿り着いた「考えない」世界と、もともと考えないたちの人物がそれなりに幸せに暮らす世界と、どっちが幸せなんだろう。最後のHさんの手紙を通して、漱石自身が自分の考えすぎる性格を自嘲しているかのようだ。
★8 - コメント(0) - 1月17日

頭脳明晰すぎるがゆえに、人の心を信じることができなくなってしまう一郎。そんな彼を気遣う友人Hの思慮深さが、ひしひしと伝わってきます。
★3 - コメント(0) - 1月9日

年末年始にかけて読み始めた本書。意外とすらすらと読めました。100年以上も前の作品なのに、すぐに読めるのがなんかこう、個人的に夏目漱石の好きなところでして。 これは漱石が「人の心の奥底」を描いているところがあって、ここが100年経っても変わらないから、いつの時代の人が読んでも読めるのかなと。だから今でも読み継がれるのかなと思い。。。 一郎の辛い心の内がつづられていた章は、一気に読んでしまいました。これは実生活での気持ちが反映されてたからなのか。。
★4 - コメント(0) - 1月4日

再読です。
★3 - コメント(0) - 1月4日

追究した者の孤独と苦悶、この救い難さはある意味、残酷で無慈悲だと思います。理智とは自身を守る盾にも、斬りつける矛にもなるようです。それでも思考せずにはいられないから鈍いことを羨ましく、また尊く感じます。偽れない心が苦しめます。そしてこれは紛れもなく現実に存在する心だと感じるから、余計苦いのだと思います。自身の幸福と貴方の悲しみ、選ぶのは彼以外にあり得ないという事実がどうしようもなく迫るのを感じながら本を閉じました。
★15 - コメント(1) - 1月3日

20代で読んだときは兄目線で読んだが、今読むと二郎や友人Hの目線になっていた。兄は人として正しくあろうと思うあまり、他人の不義、不誠実が認められなくなったと思う。世渡り上手の父はもちろん、捉えどころのない兄嫁や、弟の二郎でさえ信じることができなくなって、一人孤独に苦しんでいたんだろう。山の方に歩けとか、カニに見とれて自分を忘れろとアドバイスしたHは、自分一人の世界に閉じこもらず、自分の方から皆に歩みよっていきなさいと言いたかったのかな。
★17 - コメント(1) - 1月3日

この話の主人公を兄の一郎とみるとき、一郎を繊細すぎると一言で言っていいのであろうか。僕は知ってしまったものの苦悩と捉えた。知らなければ幸福というものを研究することなく、ありのままの物事を受け入れることができるが、『幸福』とは何かを追及する能力があるばかりに思い悩んでしまう。文中に出てくる『絶対的相対』という概念。キリスト教という一神教を知ってしまったがゆえに、仏教の『相対性』と相いれず、真理としての『幸福とは何か』に思いに悩んでしまう。文中最後に出てくる『所有』という概念は無心の境地、ということなのだろう
★61 - コメント(1) - 2016年12月5日

日常の風景の描写が本当に美しい作品だと思います。移り変わる季節の表現を男性がこうも美しく表現できるとは・・・。だけど内容としては理解に苦しむ項目が多かったです。主人公はなぜそんなにお兄さんに執着するのか、お兄さんはなぜああも無駄に人生を悲観して考えすぎているのか・・・。お兄さんの考えていることが的外れで無意味なようにしか感じませんでした。もうちょっと含蓄がある話なのかと思っていたのですがそう感じなかったのは私の読解力が未熟なのでしょう・・・。最後の友人からの手紙の内容が好きでした。
★7 - コメント(0) - 2016年12月4日

兄夫婦の問題に巻き込まれる弟を中心に話が進むが、妻の心が自分に向かないことに耐えきれず精神を病んでいく兄こそが主人公のように思え、後半の兄の友人であるHさんの手紙の内容から、やはり真の主役は兄だと感じた。初めは、妻、それから弟、そして“人間”自体への不信に陥ってしまう兄。『僕は人間全体の不安を自分一人に集めて』の台詞から兄の悲痛な思いが伝わる、が、第三者であるHさんにより兄を救える可能性が提示される。夫婦の問題を糸口として人の本心とは何かを正面から描く濃厚な人間ドラマだった。
★21 - コメント(1) - 2016年11月30日

兄弟(姉妹)間の解り合えなさのあるあるだなあと苦笑しながら読んだ。なので面白く読めた面もあるが、鬱々させられる読書でもあった。花を見て癒される一郎を見て、ああ分かる分かる、私も人間に疲れるとつい花や土の温もり等に心通わす心境になるわあとしみじみ。
★19 - コメント(0) - 2016年11月30日

一郎の言葉にいちいちはっとしました。分かりすぎるくらいわかっている一郎だから、きっといつか竹の鳴る音が聞こえるはず。と思いたい。
★4 - コメント(0) - 2016年11月24日

二郎と兄嫁の不倫物語になるかとちょっとどきどきしたがそんなことは無かった。官能小説でもないのに漱石の文章から伝わってくる女性の艶めかしさというか色気が半端ないよな。一郎は今でいう所謂アスペルガーや自閉症など発達障害の部類なんだろうけど、そういった人種の視点から見るとその手の人間の苦しみを切実に表現していて読んでいて辛い。前作を読んでいても感じたけど漱石は社会と上手く適合していけない内向型人間としたの苦しみを抱えていたんだろうな。時代が変わっても人間の根本的性質は同じだということをひしひしと感じさせられる
★5 - コメント(0) - 2016年11月14日

最初のうちはあまり入り込めなかったのですが、一郎が出て来る「兄」の章からぐんぐん面白くなって、あとはグイグイと読み進められました。500ページ弱の長編でしたが、もっと一郎の内面を知りたいな、という良い意味での物足りなさがありました。
★5 - コメント(0) - 2016年10月31日

夏目漱石の小説の中では『坊っちゃん』に並んで読み入った作品。兄の一郎が学究肌で繊細なあまり、肉親や自分の妻をも信用できず、懊悩に懊悩を重ねる姿がひたすら痛ましかった。これは一郎のみならず、作者の漱石や当時を生きた知識人の切なる心理なのかもしれないとも思った。
★3 - コメント(0) - 2016年10月29日

梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼が果して母の何に当るかを知らずに唯疎い親類とばかり覚えていた。___この手紙を書き終る今も亦ぐうぐう寐ています。私は偶然兄さんの寐ている時に書き出して、偶然兄さんの寐ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気が何処かでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気も何処かでします」
★5 - コメント(0) - 2016年10月25日

自我とは孤独への一本道なのかもね。
★7 - コメント(0) - 2016年10月24日

漱石の後期三部作の真ん中のこの作品は深くて重い小説。前半から中盤にかけてのやや冗長な展開は、衝撃的で名フレーズが次々に繰り出されるラストのために示されてた前振りだったという事に読後気付く。
★6 - コメント(0) - 2016年10月15日

世の中の絶対は自分の中にしかなく、その自分も必ずこの世の中から消える運命にあることを常に考え続ける一郎。そんな彼を救う神は彼の中にはなく、妻の愛情を素直に信じる心も残っていません。現代知識人の救いのない孤独を描いた小説でした。こころへ向かいます。
★7 - コメント(0) - 2016年10月12日

はぁ~、凄い小説。前半は大正期の独特の文体もあって、読むのがしんどかったが、最後は一気に引き込まれた。前半の一郎にはイライラする。周りが思い通りにならないと癇癪を起こす人がいるが、一郎もそうで、Hが「山が動かないなら、何故、自分から山の方に行かない」と喝破した時はスカッとした。しかし、一郎は自分が考えていたような男ではなく、絶対を信じられないために苦しむ繊細極まる男だったことに、最後は悲哀を感じた。自分は神社やお寺に行ったら素直に手を合わせられるが、それがどれほど幸せなことなのか、知った気がする。
★18 - コメント(0) - 2016年10月3日

家族を嫌な気持ちにさせる厄介者の長男一郎。おそらく主人公の二男二郎は、兄の友人Hに兄を旅行に誘い、その時の兄の様子を知らせて欲しいと頼む。最後はすごく親切で人間味のあるHからの10日間の一郎との同行の様子の書簡で終わる。人は血が繋がっていてさえ分かり合えない、まして夫婦など、結局は孤独なのだろうか。
★8 - コメント(0) - 2016年10月2日

200頁を過ぎた辺りから面白くなり、300頁を過ぎてからノンストップで読みたくなるのは反則です。一郎さんのものの見方は人とは違う、繊細で、とても美しい景色を見ていたが故に苦しめられてしまったのでしょう。私の解釈違いかもしれませんが、先日読んだレモンケーキ~もジョーが苦しんでいて、自分と言う存在を捨て、その間に物を絶対価値として見出だす方法を同じくしていたので、あぁ、皆するんだというきもち気持ちがあり。並大抵のことを云って一郎さんに詰まらないと云われて仕舞うかも致しませんが、ゆっくりとお休みになってください
★8 - コメント(2) - 2016年10月1日

自己と世間 心と制度 折り合いがつかなければ苦しい
★3 - コメント(0) - 2016年9月12日

いつか再読するときのためにも、読了直後の感想を残しておきたい箇所が山ほどありました。が、うまく言葉にできそうにありません。考えれば考えるほど難しくて……。頭の良い人なら、私が考え込んでしまう程度の箇所にはあっさりと答えを出せるのだろうけれど、そういう人はそういう人で、やっぱりまた別次元の疑問・悩みが生まれてくるのでしょうね。そうして深みにはまったのが一郎だと……。一郎のような人の目には、私には見えないものがたくさん見えているのだろうと思うと、羨ましいような、気の毒なような。でもやはり私は憧れちゃう、かな。
★27 - コメント(4) - 2016年9月9日

『三四郎』と『それから』を足して二で割ったような話が続くが、最後のHの手紙で漱石の他者性の問題意識が開陳されるところが真新しい。ただこの小説の主題はなんといっても漱石の結婚観である。結婚とは青春時代を強制的に卒業させる社会的なイニシエーションであるというのが近代知識人の大方の見解でしょう。さらに漱石のようなニヒリストは自由恋愛もただの幻想だと言うでしょうけど。結婚を機に青年男子も乙女も大人としての夫婦としての役割を負わされることになる。その作られた関係性を漱石は簡単には受け入れられなかったと思います。
★13 - コメント(12) - 2016年9月5日

おわり方に少々びっくりしたものの、とても味わい深い小説でした。うまく書けないけど心に残る作品。
★9 - コメント(0) - 2016年9月2日

えっ、これで終わりなの?というくらい、なんだか唐突に終わってしまう感じあり。ゆっくり、じっくり読みましたが、私にはなかなか難解な箇所もありました。うーーん。また、いつか落ち着いたときに再読したら、また違う感想なのかもしれない。
★13 - コメント(0) - 2016年8月28日

思いつめる一郎を理解してくれる友、心配してくれる家族があることは幸福であると思う。現代に生きる自分は、こんな風に考え過ぎたりすることがなく生活している。ある意味幸せで、ある意味不幸だと感じた。
★6 - コメント(0) - 2016年8月27日

面白かったです。意表をつく終わり方で、これで終わりかよ、と思わずつぶやきました。
★5 - コメント(0) - 2016年8月9日

「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」ずっとこのセリフが気になって、再読する。一郎の苦しみは漱石の苦しみだったのか、それとも。なぜか彼の弟子である芥川の晩年によく似ているきがしてならない。
★7 - コメント(0) - 2016年8月2日

行人の 評価:90 感想・レビュー:316
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