嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)
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嗤う日本の「ナショナリズム」はこんな本です

嗤う日本の「ナショナリズム」の感想・レビュー(290)

一言で評を述べることは難しい、ある意味メタ的な、私自身の立ち位置を問われるような、いい意味で複雑な本だった。あとがきにもある通り、北田自身のポジション、リアルが、まさにアイロニカルに現れた著作。このリアルが自分自身にも伝わってくる、不思議な本。超越的な審級を失ったポスト80年代において、繋がりの社会性というコミュニケーションの連鎖に「自己承認」の欲望を託していくゾンビは、逆説的に「超越的なもの」を渇望しているのではないか。宮台の「コミットメント」を的確に評しつつ、もがく姿をさらす終章に誠実さを感じた。
- コメント(0) - 2016年9月10日

一連の連合赤軍事件の原因を永田や森といった個人に帰するのではなく、「総括」という構造そのものに見出したという点だけで僕としては満足した(もちろんなんクリ論、ナンシー関という「批評家」の意義といった後半の内容も面白い)。「つながり」を巡る問題については(読者投稿→2ちゃんねるという系譜)もっと詰めて考えられるかもしれないと思った。
- コメント(0) - 2016年9月2日

本書は60~00年代までの思想を「反省」というキーワードを軸にまとめたものだ。連合赤軍事件によって要請された「反省」から、反省を目的化するための「抵抗としての無反省」、そして60年代的「反省」から断然した「無反省」、その後、《繋がり》の社会性の上昇によって、2chに見られるようなロマン主義的シニシズムへと変容。「人間になりたい」ゾンビたちが実存に執着し続ける限り、スノッブの帝国は終わらない。未だ存在している《繋がり》の社会性。そんな中で、私たちがゾンビから人間になれる日は来るのだろうか。
★14 - コメント(0) - 2016年5月21日

上質な未完成品という印象。言っている事は概ね正しいが、文量が圧倒的に不足している。仕方ない。彼のやろうとしている事は、60年~00年までの日本の思想傾向を語るという内容。それを「反省」というキーワードを元に1冊に...出来ない。出来るわけがないのだ。着想は素晴らしい。2ちゃんねる分析も概ね正しい。著者の本を色々と読んでいこうかな。
★13 - コメント(0) - 2016年5月4日

図書館本。過激な政治批判のような題名だが、時代ごとの若者のリーダーになった人たちの考えや行動について分析している本という感じ。あさま山荘事件から2ちゃんねるまで、著者は反省というキーワードを使って時代の流れをつなげて綴っているが、これがナショナリズムなのかどうかわからない。「なんとなく、クリスタル」の注釈の多さを戦略として指摘しているが、この本の注釈も多いのでちょっと笑う。運動に参加した人が解決後に次に参加する運動を探すところとか、現在の政治運動にも通じていて納得。日本は昔から内輪受け好きな文化なのかな。
- コメント(0) - 2016年4月5日

正直わかんない部分が結構あったが、反省の様式から時代を区分けしていく論に新鮮味を感じた。今度はちゃんと理解できるよう再挑戦したい。
- コメント(0) - 2016年1月29日

主に60年代(とその残滓としての連合赤軍)、70、80年代(扱っているトピック的には大塚英志のおたくの精神史に通じるものがあったような気がするけど、おたくカルチャーにはほとんど触れず、あくまでメディアとしてテレビや広告などについて論じている部分が多い)、それ以降(2ちゃんねる)という切り分け方で、それぞれの時代における「反省」の形式とアイロニカルな視座の形成を描いていてよかった。
- コメント(0) - 2015年12月19日

メモアイロニー、自己内省。広告、80年代のテレビ
- コメント(0) - 2015年9月3日

1960年代から2000年代までの日本社会の変化を各時代の象徴的な出来事から分析。現代を生きていて感じる生き辛さの正体が何であるのか、同意できる部分もあり、興味深い内容でした。
- コメント(0) - 2015年3月9日

社会学分野の知識の足りなさを"反省"しながら、なんとか通読。60〜80年代の話はピンと来なくて理解できた気がしないけど、「反省」をキーワードに名前と過激っぽい印象しかなかった連合赤軍から始まって、自分も見聞きしてきた2ちゃんねるに繋がったのは非常に面白かった。00年代以降から現在はどうだろうか、気になるところ。
- コメント(0) - 2015年1月8日

本の値段と内容の難しさが相関しない,また本のレビューや他書からの引用・言及の多さが読解のしやすさをあらわさない事を読んでいるうちによくよく思い知らされた(むしろ言及されるということはそういうこと)。全く読めなかったということではないが,すっきりと理解できたかというとそうではない。それは自身の日本現代史をはじめとするあらゆる面での教養のなさが原因だ。でもはじめにに書かれている現代若者に合致しているような気がしたこと,そして前提知識として連合赤軍関連の勉強をできたこと,その2点だけでも大いに儲けもんでした。
★3 - コメント(1) - 2014年7月22日

反省という「ポジショニング」の戦略史。連赤、純粋テレビ、糸井、ナンシー、2chを結びつけるもの、知識社会学的な検討が描ききれていなかったようにも感じてもっと読みたいと思ったけれども、反省という枠組みで変遷をたどっていく社会史としてはとても面白い。なにより、タイトルが秀逸だ。
- コメント(0) - 2014年6月22日

読み始めた時点までは、確かに世界と自分を直結させてしまう思考に疑問と不安を感じ、特別視していたが、それも繰り返される形式主義化のなかで生まれた欲求(?)にすぎないということが分かった。読み終わってようやく、宮台真司のtwitterをフォローした際に妙に関連botにフォローされた理由が分かった…
★2 - コメント(1) - 2014年3月7日

『なんとなくクリスタル』に40ページ442個の注釈があること自体がメッセージである、という指摘を読んで、ふとこの本の注釈を数えたら、14ページ264個の注釈があったので、「反省的だ……」と納得しました。
★3 - コメント(0) - 2014年1月16日

60年台から90年台までの反省の形式の遷移を分野横断で分析した著作。分析対象が多様なのは一見無節操にも見えるが、それは、作者自らの経験に基づく無節操な生がもつリアリティを「素材」として分析しているためである。また、終章においては分析に対する処方箋を出すことの不可能性を述べている。これらの点は、作者の自信の無さではなく誠実さに拠るものであると感じたので、ぼく自信もこの本で取り上げられた問題について考えていきたいと思う。
★1 - コメント(0) - 2013年11月27日

分からなくはないが、なんつーか、全てを貫く原理とゆーか力学とゆーかが見えないなぁ。運動方程式を立てずに物体の運動論を扱ってる感じ。60年代→70年代→80年代…と変わっていく「流れ」は見えるんだが、「なぜ」変わるのかがイマイチピンと来ない。個人的には「個々人のアイデンティティ・実存的欲望」とかを軸に論じれば分かりやすくなる気がした。
★1 - コメント(1) - 2013年11月26日

60年代〜現代に至るまでの日本人の反省の形式と、それによって形成される人間の内面の形態を、連合赤軍事件からPARCOの広告、80年代のテレビ、2ちゃんねるまで、各年代の象徴的なトピックに基づいて明らかにしている。60年代連合赤軍の「総括」と、現代における2ちゃんねる的な「ネタ」を媒介とするコミュニケーションが、アイロニカルな態度が形式主義化するという点で共通し、後者が「ナショナリズム」(ロマン的対象)を呼び寄せるとのが指摘が興味深い。まずは自身のスノビッシュな態度を自覚するところから始めよう。
★2 - コメント(0) - 2013年10月28日

誠実(?)なのではあろう。8年前だから古く感じるのか?コンテンツに注目したから、媒体はそこまで書かなくてよいのはわかるが、うーん、とすると揃えるにはズレがないか?とか。いや、展開としてはきちんとしてるんだけど、いや、感想が「そう!」に至らないのは何故なのか…
- コメント(0) - 2013年9月15日

世代論…的なものなのか?
- コメント(0) - 2013年9月7日

六〇年代からポスト八〇年代の日本における「反省」の変遷から現代日本的「嗤い」がどうに形成されたかを論じる評論。「反省」の形式化が生み出した連合赤軍事件への「抵抗としての無反省」も機能不全を起こして「無反省」に、消費社会的シニシズム的あり方の「反省」が《繋がり》を志向するロマン主義的シニシズムを形成。ベタに反省すべきものが失われて反省を希求したゾンビたちはあえて実存を求める。しかしそれも《繋がり》以上の地点に行けない。スノッブの帝国が超えるべき反省の壁。ゼロ年代を超えてなお「反省ゲーム」の終着点は見えない。
★9 - コメント(0) - 2013年3月5日

反省が制度化していく様子とアイロニーの逆転を現代のナショナリズムの原因であると説いている。 そのような社会制度的には左右の言説の内容自体(たとえ、反原発であっても、在特会でも)は問われず同じ機能を示す。 ただ、私的関係の濃密さが公共性を欠いたリアリティを生みつつある、という話はそれが実際に政治にある程度影響を与えてきている今(反原発を第一とする政党の成立など)、内容面をほぼ無視した社会学分析だけで現代を説明しつくせるか、という側面は今後も考え続ける必要があるように思う。
★3 - コメント(0) - 2013年1月15日

ナショナリズムが戻ってきた!という声が多く聞こえてきてすでに久しくなるが、本書はなぜナショナリズムが再び蘇ってきたかについて鮮やかに分析してみせる。まず60年代的なるものから話を始め、その後70年代には消費社会的アイロニズムが60年代を否定し、さらに80年代は消費社会的シニシズムが日本文化・社会を覆い、ポスト80年代にはロマン主義的シニシズムに転化してきたのだと著者は考える。そして現代はそのロマン主義とシニシズムが進み、「内面なき実存」にとりつかれてゾンビが再生産されている状態ではないか見る。
★3 - コメント(0) - 2013年1月13日

電車男が泣ける小説なのだと初めて知った。テレビの前1メートルの世界の研究とのこと。勉強用読書なので感想は特になし。
- コメント(0) - 2013年1月11日

議論が乱暴なので、途中で放棄。
- コメント(0) - 2012年11月7日

ネトウヨ的ナショナリズムが中韓にばかり向かって欧米に行かないのはなぜか、というのが分かった気がする。要するにきっと、ベタじゃないとイけないんだろう。しかし、シラケつつノルとか、おニャン子やオタクに感じられた新しいものが生まれる予感が消え、ぷちナショからはそういうものが全く臭わないのはどうしたことだろう。BAKUMANやちはやふるの新しいベタや三月のライオンの話法、おお振りの理屈っぽさにロマン主義の次、再帰性の乗り越え方を見出だしたいと、強く念じてしまう。
★5 - コメント(0) - 2012年11月2日

反省の形式が変化していく歴史。他の分野でも似たようなことってありそうだなと思った。
- コメント(0) - 2012年6月5日

総括=無限の反省によるドライブ、消費社会・コピーライターがメディア=言葉が何かを指し示すのでなくそれ自体として自律させていく、また、良/悪から好/嫌への変化。反省への抵抗からの無反省から、無反省とアイロニー、内面性の欠如。最後は批判的アイロニーは批判性を失い内輪空間の繋がりのためのツールになる。タイトルはナショナリズムは内輪でしか分からないネタによる共同体(2ちゃんねるのような)みたいなもの、かな。
★12 - コメント(0) - 2011年11月12日

ひごろ「ネタ」としてのコミュニケーションになじんでいる身にとっては、こうした「嗤い」という所作から媒介される「反省」の様態を社会学・メディア論的に紐解く、その手法とまとめ方はうまい。ただ、この議論の内在的な部分と現実としての外在が、ごくごく細い糸でしか結ばれていないようにもおもえる。つまり、非常に限定的な、局所的な部分の断片であるともいえるし、括弧つきのナショナリズムは、コミュニケーション論の形態をとって立ち現れていると言う意味では、ほむほむということですよ。
★5 - コメント(0) - 2011年10月23日

ken
関心がある向きにはおもしろいっすよ
- コメント(0) - 2011年9月18日

時間もなく、特に後半はざっと読んだ。糸井重里、ナンシー関、そして連合赤軍の事が印象に残る。小熊英二『一九六八』読まねばなあ。
- コメント(0) - 2011年7月28日

どんなに少なく見積もっても好著であることはわかる。といっても、まだ一章までしか読んでいないが。タイトルでなんとなく食わず嫌いだったのはもったいない。要再読。というか通読してないけど。
- コメント(0) - 2011年4月21日

他者と共有するための、ベタな感動とネタとしての見るためのアイロニー的な見方の蔓延とその変容。
★2 - コメント(0) - 2011年3月5日

読み応えはあるのに、なぜか一気に読める。こういう感じは珍しいな。勢いで読んでしまった部分もあるから、再読の必要がある。ワライは嗤いであり、ナショナリズムは「ナショナリズム」。とにかくナンシー関を読みたくなった。
- コメント(0) - 2011年2月10日

MrO
というわけで、勇気を持ち続けよう。考え続けることだ。
★1 - コメント(0) - 2011年2月6日

む、難しい・・・ 社会学難しい・・・。60年代〜80年代の話はどうも実感として掴めない。やはり自分はゼロ年代しか見てないのだなあ。内輪のコミュニケーションのネタとしてのネトウヨ、というのはちょっと興味深かった。
★5 - コメント(0) - 2010年11月19日

嗤う日本の「ナショナリズム」の 評価:40 感想・レビュー:59
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