女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)

女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)
あらすじ・内容
長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の信者だった……。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。

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女の一生〈1部〉キクの場合の感想・レビュー(530)

読んでいて本当につらくなった。キク、、清吉、、伊藤、、、
★1 - コメント(0) - 2016年12月27日

キリシタン迫害事件にもとづいて書かれた話。キクは本当に心の根が強くて、危険を顧みず自ら行動を起こして事態を切り開いていこうとする女性。昔、読んだ時より、キリシタンを見張り捕まえ折檻する役人の伊藤の心の動きに衝撃を受けた。エピローグで、津和野で清吉と再会して謝罪する伊藤が、亡くなっているキクに対しても語り続け、一生その責を背中に背負って生きてきたと言う。キクの生きざまが、伊藤にキリスト教の宗旨を伝えることになったのが何とも皮肉。また長崎へ行って、大浦天主堂を訪れてみたい。
★6 - コメント(0) - 2016年11月25日

結構長い話なので覚悟はしていたが、それとは違う意味で400P超えたあたりから急に読むのが辛くなった。キク、清吉の凄まじいまでの強さと清左衛門や熊蔵の誰もが持っている弱さを中心に語られるもうひとつの「沈黙」でもありもう一つの選択の答えなのかなとも思ったり、「私が棄てた女」に通じる儚さや聖女の姿だったり、読み始めはどうかなと思ったけど読後の余韻はいい意味で複雑。ふと先日の真田丸で幸村が「キリシタン兵はすこぶる強い、なぜだか分かるか。」と問う場面があったが、これを読んだ今なら分かる気がします。
★11 - コメント(0) - 2016年11月14日

幕末の長崎。隠れキリシタンの清吉に恋した娘、キク。実際にあった「浦上四番崩れ」という弾圧事件がベースになっている。昔、歴史の授業で「踏み絵」を習った時、「ごめんと神様に謝って、踏めばいいじゃん」と思ったのを思い出した。けど、弾圧モノを読むと、色々な感情があって、簡単ではないのだなあと思った。作者も書いていたけど、伊藤清左衛門の存在感!島根の津和野がこんなに寂しく描かれたのはちょっと切ないけど、また訪れたい。大浦天主堂も。
★4 - コメント(0) - 2016年11月13日

久々の再読です。先日、浦上四番崩れの本を読んだので、さらにこの本の世界に入り込めました。史実に基づいて的確に書かれてますね。昔よりも、この世界観に浸れました。キクの一途さに、ほんと胸が打たれます。話の流れは覚えていたのに、途中で涙が止まらず読み進められなくなりました。伊藤の弱さが描かれているから、清吉の強さやキクの純潔が際立つんでしょうね。次の長崎旅行は、浦上中心に回ります!キクが対話した、大浦のマリア様ともじっくり向き合ってきます。
★34 - コメント(0) - 2016年11月5日

2016.11.04(2015.02.20)(つづき)遠藤周作著。  10/01  (P046)  ものうい日本人の人生のリズム、プチジャン、想像、胸を締め付けられる思い。  長い塀があれば仏教寺院。  異教徒の場所、頭から否定しないが、読経(異教徒の祈祷)を聞くと、三味線と同じ、ものうい単調なリズム、虚無を感じる。  蝉までそう聞こえてくる。  これが日本なのだ。  親切だが、心から許しはしない。  彼らはどこかにいるはずだ。  (長崎)  木登り事件から10年、ミツ15、キク、16。 
★58 - コメント(1) - 2016年11月4日

「浦上四番崩れ」という幕末のキリシタン弾圧事件を背景にして、切支丹の青年に恋をした美しい娘・キクの短い生涯を描く。塩野七海の『ローマ人の物語』を読んだせいで自分はキリスト教にあまりいい印象持っていないんだが、遠藤周作の作品はなぜか心に響く。キリスト教は信じるものしか救われない狭量な宗教というイメージなんだけど、この作品はキリスト教をまったく信じていないキクが、まさに聖女のような愛と献身を見せ、キリスト教によって一番救われたのが、そのキクを騙し犯した伊藤という悪辣で卑怯な男というところが遠藤周作作品らしい。
★14 - コメント(0) - 2016年10月27日

幕末の長崎でのキリシタン弾圧。死者が出る凄まじい拷問。キリシタンの青年に恋をした少女キク。西洋文学を読むのにキリスト教の知識が必要なので、私なりに理解しようとは思っているのだけど全然わからんよ!おキクちゃん可哀想すぎるでしょ!おキクちゃんキリシタンじゃないのに巻き込まれ型悲劇!神を信じたゆえに殺され苦しみ抜く人々にも神はただ沈黙する。憐れみの眼差しでマリア像はキクを見下ろす。救い?これが救い?わからん!ただ、純粋にキリストを信じきる人々の心の強さはわかった。『二部·サチ子の場合』読みます。
★24 - コメント(2) - 2016年10月26日

徳川幕府がキリスト教を禁じていた頃の長崎が舞台のお話。遠藤周作いわく。長崎県への恩返しで書いた作品だそうで、著者の想いが込められています。キクという男勝りのお転婆な少女の一生を描きます。キクの好きになった清吉はキリシタンだった。もう一度、なぜ?ここまでキリスト教を迫害したのか?勉強したくなる不条理で胸が苦しくなるお話でした。イエス様が十字架に駆けられた情景をのお話を、先日、教会で聞いてたら、「おお、ああ~」と、悶えていた方がいらっしゃいましたが、まさに、そんな気分です。イエス様の着物をはいだり、ムチ打った
★39 - コメント(0) - 2016年10月3日

巻末の筆間雑話で著者自身が述べているように、長崎の小役人伊藤清左衛門が物語の中で重要な役割を演じている。自分の弱さを自覚しつつもそれに抗えず、悪事に手を染め続ける彼の姿は非常に見苦しいが、同時に憐憫の情も湧いてしまう。キクや清吉のように清く正しく強い者、あるいは出世街道を邁進する本藤舜太郎のような能力に秀でた者に対する妬みや羨望。誰もが少なからず持っているこうした不健全な感情を、伊藤という存在はこれでもかと見せつけてくる。
★3 - コメント(0) - 2016年9月25日

長崎における幕末期のキリシタン弾圧に材をとった作品。聖母マリヤが生娘のままイエスを身籠ったのに対し、農家の娘キクは拷問を受ける恋人を一途に思うが故に、悪役となる役人に身を汚されてしまう。連載小説だったためか、最後は若干終わりを急いだ感じがあるが、遠藤周作と日本とキリストという問題がすべて収斂されている。聖女という点では、筆者の「わたしが棄てた女」に通じる点があった。
★7 - コメント(0) - 2016年7月4日

信仰に生きるのか? 生きるための信仰か? 信仰と現実社会を前に、人間とは、いかに儚く無力であるか。反旗を翻すがごとく心の奥底から生まれる愛する人への想いや生命力は、無力であるがゆえに、美しく、人々の心に留まり、語り継がれることになる。
★2 - コメント(0) - 2016年7月2日

苦しみのなければ人と人とは、心の底から結びつかぬもんですたい。 なんとも言葉にならない作品。
★3 - コメント(0) - 2016年6月24日

41.再読。初めて読んだ時の方が感動したし、純粋な愛の話として楽しめた。再読してみると、付き合ってもない男のためにあこまでできるキクの気持ちが理解できなかった。若干ひいてしまってる自分が悲しかった。
★4 - コメント(0) - 2016年6月24日

Y
「アデンまで」からはじまり、「白い人」で芥川賞受賞。「黄色い人」「海と毒薬」と続き、「沈黙」を執筆した遠藤はどこへいったのか。純文学という類のものをやたらに褒めそやしたいわけではない。しかしテーマや指針ばかりが先走りすると、醜悪に思えるのである。苦々しい。
★7 - コメント(0) - 2016年5月8日

2016.04.09(2015.01.20)(つづき)遠藤周作著。  04/04  (P045)  デジマという扇形の人口島。  出島の背後の山にかけ、斜面、黒い瓦、びっしり。  それが長崎の町だ。  「あいやぁ、南蛮人ばい、顔も真っ赤」  三味線の音。  言い知れぬ虚無感と哀しさを覚えるプチジャン。  これが仏教の虚無だ。  ものうい日本人の生活リズム。 
★58 - コメント(0) - 2016年4月9日

上司から借りた本作。底知れぬ愛。これ以上一途な愛を描いた作品を見たことがない。本当に感動した。寒さと飢え、むごたらしい拷問。それを耐えぬいた切支丹。尋常ではない信心。その一人である清吉に恋をしたキクもまた尋常ではない愛情を清吉に捧げていた。聖母マリアに嫉妬し哀願し愚痴をこぼすのがとても切なく、大好きな場面。こんな女性に想われたのならば、どんなに幸せなことかと思う。自分はキクが大好き。また、プチジャンに「小悪党だが悪魔になれぬ男」と称された伊藤は、どこか自分に似ているような気がして嫌いになれなかった。
★1 - コメント(0) - 2016年3月29日

(ああ、ここはあまりに暗すぎる。あかるい、のびのびとした信仰をこの日本人たちに与えたいのに…) 「たとえ生身の痛めつけられましょうとも、心ば失うとにくらべたら、何でもござりませぬ。そう思うております。」
★2 - コメント(0) - 2016年3月23日

★★★★★人間の弱さを書かせたら、遠藤周作さんは天下一品。 キクのひたむきな愛に、心うたれます。
★1 - コメント(0) - 2016年3月8日

浦上4番崩れ、キリシタンではないサチが隠れキリシタンである男を愛するお話。キリシタンでなくても、人を何度も裏切る弱き男でも、だからこそ神は救い給う。人間の弱さや葛藤こそを神は愛する。と書けば宗教の小説と思うけど、やっぱりこれは愛すべき人間のお話だと思う。『沈黙』の方が名作だとは思うけど、涙したのはこちらの本でした。
★5 - コメント(0) - 2016年3月2日

読書会のため、再読。
★1 - コメント(0) - 2016年3月2日

幕末から明治にかけてのキリシタン迫害の歴史。これでもかというくらいの迫害。そして人間の欲望。読んでいて当時の日本社会と権力に嫌悪さえ感じる。著者の「沈黙」と同じものが根底に流れる。「神様は、なして、こげんむごか目ば黙っておらるっとね」。神の沈黙。迫害と闘う農民信徒と加える側、迫害から逃げる宣教師たち。人間の強弱が見える。迫害は止む。信仰を貫いた人の中には何が残ったのだろうか。日本人の根底に流れる血は今も変わらない。
★8 - コメント(0) - 2016年2月6日

団平船に乗せられて島流しにあう百十三人の切支丹たちを描く描写がとても切なく美しかった。乗せられている切支丹の想い、それを見ているしかない女子どもたち、キリスト教の神父たち。それぞれの想いが連なるその背景に長崎の街、湾、稲佐山の風景があり、「参ろうや 参ろうや ハライソの寺に参ろうや」の歌が聴こえてくる。キクはマリアを憎んだ。最愛の清吉を奪ったマリアを憎んだ。しかし清吉への想いがキクをマリアへと変えた。とても限られた字数では書ききれない作品である。長崎に実際に行ってみたいと思わせる作品。
★9 - コメント(0) - 2016年1月15日

短く儚いけれど、自分の身を削って一人の男性を一途に思い続けたキク。キクが聖母像の前で血を吐きながら死んでいくシーンでの彼女のセリフはとても悲しく切ないものであった。しかし、エピローグでの清吉と清左衛門のやりとりでキクの一生が無駄なものではなかったと感じ、少しはキクが報われたように思った。この作品で信仰とは何か、神とはいったい何なのかと考えさせられた。
★2 - コメント(0) - 2016年1月1日

2015.12.19(2014.12.20)(つづき)遠藤周作著。  12/10  (P044)  フューレ神父。  プチジャンへの作戦変更。  長崎の町を見て歩くようにした。  「日本人の中にもまだキリシタンはおるとですばい」を言ってくれる。  坂と寺と樹木の町。  ポルトガル人たちが300年前に作った町。  樹には蝉が死物狂いで鳴いている。  中国人たちの居住区はカルチェ。 
★57 - コメント(0) - 2015年12月19日

女の一生というタイトルの割には主人公のキクはそれほど登場しない印象を受ける。それよりも、筆者は神父プチジャンによる信徒発見を描きたかったように感じる。大浦天主堂を主な舞台としているため、一度行ってみたいという気持ちが湧く。
★1 - コメント(0) - 2015年11月28日

MI6
浦上四番崩れ(慶応3年1867年~明治6年1873年)、キリシタン禁制(慶長19年1614年)、怺える(こらえる)キク、伊藤清左衛門
★2 - コメント(0) - 2015年11月11日

前回読んだのは20余年前「弱くて正しい」者が愚直に闘う姿に涙をした記憶があり再読。私の受信機も稼働年数を重ね感度が落ち、素直に泣けなくなっている。仲間を裏切る熊蔵、信仰に対する確信が揺らぐプチジャン、正しき者たちを汚す罪深き伊藤清左衛門。どうも「弱くて醜い」者の苦悩にアンテナが向いてしまう。著者も、そして著者が考える神もそういう「弱くて醜い」者にこそ寄り添っているのだろう。「弱くて正しい」清吉にも「弱くて醜い」清左衛門にも名前に「清」がついている。大浦天主堂のマリアさま見に行ってみようかな...
★37 - コメント(3) - 2015年9月18日

一人の男を愛し抜いたキクや切支丹弾圧に耐え抜く清吉は、あまりにも私と次元が違いすぎて感情移入ができず、正直あまり心を動かされなかった。私の中で、この作品の主人公は伊藤でした。どこまでもずるくて卑怯で、他人を妬み羨んで、そのくせ悪人にはなりきれずそんな自分を責めてばかりの伊藤。神さまはそんな伊藤の心にこそ惹かれる、そんな伊藤を愛しているとプチジャン神父が話す場面で、伊藤と同じように弱い私も救われた気持ちになり、涙が出ました。
★3 - コメント(0) - 2015年9月4日

何回読んでも、一言一言が胸をつく。信仰の持つ力の強さにひれ伏したくなる。月末の長崎への旅が楽しみだ
★4 - コメント(0) - 2015年8月10日

これは名作だ…キクと清吉はもちろんのこと、プチジャンや伊藤の機微まで描かれているのでかなりの読みごたえ。長崎を訪れたくなりました。
★3 - コメント(0) - 2015年8月10日

女の人には かなわない。 まず、そう感じた。 切支丹じゃないキクは度々サンタマリアに「勝負」しているが、 清吉にとっての本当のサンタマリアは彼女だ。 皮肉なことに小悪党の伊藤にとってさえも。 祈りは届くのか、それは言葉や行動とどうつながるのか。 頭で理解する話ではなく心で理解、浸みわたってくるような物語。 限りなく切ない。
★8 - コメント(0) - 2015年8月10日

2015.07.23(2014.11.20)(つづき)遠藤周作著。  07/14  (P039)  フィーレ神父とプチジャン。  ともに寝起きするお兼さんとその夫-長崎弁、理解が・・・。  フィーレはミサの後、工事現場、大工の棟梁とあれこれ相談。  日本人、よく煙草、吸う。  お兼さんまで、歯の裏真っ黒に染めた口で吸う。  見物人、増える。  進捗で。  役人が取り締まる。  蝉の大群。  1W仕事、3日で片付ける、手先の器用さ、あきずに眺める。  大工道具、なるほど。 
★54 - コメント(0) - 2015年7月23日

壮絶な切支丹の迫害の歴史。
★3 - コメント(0) - 2015年6月28日

良かった☆
★4 - コメント(0) - 2015年5月20日

☆☆☆☆☆幕末の260年前の江戸時代初期には日本に四十万人のキリスト信徒がいました。長崎にも美しい教会がありました。 その後、キリスト教は弾圧され、信徒とわかると死刑にされるまでになりました。 火あぶり、水責め、雲仙での熱湯づけなど惨いです。 島原の乱以降は根こそぎの弾圧になりました。 1862年という年は、鎖国が終わって開国から五年経っています。 明治維新の五年前です。 この時期にひどいキリシタン弾圧が行われたということにはおののきました。 踏絵もこの時期にも行われていました。
★5 - コメント(2) - 2015年5月10日

幕末から維新の時代にかけての切支丹弾圧事件を基にした話。江戸時代にキリスト教が禁教されていたのは知っているものの、明治になりそうれがどう変遷したかはあまり知られていない。もちろん私も知らずにこれを読んで、そして驚愕した。明治日本はその初期においてはより一層厳しくキリスト教を弾圧していた。正確には切支丹を弾圧していたというべきか。そんな中で、長崎のとある村の切支丹青年と農村の活発な娘との恋愛を描く。歴史に名を残すこともない人達の話に引き込まれていく。遠藤周作の美しい話。
★3 - コメント(0) - 2015年5月9日

救いが無いと思った。イエスはいつまでも沈黙を守ったままである。キリスト教という宗教の教えの中にしか救いの無い物語だった。だからこそ、登場人物に溢れるほどの人間味があり、入り込んでしまった。 女としての喜びを知ることなく死んでしまったキクは、「聖母」として二人の男の中に生きていた。彼女はハライソの寺に行ったのでしょうか。
★2 - コメント(0) - 2015年5月6日

2015.04.16(10/20)(つづき)遠藤周作著。  04/14-2  (P036)  那覇で数ヶ月過ごした。  もし一群の信徒が隠れているのなら、彼らを探そう。  お兼とその夫だ。  フューレ神父、見つける。  二人はオイナリ教信者。  キツネを礼拝する日本の宗教だよ。  お兼とモサク。  この人がベルナール・プチジャン神父だ。  坂の上に木造建築m西洋風。  出来上がっていた。  初めての教会だ。  横浜より原始的だ。 
★50 - コメント(0) - 2015年4月16日

2015.04.15(09/20)(つづき)遠藤周作著。  04/14  (P035)  片耳の中国人の男、まだ隠れて、基督教を信じている奴がいるんだ、という。  長崎の漁師で、ここまで流されてきた奴がいるんだ。  フーレ神父は、その話は出鱈目だと思った。  が、彼だけは強烈な衝撃を受けた。  この会の建物。  アジアの国々で布教した先輩らの遺品。  聖フランシスコ・ザビエルの伝記や書簡、「日本人は私の知る限り、東洋では最も頭のいい、優れた民族だ」  日本にはもう一人も信者はいないと思っていた。 
★47 - コメント(0) - 2015年4月15日

女の一生〈1部〉キクの場合の 評価:80 感想・レビュー:126
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