形式:単行本
出版社:青弓社
すると、その反論として最初に考案されたブルマーは肌の露出が無いものであったということが紹介されるようになった。 どっちの議論にも巻き込まれたくなくて、真相を知りたいと思っており、この本を読んだ。
ブルマというのは、最初にちょうちん型ブルマと呼ばれる、裾がまとまっているものが主流だった。密着型ブルマの普及の背景には、中学校体育連盟が資金を得る為に全国中学校体育振興会を設立し、そのシンボルマークの使用権を独占的に与えることと引き換えに必要な資金の提供を受けることになったことがあるとのこと。
教授は調査をはじめてすぐに壁にぶつかる。・・・近隣の教育委員会へ問い合わせてみた。本題に入ると相手の口調は怪訝さを帯びてきて、「いわゆる、ちょうちんブルマーから、ぴったりブルマーに変わっていった状況をしらべているのですが・・・」と説明をはじめると、あからさまに、こちらの素性と目的を疑う様子が伝わってくる。唐突に電話を切られたこともある。失礼な話だ。だいたい、教育委員会にしても、人から訊かれて不愉快になるようなものを導入して、三十年も積極的に維持してきたのか。疑問はますます募る。 ・・この先生、好きだなあ。
小学生時代にぴったりブルマーを履いていました。当時はそれが当たり前だと思っていたので、気にすることもなく過ごしていました。「はみぱんしてるよ」と女子同士で教え合っていたのですが、さすがに指摘されると恥ずかしいので細心の注意を払っていましたね。ちなみにスカートめくりが大流行中だったので、ブルマーを履いて対策していました。
私は県境をまたぐ転校を何度かしたのですが、どの地域でも密着型ブルマーを履かされていたので、学校の女子体操着は密着型ブルマーしかなかったのでしょう。 もし、転校先の地域の学校でハーフパンツタイプを採用していたら、密着型ブルマーが普通ではないことに気が付けたのかもしれません。 生徒間では評判が悪かった密着型ブルマーが30年間採用され続けたのは、密着型ブルマーしか選択肢がなかったからだと思います。↓
現在では「密着型ブルマー≒エロ ∴セクハラ」のような図式になり、学校から駆逐されてよかったね、としか感想はありません。 シンガポール日本人学校の女性体育教師が百貨店経由で密着型ブルマーをわざわざ取り寄せてまで女子生徒に着用させたのは、生徒に対する支配欲からだと思います。
「みゆき」では女子高生のセクシー写真コンテストで盗撮された女子がスカートの中の写真を撮られないためにブルマを履き、男子学生は憎々しげに「ブルマなんか履きやがって」と言い出す。(ブルマの性的まなざし+二重穿きまである)今ではこんなとんでもない描写はできないが、過去のヒットした少年漫画では当たり前にあったのだ。あだち充とブルマでこの話が引用に出てこないとは、ネタの使い方が恣意的なのではないだろうか。(そんなの覚えてないとか知らないとか…?)
私の通ってた小学校は平成になってもしばらくはブルマーでした。
確かに感情論が多い本ですよね。東洋の魔女に憧れたのはウソだったとか、ブルセラの時代を知らなかったのでは?なくなった時は急ではありましたが、残っていた学校は10年くらい需要ありましたから。憧れていた女児も数は明確ではないが、アタックNo.1のアニメの影響等でいたのは確かです。表紙が表紙だから書店の店員にはなかなか頼みづらい本です。アダルトショップで頼むのとわけが違うジャンルだから。本当にメーカーと学校の共謀でブルマーを売らせたのか?本当にそうならそこまで売れないはずだし、今も陸上用のブルマー増えてますしね。
コメントありがとうございます。ハイレグって受け入れられているのでしょうか?強制的に履かされるとすれば、ハイレグもブルマーと同様に拒否される気がします。そのため、白と紺色のデザインで目立つからではないと思います。
コメントありがとうございます。ハイレグば受け入れられてますよ。実際に嫌なら穿いてないでしょうし、制服のスカートもスボンになるでしょう。
現在「ブルマー」で検索するとなんと真っ先にこの本の紹介記事が出てくる。新たな「定説」誕生の気配がするが、しかしもちろん批判的に論じるべき点は残っている。
また、「密着ブルマー」が普及した背景にはパンツ二枚穿きという戦前からの風潮も影響していたらしい。そして、一気に廃れた背景は一般的には80年代後半からの投稿写真誌の登場と、90年代のブルセラブームで性的なまなざしが当てられていたことが、「公然の秘密」をやめ、「女子中高生の身体とブルマーは性的な対象であることが白日の下にさらされた」ことが一因。また同時に「セクハラ」という概念が日本で浸透し始めた時期に当たり、学校がブルマーを強制するのはセクハラではないかという見方が広まり、一気に廃れたようだ。
この本の後半に書かれている戦後日本の「純潔教育」、地下水脈としての「婦徳派」(女性の四徳:女性らしい挙措動作、しとやかで慎み深い言葉遣い、清楚な身だしなみ、家政上の諸技術を身につけること)、「女子学生亡国論」といった話も興味深かった。50年前の日本は新憲法下で男女平等のはずが、現代から見るとおよそアナクロニズムな議論が堂々出版され、まかり通っていたことに驚いてしまった。
読んでいくと「目から鱗」の連続であり、非常に愉しめた。ブルマー消滅の事情を男性側からの(性的な)まなざしの問題のみに帰せず、当時の日本社会に定着しつつあった「セクハラ」という概念と絡めている点も◎。普及や消滅の過程には日本人的な同調圧力(事なかれ主義)も少なからず働いていそうだが、そこを明文化しようとすれば日本人論になってしまうし、難しいか。個人的に、機能美を追求しながら次第に露出を多くしていく女子体操着の歴史は、旧世紀的な進歩思想とある程度までは繋がりがあったのではないかと考えたり。
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すると、その反論として最初に考案されたブルマーは肌の露出が無いものであったということが紹介されるようになった。 どっちの議論にも巻き込まれたくなくて、真相を知りたいと思っており、この本を読んだ。
ブルマというのは、最初にちょうちん型ブルマと呼ばれる、裾がまとまっているものが主流だった。密着型ブルマの普及の背景には、中学校体育連盟が資金を得る為に全国中学校体育振興会を設立し、そのシンボルマークの使用権を独占的に与えることと引き換えに必要な資金の提供を受けることになったことがあるとのこと。