監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰
あらすじ・内容
今日の監獄は、いかなる歴史的・社会的背景のなかに生れ、変遷をとげてきたか。国家権力の集中機構としての監獄を考古学的手法に捉え、その本質と特長を摘出する。

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監獄の誕生―監視と処罰はこんな本です

監獄の誕生―監視と処罰の感想・レビュー(282)

びっくりするほど時間かかったし、メタファーなのか事実なのか分からない部分もあった。19世紀の知識足りてない。
- コメント(0) - 2月14日

権力といえば絶えず移り代わるもの、変動するものと捉えがちである。だけれどもフーコーの言う権力は圧力に近い。様々な機構から身体へと圧力がかけられて行動を規定していくのである。身体刑から人道的な刑へ移り変わり。権利は一見すると階級と階級との間の綱引き、結果勝ち得たもののように思いがちだ。しかし生活の様々な価値基準も細かくなる。犯罪ではやったやらない以上に動機が注目される。刑罰の量は変化しておらず、対象が身体から精神へと移ったのではないか。細分化されることで、より広範に圧力がかけられるようになったのではないか。
★13 - コメント(0) - 2016年12月10日

私の哲学の原点。
★10 - コメント(0) - 2016年12月1日

今まで無関係であったものを、ある行為の遂行のために一定のルールに従うことを前提にして組織化する過程において微細な権力は働き、個人を統御する。パノプティコンが示したのは権力を持つものと持たないものの関係性が中世と真逆の「見る・見られる」という関係であるが、この図式も容易に反転しうる。ペストに対処するため一時的に厳重な管理に置かれる都市について「反都市でもあり完璧な都市でもある状態」とフーコーは語る。複数の意思が単一の意思に回収される一方、知らない人同士が同一のシステムにおいて協働するという構造が働いている。
★2 - コメント(0) - 2016年11月14日

現代社会自体が既に結構な「パノプティコン」なのでは?刑のあり様の変化が規範を最重視した形に諸々を変えてった社会変移と確かに重なる。この人賢いな。いや当然の帰結か。
★1 - コメント(0) - 2016年10月18日

フーコーの著作ということで構えて読んでみたが、難しいところはあまりなく、素直に読めた。やはり規律・訓練権力論の第三部がメイントピック。東浩紀らの環境管理型権力という言説もあるが、情報社会におけるメディアが権力化していること、そしてビッグデータがパノプティコンとして機能していることを踏まえると、フーコーの理論はそのまま現代に応用できそうに思える。規律・訓練型権力が、近代的自己の構成と「科学」に及ぼした影響については示唆にとどまっており、他の著書も読む必要がありそうだ。
★2 - コメント(0) - 2016年9月13日

ようやく読了しました。圧倒的な世界観、R指定クラスの残酷な描写。この社会に生きるって、実はこういうこと? 俺こんな途中の社会に暮らしているの? 歴史への視点が独特だからか、刺激的な読書時間でした。「監獄は忌むべき解決策である」
★6 - コメント(0) - 2016年2月24日

読むのに1ヶ月かかった……しかしまだ理解出来たと思えない、有名な著作なので頭に入れておきたいけど入門書読んでからの方が良かったかも
★1 - コメント(0) - 2015年11月27日

いうほど面白くない。
- コメント(0) - 2015年11月16日

15-55/3
- コメント(0) - 2015年9月25日

いやあ、時間がかかった…冒頭の、ルイ15世暗殺未遂犯への残酷な死刑描写にはじまる刑罰の記述にどうしても興味が持てずにながいことうろうろしてしまっていたからなのだが、その様相は途中で大きく変わる。一人ひとり工夫をこらした身体刑から拘禁年数というみんなが同じ量的な尺度で処理される監獄への転換が、兵営、学校、病院、そして工場という近代の社会のあり方とリンクしている、との記述のあたりからはほぼ一気。この規範化の流れ、ビッグデータのコントロールっぷりじゃない?と、今の話としか思えなくなる。いやはや、さすがフーコー。
★31 - コメント(1) - 2015年7月12日

近代社会における《規律・訓練》型権力について、処罰やパノプティコンなどの監獄施設の歴史的な推移を明らかにしながら考察する。説得的。現代の環境管理型権力の前提として。
★4 - コメント(0) - 2015年6月7日

学生時代のテーマ研究以来、実に15年振りの再読。これほど普遍的なテーマに他訳がないことに少し驚く。監禁に限らず、自他の関係性に支配と従属を感じ、そこに問いを発する人は誰でも一度は手にするはずなのだから。
★3 - コメント(0) - 2015年5月3日

tk
途中まで読んだ。
- コメント(0) - 2015年4月2日

やっと読み終わった~。刑罰技術かぁ。なるほどね。「監獄の誕生」は副題。正式タイトルは「監視すること、および処罰すること」 なるほどなるほど。
- コメント(0) - 2014年12月21日

規律の中に埋め込まれる。監獄だけの話でなくて、社会全体がそうですよ、というお話。
★3 - コメント(0) - 2014年12月15日

あちこちで言及されるので(私の場合は『カッコーの巣の上で』から)一度くらいは読んでみたいと思っていたが、やはり複雑な文章も相まって哲学書は難しい。だがそれでも論旨は読み取りやすい方だ。刑罰は、近代以前の残虐な処刑――これにも当時なりの理由とルールがあった――から監視・矯正を目的とした監獄にシフトしていく。そして監獄のシステムは社会のありとあらゆる場所で適用されるようになっていった。敷かれたレールの上を歩いているように感じるモラトリアム期も言い換えれば監獄の中で生きている、ということなのだろうか。
★10 - コメント(0) - 2014年10月1日

伊藤計劃『ハーモニー』での言及から、「もう今の時期しかない!」と思って読んだ。監視システムに至るまでの近代刑法の成立、制度の変遷も隅々まで。それだけにとどまらない政治権力の仕組みの分析も。規律と訓練を主として規格化・道徳化を推し進める社会を読み解く。身体に関する政治的技術論でもある。あちこちで耳にする「パノプティコン」の理解のためにも、当たっておくべき一冊。
★15 - コメント(0) - 2014年9月23日

Z
近代において人は独立に独自の原理をもつ。よってそれにあわせて規律、訓練されなければならない。監獄に限らず学校、工場も同じ目的で近代において作られた装置である。そこから外れれば、非行者として、常に監獄へいく可能性のあるものとして規定されるだろう。ただ、おそらくこの本では、規律、訓練に、目的が設定されており、そこにエコノミーがあったとすると、現在、そのような目的意識を各装置は持っているだろうか?多くのものが非行者へとなりうるのでは?最後にフーコーが非行者へと耳を傾けなくてはいけないとあっているが、一体フーコー
★3 - コメント(0) - 2014年9月3日

何度目かの読み直し。『生政治』との共通点はなんだろう。とりわけ「技術が法を超えてしまうこと」が示されている点だと思う。以下引用「したがって判決をくだすおりに認識し評定し測定し診断し取り扱わなければならないのは、この非行性という問題であり、刑法点に修正変更を加えるさいに考慮に入れる必要があるのは、今やこの問題、すなわち異常性、この逸脱、このひそかな危険、この病気、この生存形態である。この非行性とは、裁判に対する監獄側の復讐である。裁判官を唖然とさせるくらいに恐るべき仕返し」
★2 - コメント(0) - 2014年8月24日

大学院の授業で半期読み続けた本。はっきりいって読み切るのが苦しい。 だけど、粘り強く読んでいくと、現代につながるフーコー独自の権力観が見えてきて非常に勉強になった。歴史学を学ぶ者にとって必携の1冊。
★3 - コメント(0) - 2014年8月15日

暴虐性に満ち満ちた拷問の子細な記述から本書は始まる。そうした身体への直接的な刑罰から、ポリツァイ的刑罰システムへのパラダイムシフトを描く。身体刑から収監へ、身体的刑罰から諸個人への内面へのアクセス、すなわち規律・訓練へのシフト。これらはのちにフーコーが名づけることになる「生政治」を意味する。アガンベンは『ホモ・サケル』においてこのフーコーの生政治概念を昇華させるわけであるが、ホモ・サケルのモデルともいうべき存在、即ち「非行者」―正常者でも犯罪者でもない「閾」としての人間―を本書では見出すことができる。
★4 - コメント(0) - 2014年6月15日

惨たらしい身体刑から、規律訓練的な監獄への変容。それは単に刑罰制度のみならず、社会全体を取り巻く監視と処罰のメカニズムの変容を意味する。監獄というシステムによって、「非行性」という概念が創出され、犯罪行為が規律訓練的な機制、配分の技術によってコントロールされるようになり、「監禁的なる」社会が誕生する。身体に働きかけることで人を主体化=従属化する規律訓練の技術は監獄で生まれたものではなく、修道院や軍隊などから監獄へと取り入れられ、そのことが結果的に社会全体を作り変えた。
★5 - コメント(0) - 2014年6月10日

非常に疲れた。特に難解なわけでもないが、事象の連発で体力が削られました。第一章によると監獄の誕生により刑罰は変貌を遂げたが、それによる精神との関係の考察。監獄は「規律権力」を生み出す。その後に学校や工場、軍隊でも同様に発達した。この規律化により、人は自立した主体としての能力を身に着けることができた。最終的に「規律権力」は主体の自立性を通じて集団を統制することを主とする。
★7 - コメント(1) - 2014年4月25日

見世物としての身体刑の後に現れた監獄という秘密裡に行われる刑。そこでは訓育を通して人間の身体を規範に沿うように再形成するということが目的とされる。そのメカニズムは軍隊をはじめとして、教育の場まで敷衍され、従順で、自己監視的な身体を持つ人間が生み出される。また、規範からはみ出た人間を異常者とすることによって、彼らを研究対象とするような心理学をはじめとする人文諸科学、医学の発展までもが促される。自らも同性愛者として、規範の外にいたフーコーであるからこそ、このような社会機構を解剖することができたのだろうと思う。
★17 - コメント(0) - 2014年4月15日

読み終わった。約一年かかった。再読が楽しみだ。
- コメント(0) - 2014年4月11日

「狂人」や「犯罪者」と名指される存在と貧乏人の闘争を直線的に常に結びつけようとする思考の線をフーコーをずらそうとすることはなかった。フーコーの研究テーマはどうやったら民衆は叛乱を起こすことができるかというのではなく、叛乱を起こすことが必然であるはずなのに、どのような権力への従属の中で反乱を起こすことができなくされているかを探求することだった。権力が自分達を抑圧しているのではなく、いかに欲望を生産し、反乱を行う主体とは違う、別の能動的な主体を生産しているかということを、生のあらゆる領域において暴くことだった
★1 - コメント(0) - 2014年1月23日

近代社会の権力が要請する個人化は、名前を付け、番号を付け、数値化された状態でシステマティックな生を与えられ、管理されるだけが内面の監獄化だという理解。しかしそれは社会の原罪のようなもので、遠くから眺める人類の歴史そのものではないのか、だなんて物見遊山も甚だしいか。/図書館/19話(狡噛•槙島)
★25 - コメント(0) - 2013年11月9日

超ノートとりながら読んだ。一部の一章で3ページ使って残りが2ページだった 時代錯誤に感じるのは読み方が悪いとフーコーさんが言ってました
- コメント(1) - 2013年10月10日

読んだ、といっても第一部(身体刑)と第三部(規律訓練)だけですが。 第三部の権力論やパノプティコンが特に有名だと思われるが、フーコーにしては読みやすい、というか、同じこと繰り返しいってる感じがしてすごくかったるかった。封建制の上からの権力とは異なり、死刑への忌避や修道院の修行、経済的効用の合理的増大、ペスト対策などを背景に次第に権力は人間生活の細部にまで浸透するようになる。監獄のモデルが全生活様式にまで浸透するのはなんか出木杉な気がするけど、強力な合理主義批判であることは間違いない 気が向いたらまた読もう
★2 - コメント(0) - 2013年10月3日

身体刑に関わるすべてのことがらは結局権力にとって両義的だった。華々しく引き裂かれる身体は畏怖の対象でもある一方、国家への反逆を駆り立てる興奮も生んだ。監獄は、時代が進むにつれて言説とともに整備された安定だった。全体の中に監獄という隔たりを作って、外には道徳的、経済的言説を、内には序列と規律と独房とパノプティコンを配分し、法律がその間を結んだ。このような体制は、明らかに戦略的なものである。しかし、誰の戦略なのか、権力とは一体どこからやってくるのか。話の流れ的には、「生きる」ことから来るように見える。
★6 - コメント(0) - 2013年8月22日

めも:身体刑、訓練、教育、監視、行刑的なるもの《ペニタンシエール》、一望監視施設《パノプティコン》
- コメント(0) - 2013年7月29日

ヨーロッパで昔流行っていた「身体刑」(痛そうな刑)が近代になってなくなって、罪人を「監獄」に入れるようになっていく過程を描いてる。「監視」されること、「処罰」されることによって人は監視の目を自分の中に内面化し、「規律・訓練」を経て権力者にとって望ましくなっていく。
- コメント(0) - 2013年7月25日

[A]読了!こういう本を読み終えると達成感がある。内容はタイトルのまま。フーコーの言う「生権力」が「規律・訓練」を通じて、いかに社会に浸透していったのか、その歴史を描く。大雑把には理解できたけれど、細かい文章についてはわからないことだらけ。輪郭が曖昧な理解。また数年後に読み返してみよう。
★5 - コメント(0) - 2013年7月5日

一望監視方式(パノプティコン)のごく一部だけ。ペストの対応は参考になる。ベンサムの監視施設とフーコーの管理システム。
- コメント(0) - 2013年2月25日

かつて中央集権型のヨーロッパ社会で華々しく執行されていた身体刑は、なぜ近代に入って廃止され、監獄への「閉じ込め」へとシフトしていったのか。フーコーはまず前提として「身体刑は身体刑として、当時の社会では合理的なものであった」ことを確認しつつ、それが「非合理なもの」とされていった理由を社会構造のあらゆる変化のなかに探そうとする。そうして導き出されるのは、監視の眼を意識させることで囚人の行動を内部から律し、規則を遵守させることで従順な身体の獲得を期待する、不可視となった現代の権力の姿。そう、私たちの社会の姿だ。
★14 - コメント(3) - 2013年2月22日

自由[の概念]を発見した『啓蒙時代』は、規律・訓練をも考案したのだった。(222)「監視」されているという意識。それは自分を把持されているという重苦しい意識。それにに覆われることがある。現代は電波ピーチクパーノ時代。電波垂れ流しの時代。フローの時代。だからこそ便利だ、と思う反面、とても息苦しくもある。「監視」と空間。「監視」と居住空間。部屋の構造がそのまま「監視」を可能にさせていること。「空間」「電波」「価値観」「物差し」一喜一憂すること。装置というのは期せずして違う意味を発明してしまうことが往々にある。
★6 - コメント(0) - 2013年1月20日

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