名人伝(Kindle)

名人伝の感想・レビュー(120)

いい小説家はプロットのしっかりした素晴らしい主題の小説を書く。しかしそれは所詮書いて書いているだけのこと。さらに凄い小説の名人ともなれば、もはや何を書いているかわからない、書かずに書くという領域にくる。さらに凄い大名人ともなれば、小説ってなに?という域に達する。
★5 - コメント(2) - 2016年11月26日

これと「文字禍」とは笑ひ話だと信じてゐる。
- コメント(0) - 2016年11月18日

本当はすごく深い話なのだろうけど、コントみたいで面白かった。甘蠅が合図すると打ち合わせ済の鳶が落ちてくる仕組みだと思う。
★5 - コメント(0) - 2016年11月3日

弓の名人の物語り。道を極めた末に辿り着いた境地は、一切弓を引かない事であった。気の迫力と云うことが語られる。
- コメント(0) - 2016年8月14日

短くても深い話だったけど、主題は名人の至る境地なのかむしろ名人への皮肉なのか判断がつかなかった(おそらく前者だけど)。中国の故事が元みたいだけど、紀晶と飛衛の殺し合いの直後の邂逅に対する解説等、できるだけ読みやすくはしてあった。ある漫画で「漫画を描いていると、いつしか自分と他人との境すら感じられなくなってくる」というようなことを言っていたけど、この話の場合は射(弓矢)を通してそうした一体化の境地に至るということだろうか。しかし、素直にそう受け取るには何だか狐につままれたような感じがするというのも事実。
★7 - コメント(0) - 2016年5月20日

これも大好きな作品。名人とは何か?その道を極めた人とはどんな人か?という事をテーマにした文学作品だと思います。やっぱり何度読んでも印象的なのは、主人公の修行と、弓ではなく目で鳥を射落とす山上の名人と、修行の果てに弓の名人となった主人公が弓の存在を忘れてしまったという事。山上の名人については、修行の果てに名人となった人間の中には理屈では説明ができない域に達してしまう人がいることの比喩と思った。弓の存在を忘れてしまうというのは、仏教の悟りの境地を連想した。修行時代については、どんな人にも通用する教訓だと思う。
★31 - コメント(0) - 2016年3月31日

李陵・山月記をものせし漢籍の碩学たる中島敦先生が超短篇なり。夭折なかりせば、玄人受けせしかかる作品を多く読みしものを。弓聖・紀昌が如き達人に近づきたし。
★39 - コメント(1) - 2016年2月10日

「弓は?老人は素手だったのである。弓?と老人は笑う。弓矢の要いる中はまだ射之射じゃ。」弓の技を極めると弓さえいらなくなるという。いわゆる不射之射。老人は弓矢無しで見事に鳶を落とす。あまりの破天荒さに超能力?と笑ってしまうところもあるけど(弓の決闘で双方の矢同士がぶつかって地に落ちるとか、的に百本矢を射ると、矢に矢がささり一本の矢のようになるとか)、簡単に感想をかけない部分に本当の意味があるんじゃないかな。何かを真剣に上達しようとするとき、この本の部分部分をふと思い出すような気がする。
★24 - コメント(1) - 2016年2月9日

弓の道を極めようと志した主人公はいわゆる「スポ根」的な鍛錬を徹底し、やがて弓の達人となった時には弓の概念すら失う域に達するという物語。そんな一連の流れを受けたラストで描かれる周囲の反応が滑稽で、これこそがこの作品の核ではないかと思ってしまう。
★5 - コメント(0) - 2016年2月1日

紀昌という弓の名人のお話。究極の弓の名手は弓という概念すら超越するということらしい。
★3 - コメント(0) - 2015年10月8日

初出1942(昭和17)年。 伊坂幸太郎さんの『アイネクライネナハトムジーク』に出てきたので読んでみました。 弓の達人の話で中国の古典を題材にしているようです。 教科書でお馴染みの『山月記』と双璧を成すとか、禅の価値観云々。一朝一夕には語り尽くせないほど奥深い作品ですが、達人を目指す男の日々の鍛錬がスゴ過ぎて笑えるし、最後のオチもめちゃくちゃ利いていて単純に面白い話という解釈でもいいんじゃないかと思います。 あのさぁ~俺ぐらい奥儀を極めると・・・などと語ると周囲も和やかになるのではないでせうか? ★4
★16 - コメント(2) - 2015年7月16日

道を極めた先にあったものは、虚無だったような、ふわふわした読後感です。ちょっと滑稽な訓練や、師匠との対決に惹き込まれました。名人って孤独だなぁ。
★20 - コメント(0) - 2015年6月28日

中島敦の作品で一番好き。もっとも中島敦の作品は数篇しか読んだこと無いけれど。
★4 - コメント(0) - 2015年6月17日

名人と言われるような人間になれたらいい。そう思うのだけれど、実際の私はそんな存在には遥かに遠い。私の心は落ち着きなく、鼓動よりも早い揺れ動きにより、安定と不安定の間を行き交っている。では、そもそも名人とはどんな人間を言うのだろう。 中島敦は名人へと育つ若き者の姿を描いた。若者らしい焦燥を抱いた紀昌は弓の名人を目指す。厳しい鍛錬の末に知るのは、弓を用いずに対象を射る、不射の射であった。それは焦燥も欲も乗り越え、世俗に惑わされることもなく、コメントに続く
★4 - コメント(2) - 2015年5月21日

『草子ブックガイド』に『山月記』と併せて言及があったのでこちらも再読。弓の初心から名人になり評判を博すまでが、早送りのように書かれているんだけど、達人ぶりのどの段階もスポ根的なギャグ漫画のようでテンポのよい可笑しさがある。家族を排除した物語って青春っぽいんだね。呑気な読者としては師匠と互角になったくらいで十分そうな気もするけど、まだ名を求めることやまずにあんなことにまでなるとは。武力行使をしないのが最高の武力、ということもあるだろうけど、名と実力、そんな二択問題は年齢不問でやっぱり青春の薫りがするな。
★18 - コメント(0) - 2015年4月30日

再読。目的や目標に向かって進むのは半人前であり、これらがない状態で在ることができるひとが名人であるとする考えを皮肉っているように思う。目標がなければ、そもそもそこへ向かおうと思わないし、できないだろう。とりあえず何をするにしても、結果的に達成できるかできないかは別として、小さな目標を持っておこう。達成することでそれについて取り組み、考えることをやめないように気をつけたい。これでいまは十分。
★23 - コメント(0) - 2015年4月27日

それを名人と言うのかよっていうイジワルな視線がいい。
★3 - コメント(0) - 2015年4月16日

弓の名人になるべく師の教えに従い修行、ひたすら修行。師との撃ち合いは痺れたかな。その師との戦いは、2人も名人は要らないという身勝手な感情。更なる高みへ師は紹介するのだけど…。
★2 - コメント(0) - 2015年3月8日

教科書で読んだ山月記から中島敦は気になる作家でした。そのわりにはあまり、作品を読んでないのが恥ずべきところです。主人公の紀昌の修行の様子の一心ゆえのばかばかしさすら感じるありえなさ。 最後は道を極めた故それ以上求めるものがなくなったから弓をも求めなくなったということなのか?そしてこんな紀昌を実質養い、突拍子もない修行にも付き合った妻もすごい人では。
★1 - コメント(0) - 2015年1月20日

最後に弓をしまったままにするというのは2つの解釈が導かれると思う。1つは、弓が必要なくなったこと、もう一つはどんなに名人でも弓をしばらく握っていなかったらただの人ということ
★3 - コメント(0) - 2015年1月18日

中島敦作品の中で一番好きな作品。弓を極めんとした男の姿を描いた滑稽味と皮肉にあふれた短編。紀昌が飛影を殺そうとするも失敗、「成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念」によって師と抱擁を交わすシーンがすごく面白くて好き。ラストのオチもたまらない!
★2 - コメント(0) - 2014年12月17日

極める。悟る。解脱。物事の究極の姿を描けたこの話は素晴らしいの一言だ。及ぶことはありえないが、今後も折々に読み返したい。
★3 - コメント(0) - 2014年8月29日

禅だな、と思ったけど時代が違う。老荘思想の精髄。歳をとるとわかってくる。
★3 - コメント(1) - 2014年8月17日

先日読んだ倉橋由美子の『大人のための残酷童話』の中に「名人伝補遺」があって、この元ネタが未読だったので。この手の中国の達人譚は面白いなあ。矢も射ることなく鳥を落とし、最終的には木偶のごとくなり、「弓ってなに?」という境地に。中学生にうけそう。
★4 - コメント(0) - 2014年8月2日

「極み」をみた。同じことを来る日も来る日も続けることは、小さなことでも積もり積もって自分に返ってくる。どんなにくだらないことでも続ければ何かしら得られるのだ。目をつむらない特訓など見ていて馬鹿らしいが、極めれば力となる。目つぶしに弱くなるのでは、と思ったがそれはそれ。何かの達人になりたいとは思うけど、一つに絞ることができなくて日々を無駄にしてしまう。時間は有限だからと考えてしまうから、自分は達人にはなれない。
★4 - コメント(0) - 2014年4月23日

LISPというプログラミング言語が存在する。LISPの文法は括弧が多い。その括弧の多さは初心者の挫折につながる。しかし、真のLISPerになると括弧が見えなくなるらしい。さらに行きつくとLISPの存在がわからなくなるらしい。
★4 - コメント(0) - 2013年10月14日

弓の名人が弓を忘れてしまった…( ☉ω☉)弓の道を極めるための行動力と継続力がすごすぎて、修行の仕方もすごすぎて面白かったです。奥さんはどうなったのかなあ(笑)
★4 - コメント(0) - 2013年10月13日

弓の名人が名人になりすぎて弓そのものを忘れてしまうお話。いや、弓を忘れてしまうとか名人以前に人としてどうなのかと。あと、技能を身に付けたらその師匠を亡き者に、ってのがピンと来ないけど中国ではそれが普通なんかな?
★1 - コメント(0) - 2013年10月5日

奥深い、、この寓話は。なんとなく、分かるんだけど、腹におちてこない。あまりにも気持ち悪いので、あれこれネットで解釈を調べたんだけど腹に落ちてこない。 『つける』→『捨てる』事の大切さをを示唆した内容かなと思うんだけどどうだろう。
★3 - コメント(0) - 2013年9月17日

★☆☆☆☆
- コメント(0) - 2013年8月10日

物事を極めていけば無に到達・・・ そして物事に執着していくと虎になってしまうのか・・・(←山月記) うーーーむ・・・
★2 - コメント(0) - 2013年8月1日

弓の名人が、弓の名前も使い方までも忘れる話。
★1 - コメント(0) - 2013年7月30日

弓の道を究め、「名人」の行き着いた先は……。技がどうこう言っているうちは下の下と言うことでしょうか。カーズの「考えるのをやめた」はここから来ているのではないかと思ったくらいです。何度読んでも新たな発見がありますね。
★10 - コメント(0) - 2013年7月27日

笑える
★1 - コメント(0) - 2013年7月7日

壮絶な修行の末、弓を射ずとも眼力だけで鳥を落とすことができるようになり、遂には弓の存在すら忘れてしまうお話。修行の描写がありえなさ過ぎて笑えます。
★1 - コメント(0) - 2013年6月25日

深い。名人の域とは、ここまで深いのか。。が、この格調高い文章の本に敢えて突っ込みさせて貰えるなら、、、奥さんは、たまったもんじゃないですね (笑)
★1 - コメント(0) - 2013年6月22日

弓の名人をめざし修業を重ねた結果、弓など必要ではないことを悟り、しまいには弓の存在をも忘れてしまう。究極に達するには打ち込んだものも達観できるようにならなければならない、というようなことかな。林修先生がタモリさんに似合うと言っていた作品。 1942年。★★★★★ iBooks
★2 - コメント(0) - 2013年6月22日

BIN
青空文庫で読了。戦国時代の紀昌というものが天下第一の弓の名人になるべく、名人と仙人に弟子入りする話。上泉信綱でいうところの無刀をさらに極めたところか。極めるということはそれを意識せず当たり前になることかなと思うのだが、それ自体を忘れることにつなげるとは。執着するなということかな。出典は列子だそうです。
★2 - コメント(0) - 2013年4月26日

名人伝の 評価:80 感想・レビュー:46
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