槍ヶ岳開山 (文春文庫)

槍ヶ岳開山 (文春文庫)
399ページ
256登録

槍ヶ岳開山はこんな本です

槍ヶ岳開山の感想・レビュー(187)

2016.12.02(2015.05.16)(つづき14)新田次郎著。  11/05  (P065)  椿宗和尚。  富山一揆、500人捕らえられている。  逃げるものあれば知らせて引き渡してほしい。  極秘でやっている。  藩の恥になるから。  椿宗和尚、道中に必要な往来一札、寺への紹介状、わずかの路銀を二人に与えた。  二人とは岩松と徳助。  二人は本覚寺を出た。  二人はこの寺で1ヶ月を過ごした。  飛騨国高原本郷村本覚寺を忘れるでない。  困ったらいつでも戻れ。 
★45 - コメント(1) - 2016年12月2日

槍ヶ岳を開山した播隆上人の伝記小説。例によっての新田次郎節。あたし自身は本格的な登山をするわけではないが、新田の山の小説は非常に読みやすく、また読み応えがある。個人的には、念仏者でありながら開山に執念を燃やしたという、修験道系の道を進んだ播隆上人に非常に興味を覚えた。時代的に江戸後期というのがピンとこなかったが、シーボルト、高野長英、大塩の乱などがでてきて、あぁ、なるほど、あのあたりね、という感じ。良書。
★3 - コメント(0) - 2016年11月29日

北アルプスに行くと、1つのランドマークになっている槍ヶ岳。登山者がいつか登ることを夢見る山でもある。そこが誰でも登れる山になるように勤しんだ播隆上人の話である。一心不乱に山に登ることは、一心不乱にお経を唱えることに通じるものがある、このことは僕にとっても共感できるストイックな感覚だ。米騒動から天保の大飢饉に至るもっとも過酷な時期に、理性を失わずに仏道を極めようとする姿勢に心打たれた。
★2 - コメント(0) - 2016年10月19日

今はたいていの岩場にルートの目印や鎖や梯子があって、誰でも山に登れるのは、こういう先人達の苦労のおかげですね。少しばかり山に登る身としては、上人がぼろぼろの体で山に挑む姿にイラっとした。上人は結局自分本位な気がします。それは人間味があると言えばそうなのかもしれないけれど。好きになれない男でした。というか登場人物みんな好きになれなかった。
★2 - コメント(0) - 2016年8月12日

2016.07.01(2015.04.16)(つづき)新田次郎著。  06/16  (P063)  (おはま)  その目は、岩松の生命ある限り責め続けるだろう。  椿宗、10日目、15日目。  なぜそうなるのか、理由付けはできたかな?  「おghまのことを考えると、僧がふさわしい、と」  宝泉寺の見仏上人という人を訪ねます。徳助はあとをついていくといってききませんので、連れていきます。  何か将来に光を見ることができたような気がした。  なりなさい、乞食坊主にかるか、
★49 - コメント(1) - 2016年7月1日

およそ200年前、槍ヶ岳を開山した高僧、播隆上人の半生を描いた歴史小説。著者にしてはかなり劇的な設定で重厚に仕上げている。 世俗と仏行との宥和に悩みながら、妻おはまに対する懺悔に生きる播隆の姿は、文字通りの修験道。特に商人・弥三郎の人間味は、播隆と表裏一体の感があり憎い演出だ。また、山頂での神秘的な来迎へ至る場面では、山岳小説としてのダイナミックさも十分に表現されている。氏の著作中でも指折りのドラマ仕立てであるだけに、さほど知られていないのが残念。北アルプスを登る機会のある方はぜひ手に取ってみてほしい。
★10 - コメント(0) - 2016年6月17日

史上初めて槍ヶ岳に登頂した修行僧のお話。 今でこそ山頂までのルートは一般的になっているが200年前にルートを切り拓いた人々の苦労は計り知れず。今度、槍ヶ岳に登る時はそんな事を考えながら登ってみようと思う。
★3 - コメント(0) - 2016年3月19日

2016.02.24-2(2015.03.16)(つづき)新田次郎著。  02/23-2  (P059)  (出郷、つづき)  椿宗和尚、新田開発。  新田は拓いた者に与えられる、寺のものにはならない。  百姓どものために間を取り持っているのじゃ。  弥三郎はその日のうちに上方へ立った。  岩松さんの行く先は、摂津天王寺の宝泉寺ですね。  私はこの手で妻のおはまを殺しました。 
★58 - コメント(0) - 2016年2月24日

2016.02.24(2015.02.16)(つづき)新田次郎著。  02/23  (P055)  (出郷、つづき)  笹山岳、岩松14歳、成人の儀式。 寺。  鐘楼。  弥三郎。  徳助。  僧現れる、小男の出っ歯、で出目金。  名を椿宗(ちんじゅ)。  どうせ今夜は当寺に泊るのであろう。  足を洗いなされ。  生計の危機からは逃れることができた。  少々耳の遠い寺男。  僧侶には戒律というものがある。  殺生はしない。盗まない。弥陀らは、淫らはしない、牛は、嘘はつかない、
★38 - コメント(1) - 2016年2月24日

日本アルプスのどこからでも見渡せ、中心にそびえる槍ヶ岳。人を寄せない威厳とシンボルを兼ねながら、開山された経緯は山岳信仰と一人の高僧の悲しい私情が交差します。太古から自然と共存し摂理を育んだ祖先たち。人の生涯は山のように上り下りがあり、時に平坦な道を歩いていても命を落とすことがある。登山と人生は似ていると、私は思った。完読後、また槍ヶ岳に登りたいとは思わなかった。学生時代と、数年前再び登山をはじめて登頂したからではなかった。笠ヶ岳から眺める槍に自分の人生の足跡を重ねながら、笠ヶ岳に登りたいと意を強くした。
★5 - コメント(0) - 2016年1月21日

新田次郎の劔岳に続いて槍ヶ岳を読了。僧による槍ヶ岳開山の話しなれども、人間くささが満載でした。私的には劔岳の方が好みかなぁ…。
★6 - コメント(0) - 2015年12月7日

弥三郎の存在が作者作品によく出てくる寄生虫みたいな設定かなと思ってたらそうでもない。じゃなんで登場したのと思って読んでたら、なるほど重要人物で主人公の播隆上人を出家する前の岩松に戻してしまう力が与えられている。山の話でも宗教の話でもなく主人公の気持ちの整理のお話だったように読んだ。7/10
★4 - コメント(0) - 2015年11月30日

- コメント(0) - 2015年10月24日

2015.10.07(2015.01.16)(つづき)新田次郎著。  10/02  (P055)  (出郷、つづき)  岩松は、立山、経験済。  山奥育ち、近所の山は登っている。  理解はある程度あった。  笠ヶ岳。  弥三郎と同行中。  宗教と山。  立山。  14歳で一人前にならせる、登山。  弥三郎は手前の小さな丘を指差す。  さあ、もう一息。  高原川。  その辺に不似合いなほど大きな寺。  大公孫樹(おおいちょう)。 
★58 - コメント(0) - 2015年10月7日

shi
昔から色んな坊さんがいて、このような時代にも慕われるホントの坊主。 難しい漢字が多い
★2 - コメント(0) - 2015年7月8日

2015.06.04(12/16)(つづき)新田次郎著。  05/29  (P054)  (出奔、つづき)  十四になった少年、先達に連れられ立山登山をすることになっている。  熊野川にそったいくつかの村々、から少年は集められる。  そのときは12人であったことを岩松は覚えていた。  無事に帰れれば一人前。  母は送り出す。  金剛杖を持ち、家を出る。  無事であった宗教登山を兼ねている。  その年の暮れ、八尾の玉生屋に奉公に出た。 
★61 - コメント(4) - 2015年6月4日

槍ヶ岳初登攀した播隆上人の半生記。弥三郎が何故播隆上人に協力的だったのか、モヤモヤした不信感が最終章を読むまで続きますので注意願います。柏厳尼と徳念の関係について、播隆上人が死の間際まで不安や嫉妬を感じていたあたりは、人間味があっていいんじゃないかと思いました。
★4 - コメント(0) - 2015年5月29日

鎖や梯子のかかってない時代の槍ヶ岳によく登ったな、と。今後山登りに行く時の楽しみがひとつ増えるような話でした。
★1 - コメント(0) - 2015年4月14日

2015.03.29(11/16)(つづき)新田次郎著。  03/26-2  (P052)  (出奔、つづき)  神通川、遡ると飛騨との国境で二つに分かれる。  宮川は、高山の方へ南上、高原川は乗鞍火山脈のふところ深くを遡行していく。  高原川はもともと中部山岳地帯に源を発する川。  焼岳、穂高連峰、槍ケ岳、双方岳などから雨を集めている。  三人は高原川の上流へ川沿いを歩く。  徳助は興味深く観察、きれいな山だ、「笠ヶ岳」、岩松、以前に立山に登っている。 
★48 - コメント(0) - 2015年3月29日

2015.03.27(10/16)(つづき)新田次郎著。  03/26  (P051)  岩松さんはなんの能もないが、字を読んだり書いたりすることが好きだ。  誤って殺した女房のために死のうと考えたり、頼まれた厄介者のため世話をやき、犠牲になってやろうとするという人だ。  坊さんしかないだろうね。  お寺へ連れていってあげようと思っているところだ。  高原川といって神通川の上流の川だ。  徳助さんはどうする?  今から仕込めば立派な商人になれる。  おれは岩松さんについていく。 
★53 - コメント(1) - 2015年3月27日

槍ヶ岳を開山した播隆の物語。 妻殺しの記憶に苛まれつつも、登山という修行を通し自分を見つめなおす過程が描かれています。 彼の「一生懸命生きたものが救われる」という教えにはとても共感しました。 また、山頂にある仏様には安置されている意味がある、そんな当たり前なことに気づきました。
★2 - コメント(0) - 2015年2月2日

2015.02.01(09/16)(つづき)新田次郎著。  01/29  (P038)  (◎出郷、つづき)  「岩松さん、こうしていても、おはまさんは帰ってこない、早く始末を」  お役人に連れていかれる。  弥三郎、怪しい。  顔見知りの富山の薬行商人。  飛騨へ。  岩松は、この弥三郎がいるのは、便利がいいとして、そのままにした。  三人旅の一行。  黒川。  自然と手が合わさった。  「似合いますね」  国境の関所、緊張。  死ぬことのできるのはっきりとした理由が出来た。  飛騨へ、裏街道へ出た。 
★53 - コメント(0) - 2015年2月1日

これを読まなきゃ播隆上人が槍ヶ岳を開山したって知らないままだったから読んで良かったけど、楽しい話ではない(;´д`) 妻を殺したお坊さんの話 僧同士が駆け落ちする話 コマクサ&ブロッケンの話
★2 - コメント(0) - 2015年1月23日

2014.12.01(08/16)(つづき)新田次郎著。 11/28 (P032) (一揆のこと、つづき) 安井守衛、足軽が阻止。 だが、この強攻策は農民の反感を買った。 岩松、大声で「やめてください、話せばわかることです」 玉生屋の前。 足軽登場。 岩松は、きさまも一揆の端くれか?といわれる。 奪い取った槍で相手の腿を刺してしまった。 岩松さん、あんたは・・・。 岩松の女房、おはま、 百姓の敵じゃ、おれたちの敵なのじゃ。 おはまの胸をついてしまった。 
★44 - コメント(1) - 2014年12月1日

2014.10.01(07/16)(つづき)新田次郎著。 09/29 (P032) 3. 富山、一揆の恐れ。 岩松という男(主人公)、番頭。 文化十年(1813)、十月十六日。 富山の一揆。 火の手が上がった。 岡田屋の打ちこわし。 火をつけたものは、磔になるぞ。徳市郎。 その翌日は組織的な行動に移った。 七百名。 塩野新田の出資元、豪商、河原町屋祖宗五郎の家、うちこわし。 10/19、千人、八尾へ向かう。 岩松の主人、玉生屋久左衛門に、どこかへ退避するよう勧める岩松。   
★49 - コメント(1) - 2014年10月1日

ここでの登山は山の経験者ではなく、求道者や衆生救済のためになされるわけだが、作者の山の描写に一種の達成感を共有できる。登山は数回しか経験がないのだが苦しさのあとのあの爽快感を思い出す。
★2 - コメント(0) - 2014年9月24日

新田次郎の主人公はほぼ同一。ストイックだけど他人に甘い主人公。ずるい脇役。しかしながら、人はがまんしながら自分の道を歩かざるを得ない。自分自身から逃げることはできないのだ。
★3 - コメント(0) - 2014年9月19日

2014.08.09(06/16)(つづき)新田次郎著。 08/07 (P010) 文政十一年七月二十八日。 登る、播隆と中田又重郎。 上人様。 多年の間、念仏修行僧として鍛え上げた身体。 又重郎は父に鷹取を教わってきた。 播隆、岩へへばり付くような登り方。 それじゃあ、いけねえ。 岩を突き放すようにしねえと、いけねえ。 返ってすべる。 路筋が発見されない。 指三本、あきらめない播隆。 私の頭を踏んでください、と又重郎。 播隆の見せた気魄が又重郎を動かしたのはたしか。 
★59 - コメント(1) - 2014年8月9日

槍ヶ岳は来年登ってみたい山です。それにしても、播隆上人って凄い人ですね!天保の大飢饉を背景に、自分の道をまっすぐに進み、笠ヶ岳と槍ヶ岳を開山し、槍ヶ岳に鉄の鎖をかけて誰でも登れる山にしたとは、素晴らしいの一語につきます。その鎖と仏像が盗まれたということにもびっくり。念仏を唱えるだけでは極楽浄土へは行けないという上人の考えにも納得。
★2 - コメント(0) - 2014年8月8日

僧・播隆。笠ヶ岳の再興、槍ヶ岳の開山、槍ヶ岳に善の鎖。登山の描写が多くなかったので少々物足りなかった。槍ヶ岳はいつか登りたい山なのだが、行けるときがあるかな。善の鎖が残ってないのは残念だな。
★4 - コメント(0) - 2014年7月23日

一心不乱に登山することが悟りへの道であり仏道修行になるという上人の教えは、実際に山に登ることによってよく理解できる。
★3 - コメント(0) - 2014年7月20日

播隆上人が槍ヶ岳開山にいたる人生を描いた。
★3 - コメント(0) - 2014年7月4日

2014.06.19(05/16)(つづき)新田次郎著。 06/18 (P354) 槍ヶ岳はその後、信仰の対象となり多くの人が播隆上人の歩いた道を鎖にすがり上る。 その絶頂へ立った。  彼の死後30年間は平穏無事であった。 当時の鎖は盗まれ今はない。 頂上安置の仏像は明治末まで現存していたという。 (序章) 播隆上人の鋭い眼は槍ヶ岳の穂を睨む。 その眼力でまつわりつく霧を払おうとするようであった。 
★60 - コメント(1) - 2014年6月19日

2014.04.16(04/16)(初読)新田次郎著。 04/14 (カバー) 百姓一揆に巻き込まれ妻のおはまを誤って刺殺した岩松、出家して罪の償いに厳しい修行。 襲ってくるおはまへの未練と煩悩。 未踏の岩峰槍ケ岳、初登攀に成功した修行僧、播隆の生き様。 (取材ノート) 播隆上人の遺体は火葬に付された。 祐泉寺で盛大な葬儀。 信者の焼香の列は三日続く。 涅槃金(ねはんきん)(香奠)五十余両、びた銭叺(かます)に三杯。   
★64 - コメント(1) - 2014年4月16日

sa-
槍、おはまを誤って刺してしまった槍。笠ヶ岳を開山した時、虹の来迎の中に彼女の姿を見、はるか彼方に槍ヶ岳をみる。おはまに導かれるように、その許しを求めるように、槍ヶ岳に登頂。再び光臨の中に彼女の死に際の姿を。 死んではならぬ、生きて一心不乱に生きよと。不作の年が重なり、疫病も加わり、当時の苦しみや信仰心がよくわかる。 おはまの憎しみの目は・・・死の間際に、おはまを呼ぶ幡隆上人。全編を貫く”槍”。人の生き様はいかに難しいことか。生を受け、生き抜くことの大切さを思う。
★6 - コメント(4) - 2014年3月9日

播隆上人による槍ヶ岳開山の物語。内容は創作だが、いかにもそんな背景があったかもと思わせる臨場感がある。御来光にまつわりながら、当時の人々の気持ちの持ち方や生活の様子が巧みに、またよく分かるように描かれており、人間の業にまで至る。意志を強く持ち続けて生きるこの難しいことよ。よい物語だ。開山の史実が一時期忘れられかけた時もあったようだが、最近は上人の像もでき、広く認知されているようだ。
★7 - コメント(0) - 2014年2月14日

新田次郎氏は久しぶりです。播隆上人の事が知りたくて読んだのですが、江戸時代、宗教の修行として登山をしたのか?と思っていたがこの小説では上人の個として槍ヶ岳を開山したような気がする。実在の僧の話だけに山を愛する者としてリアルに読む事が出来た。
★2 - コメント(0) - 2013年12月3日

読むのをワクワク・・を久しぶりに感じる。新穂高にある上人の碑。播隆上人をそこで知った。江戸期の登山が如何なるものか、怖いほどに推測し得る。 これは小説というより小さい頃親しんだ「偉大なるお方の伝記」という感触。 多少鼻につかないでもなかった。悪人はでてこない・・否応にでも盛り上がっていく播隆の人格、名声。山登りをするのに、最初の修行でなれたという「1日一食」という信じられない律を自らに課し続ける。 彼が槍に挑んだのは46歳・・今なら10歳は上乗せするのでは。 登山は救われる為?は何やら、私自身にも通ずる。
★20 - コメント(1) - 2013年9月3日

播隆上人の僧として厳しいまでの姿に息が詰まりました。最終章までぐっと惹き込まれて読みましたが、最後の最後に2人の愛弟子が裏切りを働いた姿は哀しかったです。(そうなるかな…という伏線がありましたが、やっぱり残念)一心不乱に生きることこそ救われる唯一の道であるという教えは尊いですね。私たちも一心不乱に生きなければならないと強く思いました。
★2 - コメント(0) - 2013年8月14日

「槍ヶ岳の穂睨む」という序章に、自分勝手に思っていた物語の進み方とは乖離があって、出鼻をくじかれた感あり。今の私が読める本ではなかったも。また時期をみて再チャレンジするつもり。
★4 - コメント(0) - 2013年5月19日

槍ヶ岳開山の 評価:80 感想・レビュー:55
ログイン新規登録(無料)