形式:単行本
出版社:青弓社
6章「同じ女性」ではないことの希望 P.156 インターセクショナリティとは、複数の差別が折り重なる、限られた特別な領域への着目を促す観点ではない、ということができるだろう。(中略)いわばより周縁化された、より少数派の集団へと商店を絞り込み続ける作業ではない。
そうではなく、黒人の経験というときに視野から外されがちだった黒人女性の経験を、男性の黒人の経験とは異なる、しかしあくまで黒人の経験として扱うことを養成するのが、インターセクショナルな観点である。その意味では、インターセクショナルな分析とは、焦点を絞り込む作業等よりは、これまで注意深く視野から外されてきた部分までを視野に収めるように焦点を絞り直して視野を広げていく作業だ、とも言えるかもしれない。
のあり方が浸透しているとも言えない。それらを地続きの、アイデンティティを構成する各要素なのだとする発想がないと、杓子定規な対応に終始してしまう。セクマイであり障害者、外国人でありセクマイの人がいたらどう対応するのか?ということですね。本章では晴眼者である学生たちが視覚障害者向けの音声ガイダンスを作成するという事例が取り上げられているが、面白いのは学生がそれを通じて「晴眼者と同等のサービスを提供する」という保護的な視点を相対化できたという話。「健常者並に」という発想は普通に出てきやすいが、それがいかに危うい
ものか身をもって体感したって話。全体的にかなり面白く勉強になった。D &Iや多様性といった耳障りのいいものには注意しましょうっていうのは本当にそうだな。資本主義は何かとファッショナブルでかっこいい装いで我々を籠絡しようとしてくるからなあ。「誰にとっての」「誰によっての」という視点は常に持ち続けていたいです。
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