沈黙 (新潮文庫)/遠藤周作のネタバレ(174件)

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読もう読もうと思いながらもなかなか手が伸びず、映画化されたし春休みで時間もあるしってことでやっと読みました。 キリシタン禁制が厳しい日本へ潜入した司祭のロドリゴ。山中に隠れながら告解を聞いていたが、やがて役人に捕まり、背教の淵に立たされる。 背教の場面は読んでて本当に苦しかったです…。愛し、信じ続けてきた者を、表面上ではあっても裏切ることは辛い。裏切ってしまえばもう元のようには戻れないから尚更。でも、彼のおかげで救われたキリシタンもいる。ならば、彼は背教したことを、少しでもいいから誇りに思っていいはず。
★38 - コメント(1) - 2月26日
はるな
背教せずに処刑されてしまった人も、最期までキリシタンを貫いたことを誇りに思っていいのではないかなぁ、と。誰かのために想いを諦めることも、自分のために想いを貫くことも、決して悪いことではないはずだと思いたいです。
- 02/26 11:32


ラスト近く、ロドリゴが感じた「神は常に共にいる。共に苦しんでいる」という感覚。キリストが言った(と感じた)「お前達に踏まれるために、私は存在しているのだ」という感覚。この部分だと思う。
★24 - コメント(0) - 2月25日

解説に「ドラマチックな緊迫と力感があふれている」とあって、本当にそれ。暗い、そしてゴールは見えてるんだけど、どうやってそこにいくことになるのか、と引き込まれた。宗教ってなんだろう。長崎のキリシタン、踏み絵云々は歴史の知識として知ってはいたけど、拷問や外国人司教を棄教させたりするのは知らなかった。映画観たいなー!!図書館本
★24 - コメント(2) - 2月25日
對馬 正晃
映画も暗かったですよ(苦笑)
- 02/27 22:59

T66np
ですよね。。明るかったら別物でしょうね。新聞の記事で「監督は行間を読んだ」とあり、どういうことか気になってます。
- 02/28 08:35


「イエスの生涯」にもみられた遠藤周作のキリスト観がこの小説の中にもあった。キチジローの、そしてロドリゴの弱さに共感せずにはいられなかった。人間は弱くて、沈黙を続ける神を信じ続けることはできない。けれど、だからこそ神は存在しなければならない。弱い人間に寄り添うものとして。無宗教な自分ではあるけどこの小説には感じるものがたくさんあった。
★24 - コメント(0) - 2月25日

映画を見て原作が気になり読了。禁教令下の日本に潜入した司祭が棄教、背教に至るまでの過程を描く。自分は日本人として一般的な無宗教状態の人間なので司祭の本当の苦しみは理解できないと思った。それで少し一般化して、大きなジレンマに陥った人間の苦しむ姿と捉えて読んだ。自分のしたいことと周りの状況が噛み合わない場合にどういう選択肢を取るのか、ベストな答えがない場合に各人それぞれの考えが行動に現れているということだろうか。深く考えさせられる作品と思う。
★58 - コメント(0) - 2月24日

読み進めるたびに宣教師ロドリゴが追い込まれて息苦しくなりました。 そして窮地の限界に来たとき、ロドリゴは踏絵に移るイエスより「踏んでもいい」という言葉を聞いたのです。そして言葉にできない烈しい悦びを得たのです。 なぜ? ロドリゴが感じた「悦び」という言葉に疑問を持たずにいられませんでした。 でもふと気づくものがあったのです。 キリスト教の教えに、自分たちが弱者であり、神の許しの下に自分たちがあると聞いたことがあります。この「悦び」とは沈黙し続ける神から許しを得たことへの悦びだったのではないでしょうか。
★23 - コメント(0) - 2月24日

高校生の時、たしか教科書に載っていて感動して本を購入。久しぶりに出して来て再読(昭和56年発行でした。36年前~!)ロドリゴの「自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。」この言葉、思いがキリスト教だけでなく全ての「信仰」ではないかと思った。
★27 - コメント(0) - 2月22日

自分が信仰を持っていないせいかわからない部分が多かった。なぜ神は助けてくれないの、助けに来ないの、全知全能の父でしょう。あなたを信じたが故に苦しんでいる子羊たちだよ。なぜそれを助けないの、助けずに沈黙を貫いているだけなの。これが信じるって言うことなの。苦しくて辛いときに助けてくれないなんて、信仰とはそういうことなの。それが神様と言う存在なの。一般の信者にあってさえ、信仰=修行なのだろうか。
★28 - コメント(0) - 2月22日

映画「沈黙 -サイレンス-」の予習として。大学受験に向かう新幹線の中で初めて読んだ際にはかなりの衝撃を受け、しばらく神や宗教について煩悶した記憶がある(若かったなぁ)。ラストの「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」というロドリゴが至った認識は、悩める者や苦しむ者に等しく救済を与える宗教の本質のひとつを示しているように思う。
★27 - コメント(0) - 2月18日

卑怯者や裏切り者といった「救われ難い」人間の苦悶がとても好きなので、読み進めるほどに面白かった。他者や世間に絶望するならまだ良い、自分に絶望し、それを何度も目の当たりにするというのは、地獄にほかならない。チェスタトンがブラウン神父の口を借りて、人間にはとうてい許せない悪人を許し寄り添うのが宗教の務めと語っていて、あらまほしき宗教のかたちだなあと思っていたが、この本もまあそういうことだろう。
★27 - コメント(3) - 2月18日
ovonkovon
原作ラストのその後談が読みにくいことこの上なかったので、スコセッシの映画で観れて大変ありがたかった。おおむね原作に忠実な分、改変部にスコセッシの願望とか意図とかが透けるようで、それも面白い。キチジロールート。あと、どんなに勉強してたって方言やら侍言葉やらそうそう理解できないだろうと思っていたので、宣教師たちが日本語をあまり習得していないという改変は良かった。
- 02/18 15:43

ovonkovon
あと、宗教について考えた結果、何らかの利益(心の平安や天国への切符、地域社会への順応など)を秤にかけて選ぶもの、と個人的には捉えていることがわかった。日本人的とも現代的ともいえるが、その逆に、1か0かしかない盲信、また超常の存在というものを、まったく想像できないことにも気づいた。超常の存在を日本人は考えることができない、というくだりがあるが、これは日本人に限るものなのだろうか。宗教を比較し選ぶことができる立場の人間は、たいがいこんなものじゃないだろうか。
- 02/18 16:09


日本人って怖い…。と心から思った。何よりも司祭やキリシタンを棄教させる手段がエグい!そのたびに、物語のテーマである『沈黙』が重くのしかかってきた。なぜ、神は沈黙しておられるのかー。主人公の司祭でさえ、そんな問いかけをしてしまう。その問いと信仰の狭間で苦しむ主人公を通して、こちらもキリスト教の信仰について考えさせられた。しかし、小説の最後の場面の「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」という一文が、全てなのかなと思った。是非最後まで読んで、それについてどう思うか感じてほしいと思った小説でした。
★22 - コメント(0) - 2月18日

【映画化で再読】日本人信徒に加えられる拷問の中、神は沈黙を守ったまた、自分が転べば救えるが、神を裏切れるのか、自分への汚点が恐ろしいのか、嘆き苦しむ叫びが聞こえてくるような作品。
★30 - コメント(0) - 2月16日

スコセッシを先に観たが、窪塚、イッセー、浅野以下、超熱演だったことがわかった(ただし片桐はいry)さて本題、井伊直虎を観てても感じるが、国人領主と仏寺というのは深く結びついている。この点、カソリック教会と領主の関係に欧州でも似たものがあろう。小説での敵役井上様(イッセー)は含みが多いが「その立ち位置の宗教ならもうあるし」という思いか?そうではない宗教、とはまさに同時期に欧州で宗教改革真っ最中なので、ロドリゴの至った教会抜きでの神との内心における関係性とは、プロテスタントのそれに近いのかもしれない。
★31 - コメント(1) - 2月13日
mippo
>ロドリゴの至った教会抜きでの神との内心における関係性とは、プロテスタントのそれに近いのかもしれない  同感です。突き詰めると何の宗教でもいいのかなって気にもなりました。
- 02/16 12:28


ストーリー的には大体予想通りでした。ですが、中盤以降のロドリゴとフェレイラとが再会し対話しだしてから一気に引き込まれました。最後ロドリゴが踏み絵を踏んだ時に何の感情のせいか自分でもわからないのですが涙が出てきました。主人公に入り込んでたとしたら敗北感?悔しさ?挫折感?何か少し違う気がする…。何の感情かは何回か読み直しちゃんと探っていきたいところです。
★21 - コメント(0) - 2月12日

人間の強さと弱さをこれでもかと見せつけられた。ロドリゴとキチジローである。弱い男であるキチジローを非難する気はもちろんない。生きる知恵なのである。さて、司祭ロドリゴ。踏絵という行為を慈悲へと昇華させた心の葛藤たるや並大抵ではないだろう。ロドリゴの背教は決して拷問に屈したのではない。沈黙を通す。誇り高い男だと思った。
★112 - コメント(0) - 2月12日

遠藤周作作品をいつかは読んでみたいと思ってました。作品の舞台となった、長崎県に暮らす者として、隠れキリシタンや宣教師の苦悩が伝わってきました。また題名の『沈黙』の意味も自分なりに理解しました。久々に、いいい作品に巡り会いました。他の作品も是非、読んでみたくなりました。
★33 - コメント(0) - 2月10日

想像を絶する筆致に、一晩で貪り読んだ。テーマに興味が持てず積ん読にしていたのが嘘のよう。 沈黙とは神の不在なのではと思わせつつ、最後にはそれでもやはり“あの人”を愛し“あの人”はこの辛苦と共にあると信じること。そこに救いはあるのだろうか。フェレイラとの再会のシーンでは彼の雄弁がひたすらに悲しかった。 印象に残った言葉: 美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したもののために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。
★36 - コメント(1) - 2月10日

魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。 愛や信仰とは一体なんなのだろうか。 読んだ後も胃の中に落ちた苦くて重いものがなかなか身体から出て行ってくれない。
- 02/11 05:30


神を捨てることでしか人を救えないときに神を捨てるということは、神に背いたことになるのでしょうか。ロドリゴが背いたのは教会であって神そのものではないように思います。しかしロドリゴの棄教によって救われた百姓たちは単に命が助かっただけであって、キリスト教的な「救い」とも言い難いように思いました。そもそも人間同士が勝手に争っているだけであって、そのようなときは神は沈黙し、それはイエスのときにおいても同様だったのかもしれません。
★27 - コメント(0) - 2月8日

激しい弾圧のなか、信者が、司祭が、彼らがどんなに祈ろうが、神は黙して語らなかった。言語も生活様式も異なる他民族の宗教がもたらした悲劇。ハライソを夢見て殉教する者。精魂尽き果て棄教する者。その中で、自ら弱者を自認し、幾度も踏み絵をし、密告し、他者から蔑まれながらも信心を捨てなかったキチジローの存在が読み進むにつれ大きくなっていく。
★27 - コメント(0) - 2月7日

日本における基督教。 そんな考え方をしたことがありませんでした。 ロドリゴが踏み絵に至るまで、信者の苦痛に呻く声も自分が信じているものを穢してしまう葛藤も、すべて心に突き刺さってきました。 キリスト教殉教者という言葉も、本書を読む前とでは言葉の重さが大きく変わりました。 人の世の醜さ、そして残酷さ。 日本の風景はどこまでも美しいのに、人間の営みは不浄なものとして描かれていることも印象的です。 ロドリゴもキチジローも、同じくらい弱い人間であると思います。卑怯だと罵られたとしても、生きてほしい。
★33 - コメント(0) - 2月6日

映画を観る前に再読。以前に読んだのはおそらく高校生のとき。そのときはまだ聖書を読んだこともなくて、理解できていなかったところも多かったように思う。救いのない物語だなあとの感想を持ったように記憶している。20年経って読んでみるとずいぶん印象が違った。沈黙する神は共に苦しむ神であり、その愛の前には強いものも弱いものもないと悟ったことが、棄教した司祭の信仰を救った。過酷な現実の前にキリスト教を捨てざるをえなかったけれど、彼のキリストへの信仰はむしろ確かなものになったのではないだろうか。
★35 - コメント(0) - 2月6日

「人間がこんなに哀しいのに主よ海はあんなに碧いのです。」「主よあなたはなぜだまったままなのですか。」何度も何度も訴えているのに主は沈黙のまま…。思い出すだけで辛くなる祈りでした。何度も何度も目を背けたくなりました。でも、読まずにはいられませんでした。人はなぜこうも残酷になれるのでしょうか。自分を守るために人を傷つけ、傷つかないように守る。弱きものはどうすればいいのでしょうか?答えはあるのかと自問自答しながら読み進めました。長く読まれているものには理由があるのだと納得する素晴らしい作品でした。
★102 - コメント(9) - 2月5日
ゆきち
ケンイチミズハさんコメントありがとうございます。宗教の話はとても複雑で難しいことですね。
- 02/09 14:39

ゆあ
ケンイチミズバさん、そうなんですよね~。難しいところですが、キリスト教でもここで言うカソリックは偶像崇拝を禁止していなくて、プロテスタントは禁止しているんですよね^^;ただ、イスラム教やユダヤ教よりは偶像に対して大らかというか、厳格に禁止していたわけではないみたいです。ただ、私も不勉強な部分もあり、よく分かりもしない状態で偶像崇拝を持ち出したのは間違いだったな~と思っています。でも、ご指摘ありがとうございました!また、いろいろと教えていただけると嬉しいです♪
- 02/09 14:48


マーティンスコセッシの映画で学生の頃以来の再読。 キリスト教は日本に根付かない。草を植えても根が腐る。日本人は私たちの信じる神という概念がわからない。 このあたりの表記が在日本のキリスト教関係の方に波紋を投げかけたのかなと予測。 双生児のように互いを憎しみながら、老パードレと若いパードレが生きた記録だけが、もの悲しい。キリスト教の事をもっと知れば、また別の感想が出てくるだろうと感じた。キリスト教の事をもっと知りたくなった。
★33 - コメント(0) - 2月5日

映画を観るか小説を読んでから決めようと思っていたのですが、映画は観たくないというより観れない。昔このようなことが実際にあったんだと思うと心が痛む。具体的にどういうところが?というのを聞かれるとわからないが、話全体を通して暗い情景が浮かんだ。
★26 - コメント(0) - 2月5日

映画は篠田版は観たけどスコセッシ版はまだ。昔、長崎で隠れ切支丹の家の生まれという農家のおじさんに聞いた話を聞いたことを思い出す。曰く隠れ切支丹とキリスト教は全く違う宗教なのだ、証拠にイエズス会は我々隠れ切支丹を一切助けてくれなかったではないかと。この作品で描かれているものに通じるものがある。形だけでもいいから踏めばいいではないか、つまり行為と内心は別と奉行は踏み絵を勧めるが、それで踏むけど心中は信仰を棄てないのが日本人的な価値観と思う。うーん、感想が難しい。
★29 - コメント(0) - 2月2日

続きが気になってしょうがなくて、ぐいぐい読めた。引き込まれた。信仰のカケラもない自分にも、ぐっと来るものがあるラストでした。すごい小説ですね。これは、信仰を持つ人やキリスト教圏の人は、どれだけ感動することだろうか。知りたい。映画を観れば、それが少しは伺えるだろうか。
★3 - コメント(0) - 2月1日

日本が排他的で、残忍な描写に読み進めるのが辛い。映画だと映像で見ることになるのでえぐさが際立ちます。昔の作家さんのこの日本の暗さを書く上手さは本当にすごいといつも思う。映画の前に読んでおこうと手に取り読了。沈黙する神様をそれでも拠り所にした人間の信心深さは自分がそうでないから逆に素直に感嘆したしなんでだとも思う。他にも時代ゆえの盲目的信仰とか日本の宗教も改変しちゃう性質やら、ううん、普段考えない事をつらつら考えてしまう作品でありました。
★26 - コメント(0) - 1月31日

 結論から述べると、「神の沈黙」とは、無慈悲なようで、慈悲深いものであると認識しました。  ロドリゴが日本に潜入し、様々な苦難に直面しますが、どんな時であっても沈黙する神。しかし、ロドリゴが銅版を踏もうとした瞬間、「踏むがいい。」という声がし、神が沈黙を破ります。  心身ともに極限状態からなる幻聴であったとしても、その時に聞いた声というのは、誰にとっても真実となります。ロドリゴは形式上は背教の身となりましたが、神の愛という名の沈黙により、逆に信仰を深めたように思えます。
★32 - コメント(1) - 1月31日
かわせみ
個人的には、イスカリオテのユダに対する、イエスの複雑な感情を、キチジローという臆病な人間を通して、表現したかったのだろうと推察しました。 事前に、『イエスの生涯』や『黄色い人』を読んでいたので、理解が深まったような気がします。  これから『沈黙』を読まれようとする方は、『イエスの生涯』だけでも読んでおいたほうが、より楽しめると思います。
- 01/31 10:35


映画公開に伴って、手に取った。クリスチャンではないが、とても心に響いた。読みながら途中から気づいてた。司祭ロドリゲスは卑屈な裏切り者キチジローと変わりないだろうと。その事をロドリゲス自身が気付いた時、神が沈黙した意味が明らかになるが、沈黙はしていなかった。ずっと一緒に悲しんでいたんだな。そして、キリスト教を理解しつつも、この日本には根を下ろさない事を看破し、やはり棄教した井上筑後守にも思いをいたさずにはいられない。映画、見たい!
★33 - コメント(1) - 1月30日
ホシ
ロドリゲスじゃなくて、ロドリゴだな。
- 01/30 22:24


深くて、重くて、辛い。宗教はいつの時代も人を幸せにも不幸にもする。私はこれまで基督教に触れる機会が多く、司祭や信徒達の気持も一般的な日本人よりも理解できると思うので余計に響いたのかもしれない。神が存在するなら、なぜ神は沈黙しておられるのか。協会から追放されることになろうとも、神の存在を否定するでもなく、心を失わずに人の命を救う苦悩を選んだロドリゴが報われなかったことが辛く哀しい。けど、神と共に苦しむことができたなら、もしかすると彼の人生は幸せだったのかもしれない。やっぱり過去の名作には理由がある。
★28 - コメント(0) - 1月29日

あなたならどうするのか、という問いを投げかけられる。自分のアイデンティティの基盤が崩壊してしまうような疑惑が生まれた時、何ができるのだろうか。棄教した司教の闘いは自分の中にある切支丹の教えであったという言葉が、一体何を示しているのか、まだ掴めていない。彼はその闘いに勝ったのか、負けたのか。ただ、彼の表面が敗者として人の目に映っていても、彼は救われたのだと私は思っている。日本人に神は理解できない、という言葉は重い。そのように書く遠藤周作が何を感じて考えていたのかもっと知りたい。
★23 - コメント(0) - 1月29日

映画化記念、鑑賞前に原作を。思えば30年近く前、教科書で初めて出会った時に興味を惹かれ、直ぐに文庫本を買ったのを思い出し、引っ張り出す。 結局この度 初めての読了。 題名そのままの“神が”沈黙する中、『民を救う為 必要な行為』を実践したフェレイラ及びロドリゴを誰が責められよう。 一刻の猶予無く極限に追い詰められた環境では、「組織のしがらみ」や「固執した信念」に囚われ、意見を変えられなくなる。そこで例え裏切り者とされ 誰に理解されなくとも、正しい判断をする勇気を持てるか、自問させられる。
★22 - コメント(0) - 1月28日

映画を見て原作も、と思い映画館の帰り道に購入。解説にあるように、「ドラマティック」という表現がぴったりな素晴らしい構成で、すぅっと物語に引き込まれた。「信仰」のために次々に「殉教」していく村人たちの姿は、なんと救いのないことか。しかしながらそれ以上に、それが本当にキリスト教における信仰なのかという疑いが浮かび上がってくるところがなお切ない。誰でもよい、対話を通じてその個人に救いが訪れるのであればよい。対話を通じて過去を見つめることができ、前へ進めるのであれはそれがいいと個人的には思う。
★19 - コメント(1) - 1月26日
みはらし
ただ、孤独な沈黙の中に、それを見つけ出さなければならないのだとしたら、それはその個人の強さが必要だと思う。ひたすら信じ、問い続け、前に進まねばならない。村人たちは信仰のために死んでいったのだろうか。それともロドリゴを守るために死んでいったのか。また、ロドリゴは救われたのか。村人たちをどのように表現したらいいのか、適切な表現は分からないけれども、一言、優しい。考えることがいろいろある作品でした。蛇足ではあるが、窪塚さんのキチジローは素晴らしかった。
- 01/28 00:25


とにかく重く救われない。テーマも内容も。島原の乱以降、長崎での隠れ切支丹への拷問や弾圧は苛烈を極め、若きポルトガル人司祭はただ手をこまねき、デウスは何も語らない…「神は本当はいないのでは?」そんな疑念が若き司祭の頭の中を掠めたとき、彼は「転ぶ」ことでしか信仰者として生きられなくなる。それでも神は沈黙を続け、海は暗く碧く波打つだけ。
★67 - コメント(1) - 1月25日
ことり
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」
- 01/25 22:26


映画を観た後に原作の記憶がかなり怪しかったので確認。結局のところ、原作では長崎の方言の印象が大きいのに映画では日本人のほとんどが英語を喋っていたのがいちばん大きな変更でした。
★48 - コメント(0) - 1月25日

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」。ただ黙って見ていた訳ではないという、このイエスの言葉がとても印象的。最後の「切支丹屋敷役人日記」は、私が無学なおかげで全く理解できず…。途中で「吉次郎」という言葉を見つけたので、あらすじをネットで調べて何とか概要を理解できたけど、危うく読み飛ばすところだった
★23 - コメント(0) - 1月25日

25年前に読んだはずだが、設定・結論を含めすっかり忘れていた。 でも最後のほうの、宣教師が教えた(教えたかった)キリスト教を日本人が自分たちに合わせて変えてしまった、って話は刷り込まれていたなぁ。ここで得た情報だったのか、と再認識。 映画化されたようなので、弱い人間代表キチジローを窪塚洋介がどのように演じているか、スコセッシ監督のフィルターを通してこの作品がどう描かれているか、観てみたい。
★22 - コメント(0) - 1月22日

「踏絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの足は痛か。痛かよオ。俺を弱か者に生れさせおきながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい」
★22 - コメント(0) - 1月22日

映画の予習として。遠藤周作の、日本人なのにキリスト教徒という妙な立場を考えると、教会組織ではなく、信仰そのものをとったという物語を書いたのは面白い(興味深い)ですね。
★17 - コメント(0) - 1月21日

文章は軽く感じた。宗教観について、最終段階の主人公の考えに共感する。でも選択はいちいち悪い方を選ぶのでイライラ…。大した事なく転ぶ場面では主人公の人間性に嫌気がさす。文学としてはそのシナリオが適切なのはわかるのだけれども…。そういった要素も含め、解説ではダイナミックとされる。それも言えるが、私はクライマックスの連続という表現をしたい。AメロBメロサビAメロBメロサビCメロサビCメロサビCメロサビ…のような。サビがクライマックス=神への疑いor信仰告白。その小出しがクライマックスの連続を私に連想させたのか。
★20 - コメント(0) - 1月20日

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