知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)
あらすじ・内容
一つの社会は、権力、快楽、知の関係をいかに構成し、成立させているか。古代ギリシャ・ローマから現代まで、性の諸相を社会的、医学的、宗教的に論述する。全三巻。

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知への意志はこんな本です

知への意志の感想・レビュー(229)

性は抑圧されていたのではない。むしろ語られていたのだ。にだが、なぜ「性は抑圧されている」との言説が大手を振るって流通しているのだろうか? それは「抑圧されたものを暴く」というポーズが「真理を語る」ポーズだったから。▼フーコーは性の言説を検討することで、そこに働く、規律的な権力とは別様のそれを見出した。生権力。それは「死なせるか、生きるままにしておくか」の主権権力ではなく「生きさせるか、死の中に廃棄するか」の権力である。▼ただし、性は規律‐身体とも調整‐人口とも連関する、権力の交錯地点なのである。
★1 - コメント(0) - 2月3日

同時代の講義録などを読んだ後にそれらの思考の束をまとめたはずの著述を読んでみるとスカスカでビックリする。もちろん必要なポイントだけは漏らさず書いているので転換や迷走などはまるでなく、そのとき考えていたことをそのままに著している、というのはわかるのだが、長大な論考の序論と位置づけるにしてもちょっと論を手広くし過ぎであるし、フーコーはなんのために本書を出版したのだろう、という気にさせる。
★9 - コメント(28) - 1月12日

抑圧仮説批判、すなわちライヒやマルクーゼへの批判がメイン。生-権力論なども分かりやすく使われている。
- コメント(0) - 2016年12月15日

性は抑圧されてきた、と言われているが、実際には人々は性についてより多くを語るようになっていた。この事実だけでも、私にとっては衝撃的であった。「死なせるか生きるままにしておくという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた」(p175)、「人間の身体の解剖ー政治学」「人口の生ー政治学」(p176)。ジェンダーに関心があるので、読み返したい。
- コメント(0) - 2016年12月12日

8.5点 序論的な位置付けの巻ということで、フーコーの他の主著にくらべると考証的記述が淡い。そこは続く巻に期待。
- コメント(0) - 2016年10月2日

非常に興味深い議論をしているように思われる…のだが、フーコーについての予備知識が不足しているせいで全然理解しきれなかった。「性」の問題は個人的にも興味深々なので、是非ともちゃんと勉強してまた読み直したい。
★4 - コメント(0) - 2016年9月1日

再読。「生政治」ってルジャンドルの「マネジメント原理主義」と一緒じゃね?
- コメント(0) - 2016年8月21日

ブルジョワの身体は貴族の身体とは違うやり方で自らを特権的な存在にしようとする。貴族の身体を特権化するのは、そこに流れる血だった。過去の、祖先の婚姻と生殖が彼らの高貴さの証となる。ブルジョワの身体は未来に重点を置く。生産的な性、彼らが作り出す健康的な子孫に、彼らの身体の特権性がある。未来の性が現在の身体に遡行する。いつか健康な子孫を生み出すために、現在の健康が推奨される。フィットネス、健全な食生活、健全な性。子どもの手淫、女性のヒステリー、同性愛は、生殖に悪影響を与えるものとして、大急ぎで研究される。
★2 - コメント(2) - 2016年4月26日

フーコーの思考の企ては「見ていてもそれとは見えなかったものを見えるようにする」ということ。このような思考の転換は「それ自体が優れて政治的な行為」(訳者あとがきより)である。だが、いや、だからこそ、フーコーの著書を読破して知的恍惚に浸っている場合ではないのだ。現実に作動している権力を直視して、我々は考えなければいけない。フーコーの思想を礎にして、戦略の展開を続けていきたい。 ところで、フーコーの思想には優しさが溢れていて、気持ちがほっとする。 【メモ】レジュメ作成。
★1 - コメント(0) - 2016年3月29日

英文読書会のために。
- コメント(0) - 2016年1月28日

性に対する研究でありながら、性の歴史を通じて権力への転換を叙述されています。権力、快楽、知の関係の構成を社会・医学・宗教から考察することで、性の解放と抑圧を体系的に考える試みが感じられました。性に関する権力をたどり、女性軽視に通じる生権力を批判する。そこに至る性のプログラムとしての歴史も語られています。性について語ることはスキャンダラスと言われがちですが、性の歴史でありながらも倫理や生き方を説いている名著だと思いました。現代にも通じる権力の見方を示唆し、問題提起をしているのではないでしょうか。
★78 - コメント(0) - 2016年1月28日

権力論などの政治学やセクシュアリティ研究で必ず引用される古典的論考。各所での引用で、おおむね論旨は把握済みだったが、それでも十分に刺激的な一冊。引用「死なせるか生きるままにしておくという古い権力に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた」(p175)
★3 - コメント(0) - 2016年1月7日

「従って、性という決定機関に性的欲望の歴史を照合してはいけないのだ。そうではなくて、どのようにしてこの「性」が、性的欲望というものに歴史的に従属しているかを明らかにすることだ。性を現実の側に、性的欲望を混沌とした観念や幻想の側に置くのではない。性的欲望は極めて現実的な歴史的形象なのであって、それが、自己の機能に必要な思弁的要素として、性という概念を生み出したのである。性を肯定すれば権力を拒否することになる、などとは考えないことだ。そうではなくて反対に、性的欲望という全般的な装置の脈絡を負うのである」
★3 - コメント(1) - 2015年10月30日

文章が難しいわけではない、性への抑圧の少ない近世&現代と、妙に禁欲的だった近代、共に経験してきた日本人にとって、特にとても理解しやすい文脈だと思う。◇なのだけれど、でも、幾度か読み返してみてもさっぱり読めてる感覚にならない。多くの力のせめぎあいそのものである権力を考えていくにあたって、現在のそれは人々の「生」が舞台、だから最適なテーマとしてフーコーが選んだのが性・・などと物語化した瞬間、フーコーが論じようとしている「生-権力」からかけ離れていくような気がするのだ。◇…うん、いったん置いて、2巻いこ、2巻。
★30 - コメント(0) - 2015年10月5日

性の解放的なパワーを認めたり性が抑圧されてきたと訴えたりする形での語りですらすでに、性を巡る権力関係によって編み上げられていることを示す、絶望的に冷徹な試み。アホみたいに大量の注釈と引用文献を載せまくったそれまでの緻密な代表作に比べると、具体的な文献に即した記述の少ないどこか拙速な書き方は、迂遠で煩雑であるよりは主張を読み取り易いものになっている。主体=臣下=被隷属者(全部仏語でsujet)、中心がなく至る所で作用する権力、近年流行の生政治・生権力等本書で出てくるのは、表象分析や概念史の水準にはない議論。
★10 - コメント(0) - 2015年7月24日

「〇でもない、△でもない、◇でもない・・・・・×である」まで到達するのが非常に長い。読んでいて眠くなる。内容理解が危ういけれども再読するのも面倒くさくなった。ただ視点が面白いと思った。「考えてみようではないか・・我々をして性を愛させるために用いられたあれら全ての策略を」
★6 - コメント(0) - 2015年4月25日

せいてきよくぼーのそーち(エピステーメー!)
★1 - コメント(0) - 2015年1月11日

所謂フーコーの権力論と呼ばれる理論がフーコー自身によって分かりやすくまとめられた本である。権力の偏在性、内在性、生産性についての体系的な説明がある。我々は未だに性について執拗に語らせようとする社会にいること、フーコーはそこから脱出するための喜ばしき知を探りたかったのかなと思った。
★5 - コメント(0) - 2014年11月24日

Z
物を扱う手法が明確化。監獄の誕生に対し、知の考古学と言葉との関係と同型だといってよい、言語ゲームの影響濃し。サイードがフーコーにグラムシの影響がないと言ってたがこっちの方が濃い。後の予定変更が気になるが、とりあえず用語の写像理論でもなく、集合論でもなく様々な使われ方の間でのヘゲモニー争いが語られる。書いてないが気になったのは生権力の矛盾。戦争は機械化で犠牲者が少なくなっているが停戦するには犠牲者がふえないと国民は納得しない。生権力は悪循環を招くのではないか。生活保護など同型の問題として語られるか考えます
★4 - コメント(0) - 2014年9月6日

【BOOK(2014)-114】!!!!!!!
- コメント(0) - 2014年5月22日

フーコーの言説(知)と権力が、性のもとに装置としてまとめられる。逆説的な分析である、というのも、一見解放のために性において語ることが、その分析によってセクシャリテのもとで巧妙に抑圧された結果であるからである。前期から知と言説の関係を分析し、その理論が権力へと至り、晩年において権力が性の問題と明示的に結び合わされた。そこから、主体の構成へと繋がっていくのだろう。
★1 - コメント(0) - 2014年5月8日

フーコーの著作のなかではまだ読みやすい方なのかもしれない。晩年の文章だから読めることは読める。しかし、そこに含まれているであろうものがどうやら多すぎるのか、多様過ぎるのか、それは本質なのか、あれが枝葉末節なのか、正確に捉えるのは至難の技だろう。性というキーワードを中心に、真理、権力、政治などなど激しく、熱狂を呼ぶ(んだ)なにがしかの宝箱。
★7 - コメント(0) - 2014年4月16日

sk
性に関する言説が知と権力により操られていく。多少読みづらかったがスリリングだった。
★1 - コメント(0) - 2014年1月18日

18世紀〜19世紀初頭にかけて成立し、ギリシア哲学を起源とした西洋思想、これをひっくり返すところから現代思想は始まる。そのほとんどの思想の根幹にあるのが「自明性に対する懐疑」ーーすなわち、近代批判だ。本書は、隠蔽された起源に対する問いに、「性」の側面から切り込んでいく。キリスト教綱要が、告白すべき内容を作り出すことから、性に対する言説が増加した。その言説は虚構であるにも関わらず、近代社会のあらゆる場に拡散したが、その事は権力による抑圧と大きく関わる、というのが興味深い点ではある。
★3 - コメント(0) - 2013年11月23日

タイトルで敬遠していたがやはり名著だった。フランス語の多義性の中にニュアンスを放り出してるような書きぶりも目立ち、安易な解釈は禁物だが、今や「異端」の考察の際には欠かせない書物。否定表現からの迫り方はフーコー以後の現代思想にも息づく。
★1 - コメント(0) - 2013年10月16日

フロイトがヒステリー研究においてなぜ性を起点に置いたのか、大江健三郎を代表とする小説家がなぜ性を主題や表現の中心に置くのか疑問であったが、歴史的な背景や意味合いを含めて、今まで自分が考えつかなかった解釈を呈示してくれた。
★1 - コメント(0) - 2013年6月23日

権力は上から抑えつけたり縛りつけるだけのものではなくって、知らずに自ら従ってしまって網に絡まっていた、っていう形もある。その規定を曖昧に放置したままで今まで生きてきてしまったんだな私は。・・・今でもまだあやふやだけれども。
- コメント(0) - 2013年6月11日

「おそらくどの社会においても、性的関係は婚姻の装置を産み出したであろう。すなわち、結婚のシステムであり、親族関係の固定と展開の名と財産の継承システムである。…婚姻の装置が、富の継承あるいは流通において演ずる役割の故に強固に経済と関係づけられているとすれば、性的欲望の装置は、多数の微妙な中断点を介して経済に結びつけられているが、その主要なものは身体であり、生産し消費する身体なのである。」行政の機関が被搾取階級の中に性的欲望の装置を導入できた。「それはブルジョワジーの覇権の道具に留まっていたのだ。」(161)
★2 - コメント(0) - 2012年11月25日

「言説の増大」という現象は今現在も、性に限らず倫理や道徳、生き方、人格etcと様々な方面で起きている気がする。そのような現象を前にしたとき、『知への意志』でフーコーの主張していることは、いまだに効果的に働くのではないだろうか。 性的欲望、主体、性、権力をひっくり返していく様は、大変に面白かった。
- コメント(0) - 2012年9月11日

性についての研究である以上に性の歴史を通して旧来の権力観の根本的な転換を促す書でもある。上から下への抑圧的権力から遍在する能動的なネットワーク権力へ。禁止する権力から制度配置によって促す権力へ。殺す権力から生かす権力へ。その具体例として、性に関する権力がいかに編成されてきたかをたどる。早い話が、本書で批判されている生権力とは「女は子どもを生む機械」だの「女は子宮でものを考える」といった失言に姿を見せる、あの嫌らしい権力のことだと思えばいい。それに至る性装置の歴史を予告したプログラムなのである
★10 - コメント(1) - 2012年8月9日

性は常に権力と共に語られている。やはりそれは現代に置いても同じ事である。と気づかされる。性について語る事はスキャンダラスであると規定されてしまっていると思わされる。まだ読み込み甘いなぁ。
- コメント(0) - 2012年4月22日

本書はフーコーの権力の〈系譜学〉の一つ。先にその大著『監獄の誕生』は読んでいたが、本書を先に読んでおいたらもっとスムーズに『監獄の誕生』を理解できたのかもしれない。「権力」というと、「国家権力」をどうしても想像してしまうが、それでは本当は見えているはずのものが見えなくなってしまう。フーコーについて書いた重田の言葉を借りれば、「私たちはしばしば、既視のものを基準にして新しいものを見る。そのため、本当は見えるはずのものがまるで見えないといったことが起こる。(続く)
★5 - コメント(2) - 2012年3月8日

性の管理は生の管理であり、生の管理は権力と繋がる。この「権力」って言葉の使われ方が難しく、自分勉強足りないなーと読んでる間何回も思った。ただこれを読んで、「キリスト教圏ではない(性の「違反」がほとんどない)日本でどうして性が恥じるべきものになり得たのだろう」という疑問は少し解消されたように思う。また時間を置いて再読してみたい。
- コメント(0) - 2012年2月6日

権力は抑圧するものではなく語らせるもの。要約は色々なところにあるから他の人に任せておいて、個人的に面白いと思ったところ:「真理は、語るものにおいては不完全であり、それが完成し得るのは、それを受け取るものにおいてのみ」(p85)。なんか審神者みたい。デルフォイの神託とも異なる神道的な真理の生成メカニズム。どっかで使えるかなこれ。
★1 - コメント(0) - 2011年9月22日

フーコーは彼自身の特殊な用語を否定神学的にしか定義しない気がする。結局、今一つ「権力」ということばで何を言おうとしているのかわからなかった。「統治する階級も〔……〕権力の網の目の総体を管理・運営することはない」というけれど、この本で語られた性に限ればその戦略は明らかにブルジョア階級のそれだと思うけど。性の別の面や性以外ではブルジョア的と限られないのかな。やっぱりよくわからない。
- コメント(0) - 2011年6月21日

知への意志の 評価:52 感想・レビュー:46
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