歎異抄 (光文社古典新訳文庫)

歎異抄 (光文社古典新訳文庫)
あらすじ・内容
「アミダ如来はんにいただいた信心を、おれのもんやいう顔で取り返そういうのんは、ホンマにアホらしいことやで」。天災や飢饉に見舞われ、戦乱の収まらない鎌倉初期の無常の世にあって、唯円は師が確信した「他力」の真意を庶民に伝えずにいられなかった。親鸞の肉声、ここに蘇る!

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歎異抄はこんな本です

歎異抄の感想・レビュー(135)

関西弁の仏教書(そういえば広島弁の新約聖書も最近みかけたなあ)という意表をつくアプローチが新鮮だった
★25 - コメント(3) - 3月13日

Kindle読み上げで。ものすごく分かり易かった。読み易くなっている。それは関西弁にされていて、また、現代文に直されているからである。目で読んだら、関西弁表記には違和感があるかも知れない。また関西弁であるので、標準語を読み上げるより強く注意を奪われる感じがあった。内容は一回で得心できるような教えではないが、非常に易しく説かれていると感じる。また読みたい。この試みは素晴らしいと思った(ただし、関西人だけかも知れない)。
★6 - コメント(0) - 3月9日

関西弁の訳は読みづらかった!(笑)が、おもしろかった。親鸞が京都出身だからだね。歎異抄の本文が短いことにも驚いた。古文で読めれば、すぐだね。鎌倉新仏教と呼ばれる宗派のうちひとつをこれで飲み込めたかな、と思う。
★14 - コメント(0) - 3月1日

Y
なんとなくところどころは読んだことはあったけど、通しで読んだのは初めて。人を殺さないでいるのは自分の心が清いからでもなく、殺さざるを得ない縁になかっただけだという親鸞と唯円の問答が前に読んだ時と同様身につまされる。自分のないようである過信を見抜かれた感じがする。解説にあったように、親鸞の生涯と今の浄土真宗のあり方は矛盾しているという話には深く共感した。本当はもっとシンプルに誰もが極楽往生できる方法を思索したものだったのに、今では権威主義的なところがある。どうしてこうなったのか今度調べたい。
★39 - コメント(0) - 1月31日

(借) 関西弁の現代語訳で、いい意味で何となくわかる歎異抄。小難しいものは敬遠しがちでも、これなら手に取りやすい。悪人こそ救われる、浄土に行きたいと思えないなど、逆説的だったり偉い坊さんとは思えないくらい赤裸々だったりとなかなかインパクトのある教えだと思った。
★2 - コメント(0) - 2016年12月27日

自力をたのんで往生を遂げようとする善人ですら果たせるのだから、他力のみに望みをかける悪人が往生できない謂れはないとする悪人正機は、凡人からすると言葉のトリックかとも思えるくらいだが、これほど強力に信心に向かわせる教えはないだろう。ただ愚直に念仏を唱えさえすれば往生できるという教えは、死への恐怖を取り除くには最強の方法と思える。仏の教えに限らず、つくづくと宗教は哲学だと思うが、小説で読む親鸞では今ひとつ掴みきれなかった親鸞の教えが理解できた気がした。そういう意味では唯円が果たした仕事は大きいと思う。
★27 - コメント(2) - 2016年12月19日

関西弁の翻訳が気になり、購入。すらすら読めてよかったです。
★1 - コメント(0) - 2016年12月15日

まさかの関西弁訳!この大胆な現代語訳のおかげで本書に親しむことができた。初めてこうした説法を読んだが、仏の教えとは寛容だなと思った。ナンマイダブと唱えれば善悪に関係なく阿弥陀様が救ってくれる…このユルさが現代まで生き残っている所以なのだなぁ。およそ信心とは縁遠くなった現代人でも、ナンマイダブは分かる。それにしても、解説でも挙げられていた『福音書』『対話篇』『法句経』『論語』といい本書といい、弟子たちの功績には尊敬と感謝……。
★16 - コメント(0) - 2016年10月7日

有名な9条の冒頭です。【「ナンマンダブ」と念仏をとなえても、躍り上がって喜んだりするような気持が、ちいとも湧いていけへんで、また、はよう浄土に行きたいいう心が湧いてけえへんのは、どないなわけかいと、そんなふうに思うとるんですと、ワテ(唯円)がおそるおそる聞いてみたら、「いやあ、この親鸞にもそないな不振があるんやけど、唯円坊も同じ心やったのか」と、いわはりました。】  
★2 - コメント(1) - 2016年9月30日

浄土真宗の開祖・親鸞聖人の言葉を、弟子の唯円がその死後に記録した『歎異抄』。聖人の教えが歪められ、異なったものになっていくことを憂え、歎じて、それを正すために書いたといわれる。その『歎異抄』を関西弁風の思いっきり砕けたスタイルで現代語訳した本書。「アホで悩みっぱなしのワテらは、いくら何をやったところで、悟りなんかひらけるもんかいな。それを見越してアミダはんが、可哀想なやっちゃ、こらあ、いっちょう救ったろかいなと、願かけしてくれはったんや。」……砕け過ぎ!
★49 - コメント(0) - 2016年9月29日

有名な悪人正機説が、なぜ「善人でさえ救われるのだから」という前置きで「悪人は言うに及ばず」なのか。現代語訳に触れてその理由が腑に落ちて、それだけでこの1冊を読んでよかったと思う。自分は仏教徒ではないし、まして他力本願の宗派の人間ではない。それでも、信じきれず不安に思うこと、これで良いのかと迷うこと、そんなネガティブな感情を抱えて生きる者こそが救われるのだというメッセージが、信心や悟りという枠を超え、”善人”にも”悪人”にもなりきれず何事となく弱気になったり挫けたりする自分を肯定してくれる力になる気がした。
★12 - コメント(0) - 2016年9月11日

古文とか漢文といったものが苦手なので現代語で読めてありがたい。口うるさい近所のおっちゃん。うちは真宗の一派だったし、浄土真宗は教えがキリスト教に似てると聞いて気になってたのだけど、中身を知るとなるほどという感じ。対象が違うだけで、本来の意味での徹底的な他力本願というか。なかなか興味深かった。
★3 - コメント(0) - 2016年8月20日

町田康を連想させる軽妙な関西弁に惹きつけられてほぼ一気に読了した。吉本経由でかねてから親鸞に興味を抱いていたのだけれど、確かに文庫本にして数十頁程でしかない本書を紐解くだけでも、その魅力の一端は十分に窺える気がした。とにかく難しいことは何もいらない、ただ「南無阿弥陀仏」を唱えることの重要性を繰り返しとく、その熱意には他の追随を許さないものがある。また、原文と付録の和讃も独特の魅力を感じさせるもので、繰り返し読み返したくなる。ただ、後に弟子たちは親鸞の思いと正反対の方向へと向かうという事実が皮肉だけれど。
★7 - コメント(0) - 2016年8月15日

古典、好きですか!?この歎異抄、なんと関西弁で訳されてます!なんとなく、入りやすかったです。
★1 - コメント(0) - 2016年8月10日

関西弁訳なのが面白い。黙読していても親鸞の説法を音声で再生しているような気分で、いつもよりゆっくりと読了。
★8 - コメント(1) - 2016年7月22日

関西弁風な口調にしたのは賛否両論あるようだが、読みやすく雰囲気を伝えていて良かった。元が漢文だったのは親鸞の時代にはその表記が一般的だったわけで、内容は唯円が親鸞の口伝を伝える章と対話篇からなっている。「100分de名著」でも指摘されていたが親鸞の語りには関西弁が含まれている箇所があったという。川村湊の解説にもあるように、親鸞の『教行信証』は論理的な思想を伝えるもの、『歎異抄』は親鸞の念仏者の体現としての口伝の無思想(言述的ではない口承文学的なもの?)を伝えるもの。
★11 - コメント(4) - 2016年6月6日

Me
原典はさるべき心得と感動。後記「聖人つねのおほせには…」以降誠心震える箇所にて、親鸞、藤井善信という嘗て生きたひとりの男の体温が感じられる。流罪後非僧非俗となる愚禿親鸞が語る歎異抄、聖語聖典ではない生きた苦悩の表現は煩悩具足の凡夫の私に突き刺さる。称名念仏即ち往生も歓喜踊躍とはならず、娑婆に囚われ煩悩に溺れる自分のままで良い、其れが信心によって救われるのだから。親鸞は落ちる陽を眺め思ったのでしょうか、火宅無常の世界はよろづのこと真実などは無く虚しい戯言が溢れる。他力本願にて。於無宿善機無左右不可許之者也。
★16 - コメント(1) - 2016年5月15日

独特な「読みにくさ」が、大きな魅力だ、逆に。「善え奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんはずがない」というように、歎異抄を関西弁風に現代語訳した本。解説に、親鸞は「無思想で弁証法的」とあるのを読んで「親鸞さんはどちらかといえばスポーツに近い」と、ふと思った。たとえば、走り幅跳び。必要とされるのは、頭よりもフォーム(状態)だ。1+1=2のようには理解させない親鸞さんは、どうも身体性を求めてくる。関西弁風現代語訳は身体的だし(訳者)、読みにくくて躓くのも身体的だ(読者)。これも親鸞システム。
★19 - コメント(2) - 2016年5月4日

今月のNHK『100分de名著』の課題本。以前、岩波文庫で読んでいたため、この関西弁のような訳には若干違和感があった。
★11 - コメント(0) - 2016年4月24日

これの読了に当たり親父に家の宗派を確認したら、うちは浄土真宗興正寺派との事。ここに書いてある事と坊主が説法する事がなんか違うなーとは思いましたが、ただ念仏を唱えよされば往生せんの宗派にもイロイロあるらしいです。…だいたい親父と話すと大なり小なり必ずなんか余計なこと言ってくるのですが、今回は「お前が死んだときにそっち行って処分するの面倒なんだから今のうちに本全部捨てとけよ」でしたね。先に私が死ぬのが前提ですかそうですか。その上本を捨てろと?…善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。トホホ…
★25 - コメント(2) - 2016年4月12日

以前対訳つきで原典を読もうとしてあえなく挫折した「歎異抄」。今更ながら再チャレンジ。「アホで無学なワテにも川村湊はんのアンキな現代語訳のおかげで、親鸞はんのゆわはったことがようわかりましたんや。同じ訳者の「梁塵秘抄」も思い切った訳やったけど、こっちの方がえらいこなれた名訳やと思いますで。この本は半分くらいが解説なんやけど「流罪目録」の重要性の考察とか為になりましたわ」こんな感じの関西弁の訳だけど、キッチュな試みに終わらず、訳者の真剣さが伝わってくる。このシリーズの中でも名訳のひとつだと思う。
★2 - コメント(0) - 2015年10月27日

インチキ関西弁による超訳の後には、原文と真面目な解説がついてきます。 教団としての浄土真宗に対する、訳者の感想はごもっともかと。現代語訳部分だけですと、50ページなので一度手に取って読んでみる事は短時間で出来ると思います。
★2 - コメント(0) - 2015年9月27日

関西弁風の訳がとても読みやすかったです。唯円の講演会があったらこんな感じかな。本文の末尾に流罪目録と奥書があり、法然や親鸞の生きた時代が生々しく蘇ります。信じるものは救われる、かどうかはあの世に行ってみないとわからないですが・・・。まあ信じられる人の方が幸せな気がします、ね。
★8 - コメント(0) - 2015年9月24日

親鸞とその弟子の唯円による作品。訳が関西弁風なのがいい。「仏を信じて、南無阿弥陀仏、と唱えれば極楽往生間違いなし。」でも、信じるのって難しいよね。極楽往生した知り合いいないし。
★3 - コメント(2) - 2015年8月23日

こういう本は理想は原典で読むべきなんだろうけど、まぁ無理なので新訳を選ぶとまさかの関西弁訳。五木寛之の『親鸞』を読んでからなので、なんとなく理解はできた。訳の種類も解説本もたくさんあるので、あらゆる角度から長く時間をかけてアタックしていきたいと思う。最後の解説はわかりやすかったです。
★7 - コメント(0) - 2015年2月23日

縁あって浄土真宗に興味を覚えたワテですが、まさかの関西弁訳とは。と、衝撃を受けたものの、関西人のお坊さんに先輩自慢?を織り交ぜながら愚痴られているようで面白かった。不条理なこの世界を生きていく上で、運命の悪戯から自分の力では自分を保つことができないような悲劇に襲われたとき、他力本願に象徴されるように、すべてを投げ出すことでとにもかくにも自分自身が救われるのであれば、宗教というものは精神の治療薬となりうる。私はいわゆる無宗教だが、いつか宗教を求める可能性を否定できないし、する必要もない。
★4 - コメント(0) - 2015年2月10日

はんなりとした関西弁で説く「他力本願」。大学ではキリスト教の教えと親鸞の思想を学び、最近では倉田百三氏の『出家とその弟子』を読んだので理解を深めることに。そしておかざき真里さんの『阿・吽』の最澄の思想で感じた違和感を改めて確認することにもなりました。出家したり、寺院に寄付して往生を頼むことができる人は少ない。では生活のために殺生をする人間は救われないのか。いや、そうではない。何年も心を伴わない修行をするより、一度でもいいから「救われたい」と真摯に願う。それだけで救われる。限界を知った上での救いが他力本願。
★32 - コメント(2) - 2015年2月3日

『歎異抄』を関西弁で読む。おそらく原典を普通に読むのとは別の感覚になるはずである。ある意味では刺激的な内容だ。人間というものを過信することなく、限界というものがあることを考えた上での思想だ。他力ということ。人間の絶対性を否定する。
★29 - コメント(2) - 2015年1月14日

評価:★★★☆ 浄土真宗の真髄をまとめた親鸞の弟子の著書。新訳ということで、口語的な関西弁で綴られているのが印象的。廻心や一向専修の思想について参考になった。仏から見れば、世俗的な善悪な基準はすべて空しい。
★2 - コメント(0) - 2014年4月15日

関西弁に訳された嘆異抄。2つのパートがあり、一つ目は衆生が往生を遂げるまで自分も如来にならないと誓ったアミダはんをただひたすらに信じるという他力本願を説く親鸞の言葉を聞いたままに書き残したもの。二つ目は題名の嘆異で、親鸞本来の教えとは異なる教えが巷に広まっていることを嘆くパートである。『「流罪目録」は誤って混入してしまったものではなく、受難の記憶をひたむきな信心の一つの類いない例として表現したものである』や蓮如の考察など解説で語られる訳者の考えもその頃を生きる人の思いが汲みとられているようで好感が持てた。
★12 - コメント(0) - 2014年1月17日

京生まれで、関東で布教をきていた親鸞が大阪弁で語る。江戸っ子としては、始めは面白かったが段々イラついた。しかし庶民的なイメージの親鸞像を表現する方法としては、否定しないけど。著者の論じる流罪目録が付記されている理由や歎異抄のテキスト自体を考察する記述は興味深いものがあった。親鸞の内面をあまりにも隠さず吐露した本書は、確かに蓮如でなくても大教団となった真宗にとっては、公にする書ではないだろうと思う。今の俺たちは理解できるが・・・
★3 - コメント(0) - 2013年9月25日

「嘆いてる感」がすごくよく出てる。まったく、やれやれだぜ、みたいな唯円の態度がうかがえるは、関西弁の訳文だからかもしれない。解説、特に「流罪目録」についての論考は楽しい。教団としての浄土真宗のあり方や、蓮如が歎異抄を筆写した理由などについて、想像力豊かに語ってて、梅原猛とか読みたくなった。
★9 - コメント(0) - 2013年7月5日

「不条理なるが故に我信ず」という哲学の自殺は、世界が蒙昧で狭いからこそ許されるという、そんな時代もあったことの単なる記録。
★2 - コメント(0) - 2013年6月17日

いつか読もうと思っていた「嘆異抄」。古本屋で眼があったので購入。この本は関西弁でそれはもう易しく訳してある。易しいと不信が出て来て、岩波とかで読まなあかんかしら、とか思ったりする。がしかし内容そのものが、あんたらどうせ分からへんのやから、ごちゃごちゃ考えんと南無阿弥陀仏言うときなさい。という事なので。(原典も載っています。)
★1 - コメント(0) - 2013年1月26日

関西弁風の口調でするすると読めてしまって、こんな読み易い歎異抄は他にないと思う。思うけど…おや?とひっかかりを覚えてしまうと考えてみると、さっぱり分からなくなる。それまでの滑らかさとの対比がとても面白い。
★2 - コメント(0) - 2013年1月25日

「他力本願」のほんとの意味。「いはんや悪人をや」の意味。親鸞の口伝の言葉だからってんで関西弁で現代語訳してみました。面白い試み。しかし活字で見る関西弁はそんなに読みやすいものものではない(笑) 親鸞て僧籍なかったんか。
★2 - コメント(0) - 2013年1月10日

歎異抄をなぜか関西語訳してしまった本(笑)。賛否両論あるが自分は結構好き。親鸞の思想は結構陽気なのかもしれない
★5 - コメント(0) - 2012年11月1日

『歎異抄』には数多くの訳があり差別化を図ろうとして本書に用いられている関西弁には賛否両論あろうが、これは個人的な好みの問題であろう、僕はそれほど気にはならなかったし読みやすいとも思わなかった。訳は兎も角として内容は面白い。何かしらの因果を期待しての修行善行を重ねても、それは煩悩を払うこととは正反対の行為であり、悪人がその因果を気にせず悪行を行う方が(仏教的には)マシだと言う。このような大胆な論を畳みかける。形式さえ守ればそれでよいうのかという親鸞の歎きが随所に表れ短いテクストの中に彼の思想が詰まっている。
★23 - コメント(0) - 2012年9月23日

役がおもろい
- コメント(0) - 2012年8月28日

歎異抄の 評価:100 感想・レビュー:63
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