と結論する。高位貴族は蔭位制度によって、親が高位、例えば五位以上の貴族に補任されれば、子供もそれに準じて初任で七位等の位階を授けられ、三位以上の公卿であればその子は五位前後から補任された。そのため女官達も中央貴族出身者であればある程初任は高い位が任じられたが、逆に、実は皇族も基本的には宮廷に勤務を課さられたものの、特に目覚ましい評価がないと無位のままに留め置かれる事が多く、平安初期ですら無位の王や女王が多数居たらしい。日本霊異記が成立する九世紀の段階で「貧乏王族」が多くいたようで、当時多く行われた
天皇の屋敷への御幸に官人や調度類の不足に難儀する女王の姿が見える。こういった高位貴族や皇族達への勤仕も女官達や男性官吏達の役目であり、これが平安時代半ばから特定貴族家と結びつく家司や宮廷内外で活躍する女房達に繋がって行くという。 まだまだ読み込みが浅いが、飛鳥時代から律令制が敷かれるその後期末期、奈良平安時代半ばまでの「女官」から「女房」成立までの流れが、何となく把握できた次第だった。
ここから奈良まで旅立った、、あるいはここに帰ってきたりしたのかな。。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%A2%E5%AE%98%E8%A1%99%E9%81%BA%E8%B7%A1
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