沈黙 (新潮文庫)/遠藤周作のネタバレ(192件)

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高校生の頃、国語の問題集だか模試だかで、よりにもよってクライマックスだけ読んだ。 『踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。』 当時からずっと心に刺さっている。
★21 - コメント(0) - 3月22日

★★★★☆命懸けで日本に密入国し、唯一絶対の神そのものの優位性を布教していたはずが、パライソでの救済をもたらすという即物的な神に変換されていると気づいたパードレの苦悩と驚愕の考察が明解。迷える子羊たちに拷問の試練を科し救いの手を差し延べない神への憤り。2人のパードレはそれぞれ神と対峙し神の沈黙について似て非なる結論を出す対比が興味深い。極限の境地での神との同化はまさに秘蹟!残念なのは無神論者の私。正しく読みこめたかどうか…(笑)
★23 - コメント(0) - 3月22日

島原の乱以降の基督教の弾圧が厳しくなったあと宣教のため長崎に入ったポルトガル人。しかし自分が入ってきたがために拷問を受け死んでいく村人たち。そんな時でも主は沈黙を保つ。日本にはいらないものを押し付けようとしているのか。問答しながもその日はやってくる。重くのしかかるような作品。それこそ沈黙しながら読んだ。
★68 - コメント(0) - 3月21日

息を詰めてページを繰った。身体的苦痛ではなく神への疑念で司祭はぶれた。唄を口ずさみ殉教した村人と比べると、あまりにも簡単な転向に思えなじりたくなる。深く深くキリストを愛しているがために、その沈黙に耐えられなかったのかもしれない。信仰って何なんだろうと思ってしまった。十字架への執着、天国に対する稚拙な憧れなど、司教が度々戸惑いを覚えたように多くの日本人は当時キリスト教を正しく理解していなかった。信じれば救われるというどこか日蓮宗にも通じた盲目的な信仰心を感じる。
★22 - コメント(0) - 3月20日

びっくりした。予想外ではないストーリーで想像以上のドラマティック。キチジローの弱さをわたしは弱さだとは感じない。生れつき弱い者ににとってこの時代に生まれてしまった悲哀。俺は恨めしいとわめく声が心に沁みる。二十年間布教したフェレイラがたどり着く、“日本は沼”“日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない”という結論は感覚的にすぐ理解できる。…ちょっと遠藤周作にハマるかも。
★40 - コメント(1) - 3月20日
ミカ
あとがきでは作者が主人公にまったくの異国人を選んで、その事に成功していると書かれている。確かにと思うのは、風の仕業に対して怒りに似た気持ちを生じる個所(P45)。この国に育った人間は初めに安堵感が生じ、よっぽどのことでない限り自然に対して怒らないように思う。
- 03/20 01:05


奉行の言う「日本が沼である」「根を切られ、得体の知れないものに変質する」というのはある意味当たっていると思う。仏教も神道も欧米の宗教的慣習も混在している実際をみれば。異端を排除し、教義の正統性を重視するキリスト教の、しかも宣教師には耐えがたいことだろう。故に、神の「沈黙」に対するロドリゴやフェレイラの葛藤は文で読む以上に凄絶と思う。その沈黙を経てロドリゴが聞いたあの声は、外ではなく心の中にこそ神と呼ばれてよい存在があることを示すのだろう。それが正統かどうかなんて、もはや他者が口出しするなど叶わないほどに。
★32 - コメント(0) - 3月19日

「踏んだこの足は痛か」 この言葉に、涙した。
★24 - コメント(0) - 3月17日

とても深い作品です。まえがきから入り、続くロドリゴの書簡でロドリゴの心情に寄り添った。そこからロドリゴに注目した三人称視点に戻る。ロドリゴが捕らえられてからは自分自身も痛みを感じながら読み進めた。「ほんとうに神はいるのか。いるならばなぜ、沈黙なさるのか。」といえ恐ろしい問が私の中でも渦巻く。自分の愛してきたものへの疑惑ほど恐ろしいものはない。
★50 - コメント(0) - 3月15日

現代っ子な僕は神について例えば尊敬する人を「あの人、マジ神だから」で讃えるくらいの認識しかありません。なのでロドリゴの「神はいなのでは」という恐れ、そして彼のドラマに胸を打たれつつも、理解はできないなという思いです。ただそんな僕でも「罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった」という一文に強く惹かれる物がありました。こういう様な宗教の持つ哲学的普遍性を魅力的なスパイスみたいだなと思い、感心するやら恐ろしいやらです。
★35 - コメント(0) - 3月15日

IKR
学生時代に読んだが内容について記憶がなく、最近映画の原作本としてよく見かけるのでもう一度読んでみることに。読後感は絶望感と言うか、とにかく重いとしか言いようがない。信徒が処刑される所は本当に惨い。なんでも自分達流に変換してしまう日本人とは思っていたけどキリスト教についてもそうなのかあ...。それにしても学生時代にこれを読んで忘れてしまう私ってどういう事なんだろう。内容が辛すぎて記憶を消去してしまったのだろうか。
★32 - コメント(0) - 3月12日

神は沈黙していない。私の人生が語っているのだ
★16 - コメント(0) - 3月12日

読み終わった後に人と感想を言い合って思ったけど、日本は誰かに救ってもらうより自分が犠牲になって誰かを救うほうが好きな気がする。だからキリスト教になじまないのかもなぁ。
★1 - コメント(0) - 3月6日

昔読んだときよりもキチジローの存在感が増している。
★19 - コメント(0) - 3月4日

映画を観賞後読む。物語の構成が書簡、客観的記述、主観的記述など様々な手法で描かれているが、それが気にならない程物語に引き込まれた。本当のキリストの姿は踏み絵の中の疲れ果てた姿。沈黙しているのは、人間と共に苦しんでいるからだという解釈に納得できた。そしてキチジローのように何度も告悔を乞う人間こそが真のクリスチャンだと思った。以前、教会で「子どものように神様を求めなさい」と言われたからだ。遠藤周作の本は昔何冊か読んだことがあるが、まだ十代だったのできちんと理解できてなかったと思う。これから何冊か再読したい。
★39 - コメント(4) - 3月4日
わいほす(noririn_papa)
幼子のように神を求めるというのは、リジューのテレーズの言葉から来ていると思いますが、そういう母のような神を遠藤さんも考えていたのではないかと勝手に想像しています。
- 03/04 22:23

yonaga
わいほす様、 詳しく教えて下さってありがとうございます。これから遠藤さんの本を読む上で参考になりました。また教えて下さいませ。
- 03/05 21:21


人が追いつめられていく様子がじわじわと伝わってくる。自分とは違う国の自分とは違う宗教心を持った人だが、彼が清らかな心を持って日本に渡ったときから、信仰心を持ちながらも背教に至るまでの話は自分にも重く深くのし掛かってくるような、そんな気がする。
★24 - コメント(0) - 3月4日

無宗教でありキリスト教の考え方に共感できない私には、命よりも信仰を取る人の考えも、殉教を華々しいと言ってしまえる考えも受け入れがたく、また理解が及ばないのです。分かったのは、抑圧され絶望のただ中にある人々にとって、宗教はただ一つの救いだったのだろうということだけ。宗教とは、信仰とは何なのでしょうか。目に見えず、形のないものを信じ続けることは困難なことです。答えの出ない問いだけが、いつまでも頭の中を巡っています。日本の精神風土の中では、キリスト教は根を張り枝を伸ばすことは出来ないというくだりが印象的でした。
★130 - コメント(0) - 3月3日

へえ、映画化されたんだ、とお気楽に遠藤周作に初挑戦するも、冒頭から暗鬱、拷問シーンにぞっとする。もう読むのやめようかなと思うが、自身もキリスト教徒だったという遠藤周作がどういうドラマをつくるのか知りたくて読み進む。日本のキリシタンは本物の信徒ではなかった、と作中で評されている。「彼らが信じているのは基督教の神ではない。日本人は今日まで(略)神の概念は持たなかったし、これからももてないだろう」(コメントに続く)
★38 - コメント(3) - 3月3日
toridori
不思議なことにこの作品、こうした作家の意図とは反対に(あるいは意図的に?)もしかすると日本人にも神が存在しており、それはもしかすると太古から連綿と「沈黙」のなか受け継がれてきた太陽神、あるいは宗教として語ることすらできない、言葉にならない強い感覚であり、だから日本人はキリスト教に「転ぶ」ことができないのでは・・・? という、もう一つの物語も見えてくる。(続く)
- 03/03 14:22

toridori
司祭らの布教が成功していれば、心身ともに虐げられたのは日本の神を信じようとする人々のほうだったのかもしれない。結局、痛々しいのは弱者の嘆きだ。日本人に限らず、多数派というものは排他的になりがちで、優位な立場の人間は集団とは異なる者、特に弱者を苛め抜くため、知恵をしぼる残忍さをもつ。「パードレ、パードレ」と泣くキチジロー、虐げられた弱者の具現のようだ。 遠藤周作、文章でうっとりさせる類の作家ではないらしい。だが、一冊の本を読むことで、これだけものを考えたのも久しぶりだった。たしかにこれは傑作。
- 03/03 14:22


読もう読もうと思いながらもなかなか手が伸びず、映画化されたし春休みで時間もあるしってことでやっと読みました。 キリシタン禁制が厳しい日本へ潜入した司祭のロドリゴ。山中に隠れながら告解を聞いていたが、やがて役人に捕まり、背教の淵に立たされる。 背教の場面は読んでて本当に苦しかったです…。愛し、信じ続けてきた者を、表面上ではあっても裏切ることは辛い。裏切ってしまえばもう元のようには戻れないから尚更。でも、彼のおかげで救われたキリシタンもいる。ならば、彼は背教したことを、少しでもいいから誇りに思っていいはず。
★56 - コメント(1) - 2月26日
はるな
背教せずに処刑されてしまった人も、最期までキリシタンを貫いたことを誇りに思っていいのではないかなぁ、と。誰かのために想いを諦めることも、自分のために想いを貫くことも、決して悪いことではないはずだと思いたいです。
- 02/26 11:32


ラスト近く、ロドリゴが感じた「神は常に共にいる。共に苦しんでいる」という感覚。キリストが言った(と感じた)「お前達に踏まれるために、私は存在しているのだ」という感覚。この部分だと思う。
★25 - コメント(0) - 2月25日

解説に「ドラマチックな緊迫と力感があふれている」とあって、本当にそれ。暗い、そしてゴールは見えてるんだけど、どうやってそこにいくことになるのか、と引き込まれた。宗教ってなんだろう。長崎のキリシタン、踏み絵云々は歴史の知識として知ってはいたけど、拷問や外国人司教を棄教させたりするのは知らなかった。映画観たいなー!!図書館本
★25 - コメント(2) - 2月25日
對馬 正晃
映画も暗かったですよ(苦笑)
- 02/27 22:59

T66np
ですよね。。明るかったら別物でしょうね。新聞の記事で「監督は行間を読んだ」とあり、どういうことか気になってます。
- 02/28 08:35


「イエスの生涯」にもみられた遠藤周作のキリスト観がこの小説の中にもあった。キチジローの、そしてロドリゴの弱さに共感せずにはいられなかった。人間は弱くて、沈黙を続ける神を信じ続けることはできない。けれど、だからこそ神は存在しなければならない。弱い人間に寄り添うものとして。無宗教な自分ではあるけどこの小説には感じるものがたくさんあった。
★28 - コメント(0) - 2月25日

映画を見て原作が気になり読了。禁教令下の日本に潜入した司祭が棄教、背教に至るまでの過程を描く。自分は日本人として一般的な無宗教状態の人間なので司祭の本当の苦しみは理解できないと思った。それで少し一般化して、大きなジレンマに陥った人間の苦しむ姿と捉えて読んだ。自分のしたいことと周りの状況が噛み合わない場合にどういう選択肢を取るのか、ベストな答えがない場合に各人それぞれの考えが行動に現れているということだろうか。深く考えさせられる作品と思う。
★80 - コメント(0) - 2月24日

読み進めるたびに宣教師ロドリゴが追い込まれて息苦しくなりました。 そして窮地の限界に来たとき、ロドリゴは踏絵に移るイエスより「踏んでもいい」という言葉を聞いたのです。そして言葉にできない烈しい悦びを得たのです。 なぜ? ロドリゴが感じた「悦び」という言葉に疑問を持たずにいられませんでした。 でもふと気づくものがあったのです。 キリスト教の教えに、自分たちが弱者であり、神の許しの下に自分たちがあると聞いたことがあります。この「悦び」とは沈黙し続ける神から許しを得たことへの悦びだったのではないでしょうか。
★24 - コメント(0) - 2月24日

kuu
ポルトガルの宣教師がマカオから日本に進出してくる件が印象的。 司祭も役人もそれぞれが正論をいっているのだよね。イノウエ様と通辞がかつて棄教した者であることが、作家のキリスト教に対する気持ちなのかもと思う。 出世のために信仰し、ポルトガル語をマスターしたとい通辞には、キリストの精神は残っていないだろうが、イノウエの心の中にはあるのではないか、もしくは、諦めたのか? 一報の庶民。生活苦からの何かにすがる思いで信仰するのは切ない。日本は沼地のごとくキリスト教が根を張らないという表現があったが、それは日本人が偶像
★2 - コメント(2) - 2月23日
kuu
日本は沼地のごとくキリスト教が根を張らないという表現があったが、それは日本人が偶像崇拝を好む民族だからではないかと思う。司祭の身に着けているロザリオをとてもありがたそうに受け取る場面に裏付けされているような。 生きるために棄教と懺悔を繰り返すキチジロウが、ある意味、一番の信仰深いように思う。神は生きている人を支える心であって、殉教は意味が違うように私は思ったからだ。彼が言う「キリスト教が弾圧される時代に生まれなかったら、幸せにキリスト教徒として人生を終わらせることができた」という言葉が心に残る。
- 03/06 17:09

kuu
『日向の匂い』が当初のタイトルだったとか。 スコセッシ監督の映画も観た。イノウエ(尾形イッセイ)と通辞(浅野忠信)の演技が秀逸。なんともいやらしい感じがとてもよかった。
- 03/06 17:11


高校生の時、たしか教科書に載っていて感動して本を購入。久しぶりに出して来て再読(昭和56年発行でした。36年前~!)ロドリゴの「自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。」この言葉、思いがキリスト教だけでなく全ての「信仰」ではないかと思った。
★29 - コメント(0) - 2月22日

自分が信仰を持っていないせいかわからない部分が多かった。なぜ神は助けてくれないの、助けに来ないの、全知全能の父でしょう。あなたを信じたが故に苦しんでいる子羊たちだよ。なぜそれを助けないの、助けずに沈黙を貫いているだけなの。これが信じるって言うことなの。苦しくて辛いときに助けてくれないなんて、信仰とはそういうことなの。それが神様と言う存在なの。一般の信者にあってさえ、信仰=修行なのだろうか。
★35 - コメント(0) - 2月22日

映画「沈黙 -サイレンス-」の予習として。大学受験に向かう新幹線の中で初めて読んだ際にはかなりの衝撃を受け、しばらく神や宗教について煩悶した記憶がある(若かったなぁ)。ラストの「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」というロドリゴが至った認識は、悩める者や苦しむ者に等しく救済を与える宗教の本質のひとつを示しているように思う。
★27 - コメント(0) - 2月18日

卑怯者や裏切り者といった「救われ難い」人間の苦悶がとても好きなので、読み進めるほどに面白かった。他者や世間に絶望するならまだ良い、自分に絶望し、それを何度も目の当たりにするというのは、地獄にほかならない。チェスタトンがブラウン神父の口を借りて、人間にはとうてい許せない悪人を許し寄り添うのが宗教の務めと語っていて、あらまほしき宗教のかたちだなあと思っていたが、この本もまあそういうことだろう。
★27 - コメント(3) - 2月18日
ovonkovon
原作ラストのその後談が読みにくいことこの上なかったので、スコセッシの映画で観れて大変ありがたかった。おおむね原作に忠実な分、改変部にスコセッシの願望とか意図とかが透けるようで、それも面白い。キチジロールート。あと、どんなに勉強してたって方言やら侍言葉やらそうそう理解できないだろうと思っていたので、宣教師たちが日本語をあまり習得していないという改変は良かった。
- 02/18 15:43

ovonkovon
あと、宗教について考えた結果、何らかの利益(心の平安や天国への切符、地域社会への順応など)を秤にかけて選ぶもの、と個人的には捉えていることがわかった。日本人的とも現代的ともいえるが、その逆に、1か0かしかない盲信、また超常の存在というものを、まったく想像できないことにも気づいた。超常の存在を日本人は考えることができない、というくだりがあるが、これは日本人に限るものなのだろうか。宗教を比較し選ぶことができる立場の人間は、たいがいこんなものじゃないだろうか。
- 02/18 16:09


日本人って怖い…。と心から思った。何よりも司祭やキリシタンを棄教させる手段がエグい!そのたびに、物語のテーマである『沈黙』が重くのしかかってきた。なぜ、神は沈黙しておられるのかー。主人公の司祭でさえ、そんな問いかけをしてしまう。その問いと信仰の狭間で苦しむ主人公を通して、こちらもキリスト教の信仰について考えさせられた。しかし、小説の最後の場面の「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」という一文が、全てなのかなと思った。是非最後まで読んで、それについてどう思うか感じてほしいと思った小説でした。
★23 - コメント(0) - 2月18日

【映画化で再読】日本人信徒に加えられる拷問の中、神は沈黙を守ったまた、自分が転べば救えるが、神を裏切れるのか、自分への汚点が恐ろしいのか、嘆き苦しむ叫びが聞こえてくるような作品。
★31 - コメント(0) - 2月16日

スコセッシを先に観たが、窪塚、イッセー、浅野以下、超熱演だったことがわかった(ただし片桐はいry)さて本題、井伊直虎を観てても感じるが、国人領主と仏寺というのは深く結びついている。この点、カソリック教会と領主の関係に欧州でも似たものがあろう。小説での敵役井上様(イッセー)は含みが多いが「その立ち位置の宗教ならもうあるし」という思いか?そうではない宗教、とはまさに同時期に欧州で宗教改革真っ最中なので、ロドリゴの至った教会抜きでの神との内心における関係性とは、プロテスタントのそれに近いのかもしれない。
★31 - コメント(1) - 2月13日
mippo
>ロドリゴの至った教会抜きでの神との内心における関係性とは、プロテスタントのそれに近いのかもしれない  同感です。突き詰めると何の宗教でもいいのかなって気にもなりました。
- 02/16 12:28


ストーリー的には大体予想通りでした。ですが、中盤以降のロドリゴとフェレイラとが再会し対話しだしてから一気に引き込まれました。最後ロドリゴが踏み絵を踏んだ時に何の感情のせいか自分でもわからないのですが涙が出てきました。主人公に入り込んでたとしたら敗北感?悔しさ?挫折感?何か少し違う気がする…。何の感情かは何回か読み直しちゃんと探っていきたいところです。
★22 - コメント(0) - 2月12日

人間の強さと弱さをこれでもかと見せつけられた。ロドリゴとキチジローである。弱い男であるキチジローを非難する気はもちろんない。生きる知恵なのである。さて、司祭ロドリゴ。踏絵という行為を慈悲へと昇華させた心の葛藤たるや並大抵ではないだろう。ロドリゴの背教は決して拷問に屈したのではない。沈黙を通す。誇り高い男だと思った。
★114 - コメント(0) - 2月12日

遠藤周作作品をいつかは読んでみたいと思ってました。作品の舞台となった、長崎県に暮らす者として、隠れキリシタンや宣教師の苦悩が伝わってきました。また題名の『沈黙』の意味も自分なりに理解しました。久々に、いいい作品に巡り会いました。他の作品も是非、読んでみたくなりました。
★34 - コメント(0) - 2月10日

想像を絶する筆致に、一晩で貪り読んだ。テーマに興味が持てず積ん読にしていたのが嘘のよう。 沈黙とは神の不在なのではと思わせつつ、最後にはそれでもやはり“あの人”を愛し“あの人”はこの辛苦と共にあると信じること。そこに救いはあるのだろうか。フェレイラとの再会のシーンでは彼の雄弁がひたすらに悲しかった。 印象に残った言葉: 美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したもののために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。
★37 - コメント(1) - 2月10日

魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。 愛や信仰とは一体なんなのだろうか。 読んだ後も胃の中に落ちた苦くて重いものがなかなか身体から出て行ってくれない。
- 02/11 05:30


神を捨てることでしか人を救えないときに神を捨てるということは、神に背いたことになるのでしょうか。ロドリゴが背いたのは教会であって神そのものではないように思います。しかしロドリゴの棄教によって救われた百姓たちは単に命が助かっただけであって、キリスト教的な「救い」とも言い難いように思いました。そもそも人間同士が勝手に争っているだけであって、そのようなときは神は沈黙し、それはイエスのときにおいても同様だったのかもしれません。
★27 - コメント(0) - 2月8日

激しい弾圧のなか、信者が、司祭が、彼らがどんなに祈ろうが、神は黙して語らなかった。言語も生活様式も異なる他民族の宗教がもたらした悲劇。ハライソを夢見て殉教する者。精魂尽き果て棄教する者。その中で、自ら弱者を自認し、幾度も踏み絵をし、密告し、他者から蔑まれながらも信心を捨てなかったキチジローの存在が読み進むにつれ大きくなっていく。
★27 - コメント(0) - 2月7日

日本における基督教。 そんな考え方をしたことがありませんでした。 ロドリゴが踏み絵に至るまで、信者の苦痛に呻く声も自分が信じているものを穢してしまう葛藤も、すべて心に突き刺さってきました。 キリスト教殉教者という言葉も、本書を読む前とでは言葉の重さが大きく変わりました。 人の世の醜さ、そして残酷さ。 日本の風景はどこまでも美しいのに、人間の営みは不浄なものとして描かれていることも印象的です。 ロドリゴもキチジローも、同じくらい弱い人間であると思います。卑怯だと罵られたとしても、生きてほしい。
★34 - コメント(0) - 2月6日

映画を観る前に再読。以前に読んだのはおそらく高校生のとき。そのときはまだ聖書を読んだこともなくて、理解できていなかったところも多かったように思う。救いのない物語だなあとの感想を持ったように記憶している。20年経って読んでみるとずいぶん印象が違った。沈黙する神は共に苦しむ神であり、その愛の前には強いものも弱いものもないと悟ったことが、棄教した司祭の信仰を救った。過酷な現実の前にキリスト教を捨てざるをえなかったけれど、彼のキリストへの信仰はむしろ確かなものになったのではないだろうか。
★36 - コメント(0) - 2月6日

「人間がこんなに哀しいのに主よ海はあんなに碧いのです。」「主よあなたはなぜだまったままなのですか。」何度も何度も訴えているのに主は沈黙のまま…。思い出すだけで辛くなる祈りでした。何度も何度も目を背けたくなりました。でも、読まずにはいられませんでした。人はなぜこうも残酷になれるのでしょうか。自分を守るために人を傷つけ、傷つかないように守る。弱きものはどうすればいいのでしょうか?答えはあるのかと自問自答しながら読み進めました。長く読まれているものには理由があるのだと納得する素晴らしい作品でした。
★106 - コメント(9) - 2月5日
ゆきち
ケンイチミズハさんコメントありがとうございます。宗教の話はとても複雑で難しいことですね。
- 02/09 14:39

ゆあ
ケンイチミズバさん、そうなんですよね~。難しいところですが、キリスト教でもここで言うカソリックは偶像崇拝を禁止していなくて、プロテスタントは禁止しているんですよね^^;ただ、イスラム教やユダヤ教よりは偶像に対して大らかというか、厳格に禁止していたわけではないみたいです。ただ、私も不勉強な部分もあり、よく分かりもしない状態で偶像崇拝を持ち出したのは間違いだったな~と思っています。でも、ご指摘ありがとうございました!また、いろいろと教えていただけると嬉しいです♪
- 02/09 14:48


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