遊動論 柳田国男と山人 (文春新書)

遊動論 柳田国男と山人 (文春新書)
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遊動論 柳田国男と山人はこんな本です

遊動論 柳田国男と山人の感想・レビュー(139)

著者は遊動性を遊牧民の遊動性と狩猟採集民の遊動性に区別する。かつてドゥルーズ・ガタリは遊牧民の遊動性を思想化し、それは80年代の日本でも一世を風靡した。あらゆる境界を超えていく遊動性で国家や資本に対抗しうると考えられたためだ。だが、冷戦構造の崩壊と共にこの図式は無効となる。遊牧民の遊動性は今やグルーバルに展開する資本のイデオロギーに転化するからだ。しかし著者は、それでも資本を超えるには遊動性しかないという。それが狩猟採集民の遊動性であり、柳田國男の山人の思想はこれを掴んでいた…という地点から本書は始まる。
★1 - コメント(0) - 2016年11月22日

柄谷行人氏の本を時々読むようになったきっかけは小説家・村上龍氏の対談集に度々登場していた事によります。当時僕は大学生でしたが、普段学校で学んでいた学問が本当の学問だとは思えなくなってきた原因にもなってるような気がします。知の世界は広く深い海みたいなもので、一生かかっても終わる事はないのでしょうが、柄谷氏はそんな旅をずっと続けている方なのだろうな、と思う次第です。柳田國男に関する論考もその旅の途中に立ち寄った駅のようなものなのでしょう。
★2 - コメント(0) - 2016年10月26日

初めて柄谷行人の本を読んだ。非常にまとまっている。テキストを丹念に分解していく研究者なんやなと思った。ただ、連載をまとめたものなので仕方ないのかもしれないが、冗長なところがあり残念。内容としては、柳田の論を中心に、そこへの反論や折口や南方との対比など、柳田の思想を知る上では勉強になった。民俗学の人だと思っていたが、別の解釈もあるんやなぁと思った。柳田國男について知りたい人はいい紹介書となっているのでは?
★2 - コメント(0) - 2016年2月9日

mm
いちいち説得力のある柄谷行人の文章。「××とAは述べるが、そうではない。」とキッパリやられると、思わず頭を引っ込めてしまうわ。しかし、新書版らしい読みすい。柳田国男については知らないことが一杯で、まずは知識をありがとう。しかし、それ以上に、彼の目指したものをより深く考えることは現代社会の問題に有意義な視点をもたらすと思う。共同体から離れた人の群れが新自由主義の生贄にならないための方策のヒントである。地域創生事業に関わる方々必読と思います。
★13 - コメント(0) - 2016年2月7日

柳田国男が農政家として抱いた理念を一貫して保持し続け、ある種のユートピア的在り方を模索していたという見方は面白かった。南方熊楠との書簡で民俗学は余分の道楽であり、自らの専門はルーラル・エコノミー(農村生活誌)であると言い切っているが、これこそが柳田のスタンスであったのだろうか。柳田が志向した神強制がない固有信仰への論考は興味深く読んだのだが、山人への追究は封印したとは言え、当初からの理想は揺るがなかったということか。
★2 - コメント(0) - 2016年1月10日

2013年初出。柳田民俗学は農村生活誌であり、根底に、農村改革の目的があった(20頁)。彼の仕事は農政と切り離せず、根本的に史学だった(30頁)。彼は怪談が流行する前から、真剣に考えていた。井上円了の啓蒙主義に否定的だった(52頁)。明治期の農村荒廃は、資本、国家にとって危機。横井時敬(ときよし)の農業国本説(58頁)。今も地方消滅が囁かれる時代。農村再生が必要不可欠。TPPや安保法制で地方は寂れる。孤立貧:貧村は人間関係の貧しさという(61頁)。今やSNSああるとはいえ、広く薄いかも。
★38 - コメント(1) - 2015年12月1日

山人と山民の違い、遊動的狩猟民と遊牧民の違いとは興味深い視点だが、結局それも「交換様式D」に繋げるための為にする議論ではないかという疑いも。まあこの本には書いてないが柳田はクロポトキンを通じてアナキズムにも接近してたようだし、プルードン好きの“アナーキスト”柄谷としては通じるものがあるということか。
★4 - コメント(0) - 2015年10月18日

柳田から遊動性という概念を抽出した腕力はさすが。かなり乱暴ではあるが。
★2 - コメント(0) - 2015年9月26日

Z
ここに来てデリダの初期の影響を強く感じた。柳田は山人という対象を探求していた時期がある。椎葉村という狩猟生活、富の分配、相互扶助のなされていた村を訪れ農耕民と異なる生活形態に衝撃を受けたことをきっかけとする。しかし彼らは農耕民との接触をしており、古代に見られた純粋な狩猟民とは異なる。後者の狩猟民を山人と呼び彼らの痕跡を追求し、のちに変わらぬ意図で狼、古層の民間信仰へと探求の対象を移動させた。一匹狼などと言われるが実際、狼は群で行動する。各地に狼は神という信仰があり、狩猟生活時代の名残をここにみいだしたので
★4 - コメント(1) - 2015年9月13日

新書というリーダブルかつボーダブルな形式も遊動性の表れだろうか。特権的な一者(今回は柳田国男)を立て、その可能性の中心を論じる漱石以来の論法に面映ゆさを感じなくもない。ノマディズムのネオリベ性に対して、遊動性を導入するが、それはまた柄谷自身の価値形態論の徹底に対する自己転回でもあるように思える。それがどう帰結するのかまだ分からない。
★2 - コメント(0) - 2015年9月2日

柳田国男を読まないまま、宮本常一ばかり読んでいたことを反省。
★2 - コメント(0) - 2015年5月29日

柄谷行人による柳田国男論。柳田国男の変遷の背景にある日本の置かれた状況などを踏まえて、柳田が「山人」に何を見ていたのかを明らかにしてゆく。「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」とは山人の怪異性でなく、その協同自助の実践の強調にこそある。そこに平地人にはうかがい知れない「社会主義」の実践を見ていた。先住異民族と考えられる山人を直接調べることはできないが、その風習の影響を残す山民から、柳田は遊動性と資本を超える別の交換様式を見る。
★1 - コメント(0) - 2015年5月8日

柳田は「山人」を放棄していない。山人とは先住民・異民族のことであるが、先住民がいたことを前提として、その後「一国民俗学」を語った。単一民族説をとり1930年代の政治的・経済的膨張主義に同調したのではない。柳田はそのような時代状況に抵抗したのであった。私もなんとか、小さき人間として抵抗(存在)したいものである。もう一度、様々な柳田を読もう。
★1 - コメント(0) - 2015年3月24日

柳田は『実験の史学』で「差し迫った一国共通の大問題など、必ず理由は過去にあるのだから、これに答えるものは歴史でなければならぬ」と言った。国家の争いはマスが協力したが、現在は個々人がその気になれば広告できる。世界が繋がりやりとりの速さは加速するが、その背景として個人が持つ文化的背景の理解はなされない。柳田曰く、祭りの規模が拡大した理由は、当事者が参加するものから見世物に移ったかららしい。自分は安全な場にいながら、誰かが危険な場で直接得た情報をシッタカし戦争を他人事としてどこか軽く考えることなきようにしたい。
★21 - コメント(0) - 2015年1月28日

遊動民(ノマド):山人(狩猟採集民的遊動民)と遊牧民 山人は山民(山地人)と違う狩猟採取民、天狗等の妖怪 山民には、移動農業狩猟を行う山人 と工芸・武芸を含む芸能的漂泊民 祖霊信仰と双系性
★1 - コメント(0) - 2015年1月3日

柳田国男について「網野善彦が批判したような稲作一元論の人」程度のイメージしかなくて、ぶれない男が好きなら楽しめます。「(大陸へのコミット等が進んだ)一九三〇年代の日本では、大衆社会において遊動性を称揚する言説やイメージが顕著とな」り、その一つが例えば「浪人」だった、のはもっと知られてもいいと思った(特に創作に関わる人間に)。柳田と井上円了の妖怪観、「柳田もある意味で、神道系の宗教改革者であり、妖怪を実在(物自体)として見ていた」ってのも興味深いけど、真先に読みたくなったのは『狼の群れと暮らした男』だった。
★2 - コメント(0) - 2014年12月1日

国家に抗する実際的思想家としての柳田国男論。そこそこ興味深く読めた。柳田の関心は一貫して相互扶助的、遊動的狩猟採集民にあり、後の固有信仰論も同じ議論の延長上にある。柄谷はこの柳田の関心に、国家・資本を超える原理の可能性を見いだす。しかしなんつーか、柳田は歴史・民俗学者としてはよくないね。自分の理想を対象に投影していると読める。まあ、だからこそ思想家としての柳田論なんだろうが。
★2 - コメント(0) - 2014年11月5日

これもダブル投稿になってもうた 柳田の新国学とグリム童話は通底する
★2 - コメント(0) - 2014年10月9日

柳田國男の新解釈を試みた本。面白いけれど、そこで終わっちゃうの?という中途半端感が残る。しかし、柄谷行人って、文章、下手だね。
★3 - コメント(0) - 2014年9月29日

柳田国男の語る「山人」「一国民俗学」「固有信仰」とはいかなるもので、そしていかに誤った形で受容されてきたかを論じる。『世界史の構造』を著した柄谷行人が着目したのは「遊動性」。そんな視点で考えると、確かに柳田の研究は農政学はもちろん、史学、宗教学はては人類学といったきわめて壮大なスケールに及ぶ。柳田自身についても、ひいては民俗学に対してもどうやら理解が乏しかったのだと痛感した。
★7 - コメント(0) - 2014年9月8日

内容がまだ咀嚼しきれてない。とりあえず、「日本の歴史を読み直す」を読もうと思った。
★2 - コメント(0) - 2014年9月5日

柳田国男の思想を時系列に考察したものであるが、とても興味深く読めた。元々民俗学の大家というよりも沖縄など辺境論者としての柳田に関心があったのだが、この本で柳田が沖縄に軸足を動かす経緯が「沖縄に向かった理由」として書かれてあり参考になった。まだ柳田の本をしっかり読んでいないが、この本を先に読んだことがかえって良かったような気もする。また柳田の思想を受け継いでいる者が柳田とは無縁で、またおそらく無知な宇沢弘文ではないかとの指摘も興味深く感じた。
★4 - コメント(0) - 2014年8月24日

柳田国男の思想をあらためて考えたくなった。考えるといっても、大したことは考えられないけども。柳田の出生や歩んだ道のりもその思想に影響しているということがわかり、人生ってなにがどうなるかわからんな~と思った。折口信夫との思想の違いも書かれている。スエロ「オオカミと暮らした男」読みたくなった。この本についての注が面白い…。
★5 - コメント(0) - 2014年8月12日

柳田国男は山人を捨て常民の思想に向かった、という通念に対し、柳田が捉えた遊動性には二種類があるとし、山人的な遊動性は終生追い求められ続けてきた、という話。俗に「柳田学」と言われるものが民俗学に留まらない農政学(特に宇沢弘文の経済学に通ずる)、史学、神道学に通ずるものとして扱われていて刺激的。特に固有信仰という考えが定住以前の遊動性を回復させる、つまり国家と資本を超える交換様式と重なるところは興味深かった。
★3 - コメント(0) - 2014年8月11日

学術的厳密さよりは批評の抽象力でもって例の四象限のアソシエーション=交換様式D(X)にノマドよりノマドな柳田の山人を当てはめるアクロバットに対しては、読む側の思考も自由に飛躍。共同幻想論や網野史学や折口信夫、国家にも資本にも従属して何ら革命的でなくなったノマドロジーから救い出される山人が天狗などという仕方でしか表象できないとしても思想として確実に存在するという断言に、ナリワイ(伊藤洋志)やニート(pha)といった国家や資本に向かわない現代的なライフスタイルが目指すところに通底するものが。結構10年代的?
★7 - コメント(0) - 2014年7月15日

植民地政策によって、日本がグローバルになりつつある時代に唱えた「一国民俗学」の再考、「常人」研究に入る以前の「山人」研究の意義などなど、戦後の柳田国男イメージを変えるべく書かれた一冊。その根底には「国家」を越えるための論理を探る意図がある。断定型の言葉である一方、論拠を示さないきらいはあるが、その思考は面白い。土地に根付くことから生まれる弊害は、災害時に露わになる。それを乗り越えるための方法として、「遊動」を唱える意義はあるだろう。それも、かつてのノマドという形ではなく、狩猟採集民をモデルとして。
★14 - コメント(0) - 2014年7月3日

hal
赤坂憲雄の柳田論を読んでからまだ余り時間が経っていなかったせいか、本論は(著者の文章にしては)スムーズに読めた。後書きで“先に読め”と書かれている(後書きに書かれてもなぁ)付論は、著者本来の調子で、晩期中年の私の頭脳では“そうかぁ!”と腑に落ちるところまではついていけなかった。柳田国男の理解が少し多面的になったか?
★1 - コメント(0) - 2014年6月17日

世界史の構造の続編として期待したが、マルクスやカントと同じく柳田国男を読み替える手法は読み応えはあるが、資本と国家を揚棄するに足る遊動者が現在(これから)いかにありうるのか、またありえないのかについては書かれていなかった。これ新書だしね、次の本編?に期待。
★3 - コメント(0) - 2014年5月6日

柳田国男を一冊も読まずに読む、柳田国男論。さっぱりかと思いきや、なかなか楽しかった。なぜ山人なのか、民俗学というより、農業経済の理想から、という説は有りだと思います。また広がる勉強範囲。本が増えそう。
★4 - コメント(0) - 2014年4月21日

TM
多分、著者の過去の著書を読んでからこれを読まないと内容をいまいち咀嚼できないかもなぁ。いろんな細かいところを分かった上で楽しむ本なのかな。
★17 - コメント(0) - 2014年4月20日

う〜ん。今ひとつだった。 繰り返し同じつぶやきを聴いてる感じ。
★2 - コメント(0) - 2014年3月22日

Z
柄谷行人による『もののけ姫』批判。というのは冗談だが、過去に何処にも所属せず、束縛も受けない人々の姿を投影するということを我々はしがちである。が、彼らは実際に制度が膨張するための橋渡しに過ぎず、そのため遊動性に区分をもうけ、ナショナリズムともむすびつかない思考の対象、場をあぶりだしている。経済、哲学、文学、民俗学を渡り歩いて、著者のアクロバットな思考を堪能できる。
★5 - コメント(0) - 2014年3月18日

「民俗学者・柳田国男は「山人」を捨て、「常民」に向かったといわれるが、そうではない。「山人」を通して、国家と資本を乗り越える「来るべき社会」を生涯にわたって追い求めていた。「遊動性」という概念を軸に、その可能性の中心に迫った画期的論考。」(折り返し)
★1 - コメント(0) - 2014年3月5日

柳田国男の名前を見るたびに「ああ柳田国男ね」「また柳田国男か」と流してきたということに気づかされた。考えてみれば「遠野物語」すら読まないまま知ったような気持ちでいたのが恥ずかしい。農商務省の官僚だったことも初めて知った始末。そんな有様なので文章を追うのに精一杯で、特に後半はだんだん息切れしてしまった。それでもこれまで幾度となく柄谷行人氏の著作に挑んでは挫折してきた中では、信じられないくらい読みやすく、自分なりに面白く読めたという手応えはあった。いつか再読してもう少し消化したい。
★3 - コメント(0) - 2014年3月4日

『文学界 2014年1月号』の柄谷行人といとうせいこうの対談で興味を持った本。『遠野物語』や民俗学者として知られる柳田国男だが、それ以前に東大で農政学を学び農商務省の官僚として働いていたというのが意外だった。その頃の柳田は真摯に国の未来について考え、農業によって変えようと活動していたようだ。「山人」(山に住む天狗のような人々?)や狼が残存しているなどのトンデモ論を持ち出して嘲笑されていたりするのも面白い。短い文章に色々と情報が凝縮された本で、読み切れたとは言えないので、もっと理解できるようになりたい。
★6 - コメント(0) - 2014年2月28日

新潮文庫でヤノマミというアマゾンの半定住かつ狩猟・焼畑民のNHK班レポートを読んだが、これは山民だな 山人における共同寄託、公平分配は遠い遠い人類創生期のはなしか 縄文も決して平等ではなかったそうな
★13 - コメント(0) - 2014年2月25日

柳田にとって文学(民俗学)は政治(農政学)だった。それは文事と政事を同一ととらえる近代以前の認識だ。だから彼は戦後も最後の枢密顧問官として働いた。そういった論点を修士論文で論及したところ、指導教官だった著者が、ちょっとだけ褒めてくれたことを思い出す。本書の内容に対して「文献的に実証不可能なので学問的に無意味」という人がいるが、そういう指摘こそ無意味。著者が分析しているのは、それこそ文献的に実証できない問題だ。それを理解するためには、マルクスが『資本論』でやったように“抽象力(想像力)”が必要となる。
★1 - コメント(0) - 2014年2月21日

民俗学者柳田国男を通じて、山人を論じる山人とは、私的所有がない平等な社会を営んでいたらしいが、農耕民族に追われ山に逃げ込んだらしいそれは、ユートピアではあるが、柄谷行人は、フロイト流に言えば、抑圧されたものの回帰であると論じる
★2 - コメント(0) - 2014年2月20日

最近、やけに柳田國男論を刊行している柄谷行人。どんな内容かと気になったので一読しました。柳田が山人論を通して、双形制社会、固有信仰といった概念を打ち出していく過程を論じている。☆☆☆★★
★5 - コメント(0) - 2014年2月19日

遊動論 柳田国男と山人の 評価:72 感想・レビュー:48
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