あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生

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あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生の感想・レビュー(152)

フィクション論というよりは、書く/読むという観点による作品批評といった内容。『屍者の帝国』をフィクション論として読み直すという趣向は大変なっとくいったし、感動した。
★1 - コメント(0) - 3月7日

そもそも文書の存在は作者の想定こそ判を押したように当然だが肝心要な所では「読まれる」という契機が必要なのであり読者の存在は抜けず、もしその契機がなかったならその文書は実在しない。作者ばかりが偉いという違和感があれば、読者の方の権威を強化しようという向きにも違和感を持てる。そうした違和感の調停をメタフィクションの趣向でどうにかしようにも強調されるのは作者ばかり…と思いきや反撃の嚆矢も放たれたりするイエーガー。表現の実在が〈読者=他者〉を以て成るにも関わらず、〈作者=自己〉へとメタメタしててはアナクロニズム?
★13 - コメント(0) - 2月2日

新年一発目。ざっくり言うとメタが「作者」を強調させるなら、パラは「読者」を意識させるというものか?理解できてるか分からないけど(多分あまり分かってない)、とりあえず伊藤計劃と円城塔を読めばもっと理解が深まるかな。読み返してこれからも考えていこうと思う。
- コメント(0) - 1月4日

ちょっと期待しすぎてしまった気もする。藤野可織の『爪と目』辺りの論評は、横光利一の四人称あたりを思い出すのだった。
- コメント(0) - 2016年11月12日

メタ的構成が、むしろ作者の存在感を弥増すという批判は共感できる。あとは、この本というより、引用されてる『未知との遭遇』『ニッポンの思想』(同著者)の問題意識に共感できた。『ゲーム的リアリズム』的「現状肯定」が、現実には「現状甘受」に堕していること。「メタ」さえ無害な自動化した方法に変じてしまったこと。(でも、本書ではそこを掘り下げてくれない。)筆者は「パラフィクション」に期待してるけど、私は、それさえ近い未来に過剰消費されて自動化するように思え、期待をもてないのですが。
★2 - コメント(3) - 2016年10月27日

個人的にはあまり完成度の高いとは思えなかった『虚人たち』「メタ・パラの七・五人」に関連する書籍。確かに筆者のいうようにメタフィクションというのは翻ってその「虚構性」を強めてしまう、という指摘にはなるほどと思ったものの、そこから敷衍される「パラフィクション」の概念については円城塔の作品の実例以外イマイチピンと来ず、それに読書中に読者にできることといえば「読むこと」以外にないのだから、そこからどこまで話が広がっていくのか、どういった文学的可能性が内包されているのかそこまで期待を持てなかった。
★8 - コメント(0) - 2016年7月14日

筒井康隆の短編中で直接参照されていたので、慌てて読了。いくら虚構の「虚構性」を言い立ててみせたところで結局は「作者」の特権性を強化してしまう「メタフィクション」(「わたしは今、この文章を書いている」)から、なにはともあれその文章を読んでいる「誰か」に寄り添おうとする「パラフィクション」(「あなたは今、この文章を読んでいる」)へ、というお話。後者の主軸として論じられるのが円城塔と伊藤計劃、といわれると「まあそうだよな」という感じだけど。現在、メタはすでに「ネタ」であり「ベタ」である、という問題意識には共感。
★18 - コメント(0) - 2016年7月4日

メタ的な要素の強い作品はそれほど惹かれなかったことや、伊藤計劃作品を読んだ時の合わない感じみたいなものが、わかるような内容だった。物語の「語りの責任」の所在、みたいなことについて伊藤氏の話が挿入されていて、その辺りからして、自分の物語観とは相容れないことははっきりとした。
- コメント(1) - 2016年3月21日

佐々木さんには是非ブックガイドを執筆してほしいなあ。
★5 - コメント(0) - 2015年11月12日

これほどエモーショナルな内容だったとは……! 映画『屍者の帝国』を観た直後から読み始めたと云うのも、ある意味では実に運命的と云えなくもないか。長いこと積んでいた『未知との遭遇』も読まなくては!
★1 - コメント(0) - 2015年10月16日

メタフィクションかもな。読者を作中人物に起用する小説ね。往復書簡のような形式もありね。書き手が互いに読み手なんだし。でも小説全体の読者ってことにはならない。作者の分身として部分的に読者になっただけか。記憶や思い出す、連想することで記憶の変容をプラスαして虚構を創る。物語と創造的主体の関連で言っても読者をも含んだ世界へ主体的に介在する。多分、想像力という主体的な意識の意志によって。願望や欲望それから快楽のような切実性が物語を推進させるだろう。伊藤計劃の下りは感動した。リアリズムとフィクションの関係とか、いろ
★1 - コメント(0) - 2015年10月8日

伊藤計劃評が読みたくてレンタル。なるほどムズい!昔の講談社ノベルズ作品みたいな、万能の神たる作者の存在を強く匂わせる「メタ」な物語に対して、最近のハヤカワSF作品みたいな、読者というあなたの存在を意識させる「パラ」な物語ってのがあるよねー、という内容(たぶん)。竹本健治や舞城王太郎といったメタミステリを考察する部分は「うーん?」だったのに、話が伊藤・円城論になった途端に「わかるー!」ってなっちゃう俺はだいぶSF脳。またひとつ世界の見方が広がった。
★4 - コメント(0) - 2015年9月4日

2部の途中から、感動だけが先走ってて、いまいち論旨が分からなかった。円城塔、神林長平の流れは、リアルタイムで読んできているので、感覚は十分分かるけれども。 今の最先端のSFは、パラだけどすでに読む人が人間じゃなくなって、生成も読むのもコンピュータになって勝手にブートストラップしてシンギュラリティおこしてる物語なのかな?
★1 - コメント(0) - 2015年6月14日

メタに凝ると読者は作者の存在を意識してしまい、それは駆使される技巧への感心であったり書いた人がいるんだと考えなきゃ付き合ってられないよという呆れだったりするのでしょうが、こういう状況って人以外が小説を書くようになれば少しは変わってこないものかと淡い期待を抱きました。とりあえずでいいのならば、そういう環境を小説内に立ち上げその中で何かを書くことで近いことができると思うのですが、それってSFの得意技ですよねとなり納得
★2 - コメント(0) - 2015年5月16日

作者やフィクション性を強調することが多かったメタフィクションから出て来た新しい潮流、読者の能動的な「読み」が解釈の可能性を増やし、一つに特定されない小説をパラフィクションと名付け、その誕生とこれからを想像しようとするもの。確かに、作中に更に作品があるようなメタの話は、面白いけれど不毛に感じたり、飽きたりすることも多い。虚構の虚構らしさに魅力を感じなくなるというか。作中に何層もの作者を配置するのではなく、何層もの読者を置く。誰に向かって書いているか分からないところが穴になって、閉じた入れ子ではなくなる。
★7 - コメント(0) - 2015年4月11日

図式的な整理を期待するとあてが外れる。読者の「読み」の可能性の中にパラフィクションを見出すのならば特段新しい概念ではないとの見立てがあるが、佐々木敦は徹底して「技法」の問題にこだわって論じていて、いきおい話が錯綜してきて読んでいてよく分からなくなる箇所もあった。しかし、その「分からなさ」も含めて実に刺激的。知らない小説が次から次へと紹介されます…。
★4 - コメント(0) - 2015年3月13日

【BOOK(2015)-042】!!!!!!!!
- コメント(0) - 2015年3月9日

ちんぷんかんぷんなところもあったり刺激的なところもあったり。屍者の帝国についての記述は、この作品には仕方ないことだけれど、作者二人のこと、完成に至る経緯等を作品と同等に扱った分析に思えた。作家論でもないのに作品単体だけで分析しないことに違和感があったけど自分が不勉強なだけかも。一人称の小説を読むと、この語りべはいつ誰に語っているのか、なぜこの主人公はプロの作家並みの文章表現ができてるのか? とよく疑問に思うので個人的にはその辺をもっと掘り下げてほしかった。理解不能な部分は多かったけど楽しめた。
★2 - コメント(0) - 2015年2月9日

アドベンチャーゲームブックってありますよね。「はい」を選ぶ→10ページへ進む、「いいえ」を選ぶ→15ページへ進むみたいにして、最終的にそれぞれの結末に至る本。パラフィクションって、それを小説という形式にまとめ上げたものかなと思いました。あれは能動的に読まれなければ成立し得ないから。私の愛する寺山修司は、『幸福論』の中で、「走りながら読む本を作りたい」と書いているけど、この能動性こそパラフィクションの本質なのでしょうか。あと、なぜかバークリ僧正の「存在するとは知覚されることだ」というお言葉を思い出しました。
★11 - コメント(1) - 2015年1月21日

gu
あとがきで「青春の書」と呼ぶ前半部、著者自身偏愛もしていたメタフィクションと称される小説群を批判的に分析したところが特に読みごたえがあった。巡りめぐって「作者」の地位を強化してしまうメタフィクションとは異なる、「読者」「読むこと」に軸を置いた「パラフィクション」の可能性を打ち出すのが後半部だが、それは早々と達成されて残りは伊藤計劃を中心にした作家論に終始している気がする(それはそれで面白いが)。メタと同じくらい古いというパラの文学史も見てみたかった。
★7 - コメント(1) - 2015年1月10日

書き手と作品の関係が焦点だったメタフィクションから、読者の「読む」という態度が焦点になったパラフィクションへ。読者が「文章を受容する」のではなく、読み方を通じて積極的に作品に介入していき、著者はその解釈の振れ幅を余白として用意しておいて、自由な読み方を許容していく。著者二人の荘厳なまでに感動的ないちゃつきである『屍者の帝国』を通して論じられた、「わたし」と「あなた」と「読者」、そして「著者」の距離感が、振り返ってみれば本書全体にしっかり通底している。
★5 - コメント(0) - 2015年1月3日

SFマガジン連載時にほぼ読んでいたと思うけど、改めて読む。面白いんだけど、難しい。読み終えても何か判ったという気にはならない。もとより結論の出るような内容じゃないんだろうけど。「誰かが昨日この文章について語っていた」「わたしは明日この文章を書くだろう」で三部作にして欲しいな。
★4 - コメント(0) - 2014年12月28日

Yu
タイトルだけで読む本を決めるとこういう目に遭う。何を言っているのかさっぱりわかんねぇ!と本を何度か投げたくなったが、図書館から借りてるので投げるわけにもいかない。使われている言葉が難しく専門的で、とはいえ辞書ばかり引いていては流れが掴めんし。そういう専門家が読む本なのかもしれないが、作者はかっこつけてないでもう少し分かりやすく書いてみてもいいのではなかろうか…。面白そうな小説を発見する手がかりにはなった。
★2 - コメント(0) - 2014年12月27日

「あなたは今、この文章を読んでいる。」あらゆる文章にとっての現在、現実世界と作品内世界が接続可能になる時間とは、読者が正にその文章を読んでいるそのときである。
★4 - コメント(0) - 2014年12月26日

チラと見かけて、もしやと開いてみたら案の定伊藤計劃/円城塔論考だった。パラフィクションなるものの要旨はイマイチ掴めなかったけど。
★2 - コメント(0) - 2014年12月19日

駆け足ですが
★1 - コメント(0) - 2014年12月13日

「書く/書かれた」を意識したメタフィクションの小説から、「読む/読んだ/読まれた」を意識したパラフィクションの小説へ。ドン・キホーテから筒井康隆、舞城王太郎、そして円城塔へ。
★5 - コメント(0) - 2014年12月4日

s
伊藤計劃とか円城塔とかをくどくどと。やはり読まねばならないのか。
★1 - コメント(0) - 2014年11月28日

あ、これ円城さんのヤツじゃね!?と思って安易に借りました。著者にジョジョ6部のキャラクターを実体化する能力のスタンド、ボヘミアン・ラプソディーのこととか、「あなたは今、この音声を聞いている」という音声のこととか、質問をぶつけたらどんな説明がくるんでしょーか。
★3 - コメント(0) - 2014年11月20日

前座のメタフィクションについての解説は、長いし、意味がよくわからないことも多かったが、それなりにおもしろかった。逆に、肝心の本題のパラフィクションについての評論は層が薄い感じだった。パラフィクションにとって大事なのは「今誰かが読んでいる」ということだという。円城塔の『Self‐Reference ENGINE』はそのことを意識した小説だそうだ。わたし自身がこの小説を読んだ時に感じた「作者不在」という印象は、あながち間違っていなかったということか。もう少し考えたいテーマだ。
★4 - コメント(0) - 2014年11月20日

「メタフィクション」を本格的に論じた本。やや難解な部分もあったが、竹本健治、舞城王太郎、円城塔など馴染みの作品が採り上げられているので興味深く読めた。そして筒井康隆の凄さ、特に『虚人たち』の前衛ぶりに改めて感嘆した。
★5 - コメント(0) - 2014年11月19日

主張はすごくストレートで、前から知ってたよってくらいシンプル。だけど読書の仕方がすっかり変わるほど勉強になる。私は読者が文章を読むと脳内に文章でも読者でもないものが再生される魔術的な仕組みにすごく不思議を感じていて、それはボルヘスのような幻想文学や飛浩隆みたいなSFから教わり、ダンセイニを読んだときに実感してきた不思議だが、本書を読むと読み方によってそれは獲得できることが、つまり読書とはすごく能動的な行為であることが分かる。面白い本を探すだけでなく、面白い読み方によっても価値ある読書体験ができるんだな。
★3 - コメント(0) - 2014年11月6日

面白かった!意識、同一性、他者言及。私は誰に語りかけている?あなたはなぜこれを読める?「言語」という存在を軸とし、フィクションを通して哲学する。私にとってはそんな本でした。メタ好きにはたまらない。
★3 - コメント(0) - 2014年10月25日

あなたが今この文章を読んでいる、と書いてある文章は必ず今読まれている、という話から出発してるけど俺は別に今その文章を読んでないし今読んでない文章について今こうして書いてるし今こうして書かれている文章を今あなたは読んでいるけど今読んでいるあなたはさっき読んだ今読んでいるを今読んでいないのか? つまり読者を軸足にしたパラフィクションという概念を打ち立てるために「今」に拘泥する必要は全くない、と言うかそこで「今」を導入することは別の超越性を導入してしまっているんじゃないか。まあこの本で立てられた問題自体には可能
★4 - コメント(1) - 2014年10月16日

うぅーーーーンンン、という感じ。着眼点と問題意識はすばらしく、僕も元々興味のあった点であった。しかしメタを論じる文章ならある程度複雑なことになるのは覚悟していたとはいえ、想定以上に雑然とした印象の前半助走部分、そしてジャンプする後半は「え、確かにすごい飛んだけど、これ助走と関係なくね?」という感がなくもなく。「序説」だというからには、確かにこのタイトルを記した時点で一定の達成があるとも見るべきなのだけれども。後半は「よくわかる円城塔」というサブタイがついてもいい内容だった。今後の発展を期待していいのかな。
★5 - コメント(0) - 2014年10月12日

興味深い着眼点と論旨だが、最後は急ぎ足になった気も。この著者の本は好奇心をくすぐる。
- コメント(0) - 2014年10月11日

ところどころ言っていることの意味が理解できなかったけど主軸となる論考は明快で素晴らしいと思った。
★1 - コメント(0) - 2014年10月8日

作者あるいは書くことの専制から読者あるいは読むことの可能性の探求へ。
- コメント(0) - 2014年10月6日

メタフィクション好きであるならば、好きになる一冊。メタフィクションの定義と用例を丁寧に採取しながら、テクストの虚構性の強調や階層性の追及は(韜晦を意図しようと) 現実の作者への注目を生み、作者の支配的な役割を露わにしている。パラフィクションは読書行為への注目を生むことで、テクストと作者の関係を一層意識させる(円城ではテクストの擬人化と言えるような事態があるのが愉快)。メタとパラは書かれていることと読まれていることの対立であり、後者は読者に対して能動的な役割をあたえている。久しぶりのあつい読書で良かった。
★1 - コメント(0) - 2014年10月5日

pon
自分が書かれたものであることに気づいているのがメタフィクション。そのなかの、自分が読まれていることに気づいているテクストのことをパラフィクションと呼んでいる。円城塔の読み方がなんとなく分かったような気がします。
★3 - コメント(0) - 2014年9月23日

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