わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫)

わたしは花火師です―フーコーは語るはこんな本です

わたしは花火師です―フーコーは語るの感想・レビュー(113)

人生にモラトリアムなんてないということかな。
★7 - コメント(0) - 2月12日

「68年から69年の冬にかけて、誰にも聞こえるように「私はマルクス主義者ではない」と公言することは極めて困難なことでした…。ヴァンセンヌ大学で総会やその他の会議に出席して驚いたのは、そこで起きている事態と、スターリン時代の絶頂期にフランス共産党で見聞きしたことが、きわめて類似しているということでした」「啓蒙とフランス革命が大きな結びつきをそなえていたために、この合理化と権力の関係を一般的な形で、現実的に深いところまで問い直すことができなくなっていた…宗教改革がフランスではドイツほどには成功を収め」なかった
★4 - コメント(0) - 2016年11月29日

話し言葉で書かれているため、本書と趣旨が近しい彼の学問的方法論を披露した「知の考古学」よりも圧倒的に読みやすい。何かペテンに掛けられた気がしないでもないのだが、フーコー入門のとば口としてはこれが適当だろう。「批判とは何か――批判と啓蒙」が本書のハイライト。カントの批判概念から知と権力との関係を説き起こしている。学術研究がカント読解からはじまっているところからするとフーコーの問題圏は実は狭く、18世紀にはじまった「人間」の成立とその崩壊がすでにカントのテクストの中で予見されている、の指摘は衝撃。
★1 - コメント(0) - 2015年11月8日

単なる支配・権力の方法暴露ではない。「批判の最初の定義として、この一般的な特徴、すなわち〈このような形で統治されないでいるための技術〉という定義を提案したい」(77頁)。統治の否定ではないが、「医療化の歴史」を読んでも、生活の全体主義へのレールが引かれているではと思ってしまう。これで他の統治というのは何をイメージしていたのだろうか。フーコーの方法論として面白さは何となくわかるが、ヴェーバーの呪縛を破壊しようとするような強さの思想はあるのだろうか。
★20 - コメント(8) - 2015年8月14日

『言葉と物』でフーコーが追求したという断絶の観念は、あらゆる場面で考える必要があることです。断絶を意識することは断絶が生み出された原因や過程だけでなく、断絶を隠蔽しようとするものへの視点をも与えてくれるからです。また、フーコーがディスクールを問題にするとき、そこには必ず権力や知への眼差しが含まれていることを再認識しました。
★1 - コメント(0) - 2014年12月1日

初フーコー。面白かったけど、やはり難しい。
- コメント(0) - 2014年3月13日

1)「自分」などというものは実はキリスト教的な告解の習慣などからつくりだされた権力との関係なのではないか、狂気(精神異常者)はつくりだされた、医療などは個人をミクロのレベルで統制するような国家(権力)装置でもあるのではないか…など、従来の常識では疑問さえ抱かないような物事を転覆するフーコーの斬新な思想が、インタビューをとおして平易に語られる。 とりわけ、自身の性的な側面、おそらく圧倒的なモチベーションにもなっていたであろうことに短く言及されている。
★1 - コメント(1) - 2013年12月4日

今までフーコーには挫折させられてきたのだけど、やっぱり難しい。「フーコーには許しがたいことを見抜く素質があった」とドゥルーズが評していたが、ほんとその通りで、権力にまつわる問題を分析する手法は実に鮮やかだと思う。しかし自分が哲学者じゃないって主張しているところが正直よく分からない。これがロラン・バルトなら納得するんだけれど。彼のやっている仕事の多くが哲学の外部からしかできないことだからだろうか? 統治されたくないという権力に対する批判的態度の一例として、神秘主義が挙げられていたことにははっとさせられた。
★2 - コメント(0) - 2013年6月3日

注にあるよう花火師より爆破技師が適訳に思う。歴史を読むことはOEDのように言葉の地層に埋もれたものを読む作業のように感じるためだ。掘り進む過程で時に爆破も必要だろう。アルシーヴされたものに触れるのならなおさらだ。17/18cの転換と生政治、分析するフレームとしてのエピステーメーと権力、批判することは相手の土俵に乗っているだけ、自動詞的性格をもつ文学と革命家(作家)、統治は霊的な技術からなること。兵士の価格という表現など労働力が国にとって何であるか。インフレ政策が進む今、入門書だからこそ気が付くことは多い。
★5 - コメント(0) - 2013年5月15日

 「私は花火師です」との言にたがわず、既知だと思っていた現実を見事に四散させていろとりどりに解体してみせる手腕は、見事でした。ただ、遠くで見ている観客にとっては楽しい見世物ではあるが、それを身近に仕事と信念にしている当事者たちにとっては、腹立たしい限りなのではないかと思う。本人も語っているように、自分が社会の闇の部分に属している感覚が、既在の秩序に対するこのような分析力をもたらしているのだろうか。まだ観客であるうちに、ほかの著作も読んでおきたいです。
★3 - コメント(0) - 2013年5月1日

『狂気の歴史』から『言葉と物』『知の考古学』『監獄の誕生』までの著作を書き継ぎ、理論と実践の両面において方法論の深化が果たされつつあった時期のフーコーによる講演集。過激なマニフェストに見えて「書くこと」への真摯な態度が伝わる「わたしは花火師です」。批判は〈統治されないための技術〉であるという「批判とは何か」。かつて病人隔離のための施設であった「施療院」が如何にして医療による完治を目的とした「病院」へと作り変えられていったかを素描する「医療化の歴史」。いずれも著述的な達成が先にあるからこそ、安心して読める。
★14 - コメント(0) - 2013年2月23日

五つの対話。花火師とあるけれど、注にあるように(閉ざされた空間に風穴をあける)爆破技師というイメージの方がしっくりくる。彼の著作の狙いは知と権力の関係性、それが時代によって違う原因はなにかという系譜をたどるものであり、既成の学問への疑問を投げ掛けていくものかもね。構造に風穴を空けることが狙いなのだから、構造主義者と呼ばれるのは甚だ不愉快だろう。常にシステムの外部、周縁の立場に立っているような印象を受けた。
★9 - コメント(0) - 2013年1月13日

自身のことを筆者は、「花火師(アルティフィシエ)」といい、「自分の書物が地雷であり、爆発物の包みであると考えています」(p.021)と吐露している。スパークする思想なのだろう。また、「権力は毛細管のようなごく細い管で構成されたきわめて密なネットワークで運ばれるもの」(p.045)という認識があり、評者もそのきめ細やかな存在に、改めて恐ろしさを感じる。
★2 - コメント(0) - 2012年5月8日

フーコー初期の講義やインタビュー集であり、フーコー自身によるものでは一番分かりやすいフーコー入門として楽しめる。わたしは花火師です、は梶井の檸檬をさらに深化させたような、概念と権力ネットワークへのテロリズム、概念の爆弾宣言として読めるだろう。梶井の檸檬爆弾もフーコーの哲学花火も、今いる世界の光景を一変させる破壊力に満ちている。フーコーの花火の方が身心、社会への効果もでかくて個人的には好み。今ある真理、知への批判とオルタナティブな真理のゲームの実践、自由、追究は初期から後期まで変わっていない
★16 - コメント(1) - 2011年11月6日

申し訳ないですけど、僕はフーコーが嫌いだったんです。まったく興味の向き方も違うし、どうしても好きにならない、というか食わず嫌いしていた作家。この講演集を読むとフーコーにちょっと興味が沸いてくる。なんで監獄だとか狂気だとかから彼は思考を始めるのか、そこがいまいち分からないところだったんですが、彼の問題意識は共有できた。講演集だけあって圧倒的な読みやすさ。二時間もあれば読めてしまう。それでいて彼の考え方の癖みたいなものが見て取れる、よく選ばれたテキストかと。たぶん、入門として最適か。
★11 - コメント(0) - 2011年10月12日

あとがきにあるが「ル・モンド」紙の哲学書評欄担当だったロジェ=ポール・ドロワの企画によって生まれたミシェル・フーコへのインタビューが二本収録されている。わたしは花火師です―方法について、哲学を厄介払いする―文学について、これまでの軌跡について。どちらもインタビューという形式を通して、ある種、「生」の声が聴ける。医療化の歴史、近代技術への病院の統合の二つはフーコのライフワークが大変わかりやすく描かれており、またさりげなくほかの研究も提示されていて、フーコ自身の独自性を相対的に見るうえでも親切かと。
★8 - コメント(4) - 2011年10月4日

対話・講演集。権力と知の結託への検証と批判、かつそれを可能にしたディスクールに含まれる知をすら「厄介払い」したいということで、だから線的でなく瞬間的な爆発を起こす花火師でありたいらしい。主体へのまなざしがニーチェと同じなのかな。後半、近代医療の発生に関する二講演は溜息が出るほど鮮やかで興奮した。あとでもっかい読む。
★8 - コメント(0) - 2011年8月12日

K森先生の講義を聴くばかりで実際に読んだことのないフーコー。(正確にいえば読もうとして挫折した。)「わたしは花火師です」はフーコーのスタンスがとてもよくわかる。「哲学を厄介払いする」「批判とは何か」は私の力量不足でよく分からなかった…。医療化の講義2つは興味深かったです。
★2 - コメント(0) - 2011年6月22日

フーコーの講演などをまとめたもの。「知の考古学」は挫折したが、この本は講演が中心なので分かりやすくて、フーコー入門に向いていそうだ。しかし、知と権力の関係を読み解く手法の価値は認めるが、全てが断罪口調に感じられ、読んでいてなんだか疲れる。
- コメント(0) - 2011年6月20日

わたしは花火師ですとか言ってみたいがなー。
★4 - コメント(0) - 2011年6月20日

制度や権力に抗する反操行のための試み。フーコーは、知や公共医療の裏に潜む権力性を、その支配領域外のディスクールを使用することによって、またその歴史を検証することによって顕然させる。「このように、彼らによって、このような代価を払っては、統治されたくない。」だが、その統治に抗するためには、自らがどのように誰によってどの程度の代価を支払って統治されているのか、を認識しなければならないのだ。
★6 - コメント(0) - 2009年10月25日

- コメント(0) - 2009年7月30日

読みやすいがやっぱり花火師というのがよくわからん。フーコーが思想史の概念にどんな手つきで接しようとしていたのかはなんとなくわかるような、やっぱりわからんような。
★1 - コメント(0) - 2009年7月18日

フーコーの書くことについての姿勢には感銘を受ける。精緻な論文やその緻密な思考からは想像もできないいわば「精緻さからの自由」という姿勢。一つのものに同居する相反するものとの戦い、懊悩。こうした記録が残っているのはありがたいことだ。
★8 - コメント(1) - 2009年4月21日

「うわまた中山かよ」的な「豪快」さ(というか何というか)。フーコーの思想の片鱗よりも、フーコーの考え方、道程を見るには良いかも知れない。だが、まずはフーコーの著作を一冊でも読んでから入った方が良いと思う。中山は信用ならない。
★3 - コメント(0) - 2009年3月3日

70年代までのフーコーの著作へのわかりやすい案内。特に医療の近代化に関する、二つの講義が(そんなに大雑把にまとめてホンマかいな?と思いつつも)非常に面白かった。
★3 - コメント(0) - 2009年2月21日

フーコーの著作を読むために外堀を埋めよう企画の、最後の本。そろそろ、『狂気の歴史』にでも挑みますかな。/本作自体からも、重要な“考えるための枠組み”をいくつか得られたので、非常に満足です。ちくま学芸文庫は基本的に高いけど、この内容ならそんな値段でもいいかな、という気にさせられてしまうという罠。
★2 - コメント(0) - 2009年2月5日

書物が爆発物になることを夢見る
★2 - コメント(0) - 2008年9月17日

4篇のインタビューや講演から。難しいがとても面白い。批判について。フランス人作家の皮肉で逆説めいた語り口は読者をうっとりさせる。権力と知、啓蒙。
★3 - コメント(0) - 2008年9月11日

★★★
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