数学する身体

数学する身体
あらすじ・内容
「数学を通して世界をわかりたい」。30歳、若き異能の躍動するデビュー作!

思考の道具として身体から生まれた数学。ものを数える手足の指、記号や計算……道具の変遷は数学者の行為を変え、記号化の徹底は抽象化を究める。コンピュータや人工知能の誕生で、人間の思考は変貌を遂げるのか? 論考はチューリング、岡潔を経て生成していく。身体を離れ、高度な抽象化の果てにある、新たな可能性を探る!

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数学する身体はこんな本です

数学する身体はこんな本です

数学する身体の感想・レビュー(327)

数学者から見た自然、心。数学は自然だと思っていたけれど、俳句にも共通するとは。無心になってものそのものになることは数学にも当てはまるという考え方が好き。岡潔さん、知りませんでしたが、気になる人です。
★8 - コメント(0) - 3月24日

私が抱く数学という世界からは、全く正反対の位置にいる自分が手に取った本。恐々開けて入ってみたら、最後は、こんなところに来ちゃったぞという読後感。無機質なオフィスビルの一室のドアから入ったつもりが、悠然とした美しい自然の中にいる自分に気づくみたいな。
★2 - コメント(0) - 3月24日

小林秀雄賞。えっ?って思ったけど結構面白かった。
★3 - コメント(0) - 3月22日

読んでいる間、脳の普段使っていない部分を刺激されてた感じ。文章は読みやすく無駄がなく潤いがあり、難解な言葉はほとんどないのに、たくさんエネルギーを使わされてしまった。だが爽快だ。これまであまり考えたことのなかった数学の魅力を堪能できたのは、綿密な調査や研究のみならず、著者の文才によるところが大きい。もともと文系だったそうなので、小説を読んでみたいけど、数学と身体をテーマにしたからこそのクオリティなのだろう。数学が大嫌いで、読書が大好きな人にぜひ読んでほしい。まえがきとあとがきだけでもいいから。A++。
★11 - コメント(0) - 3月21日

チューリングと岡潔を主役に据え、数学へのアプローチを論じたエッセイ。チューリングは客観的に捉えられる部分を取り出し研究し、組み立てた結果偉大な成果を残した。一方、岡潔は自身の心を数学と一体化しようとしたという。数学に限らず人間の思考、心は身体性と切り離せない。現在のAIはチューリングの延長にあり、人間の脳とは異なるロジックで出来ている。ある程度のことまでは、今のAIのアプローチで出来るだろうが、更に飛躍した人工知能を作るには人間の脳への理解が必要で、その時には岡潔の思想が見直されるのかもしれないと思った。
★3 - コメント(0) - 2月25日

若き数学者の論考。問題解決のツール、数式としての役割、数字の羅列と苦手意識のある人にも触れて欲しい。チューリングなど最近の映画で話題になった人物から岡潔まで、数学と人の結びつきや身近な場所に潜む奥ゆかしいひそやかな数学まで、ちらりとその魅力の片鱗を見せてもらったような気持ちに。
★14 - コメント(0) - 2月22日

法学に携わる者として「証明」と「説得」の連続性・区別不可能性について問題関心があったが,筆者の「数学するという『行為』」という概念提起から流麗に広がる数学観に示唆を得るところが多かった。数学者らしい明晰な筆致の本書,小林秀雄賞受賞作とのことでユニークも効いているのでは。
★3 - コメント(0) - 2月18日

数学の成り立ち、古代ギリシャからチューリングまで。そして行き着いた先にある「情緒」。自己を取り巻く全ての環境と融合し、環境と一体化すること。 これまで理解できなかった岡潔の世界が少しだけ近づいた気がする。今年(まだ2月だけど)読んだ本のなかで一番良かった。
★7 - コメント(0) - 2月18日

再読。とても示唆に富んでいて、発見があります。
★1 - コメント(0) - 2月4日

コンピュータを発明した人の映画を観てたから、その部分は解説になった。当たり前として身近に有る数字だが、これにも発明発展の歴史がある事に改めて考えさせられた。
★3 - コメント(0) - 2月1日

私は数学が苦手なのだけど、その理由が分かった気がする。日常生活の具体的な問題を解決するツール、という側面しか知らなかったからだ。数学の『みて、感じて、味わう』という側面は、私の中では決して思いつかなかった。実用面だけではない芸術的な側面。確かにめちゃくちゃ大きな素数を知ったところで、日常生活では役に立たない。ネタにはなるけど…でも、存在するんだから何処までも追いかけちゃう気持ちも分かります。刺激溢れる内容だったな。参考文献の多さにもたまげた!
★5 - コメント(0) - 1月29日

数学と人との関係性について考えることがこんなにおもしろいとは思わなかった。読了後に足を運んだ、著者の数学ブックトークもとても楽しかった。こういう人が同時代に生きていて、直接触れられることをとてもうれしく思う。
★2 - コメント(0) - 1月25日

aki
数学の紀元やその変遷について分かりやすかった。第四章がこの本の核だろうけど、自分には理解が追いつかない感じだ…
★3 - コメント(0) - 1月22日

文章がまるで流れるよう。著者がバスケットボールとの例えで記しているような印象を持った。数学に対する印象はずいぶん変わったという感覚。数学論というより哲学的かな。一度きりでは到底理解できたとは言えないし、読後感も何とも言えない。しかし、若くしてこのような文章を書くということは本当にすばらしい。
★5 - コメント(0) - 1月14日

中・高校の恩師に卒業した後、蒙を啓かれたことがある。「世の中、物理と数学だ」と。現象の解析を積み重ねる帰納的な方法と仮説を元に演繹的に考える方法と。ものの考え方の手段として数学は有効、と教えられた点だ。本書は数学とは、という問いかけの果てを考える1冊。一人に抽象化を推し進めたチューリングを挙げ、一人に数学が生まれる瞬間を考えた岡潔を描く。「数学は零から」と考えるか、「零までが大切」と見るか。筆者は「ない」世界から「ある」世界への変転に心惹かれるのだろう。その変化をどう生み出すのかを考えるのが数学なのか。
★23 - コメント(3) - 1月13日

岡潔とアラン・チューリングに改めて惹かれた。
★1 - コメント(0) - 1月10日

数学を享楽しえる人のみならず数学という言葉に疎外されるような心を持つ人も含め、数学を学ぶことで身体化する数学により獲得される世界内存在における数学の意味の消息を探り、心身不二の境地を生活の中で触知する人間の仕様を説く。数学を語るのに心や意味を持ちだすのは、著者が元々文系から数学を眺めるトポスを得ていたのが大きいのかも。その点から本書を文系が数学を享楽したいち顛末と見ても面白い。後半の岡潔の生の吟味は、人間は心身不二の境地へ向かうのが本願であるという(とりわけ数学を手段とした)意想のいち実践の観察としてか。
★11 - コメント(0) - 1月7日

岡潔にあこがれ、数学の道を歩み始めた著者が、岡潔とチューリングの数学を通した人間の心の理解に触れ、「心とは何であろう」とするか、問うエッセイ。
★3 - コメント(0) - 2016年12月24日

『数学』に対する自分の持つイメージを変えるような、数学の本質的なものを数学史をなぞりながら、二人の偉大な数学者を通じて語る著作。たまには、こういう分野の読書も新鮮で良い。
★7 - コメント(0) - 2016年12月18日

数学の、数学的思考の文明の登場を俯瞰しつつ、焦点は二人の20世紀の英国と日本の数学者へと結ぶ。チューリングについては「エニグマ」Bカンバーバッチ様映画や藤原氏の歴代の不思議な数学者の伝記アンソロジーを通して知っていたが、岡潔との対比でみるとまた異なる光彩を放つ。著者は学生時代に岡潔と出会い専攻を数学に変じたそうだが、私は中学生の時兄から送られ岡潔の随筆2作を読み、あわや日本的美意識の奈落へ滑り落ちそうになれども数学を志そうとはついぞ思わず。10代に宮沢賢治や岡潔と出会うと潔癖症の人は「掛かる」ぞよ。
★10 - コメント(0) - 2016年11月27日

先立って体験される自然の摂理や運動に関して、私たちは日常的に意識することが無い。貨幣経済の中で使われる数学は、主に記号的数学であり、それは今日の学校教育現場にて推進されている思考法だ。数学史上では、記号的数学が誕生する以前、言語を用いた数学(論理や集合など)しかなかったのだ!その後、著者はチューリングと岡潔を繋げ、身体的な数学思考を説いている。量子的な数学の話が多い気が。 芭蕉の解説ではあったが「自他の別」「時空の框」という観点はとても感銘を受けた(私がそうでありたいと日々感じている事であったため)
- コメント(0) - 2016年11月22日

著者の経歴からか、文章が美しい。そして、興味深い切り口での、数学へのアプローチ。
★1 - コメント(0) - 2016年11月17日

スービタイゼイションによると、私たちが個数を一目見て瞬時に把握できるのは三個までで、それ以上は身体を使って数えたり分けて考えたりしているそう。「四角形にする」や「加える」などと行為として考えると数学が主体的な学問なんだと気づく。だから数学者ってあんなに楽しそうなのか。後半で出てきた情緒を重んじるという岡潔も数学を楽しそうに研究していた。
★1 - コメント(0) - 2016年11月10日

前半の数学史の部分は、新鮮でした。そうか、数学記号が使われる前は全部自然言語を使っていたんだという当たり前のことに今更ながら気付きました。それに比べると後半のチューリングと岡潔を論じた部分はちょっとがっかり。岡潔の数学的な業績については何も言うことはありませんが、晩年に宗教的なことにのめり込んだことを高く評価していることには疑問を持ちました。特に「ところがいまは、何でも「個人」ということが強調されて、その「個」が「全の上の個」であるということを忘れている」などという記述を見つけるとなおさらです。
★3 - コメント(1) - 2016年11月10日

「理解する」という頭の使い方は、対象へ分け入る以前に自我によって他を区別するという点で、思考を頭の中に閉じ込めていく一方。それに対し、自ら無心にそのものになりきる、そして立ち返って自らが同化していたことに気付く。その刹那が本当の「分かった」ということ。すぐに再読したくなる本に、久しぶりに出会った。
★2 - コメント(0) - 2016年11月6日

氷の彫像のような硬質で美しい文章。背筋を伸ばして読みたくなる。もちろん描かれている数学の世界も美しく、ときに愉快だ。数学史をたどりながら、数学という営みが人を、世界を読み解いて行く様が見えてくる。こんな風に教えてくれる人がいたらもっと数学が好きになれたのに!今年の個人的ベストスリーに入る名著かも。
★2 - コメント(0) - 2016年10月30日

実に面白い。昔から疑問に思っていた数学にまつわる疑問を実に痒いところに手が届くごとく説明してくれている。また、岡潔という数学者の数学に向き合う姿勢を知ることができた。思考の対象になりきる、そして日本文化にはその素地があるということに大変感銘をうけた。
★3 - コメント(0) - 2016年10月29日

数学の歴史を面白く記述した後に、岡潔のことを描いた本。
★1 - コメント(0) - 2016年10月29日

一言で言うと、「理解」するのは難しいけど「わかる」ことはできる本。中学高校と数学の抽象的な問いをなんとか形式化することでやり過ごしてきた自分にとって、文中に登場する数学者の名前や用語からその内容を想起することは難しかった。しかし、数学を通して心をわかろうとしたチューリングと岡潔の生き方は共感できる点が多く、憧れの念を抱くにいたった。文系として育った人にも、ぜひ「わかる」体験をしてもらいたい一冊です。
★2 - コメント(0) - 2016年10月27日

知る対象と一体となっている間はそれがわからず、離れた刹那にそれがわかる。知るということはそのやうに情緒を通わすこと。
★1 - コメント(0) - 2016年10月25日

期待感ゼロでページをめくると素敵な物語だった。数学が大っ嫌いだったのが少し嫌いに変わった。専門的な数学の知識が無くても読めた。学校で習ったような、あまりにも抽象的な冷たい数学ではなく、具体的で、数学する人の心を反映する数学が存在することを初めて知った。とりあえず、冒頭とチューリングの話を読んでほしい。読めば、今までの数学本とは違うとわかる。きっと最後まで読みたくなる。
★4 - コメント(0) - 2016年10月16日

数学と数学する身体の関係について書いた本です。人間が身体を使って数を数えるところからはじまり、古代ギリシャ時代から17世紀ヨーロッパで起こった「記号」の導入の話の流れが語られています。後半からはチューリングや岡潔という数学者の話が中心です。 分かるためにはどうすればいいか。まずなりきることが大切で、なりきると「無心」になり、そこから「有心」に還る刹那に「わかる」。 そういう考えがあるのだと驚きました。人は理でわかるばかりでなく、情を通わせあってわかることもあるというのは、なるほどなと思いました。
- コメント(0) - 2016年10月1日

「情緒」「本当の心」といった全く関係がないと思われる人間の「芯」のようなものを対象にしているのが数学だった。岡潔は農業をしながら念仏を唱えることによってそれが「わかる」ようになった。書棚から「人間の建設」を引っ張りだして、再読だ!
★2 - コメント(0) - 2016年9月18日

小林秀雄賞だけあり、難解でした。数学史をたどっているのですが、文系アタマが先にたち、何故かちんぷんかんぷんに。
★36 - コメント(0) - 2016年9月13日

自分が思っていた「数学」とはその一部でしかなかったことを知りました。「不安の中に、すなわち間違う可能性の中にこそ心があると」知っていたチューリングは、数学から人間の知性へと近づいていたのか。間違えない心、うっかりする機械。高度に最適化されたプログラムが人間の身体なのだとしたら、あえて間違えるということはどういうことなのか..。様々な分野は突き詰めると相互にシンクロしていくのだなと思いました。
- コメント(0) - 2016年9月12日

一般に人間が瞬間的に感知できる数は最大3か4である、という説は直感的にも経験的にも確かにそうで、それを踏まえてコミュニケーションすれば相手に効果的に伝えることができるだろう。 後半は岡潔の伝記として読まされた印象で、これが科学者による著作というよりは科学者を研究する人による著作という気がして、それはサイエンス・ライターというのかもしれないが、でも科学者を生業とする人もその仕事のほとんどは他人の研究を勉強することだから、なんだかそういう創作性の欠如にむなしさを感じたからこそ自分は足を洗ったのだと再認識。
- コメント(0) - 2016年9月11日

チューリングと岡潔のことを理解しようと思ったら再読しようと思う。明確な結論とかがあるわけじゃなくて思索するような本なので、余裕があるときに向かい合った方が良かった。 内容としては、あらすじにある通り。曖昧なものの象徴として身体を置き、その対極に数学を置く。しかし数学は身体なくして行われることはないじゃないか…そんな書き出しである。この矛盾からくだんの二者に話題が移ることが必然なんだなぁと思って終わった。
★2 - コメント(0) - 2016年9月1日

ぐいぐいと読めた。がちがちの文系人間の自分にも数学という学問の大きな流れにふれることができた。集合論と「ラッセルのパラドクス」について体得出来ない自分がいるので、その辺り理解を深めたいと思う。身体性を疎外するような思考からチューリング・マシーンが始まったのではなく、先輩の死をきっかけに「魂」の問題から始まったというのが意外だった。鉄腕アトムの飛田博士のような思いが底にあるんだなと。また、同じくチューリングがアスリートでもあったということにも驚いた。あとがきもすごくいい。
★4 - コメント(0) - 2016年8月29日

中学・高校での受験のための数学は退屈だが、数の概念、記号の成り立ちなど数学史の視点からとらえる「数学」はこんなにも面白いと実感させてくれた本。ハイデガーやデカルト、岡潔など、彼らの著書も読んでみたい。
★6 - コメント(1) - 2016年8月19日

十進法が10本の手指に対応して世界基準になったように、人類は身体を基盤にして数学を発展させてきた。数学は身体の一部でもあり、数学する身体を感じることこそが、数学の真の理解と言いうるかもしれない。やがて数学は、軽々と身体の制約を突き破り、高度な抽象化を果たしていくわけだが、そうなると最早私とは何の関係もない空虚な存在となる。理解される対象ではなく、拡張された身体感覚が数学にはあると著者は説くのか?主題はやはり難解である。数学史と絡めたエッセーとしての面白さは十分。ただし、論点は拡散しているような気もする。
★1 - コメント(0) - 2016年8月5日

数学する身体の 評価:76 感想・レビュー:107
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