侍 (新潮文庫)

侍 (新潮文庫)
あらすじ・内容
何ものにも屈しない。たとえ、この命が潰えたとしても。感涙必至、歴史小説の白眉。

藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、「侍」は海を渡った。野心的な宣教師ベラスコを案内人に、メキシコ、スペインと苦難の旅は続き、ローマでは、お役目達成のために受洗を迫られる。七年に及ぶ旅の果て、キリシタン禁制、鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは――。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の“生”を通して、人生と信仰の意味を問う。

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侍の感想・レビュー(531)

史実を知っていればハッピーな結末にならない事は予測できるけれど、そこに至るまでの登場人物達の心の内と、日本人と外国人の宗教観の違いが綿密に描かれていて一喜一憂しながら最後まで読む事が出来た。周りの特徴的な人物に比べ、主人公はパッとしない。主人公を表す際の「侍」という象徴語の通り、その時代の典型的な下級武士なのだが、だからこそ日本人が持つ忍耐強さや価値観が浮き彫りになっている。沈黙とは対になっていて、かつ弱い者に寄り添うというキリスト教のあり方をより明確に示した作品だと感じた。
★1 - コメント(0) - 2月11日

人生と信仰、また日本人にとっての信仰の意味を考えさせられました。藩主の命令でローマ法王に謁見するために海を渡った侍は、その苦難の旅を続け、ローマにたどり着いたと思えば、洗礼せざるを得ない状況に追いやられます。本当に神を信じてではなく、形式的な洗礼とはいえキリシタンになった侍を待ってたのがキリシタン禁制というのが皮肉だと思わずにはいられません。政治と歴史の狭間で翻弄された人生を見たような気がしました。何とも苦しい思いにならざるを得ません。
★105 - コメント(0) - 2月10日

ノベスパニヤと通商協定を結ぶよう藩主から命じられた侍は海を渡った。人間の野心と政治的な思惑とに翻弄される彼は、役目達成のため形式的に受洗してしまう。エスパニヤへ、ローマへと数年間に渡った過酷な旅の果てに帰国した彼を待っていたのは苛烈なクリスチャン弾圧と、洗礼した彼に対する不条理な仕打ちだった。侍は失意と絶望の中で、惨めで無力な自分の悲しみに寄り添う存在に触れていく。人生とは何か、日本人にとっての信仰とは何かを問う一冊。沈黙で描かれた信仰に伴う苦悩と救済の可能性が深化拡充されここに結実している。
★7 - コメント(0) - 2月7日

宗教とは、信仰とは、そんなことを考えさせられる一冊。キリスト教は最も弱く、醜く、病んだものに寄り添うべくある。でもそれが国家や教会や個人の野心と結びついたとき、他国の土地に根付いた文化や生活を侵略しうる悪ともなる。何かを強く信じることとは、美しくもあり、怖くもある。強い信仰は人を盲目にさせる。これは『侍』の時代だけではなくて、現代にこそあてはまることのように感じました。
★1 - コメント(0) - 1月28日

ひたすら自分に与えられた運命を生きる、我慢強くて真面目で穏やかな主人公の『侍』に、切ないような理解できないような、尊敬のような気持ちがわくような、複雑な気分になりました。
★1 - コメント(0) - 1月27日

再読。
★4 - コメント(0) - 1月24日

読みごたえタップリ。そ言えば、スコセッシ監督の「沈黙」やっとりますな
★1 - コメント(0) - 1月24日

いつか読まねばと思っていた宿題。◆慶長遣欧使節のひとりである支倉常長をモデルとする主人公の時代に翻弄され続けた人生。寒村で一生を送るはずだった平凡な侍がふたつの大洋を渡り、遂にはヴァチカンで法王に謁見する。しかし、ヌエヴァ・エスパーニャとの通商を開くという所期の目的を果たせず、切支丹弾圧の激しい故国に戻ってからは藩から処罰される。一見どうしようもなく受身の人生であり、救いがない。だが、その中でも主人公は時に自ら人生の路を切り拓こうとあがく。もはや本人による史料がないこの主人公を(以下コメント欄)
★28 - コメント(6) - 1月9日

上手く表現できないけど、何ともやりきれない気持ちになった。
★3 - コメント(0) - 1月5日

顛末だけ見ると悲劇としか言いようがないけれど、ベラスコも「侍」も屈辱と絶望の果てに真の信仰を見出したんだろう。
★1 - コメント(0) - 2016年11月15日

支倉常長は、今では伊達武将隊のメンバーの一人になっているけれど 江戸時代初期に生きた本人は、当時の政治に翻弄されつつ、何を感じたのだろうと思った。
★4 - コメント(0) - 2016年8月13日

『あのような、みすぼらしい、みじめな男をなぜ敬うことができる。なぜあの痩せた醜い男を拝むことができる。それが俺にはようわからぬが…』
★3 - コメント(0) - 2016年8月11日

藩からも出たことのないような地侍が、ローマ法王に親書を届ける役目を仰せつけられた話。明治以前の異文化交流の話が好きなので読んでみましたが、そんな甘いものではありませんでした。孤独感とか不安感とかから宗教観が生まれるのは、どの人種でも同じなのですね。読んでいて日本人とキリスト教をものすごく学ばれた方なのだなと伝わってきました。やっぱり文学界に名を残された方の作品は読まなければダメだなぁ。
★5 - コメント(0) - 2016年7月18日

39.あー。何かを掴めそうで、うまく掴めない。ベラスコの強引さや信仰の押し付けとか。布教時代に心から改宗した人はどれぐらいいたんだろう。宣教師の「日本で成功してやる!」的な気持ちの強引さに負けて改宗した人もたくさんいたのではないかな。弾圧の時に転んだ人たちはそうだったと思う。日本の仏様に比べたら、イエスは何もできないただの磔の男に見えるだろうし。付き合いで改宗した人もいただろうし。宗教って、神って、一体なんなんだろう。
★4 - コメント(0) - 2016年6月16日

江戸時代初期、メキシコとの交易を望む主君の命により侍は海を渡った。ローマ法王に交易の許しを貰うため、メキシコ、スペイン、ローマと続く苦難の旅。惨めに十字架に磔にされたイエスがなぜ信仰を集めるのか理解できないものの、お役目のためとキリスト教の洗礼を受ける。しかし侍が帰国したとき、日本はすでにキリシタン禁制の時代に。絶望の中処刑の場に赴く侍に、共に旅中でキリシタンとなった下男の与蔵が言葉をかける。「ここからは……あの方がお供なされます」。侍は最期に、自分の傍らに、絶望を共に背負うイエスの存在を感じた。
★14 - コメント(0) - 2016年6月1日

侍が感じていたイエスに対する疑問を同じく持つ自分としては「信仰」の本質が掴めずにいる。どこかベラスコに不信感を感じるのも否めない。しかしこの結末から感じた抗えない人の業には「何かしらの支え」が必要なのかもしれない。信仰が何かしらの支え程度な物と言い切る気は無いが、今の自分にはこの答えに近い結論しか導き出せなかった。
★6 - コメント(0) - 2016年3月28日

布教の野心をもったベラスコと、お役目のため海を渡った侍たち。ベラスコがぺテロ会と対決して出た日本人の本質、この世のはかなさへの感覚はあるが、怖ろしいことに日本人はこの世のはかなさをたのしみ享受する能力でそこから決して飛躍しようとしない、明確な境界を嫌うのだというくだりは力説だったなあ。そして侍の「あの男」の理解…たとえ病みほうけた犬でも離れぬものを求める人間の願い。与蔵だけは、ミレーの晩鐘のように土と祈りとともに生き抜いたのだろうと思いたい。
★9 - コメント(0) - 2016年3月6日

宣教という行為の傲慢さであったり同じ神を信じる者同士が争ったキリスト教の歴史、はたまた信仰そのものに対する嚥下できない思いが遠藤氏にはあったんじゃまいか?と思う。『沈黙』より信仰の本質、日本人の本質をついているんじゃまいか?と思う。現世の利益にとらわれず、どんな苦しみも神が与えた運命と受け入れることができれば心は凪いだ海の如く、どこまでも穏やかにコレ不幸にあらず。というお話しじゃまいか?と思う。容易でないがw最期たしかに侍の隣に寄り添う痩せたあの男の姿が私にも見えたのである。注意:ジャマイカは出てきません
★36 - コメント(3) - 2016年3月3日

現生の利を求める当時の日本の考え方は今もかわっていないように思えた。その中でも侍、宣教師の心が移り変わってゆくのが美しい。
★2 - コメント(0) - 2016年3月2日

『沈黙』ではやむにやまれぬ「棄教」をめぐる物語だったのに対して、本作品ではやむにやまれぬ「洗礼」に重きを置く。東北地方の貧村での単純な生活が染みついた主人公の「侍」が江戸中期の日本を発ち、メキシコからローマに至り、「鎖国」状態のこの国に戻る。つらい旅程のなかでも意思的に歩をすすめる勇気を獲得してゆく物語でもある。仕置きが決まり、さして信じてもいない「あの方」とともに最後の旅へと出る。遠藤周作の描く「あの人」はいつもみじめでみすぼらしい、「ゆるし」に満ちたイエス。信仰は置いといて...わかる。
★63 - コメント(2) - 2016年1月25日

支倉常長をモデルに、メキシコ→スペイン→ローマと海を渡った侍の物語。黙々と流されるままに生きる侍。ペラスコと再会したらどんな話をするのだろうか。
★5 - コメント(0) - 2015年12月20日

支倉常長をモデルに、作者は、人が宗教を求める理由、人にとっての宗教の意味を語っているように思う。小説の中で、作者は長谷倉に述懐させる。「あまたの国、大きな海。だが人間はどこでも変わりなかった。どこにも争いがあり、駆引きや術策が働いていた。」外国を全く知らない江戸時代の片田舎に住む小領主が語るだけに真実を感じさせる。
★1 - コメント(0) - 2015年12月19日

支倉常長の慶長遣欧使節団をモデルにした、東北の領主の下級武士、長谷倉の交渉団一行と、宣教師兼通訳ベラスコの、渡欧し、帰国しての顛末。ノビスパニア(メキシコ)、イスパニア(スペイン)を経てローマへ。大海と大陸を超え、思惑と乖離し続ける、主命と布教というそれぞれの使命と、信念やアイデンティティを揺さぶる現実に、抗いつつも堕ちていく。 イエスの人生をなぞるような、誠実であるゆえに、かたや野心多きゆえに、失意の中破滅へと誘われる二人。俗とは、聖とは、業とは。己を消し侍う人生の意味を問う。
★24 - コメント(1) - 2015年11月29日

仙台藩の命を受けメキシコ・スペイン・ローマに渡った支倉常長がモデルと言われている。日本の風土をよく知り、キリスト教が根付かないであろうこと、その理由(個ではなくなにより家が重視される)も分かっていながら布教に野望を燃やす宣教師ベラスコ。世界を見て神の存在を知り、苦旅の果て帰国した田舎の侍。全く相容れない二人が最後に辿る道は奇しくも・・非常にドラマチックで読む者の胸を揺さぶる。日本的美学と絶対神への信仰が対比で描かれるも根底に流れるものが同じであるところが興味深い。
★20 - コメント(2) - 2015年11月12日

サンファンバウチスタ公園に行ったら,支倉常長熱が出て,20年くらい前に読んだ本を再読。 キリスト教への信仰心をめぐる侍達と布教に挑むスペイン人神父らの心の動きが面白い。 登場するベラスコという神父の言葉の引用 『あの国(日本)には,永遠や人間を超えたものを求める心は毫もない。』 そうだけど,ついていけない。
★3 - コメント(0) - 2015年10月30日

史実をベースにしているものの、小説の「都合」に合わせて枝葉の部分はだいぶ創作されているようだ。 なぜならこの作品で遠藤先生は歴史小説を描きたかったからではなく、 自身の心の中のキリスト教の遍歴をそこに投影させたかったから。 「精神の航海史」ともいえる。そんなことを巻末の解説で知った。 事実よりも真実ということか。ノベスパニヤの棄教した日本人が吐露した、欲しいのは、司祭の説く基督ではなく、自分だけの基督という気持が最後、侍にも伝わってくる。毎度のことながら、”問題の余韻を残す”遠藤文学が今回も味わえた。
★11 - コメント(0) - 2015年8月31日

陸前の侍、長谷倉は藩の命を受けノベスパニアとの通商の使者として宣教師ベラスコと共に海を渡る。途中、お役目のためにと形式的にキリスト教に改宗までした長谷倉だったが、その時日本ではすでにキリシタン迫害が始まっていた。これが伝わり、法皇と面会までするも破談となる。四年もの長旅から帰国した長谷倉だが、藩からの労いはなく、逆に改宗したことを咎められ、仕置きとなる。同時に再入国したベラスコも捕らえられ、火刑に処される。世界の広さと日本の狭さ、政治に翻弄された朴訥な侍の旅の終わり。「ここからは…あの方がお供なされます」
★13 - コメント(0) - 2015年8月28日

東北の「侍」長谷倉さんが、他三人の侍と共にノベスパニア行きを命ぜられ、供の者、商人らとともに、宣教師ベラスコを案内人として海を渡る話。……と書くと、なんだか前途揚々な感じもするけど、頭からずっと、根底には静かで深い、悲しみにも似たものが横たわり、読み進むにつれて、それがヒタヒタと嵩を増していくことに、清々しいほどの侘しさを得ました。「侍」側の意識と、ベラスコの思考が織り混ぜられ、その距離が変化していく様が、結末に深いやるせなさを感じさせられました。
★7 - コメント(0) - 2015年8月20日

他作品と比べて登場人物心情の変化に重心を置いてるように思えた。 国や会など価値観が違うと、求めるキリスト教の在り方も異なり確かに衝突は避けられないだろう。それでも利益野心無くとも惹きつけられたのは、元修道士の「惨めな人達の中にこそイエスはいる」という言葉や与蔵の「あの方がお伴します」という言葉に垣間見える辛苦の同伴者としてのイエス像があるからなのだろうか。ベラスコが最後に微笑んだのもそれがあったからなのではないかと思った。 やっぱり著者のイエス像好きだ
★5 - コメント(0) - 2015年7月25日

野望に燃える司祭と、なりゆきでキリスト教に改宗せざるを得なくなった侍の話。 非キリスト教信者ではない自分としては、なぜそんなにキリストがもてはやされるのか不思議でなりません。 最後に「これで同じところにいける」なんて司祭がつぶやくところは「狂信」という言葉を思わずにいられませんでした。 とはいえ、読んでいると先が気になって仕方ない小説です。
- コメント(0) - 2015年7月20日

作者が晩年に代表作としてあげたのが「深い河」とこの「侍」。豊臣から徳川の時代にかけて起きたキリシタン迫害の歴史をできる限り史実に基づき書かれている。「沈黙」や他の作品にもあるように、主人公に芽生える信心に対する矛盾や人間としての在り方、嫉妬や欲望の泥臭さが書かれている所は流石としか言いようがない。作者自身はキリシタンとしてどのように信仰をとらえていたのだろうか。遠藤作品を読むたびに、ノーベル賞級の作家だと思うのは言い過ぎでしょうか。
★14 - コメント(0) - 2015年7月2日

評価:★★★★☆ ローマ教皇パウルス5世に謁見した仙台藩士・支倉常長をモデルとした「侍」の苦難の旅を描く。ストーリーは重々しく悲哀に満ちているが、ドラマティックで読ませる内容である。『沈黙』と併せて読むと、「奇跡」や「永遠」といった概念が極めて稀薄なために、日本にキリスト教がなかなか根付かないという理由に納得してしまう。
★4 - コメント(0) - 2015年6月5日

旅のことは何もなかったように振る舞うこと。忘れること。ひっそりと目立たずに生きること。それが苦労を重ねて漸く異国から帰国した主人公に課せられた運命だった。時代の波に翻弄された主人公を描いた本作品は慶長遣欧使節・支倉常長をモデルとしているが、歴史小説の域を超えて、信仰とは何かを問いかける作品ともなっています。神父が絶対的な存在を理解できない日本人の宗教観について語る下りは思わず納得できて面白い。
★1 - コメント(0) - 2015年5月12日

遠藤周作のイエスは軌跡を起こさない。人の弱さに寄り添うだけだ。イギリス聖公会の牧師先生に勧められたのは、「弱い人のために」という考え方が聖公会の教えに近かったためだと感じた。当時の多くの日本人がキリスト教を受け付けなかった理由を述べた文には、納得させられた。物語としても、とても面白く読める。
★6 - コメント(0) - 2015年4月18日

迫害されてもなお日本への布教に執念を燃やす宣教師ベラスコの物語。そして、痩せてみすぼらしい男にどうしても信仰心など湧いてこない侍。征服がDNAに刻まれている彼らと、そもそも信仰自体の考え方が違う日本人とが究極に描きわけられていると思った。深い。
★5 - コメント(0) - 2015年4月4日

「沈黙」と比べて何かが足りないもどかしさがありましたが、キチジローのような裏切りの人が出てこないのです。ここには、侍も宣教師ベラスコも常に裏切られる人でしかない。侍の下男である与蔵は、わずかにキチジローに通じる卑しい目つきを持っていますが、けれど作中では最も純粋な信仰心を持った人間として描かれています。
★5 - コメント(0) - 2015年3月7日

この作者はやっぱりおもしろい。
★1 - コメント(0) - 2015年3月5日

卒論終えて、もう一度読みたくなって読んだ。何度読んでもこの作品の感動は色褪せないし、信仰というものに無関心だったのがすとんと理解できる。侍が冬の沼地で与蔵に語りかけるシーンは美しくて悲しくて涙が出てくる。日本人が宗教、ここではキリスト教についてどういう考えや立場であるかもよくわかり、考えさせられる。遠藤文学で1番好き。、
★4 - コメント(0) - 2015年1月26日

最近興味を持ち始めた支倉常長の物語。これほど運命に翻弄された人生もあるものか。史実にもとづいた出来事にも驚愕。名作。
★2 - コメント(0) - 2015年1月22日

何の疑問も持たずに無宗教な日本人である自分だが、読後は、宗教と人生について視野が広がったような知識が深まったような感覚に陥った。タイトルが『王に会った男』であろうと『侍』であろうとそれは長谷倉六右衛門のことを指すのだから著者のメッセージは侍の心理から汲み取るのだろう。人間の宿業を悟って自身をイエスと重ねた侍の。
★79 - コメント(0) - 2015年1月20日

侍の 評価:64 感想・レビュー:124
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