沈黙 (新潮文庫)/遠藤周作のネタバレ(127件)

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高校生の頃一度読んで、その頃はほとんど理解できず、今、映画になると知り無性に読みたくなって再読。辛くて、悲しくて、言葉に出来ないほどの傑作だと思う。この本が何十年も前に書かれていたなんて、遠藤周作は天才で、もうこういった作家はこの先現れないでしょう。人間は人間にこんなにも残忍になれる。信仰心とは時になんて苦しい。だったら神なんていらない。通訳含め、表面だけでも転んだふりをしろ、というのは慈悲なのか、馬鹿にしているのか。また暫くだったら読みたいです。
★11 - コメント(0) - 1月17日

主人公の宣教師が棄教することは、例えば国を、家族を、信念を捨てることと同義ではないかと思い読み進めたが、どうもそれ以上の意味を持つのかもしれない。が、自分はイベントや便宜上、寺や神社に参拝しても根っ子の部分は無神論者なため、なんでそこまで?という思いが離れず、この小説を真の意味で終生理解できないと思う。飄々とした狐狸庵先生ではなく文化勲章作家遠藤周作としての重厚な作品を味わった気分です。
★26 - コメント(0) - 1月17日

貸していただいた本。映画も公開になるとのこと。神、宗教について考えさせられた。ロドリゴは苦悩の末、決断をすることになるが、筋は通っているように感じる。人のために自分を棄てる、彼の生き様に間違いはないのではないか。最後に聞いた“彼”の声が、その後日本人として生きたロドリゴに大きな影響を与えたようだ。全てを棄てなかった彼の後日談は、役人日記に繋がっていく。
★24 - コメント(0) - 1月16日

映画に備えて再読。神はなぜこんな試練を与えるのか、これだけ犠牲を払っても、なぜいつも黙っているのか、万一神がいなかったならば…ロドリゴの心理描写はドラマティックで緊迫感がありました。フェレイラが司祭に転ぶよう悟す場面はその最高潮。「踏むがいい。その痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから」この落とし所、とてつもなく深い。理不尽と暴力が支配する現代に、これほど普遍性のあるテーマを投げかける小説は、キリスト教徒だけでなく、いかなる人の心にも沁み入るのではないかしら。
★30 - コメント(0) - 1月16日

別の版だけど。これは実に読むべき本だった。信仰がなんなのか、私もヨブではないから見ないで信じることができずにいる。なぜ助けてくれないのかと苦しんだことがある。そういう人が読むべき本だ。主人公は、決して信仰を捨てていないのだと思う。信仰を諦めた師匠と違い、彼の中には信仰の炎が灯っていると思う。自分自身を許せなくても、神父の資格はなくしても、彼自身それを否定できないと思う。
★21 - コメント(0) - 1月15日

教科書の数行でしか知らなかったキリスト教迫害がこんなにも残酷で過酷なものだったのだということ。この小説のタイトルが「神の沈黙」というものへの問いかけからきていること。無知だった私には衝撃の連発だった。何より、ロドリゴ司祭が苦悶の果てに棄教し、たどり着いた信仰に胸を打たれました。
★30 - コメント(0) - 1月12日

「なぜ神は沈黙しておられるのか?」「なぜ苦しんでいる者達を放っておかれるのか?」 遠藤周作が若い頃から感じていた疑問に、自ら答えようとした小説。 物語りの終盤、神がついに沈黙を破る。「私は沈黙していたのではない。お前と一緒に苦しんでいたのに・・」 神はどんなに辛い時苦しい時にも、私に寄り添ってくれる「永遠の同伴者」なのだ。 遠藤周作が生涯追い求めた神の実像を描き出した傑作。
★26 - コメント(0) - 1月10日

キリシタン弾圧は、我が国の悲しい歴史の1つです。著者もクリスチャンであり、主イエス・キリストの愛を豊臣秀吉の時代の日本人には、少し違和感がありますが、宣教師も同じことを感じています。ただ、日本人の心の純粋さと、主の愛が、豊臣政権での苦しい虐げられた日常を救う唯一のものであったことは理解できます。これは、イエス時代のエルサレムの人々と類似しています。 宣教師が、棄教する本当の理由が書かれており、そこには、まぎれもなく主の愛、宣教師の自らを犠牲にする愛が詳細に描かれています。 キチジロウが、生まれてきた時代が
★17 - コメント(1) - 1月9日
michiyo
日本国憲法第20条 宗教の自由、この権利を得るまで、多くの人が犠牲になり、キチジロウが、生まれた時代が悪かった、と唱える、 私も主の愛を知るクリスチャンです。この本を読みながら、自分ならどうしただろうと考えながら読みました。 棄教した宣教師が、長生きをされ、日本で名前を得(今なら帰化)奥さんを与えられ、日本で亡くなられていますが、どうぞ、心が満たされ、癒された人生であったことを祈らずにはいられない思いです。 映画公開後、長崎に行ってみたいです。
- 01/13 14:36


何とも重い話。読み始めるまで腰が重かったが、読み始めてからは一気に読んだ。「何故あなたは沈黙しておられるのか」、その「沈黙」の意だったのだなあ。転宗してからが本当の信仰のように感ぜられたというと、おかしいかな。「人間というものはどういう事態になっても虚栄心から抜けきれぬ」という文章を読んだとき、なんとなく仏教のようだと思った。所詮私達は人間であり、どんな絶望の淵にあろうと邪念を捨て去ることなど出来ないじゃないか。64才まで生きる人生。自分の意思決定、感じたことは自分にしかわからないだろう
★20 - コメント(1) - 1月6日
chipu@灯れ松明の火
基督を裏切ったユダ、その二人の姿に自分とキチジローを重ねるのは、なんだか痛々しいというか何というか。きつい。ただ実際問題として、あそこまでキチジローは追って来られるかね。若干無理のあるような。キチジローは自身を弱い弱いと言うけれど、逆に強い気がする
- 01/06 02:12


今年は沈黙の正月。最後にある切支丹役人日記によるとロドリゴが江戸に移されてからも何かと吉次郎はちょっかい出している。「あの人の人生におけるユダの役割」が本作の大きなテーマなわけだから(「去れ、行きて汝のなすことをなせ」の言葉が意味すること)、狂言回し=キチジロー=ユダは常にロドリゴと関わり続けその運命を左右する。ロドリゴは最後には転ぶわけだが、それで信仰を捨てることにならない。もしイエスがこの時代の日本にやってきたとしても転ぶと遠藤は言いたかった。それでも信仰は消えないという恐るべき逆説、これが真実だ。
★21 - コメント(0) - 1月3日

「俺は生まれつき弱か。心の弱か者には、殉教さえできぬ。どうすればよか。ああ、なぜ、こげん世の中に俺は生まれ合わせたか。」 「たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」
★14 - コメント(0) - 2016年12月30日

スコセッシ監督で映画化され来月21日から上映と聞き急いで読了。カギとなるキチジローはあの人が演じるのか。映画を見るのが楽しみだ。信仰を持たない私にとって神という象徴がどの様なものなのか考えながら読む。何故踏み絵すら踏めないのか?何故こんなに信仰の熱い司祭を神は助けてくれないのか?同じような疑問を司祭も持ちながら葛藤する。自らもカトリックの洗礼を受けた遠藤周作は果たして答えが出せたのであろうか?転ばない自分に酔っているだけのようにも思う私は永遠に神の存在は解らないのである。深い作品だった。映画も是非見たい。
★158 - コメント(0) - 2016年12月27日

多くの民が拷問により惨めな死に方をしているというのに、神はなぜ沈黙したままのか。神は本当に存在するのか。日本人に伝えてきたキリスト教は、真のキリスト教なのか、日本流に形を変えた別の神なのか。キリスト教を伝えることは、使命であり善きことであると思っていたが、日本の善良な民に災いをおこすだけであったとしたら、存在価値はあるのか。自分と神との関係だけなら司祭ロドリゴは棄教することはなかっただろう。しかし、自分が棄教することで残虐な拷問を受けている民が救われるとしたら…、極限状態の中での選択に胸がしめつけられた。
★32 - コメント(2) - 2016年12月25日
なおみ703♪
映画化される知り、ネットで予告編を見ていたら、猛烈に読み直したくなり30年ぶりに再読しました。踏み絵を踏むか踏まないかは、単に信仰心の厚さによるものだけではありません。どんなに信仰心があっても心弱き者は折れるだろうし、自分が棄教することで救われる命があるならば棄教するだろう。そして神はきっと赦してくださるでしょう。(特に私はクリスチャンではないけどそう思いました。)鼾と思っていたら、拷問による呻きと気づいた時の懊悩の描き方は見事。
- 12/25 18:55

なおみ703♪
って、今日はクリスマス。キリストのおくるみを形どっているといわれるシュトーレンを食べながら、司祭ロドリゴというよりは、キチジロウの気持ちに寄り添いながら、なぜそれでも神は沈黙するんだー、って考えちゃいました。もし、私がクリスチャンである著者の立場なら、思いっきり罰をあたえますが、クリスチャンの著者だからこそ、とことん深く深く神の存在を問い詰めたのだと思いました。映画楽しみ~。
- 12/25 19:00


再読。やはり腑に落ちない。読ませる技巧は凄いので、遠藤周作は好きな作家だが、おそらく信仰の理解において、違いがあるのだと思う。先日読んだ評論に、司祭が踏み絵を踏む際に、あの人が声をかけるタイミングが早すぎるという指摘があると書かれていたが、私も同じ意見だ。あのタイミング、しかもその後に鶏が鳴くことも相まって、後半の著者が一番伝えたかったであろう部分が、作中で井上に問わせているように、司祭の自己欺瞞に感じられてしまう。なぜ遠藤周作は敢えてあのタイミングを選んだのか。もう一つはキチジローだ。コメントへ
★34 - コメント(2) - 2016年12月20日
テレーズ
同じ告解を繰り返し、自分は弱いからだと、弱さを肯定している。原因に向き合わないがために、救われない、典型的なパターンなのだけれど、それを司祭が赦してしまうのが、安易に感じた。彼は赦されても救われない。あそこで救われるのは司祭だけだ。そもそも告解は償いとセットなのに、なぜ描かれなかったのだろう。
- 12/20 02:51

テレーズ
腑に落ちない点もあるけれど、常に共に神がいるという考え方と、神は実は沈黙していないという考えには同意する。おそらく私が同意できないのは、日本人的キリスト教という概念なのだと思う。
- 12/20 03:05


一体、神は本当にいるのだろうかと最初から最後まで考えてしまう深い作品。役人に居場所をバラしてしまうキチジローも人間として弱い部分があるのは当たり前だよね。
★20 - コメント(0) - 2016年12月18日

何度も何度も、何度も読んでいる。これを読んで教会に行き、洗礼まで受け、そして教会組織とキリスト教の本質的醜悪に、激しく傷つけられて棄教した。「普通の日本人」となった今読んでなお人物の深い痛みに共鳴する。こんな沈黙があったんだと、隠れキリシタンを礼賛するローマに向かって叫びたい。クライマックスで涙がこみ上げる。悔しさでも悲しさでもない、これが結論だということのあっけなさ。踏んでも神は裏切ったりしない。神はいつだってそばにいて微笑む。ともに哀しむ。遠藤周作は救いの結論を残して終わる。私はこれを信じていたのに。
★54 - コメント(1) - 2016年12月18日
日野成美
私個人のことで言うと皮肉なのは、キリスト教信徒だったときより、今のほうがずーーっと心がなごやかで穏やかなこと。そしてさっぱりとした気持ちで本作を読めること。私はイノウエなのだろう。神を学んで裏切られて、視界の曇りが晴れる。これまで信じていたものの欺瞞と醜悪に気づいてしまう。そしてそれがまるで、理屈でゴタゴタ飾りをつけた子供の言うことのようで、思わず微笑せざるをえない。だから粉砕したくなる。
- 12/18 15:18


尊敬するフェレイラ教父が棄教したという知らせを受けロドリゴ司祭はキリスト教が禁止された日本へ密航する。捉えられたロドリゴを待つのは想像を絶する弾圧だった。信徒が弾圧を受けて苦しんでいるのに主は「沈黙」したまま問題。次々と訪れる試煉に己の信仰が試される。信心が揺らぐ。そこに追い打ちをかけるよう現れるのがキチジローという自分の弱さの鏡像となる男。影のように付きまとい無様な姿を見せる。では神などいないという結論に至るのかというとそんなことはない。何もかも失った時に主は答える。スコセッシ監督はこれをどう描くのか。
★28 - コメント(0) - 2016年12月17日

「沈黙」と言う題は「神の沈黙」から取られています。キリスト教弾圧下の日本において、信徒が理不尽に苦しめられているのに、なぜ神は沈黙しているのかという疑問を主人公は繰り返し問い苦悩します。主人公のような熱い信仰を持たない自分は主人公に感情移入しづらく、信仰のために苦しむ人達が不自由にさえ思えます。現代は信仰の自由を与えられ、いい時代になったと思います。
★16 - コメント(0) - 2016年12月11日

「やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう」「日本とはこういう国だ。どうにもならぬ」と井上筑後守の台詞にあるように、隠れ偲んで教義を伝え続けた結果、教義も理解も変容し、明治時代以降もキリスト教として認められなかった隠れ切支丹が大勢居た。彼らが信仰していたのは、同じ名前を持つにも関わらず断絶した存在である。司祭ロドリゴにとっての基督と、聖職者たちにとっての基督もまた違う存在となった。語り得ぬものに対しては沈黙せねばならない、ヴィトゲンシュタインの言葉を思い出した。
★19 - コメント(0) - 2016年12月10日

神の沈黙、神の屈折。深い。素晴らしい。簡単に感想が書けそうにない。
★19 - コメント(0) - 2016年12月6日

マーティンスコセッシが映画化すると聞いて読んでみました。江戸時代、まずしい百姓たちの心の拠り所になっているキリスト教。そんな信徒が自分が信仰を棄てられないために次々と虫けらのように殺されていく。ロドリゴ司祭はだんだん神の存在に疑念を抱くようになる。恩師フェレイラは神に不信を抱くが司祭は最後の踏み絵のキリストに愛を見つけ救われる。救われたのか?キチジローを窪塚さんがどう演じるのかみてみたい。
★33 - コメント(1) - 2016年12月5日
しずく
ガーディアン紙必読小説1000より。
- 12/05 23:49


信仰とは何か?神は存在するのか?という主題をキリスト教が禁教となった江戸時代に上陸した司祭ロドリゴの心情の変化と供に描かれる。もしも神が存在するなら、主を信じる者達が苦しみ呻く様をなぜ沈黙したまま見過ごすのか?ロドリゴは最後には棄教してしまうが、神は沈黙していたのではなく心にいつも寄り添っているという結論に達する。それは真の信仰からくるものなのか?それとも主を裏切った後ろめたさからくる言い訳なのか?それは読み手によって違う印章を受ける作品だと思う。
★26 - コメント(0) - 2016年11月19日

神はなぜ、こんなにも信徒が苦しんでいる時に沈黙しているのか? 基督教が取り締まられている状況において、形のない宗教を信じ続ける司祭の心の葛藤が描かれている。 信じているものに疑念を感じ、それが壊れていく怖さ。どこか、信じていたサンタクロースに疑念を抱き始めた幼少期の感覚と似たものを感じた。 司祭が棄教する、転ぶ、という一見理解し難い行為を、ストーリーの中で司祭の心の変化とともに語り、共感できる結末になっている。
★15 - コメント(0) - 2016年10月30日

キリスト教の知識は全く無いのだが、ひたすらに沈黙する神の前に人間の執着心が試されるように思えた。数多の殉教者達は現実逃避や諦め含めた強い信仰心や執着により次々と生を放棄していく。一方で棄教者達は吉次郎のような醜い生への執着心をも受け入れ生き続ける。どちらもパライソには思えず人間である限り答えは無い気もする。仏陀が説くのはそのどちらの執着をも乗り越える境地なのかも。世界の紛争やテロ等のニュースを見ると日本は泥沼であるが故に多様性を受容し変容させながら白黒つけない良さを世界に示し続けているのかもしれない。
★15 - コメント(0) - 2016年10月10日

異国から来たパードレは、貧困と迫害の中を這いずり回りながら、信仰と神の沈黙への問いとの間で葛藤する。最後に神は一緒に苦しんでいるのだと気づきキチジローを突き放すのが印象的だ。また、日本で信仰が変容するのも宗教が土地の風習を吸収して拡大していった事実を考えれば当然だ。
★17 - コメント(0) - 2016年9月30日

難しかった。読みにくかった。どうにかこうにか読了。読み終えたことに満足で理解度はかなり低し◆時代が違うだけで信仰することさえ許されないなんて。自分だったらすぐに棄教する。とりあえず生きていないと始まらないもの。キチジローはとんでもない奴だと思いながらも自分もそうするのかもしれない。本当に今はいい時代になったなぁ。あの綺麗で大好きな長崎にあんな悲しい歴史があったことは信じがたい。◆「子を生みそれを育てられぬ女は、この国では不生女と申して、まず嫁たる資格なしとされておる」そもそもあの時代には生きられなかったw
★105 - コメント(4) - 2016年9月13日
micari
私も初めて読んだ時は理解に苦しみました! 初めはどうしてもキチジロー目線で読んでしまって、自分だったらソッコー棄教だな。踏み絵も踏みまくる!って思ってました。笑 6年かけて3回読んで、やっと少しずつ何かがわかってきたような気がします。
- 09/13 08:54

☆ぉりん☆
micariさん流石です‼︎やはり何度も再読しないとダメなのですね‼︎
- 09/13 11:59


神は沈黙する。信仰を持つ人間は確かに敬虔で強いのかもしれない。しかし大多数はキチジローのように弱い人間が多い。キリスト教は本来弱者の救済を目的にしていたはずだが、ユダ(裏切り者)を赦し、愛することができない。しかしどんな苦悩にしていても神は沈黙するだけだ。
★9 - コメント(0) - 2016年9月12日

島原の乱が起こった後の長崎にパードレがやってきた。強い信仰を持つロドリゴ。どんな拷問にも堪えられると思っていたが、殉教していく日本人、日本人の拷問の凄まじさに、夜な夜な祈りとキリストの面影に救いを求める。とうとう捕まり、ロドリゴが転ばない限り、拷問を受けて転ぶと言っている日本人は助からないと言われる。「ここにキリストがいたらどうする」「キリストは転ぶだろう」それは甘い誘惑なのか真実なのか。踏み絵のキリストが言う「踏め、私は踏まれるためにいるのだ」。ロドリゴの感じたことは弱さか、真実か。
★32 - コメント(3) - 2016年9月8日
雪桜(ゆきさくら)
追記。一つ思った。神は沈黙されている訳ではないと思った。私達人間1人はは海で言えば、そのほんのひと雫に過ぎないのだ。海(世界・宇宙)を創造されてる神からしたら、その営みは小さく万と重なるのを待っているのかもしれない。日本のキリシタン弾圧。拷問を受けた一人一人の名は知らずとも、その事実は消えず聖なる所となっている。やはり神の御心は我々には計り知れない。
- 09/08 20:19

雪桜(ゆきさくら)
またまた追記(思索が止まらん)。日本の、日本人のキリスト教の信仰について、私もたまに不安に思うことはある。この多神教の国で唯一絶対神を守るというのは実に難しい。年中行事にさえ神が沢山。聖書には良い土や悪い土、岩の上に撒かれた種という例えがあるが、果たして本当に日本は泥沼なのかしら。今の日本はどうなのかしら。エンドーワールドロ沼にまんまと嵌ってしまったわい。
- 09/08 21:59


初めて読む著者の作品であり、初めて読む宗教文学もの。私自身はクリスチャンではなく不信心者だが色々考えさせられる作品。高校時代に作中の踏み絵の場面を教えてもらった事があるが、もっと重要なのは作品最後の司祭の言葉ではないかと思う。あの部分がなければ基督が転んだ司祭を許すだけの物語になってしまうと思う。
★12 - コメント(0) - 2016年9月4日

ykr
今月旅行に行くので、長崎を舞台にしたものをと思い、手にした作品。 宗教に関しては不勉強なので差し控えますが、読み物としてもドラマチックで深い作品でした。主人公の司祭が過酷な状況下で人間的な感情と聖職者としてのアイデンティティに揺れる場面は息を呑むような緊迫感があります。そして主人公の中で信仰と教理への理解が深まったが故の背教という決断には胸を打たれました。それにしても雲仙を観光するときは色々と考えてしまいそうです。。。
★18 - コメント(0) - 2016年9月3日

日本人の自分には神をば理解出来ないのか。神の本質が日本では無くされてしまっているらしい。たしかにホトケも元は神ではなかった。日本に来ると、すべて大日のようにすがるための対象になるようだ。日本人は人を超えるものを想像出来ないそうだが、巨大な慈悲を持つ神も人には見えない。慈悲が人の拡大ならば、愛を人は持たないのか。キリストの愛は持ち得ないのか。ならばキリストに人は近づくことは出来ず、ただ主として、救いを求めるしかないのか。10回くらい読まないとわからないと思う。まだキリスト教すら理解出来てない。
★12 - コメント(0) - 2016年8月29日

キリシタン禁制下の日本へ、幾多の困難を越えて布教に訪れた司祭が主人公。神は本当にいるの?と心から信ずる者に疑いを持たせる神。実際に拷問していたのはまぎれもない人間の仕業なのに、タイトルの「沈黙」の重さに怒りさえ湧いてくる。自分は弱いと卑屈に認める転び者のキチジローが裏切り者として描かれているが、私にはまっとうにすら思える。厳しい弾圧にも、揺るがない信仰。目の前で苦しむ者を、見えないことにはできない人であれば誰しもが持つ魂ゆえの転び。どちらを選んでも正解はないし、解答もない。誰も、丸付けはできない。
★47 - コメント(5) - 2016年7月31日
うらくら*♡
人間がこんなにも苦しいのに神は…叫びが聞こえて来て読んでるこちらも苦しいね。本当、歴史も苦しい>_<ももちゃん朝からありがとう♬
- 08/09 07:36

momonga
うらりん、こちらこそ♪ホッとさせてもらったよ。ありがとう(*^^*)
- 08/09 12:32


素晴らしかった!!何も知らないまま読んだので『沈黙』の意味が分かった時なるほど納得した。踏絵を踏んだ彼らの足の痛さはさぞかしの痛みだったのだろう。信じるものを否定しなければならなかった彼らの足の痛みを思うと苦しくなる。それでも神は沈黙している。神は何一つなさらない。必死で祈る叫びにも似た心の声を神は聞いているのだろうか。人々は助けを求め世の不条理に声を大にして叫び殉教していく。拷問の末命を落とす。「人間がこんなに哀しいのに主よ海が余りに碧いのです」周作の心の叫びも同時に聞こえてくるようだった。
★109 - コメント(8) - 2016年7月31日
天の川
こんばんは。学生時代に何度も読んだ本で、懐かしかったです。踏絵の場面は苦しくて、ここまでさせる信仰とは何だろう…と考えました。今読んだら、どんなこと感じるのかな…
- 08/01 01:47

うらくら*♡
天の川さん。おはようございます♪そうですか、学生の頃もう天の川さんは何度も読んだ本なんですね。信仰はこの時代の信者は縋る様な気持ちで死後幸せになれる願いを一身に祈ったものだったので何とも切ないです。今また天の川さんが再読する機会があればいいなと思います。
- 08/01 04:32


信徒が自分の為に非人道的な方法で拷問され殺されるなかで、神という存在の有無について悩み苦しんだ挙句に司祭は棄教する-「神はいるかいないか」という問いは、人間にとって永遠のテーマですよね。有神論者であれば、作中のような絶望的な状況下でも神が❝沈黙❞しているというのが信じ難い。司祭が孤独に思索を重ねていく姿に緊迫感があり、僕自身も西洋と日本の思想的断絶についてもっと考えてみたくなりました。
★19 - コメント(0) - 2016年7月30日

日本のキリスト教徒を裁くときや最後の方の拷問の描写が妙にリアルで静かに頭に入ってくる。ある意味歴史小説だけど本質には宗教が絡む。この作品はそもそも神が本当に存在しているのかという問を読書に投げかけてくる。 正に究極の選択。外国での評価が高いのもわかる気がする。
★19 - コメント(0) - 2016年7月15日

s
神の沈黙。島原の乱後の宣教師
★6 - コメント(0) - 2016年7月11日

神はなぜ沈黙を保ったままなのか?江戸時代の長崎島原の乱直後に布教に挑んだ宣教師たちの話。 自分たちが布教することによって海に張り付けにされ,斬首され,逆さづりにされ耳鼻から血を流し呻く信徒たち・・・。背教すれば信徒が刑から救われるという神に仕えるものとして究極の選択を迫られる。遂には「転んで」しまうのだが,教えと信仰という宣教師にとってどちらも捨てがたい矛盾を突きつけられ起こる内面の葛藤には鬼気迫るものがあり,ひき込まれる内容だった。
★38 - コメント(0) - 2016年7月3日

42.3回目の再読。3回目にしてやっとフェレイラの気持ちが理解できた!たぶん。そうそう。パードレが転ばない限り、キリシタンへの拷問は続くわけで、自分の信仰を守る、神への愛を守り抜く!っていう意地よりも、自分が転ぶことにより罪のないキリシタンの命を救う方を選んだということでしょ?今まで、フェレイラいちいちウザイと思っていたけど、今回読んでみてフェレイラの行動が愛に溢れる基督教的行動だと思えた。読むたびに色々な事を発見するこの作品を一生読み続ける!
★14 - コメント(0) - 2016年6月26日

キリスト教信者ではないが、色々考えさせられた。自分の信じるものを貫こうとする姿勢が素晴らしい。日本がいや~な感じに書かれている本をあまり読んだことがなかったので面白かった。沈黙という題名の意味は何なのだろうかと、読み終わった後にずっと残る。映画になるみたいなので見てみたい。
★17 - コメント(0) - 2016年6月21日

再読。世界各地の紛争を見ても分かるように、正と邪、善と悪は、状況が極限に近ければ近いほど、反対の立場から眺めた場合、しばしばその価値を逆転させてしまう。皮肉なものだ。また、それを頭では理解できていても、気持ちと身体が受け入れられるのかは別の問題だ。前回読んだ時、ぼくの眼に、ロドリゴはただ負けて、現実を受け入れたように映ったが、今回の印象はすこし違う。「転んだ」ことによって、宗派や肩書を超えて、より高いステージの信仰心を手に入れたようにも読める。基督とのつながりもより深くなったようだ。
★21 - コメント(3) - 2016年6月20日
mizzan72
れこやんさん、確かに読みやすいです。遠藤周作さんの何が好きって、まずその読みやすい文章が好きなのです。読みやすい文章を書ける=他人を慮ることができる、って気がするからです。
- 06/20 20:20

れこやん
わたしが・棄てた・女 は文庫本を持ってますので次回の 旅行で読もうかと思ってます。 旅行で読もうかと思います、
- 06/20 21:16


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