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2024年3月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
読んだ本
99
読んだページ
16041ページ
感想・レビュー
99
ナイス
44448ナイス

2024年3月に読んだ本
99

2024年3月のお気に入り登録
24

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2024年3月のお気に入られ登録
25

  • rakim
  • うたかた
  • morgen
  • ワオン@最低一日1頁が目標
  • ゴンザレス
  • Himeko is not cat
  • プロミネンス
  • toshi
  • よーだ (Yoda)
  • ムノ
  • 山のジョニー
  • SABA
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  • あまね
  • いっこう
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2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
ネタバレ前半はミステリー仕立てで、スピード感あふれる文体の力に引きずられるように読み進む。真美の失踪が自らの意思によるものであること、またストーカーは狂言であることはかなり早い段階でわかる。その意味ではミステリーのスタイルをとったことに本質があるのではなく、それはプロット推進の方法であったということである。タイトルはもちろんジェイン・オースティンに由来するのだが、本書でもこの言葉がキー・コードとして実に上手く機能している。相手に70点を付けるなは当然傲慢なのだが、相手のために何かを行うことも行為者には善良の⇒
が「ナイス!」と言っています。

2024年3月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

昨日、退院することができました。入院中はご心配をいただいたり、励ましのお言葉をいただき感謝にたえません。私は幸いわずか1週間足らずで済みましたが、読友の方の中には入院中の方も、またそうでないまでも闘病中の方もいらっしいます。皆さまの快癒をお祈りいたします。入院中にあらためて思ったのは、別世界へ飛翔して行ける読書は、やはり最良の友かと。

M
2024/04/19 15:49

出遅れログインで今頃すみません!しかもご旅行中ですね。「別世界へ飛翔して行ける読書は、やはり最良の友」!本当にそうですね。ご自愛されてこれからも仰ぎ見る読書家の存在であり続けてくださいませ。

ヴェネツィア
2024/04/19 20:44

Mさん、ありがとうございます。読書に旅行にと現実と幻想の両方で好きなことをしています。もっとも、帰ったら入院と手術が待っていますが。

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2024年3月の感想・レビュー一覧
99

ヴェネツィア
まずは錦絵・肉筆画から。表紙に採られた「百物語」のこはだ小平二、そして同じく「百物語」のお岩さん、さらやしき、しうねんなど北斎の妖怪絵で名高いものはおおよそここにある。それ以外の出典では、生首図と幽霊図が不気味だ。『椿説弓張月』以下の読み本の挿絵は残念ながらモノクロームだが、構図や人物像は北斎独特のものであり、すさまじいばかりの迫力である。後段には『北斎漫画』が収められているが、これまた北斎の画業の確かさを語って余りある。
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ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。タイトルからすれば、この詩は役場の会計課を詠ったものだろうか。時刻は9時6分。夜のような情景にも見えるが、朝だとすれば役場の始業後まもなくの時間。それにしては人の姿が全く見当たらない。それどころか、時計の「青じろき盤面」には何か不吉な影が差すかのようだ。末尾の2行「パンのかけらは床に落ち インクの雫かわきたり」でも相変わらず無人のままであり、時間はそこで静止したかのようだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者はイギリスのパット・ハッチンス。お話というほどのものもなく、めんどりのロージーが近所のお散歩にでかけ、キツネがずっと隙をうかがって…。ほとんどは絵が語る。線画に彩色をほどこす技法だが、線の縁取りの中にも模様を描き込んでいく独特のタッチ。イギリスの風景感はあまりないが、おすましのロージーと表情豊かなキツネとの対照が見もの。途中にも惚けたヤギなどが登場し、メインプロット以外の部分でも楽しめる。
ヴェネツィア
2024/03/31 13:47

ミサさん、旅行もお酒もO.K.ですから、カンクンを満喫してきます。

ヴェネツィア
2024/03/31 13:48

ちゃっぴーさん、帰ったら手術が待っていますので、せいぜい楽しんできます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
散文詩のようにも見えるが、童話に分類されているようだ。冒頭の「そらのふちは沈んで行き」から既に暗鬱で暗い情景が定位される。情景は家の中にフォーカスされるが「まっ黒な家の中には黄色なラムプがぼんやり点いて」、やがて女に収斂されてゆく。そして「実に恐ろしく青く見える。恐ろしく深く見える。恐ろしくゆらいで見える」と結ばれる。底しれない深淵に飲み込まれて行くような賢治の抱える闇がそこに表出される。それこそは世界の神秘であるのかもしれない。
ヴェネツィア
2024/03/30 17:52

ミサさん、なかなか手強い一篇です。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/30 20:47

ヴェネ様、賢治に女難の相が見えてきました😨

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
名画の近・現代篇。近代絵画はたしかにそれぞれの画家たちの個性が際立つ時代だ。モネしかり、ゴッホしかり、モディリアニしかり、ましてピカソしかりであり、それぞれの画家たちの絵は素人目にもそれと分かる。しかも、まさにその画家にしか描けないものである。中にはこの画集で初めて見る画家の絵もあり、自分の知識の限界をも知ることになる。また、現代絵画になると、アンディ・ウォーホールのようにわかった気になれるものもあるものの、大半はどのように見ればいいのかもわからない。例えばモンドリアンの『コンポジション』などは⇒
ヴェネツィア
2024/03/30 17:24

⇒さすがによく見知ってはいるものの、贋作との区別などはつけようもない。またラインハートのようにキャンバスをただ一色に塗った絵(他にも何人かそんな画家がいるのだが)にいたっては、もうお手上げである。以前に別のところにも書いたが、ニューヨークの近代美術館でも、何の変哲も無い椅子が置いてあるだけであったり、ロープが床に置かれているなど困惑するばかりであった。面白いとは思ったけれども。

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ヴェネツィア
このタイトルのもとに7つの短篇を収録。いずれも秀逸だが、語りがくどい「還る」と、怪が直接登場する「同居人」、「ぬばたまの」は私の好みからは少し外れる。怪は姿を現すことなく、その気配を漂わせるのこそが怪談の最大の妙味ではあるまいか。小池真理子の真骨頂は、こうした怪談にこそあるのではないかという気になるほど出色の小説群。日本の伝統的なモノガタリは、本来「モノ」(姿の見えないもの)を「カタル」ものであった。その意味では本書は物語文学の本流を継承するものである。お薦め!
ヴェネツィア
2024/03/30 08:10

小池真理子の語りの上手さを堪能できる。彼女はまた短篇小説の名手であることにあらためて思いいたる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シビル・ウエッタシンハ作。スリランカの人。原語はシンハラ語であったと思われるが、本書は英語版からの重訳。お話は村はずれの森に棲むきつねのホイティが、村の女性たちを騙してまんまとご馳走をせしめたのだが、実は見破られていた、というもの。ヨーロッパでも日本でも、そしてスリランカでもキツネのイメージが共通するようだ。絵は線画にポスターカラー(?)で彩色したもの。最初の村のシーンなどは実にのびやかで楽しそうだ。また、随所にさりげなくネコが顔を出していたりして、これも微笑ましい。なお、女性たちの表情などは独特だ。
ヴェネツィア
2024/03/30 17:07

yominekoさん、プロットとは関係なく、時々ネコが出没します。

yomineko@猫と共に生きる
2024/03/30 17:11

唐突に出て来るのですね😊楽しみです😻😸😻😸

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ヴェネツィア
坂茂氏は特異な、しかも得難く実に貴重な建築家である。冒頭に紹介されるカトリック鷹取教会(神戸)がそのことを如実に物語っている。この教会は阪神淡路大震災後に、災害救援活動の拠点として、まず集会所が建てられた。なんとそれは紙の管を使った「紙の教会」であった。それは大いなるメリットがあって、まず資材を調達しやすい上に、価格が暴騰している時にあっても、比較的安価で建築が可能であったこと。しかもそれは300人以上のボランティアと信徒、神父さんたちが力を合わせて作り上げたものであった。
ヴェネツィア
2024/03/29 17:26

坂茂氏の、こうした活動の成果は東日本大震災においても遺憾なく発揮されている。すなわち、大槌町などに作られた避難所用間仕切りシステム(これも紙管と木綿の布でできている)や女川町仮設住宅などがそうである。

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ヴェネツィア
ムーミンパパの子ども~青春時代の回想記をムーミンたちに話して聞かせるという構成を採る。ムーミンの一世代前のお話で、作中にはロッドユール(スニフの父親)やヨクサル(スナフキンの父親)も登場し、ムーミンファン必読の一書。巻末で高橋静男氏も指摘しているが、ムーミンパパをはじめ、フレドリクソンやヨクサルら一堂に共通するのは、限りなき自由への憧憬だろう。そして、それは畢竟トーベ・ヤンセンの文学の本質を形成するものでもあった。なお、最後にはムーミンママとのなれそめも語られる。
帽子を編みます
2024/03/29 16:48

ミサさん、こちらこそよろしく😊バッグ一つを持って大波に流されてきました、運命の出会いですね。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/29 16:52

ヴェネ様、横からすみません💦帽子を編みますさん、お返事ありがとうございます✨それは……亡命説、可能性大ですね🤭

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ヴェネツィア
文・絵のハンス・フィッシャーはスイスの画家・イラストレーター。本書は日本図書館協会他から選定、推薦を受けている。お話は76歳の誕生日を迎えるリゼッテおばあちゃんを、この家で暮らす動物たちが総出でお祝いするという心温まるもの。このあたりが選定の理由か。絵は強い線画に部分的に彩色を施したいつものスタイル。動物たちの動作は擬人化されているが、形状はリアルに描かれる。また、それぞれの動物たちの特性も勘案されている。
宵待草
2024/03/29 10:03

ヴェネツィアさん こんにちは 昨日の『だめよ、デイビット!』に次いで、此の絵本も長い年月のお気に入り蔵書絵本の一冊です。 {宵待草の絵本めぐり}でも、ご紹介させて頂いて居ます。 ハンス・フィッシャーは大好きな絵本作家の一人で 『ブレーメンのおんがくたい』や『こねこのぴっち』も好きな絵本です。 読書メーター登録以前の既読本も含めると、ヴェネツィアさんとの共読本は、現在の28冊の倍以上は在るかと? ヴェネツィアさんとの、共読本が一冊一冊加わる事は、励みに成ります!🍀 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草

ヴェネツィア
2024/03/29 12:11

宵待草さん、こちらこそいつもありがとうございます。私も絵本に参入しましたので、これからまだまだ共読本が増えると思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
制作年代はわからないが、比較的初期の童話作品かと思われる。というのは、主題が賢治らしくもなく、勧善懲悪といった単純さに還元できそうだからである。もっとも表現は賢治の特質が随所に見られるのだが。例えば「稲扱器械の六台も据えつけて、のんのんのんのんのんのん」といったオノマトペ。しかも、これが何カ所かに現れ、物語全体にリズムを与えてもいる。勧善懲悪の単純さとは言ったものの、オツベルの悪の表象はシンプルながらも、それはそれでなかなかに魅力的な要素も孕んでいる。
山川欣伸(やまかわよしのぶ)
2024/03/28 19:47

宮沢賢治の「オツベルと象」は、確かに表面上は勧善懲悪の物語に見えるかもしれませんが、賢治独特の表現やテーマが織り交ぜられている点で、一層の深みを持っていますね🌟

ヴェネツィア
2024/03/28 20:45

山川欣伸さん、そうですね。ただ後年の、例えば『銀河鉄道の夜』などと比べると物足りなくも思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
書肆侃侃房の「現代短歌クラシックス」の1冊。この歌集『乱反射』は角川短歌賞、現代短歌新人賞、駿河梅花文学賞を受賞し、つとに評価の高いもの。歌集の前半は小島なおが高校生の時に読まれている。「東京の空にぎんいろ飛行船 十七歳の夏が近づく」、「噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし」、「金木犀のにおいを浴びてのぼりゆく坂の上にははるかなる君」。いくつでも引用したくなる鮮烈な歌群である。後半は大学生になってからの詠だが、高校生の時の新鮮さには及ばないか。現代短歌は初めてという人にもお薦め。
ヴェネツィア
2024/03/28 16:47

歌集に入っているすべてが高校生らしいというわけでもない。中にはこんなのも。「天井に水面が映り水の夢浸透圧に冒された昼」、「船という巨大鋼鉄とりまいて原生生物夜光虫浮く」ー溢れる才能と可能性を感じる歌である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ前半はミステリー仕立てで、スピード感あふれる文体の力に引きずられるように読み進む。真美の失踪が自らの意思によるものであること、またストーカーは狂言であることはかなり早い段階でわかる。その意味ではミステリーのスタイルをとったことに本質があるのではなく、それはプロット推進の方法であったということである。タイトルはもちろんジェイン・オースティンに由来するのだが、本書でもこの言葉がキー・コードとして実に上手く機能している。相手に70点を付けるなは当然傲慢なのだが、相手のために何かを行うことも行為者には善良の⇒
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ヴェネツィア
アメリカの絵本作家、デイビッド・シャノン作。お話はいたってシンプル。ママにことごとく「だめよ」と叱られてばかりのデイビッド。とうとうベソをかいたデイビッドに待ってたものは…。絵は水彩絵の具だろうか。主人公のデイビッドも、全体の構図も思い切り大胆。色使いもヴィヴィッドである。子どもたちの誰もがやりそうなイタズラの限りを尽くすデイビッドの表現にぴったりである。みんな一度くらいは(いえいえ何度も)こんなことをして叱られたはず。子どもたちの共感を呼ぶこと必定の絵本。
宵待草
2024/03/28 09:06

ヴェネツィアさん おはようございます。 此の絵本は『だめよ、ディビット:シリーズ』の内の、蔵書絵本の一冊です。 読み返す度に、最終頁にホッコリさせられます。 {宵待草の絵本めぐり}で、ご紹介予定に選書して居た内の一冊です。 何時も、有り難うございます!🙋 季節の変わり目ですので、呉々もご自愛下さいね!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2024/03/28 09:32

宵待草さん、おはようございます。この大胆な絵は独特の魅力がありますね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
一橋大学社会学部加藤圭木ゼミの大学院生たちが中心になって制作された本。私はこれが最初の出会いだったが、『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』が先に公刊されており、本書はこの第2弾。本書が優れているのは、まず何よりも科学的であるということ。そして、ややもすると情緒的であったり、もっと極端な場合は感情論で語られたりもする日韓関係、あるいは韓国(朝鮮)の歴史(慰安婦問題他)を自分自身の問題として考察し、語るという方法に徹している。論考は天皇制の問題にまで及び、何故と思う人もいそうだが、本書はそのための貴重な⇒
ヴェネツィア
2024/03/27 18:11

⇒ヒントを多々与えてくれる。これを読んでいると、今の若い人たちが頼もしく思え、未来に少しだけ光明が見える気がする。その前に、あらためて私の問題であることを自覚しなければならないのだが。

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ヴェネツィア
チェスター・ビーティ・ライブラリー(ダブリン)のコレクションから。原本は定かではないようだが、小峯和明氏の解説によれば、17世紀前半頃の古浄瑠璃ではないかとのこと。この絵本も年代はないが近世前期の写本。彩色、詞書ともに保存状態はきわめて良好。義経の伝承は『平家物語』以下、『義経記』や、新しいところでは歌舞伎にも多数あるが、地獄巡りは御伽草子『御曹司嶋渡』に見られる。本書ではこれが地獄破りとさらに行動的になっている。もっとも、最後は阿弥陀如来の礼賛で終わっており、本書の制作目的が明らかになるのだが。
井の中の蛙
2024/03/27 10:41

ヴェネツィアさん、お久しぶりです。先日ダブリンに留学した際、チェスター・ビーティー・ライブラリーも訪れました。源氏物語や、甲冑の展示もあったように思います。日本でまたここの名前を聞くことになるとは思わず、驚きました。

ヴェネツィア
2024/03/27 11:10

井の中の蛙さん、しばらくです。ダブリン留学なんていいですねえ。私はチェスター・ビーティ・ライブラリーは、この本で初めて知りました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「赤ずきん」のお話はペローにもグリムにも採録されていて、それぞれ微妙に違うのだが、本書の元版が何に拠ったのかは不明だが、おそらくは普及型のグリム版ではないかと思われる。絵はイギリスの絵本作家バーナデット・ワッツ。この人にはグリム童話を基にした絵本が多数あり、本書もその中の1冊。クレパスで描く技法。特徴的なのは、赤ずきんをはじめ登場人物たちが小さく、周りの自然が大きく画面を支配する構図をとっていることと、どの場面も動きが少なくいたって静的に描かれること。
Millet.K
2024/03/27 08:24

連動している密林の書影が逆さまになっていますね。とりあえず密林には通報しておきました。修正に時間がかかるかもしれませんが。

ヴェネツィア
2024/03/27 08:32

Millet.Kさん、お手数をおかけしますが、どうぞよろしく。

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ヴェネツィア
おきなぐさ(うずのしゅげ)を中心に据えた小岩井界隈(小岩井農場の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわ)の高原に展開する自然を謳いあげた讃歌。最初は地面に近い蟻の視点から、次は空の雲の高みから、さらには空にまっすぐ上がるひばりに別れを告げて風に乗って飛んでいくうずのしゅげ。天の方へ行ったうずのの魂。それは二つの変光星になったという。最後は宇宙的な、あるいは神様のいる(登場はしないが)天に収斂されてゆく。賢治は終生、熱心な法華経信者だったが、ここにあるイメージはきわめてキリスト教的だ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
珍しい皆川博子の時代小説。主人公は四世鶴屋南北(勝俵蔵)。もっとも物語の大半は、まだ伊之助であった彼の無名時代。寛政から文政時代の江戸社会が活写される。文体も江戸風である。ことにプロローグたる『彩入御伽草子』などは、歌舞伎の台本を思わせる書きぶり。希代の名役者でありながら、不遇をかこつ尾上松助。なかなか立作者になれない伊之助。最後は彼らの仕掛けたケレンの大技が江戸の町を席捲する。ようやく時代が彼らに追いついたのだ。題して『天竺徳兵衛韓噺』。歌舞伎から如実に江戸が見える小説。面白い。
ヴェネツィア
2024/03/26 07:01

伊之助の修業時代が大半で、最後はやや性急に終わり、付記の形でその圧倒的な成功を伝える。南北を伝えるには、天才大道具方、長谷川勘兵衛との邂逅などもあってもよかったと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
佐々木マキ作。走るのがとても遅いため、まだ一度もぶたをつかまえたことがないおおかみ。きつねはかせにもらったぶたのたねをもらって育てたが…というお話。このあっけらかんとした荒唐無稽さがいい。絵は遠近感や立体感のない、なんだかのっぺりとしたもの。しかし、またこの独特のタッチが子どもたちに親近感を与えもするのだろう。読み聞かせでは大騒ぎになりそうな気がする。
ヴェネツィア
2024/03/26 14:46

Maasan、やはりそうでしたか。

ヴェネツィア
2024/03/26 14:46

びわこっこさん、子どもたちにうけそうですよ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿に分類されてはいるが、推敲の余地はあったかも知れないが、一応これで完成しているように見える。五七調の定型ではあるが、それはしばしば破られるが、そこに綻びを来たすことはない。きわめて浪漫的に謳いあげられる詩である。「かのまちはつひに見えざり」と詠われる「かのまち」とは何処のことだろうか。あるいはそれはイーハトーブにある幻の町なのだろうか。そして「いよいよに君ぞ恋しき」の「君」もまた永遠の彼方にあって庶幾される「君」だろうか。
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ヴェネツィア
中学生の時に最初に購入した美術選集の第1回配本がヴァトーとフラゴナールだった。画集はいつの間にか手元からは消えたが、ヴァトーの『シテール島への巡礼』とフラゴナールの『ブランコ』がそれぞれの代表作として掲げられていたのを今でも覚えている。したがって、ロココの絵画には思い出は深いのだが、その後は関心の外に行ってしまって久しい。今あらためて見ても、これはこれとしての良さと18世紀らしさとがあるとは思うが、この先にはある種の行き止まり感を持たざるを得ないような気がするのである。
ヴェネツィア
2024/03/25 19:52

男性のファッションが(とはいっても、貴族階級ですが)歴史上最も華やかだったのが18世紀のようです。まさにカサノヴァの時代です。

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ヴェネツィア
フランス料理だけに、あまり驚きはない。現在のフランス料理の出発点となったのは、16世紀半ば、カトリーヌ・ド・メディチがフィレンツェからフランス王のアンリ2世のもとに輿入れしたことや、フランス革命で職を失った王侯貴族の元にいた料理人たちが街に出てレストランを開いたことなど。また、コース料理がロシアからもたらされたことなども、よく知られている。「おいしいパンにワインとチーズ」ー私もこれこそがフランスの究極の食の楽しみかと思う。それこそ各地方に特色のあるワインやチーズがふんだんにあるのだから。
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ヴェネツィア
著者(文・絵)のジビュレ・フォン・オルファースは1881年、東プロイセンの生まれ。ドイツの古典的な絵本作家。お話というほどのものもなく、お姫様が一人でお城を抜け出して森の中に入って行き、森の動物たちや妖精と交流するというもの。絵は、全体の構図に特徴があって、周囲に環状に植物模様が配されている。古典的な絵本はあるいはこうだっのかと思わせる。作画の描線も彩色もともに美しく、遠近法を強調した構図がとられている。読み聞かせというより、絵の歴史的価値を楽しむべきものかと思う。
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ヴェネツィア
予想されたこととはいえ、それにも増しての大勝利である。佃の抱える葛藤もほとんどなきに等しい。しいて言えば、島津の開発した特許の使用を伊丹のギアゴーストに認めるかどうか、ということくらいである。それにしても、佃自身も製作所の社員一同のなんと優しいこと。そして、使命感の持ち方のまっとうなこと。あたかも、ビジネスというのはそれの対極にあるかのごとくである。終わってみれば、佃も幸せ。社員一同も幸せ。殿村の一家も幸せ。万事メデタシメデタシである。このシリーズはこれで幕を閉じるのだろうと思われるが如何?
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ヴェネツィア
El Tamarindo Resort にあるLA CRUZ AND LAS TERRAZAS HOUSESなどの、ごく一部の例外をのぞいては素人目にもメキシコらしいと感じられるものはほとんどない。陽光あふれるあのメキシコの地にあって、そんなに太陽の光を取り入れなくてもと思うくらいに採光がなされた建築が多いように思う。また、私などにはここに紹介された建築群と日本の現代建築との差異がわからない。専門家が見れば歴然としているのだろうか。あるいは、それだけ世界の先端は均質化しているのだろうか。
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ヴェネツィア
文のキャサリン・パターソンはアメリカの児童文学作家で、これまでにニューベリー賞をはじめ数々の賞を得ている。もっとも、この絵本ではお話はなく、ただひたすらにアッシジの聖フランチェスコのお祈りに基づいた祈りの言葉を唱えている。絵のパメラ・ドルトンはアメリカの切り絵美術家。切り絵に彩色を施す技法で、個々の絵も色彩も鮮やかで美しいが、三層構造+周囲の装飾といった構図が煩雑過ぎて逆にアピール力を弱めているようだ。なお、読み聞かせは、キリスト教系の子ども園に限られそうだ。
ヴェネツィア
2024/03/25 11:02

オルファースの『森のおひめさま』が絵の周囲に植物の装飾を施されていた。どうやらこれはドイツの古い絵本のスタイルを踏襲した結果のようだ。

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ヴェネツィア
ネタバレ『下町ロケット』の第3弾。今回は農業機械をめぐっての奮闘。半沢直樹に比べると、どうしても幾分地味な印象は否めないが、モノ造りにかける人たちの思いと行動は熱い。また、前半では特許権の攻防もあり、さすがに池井戸潤は見どころを構成するのがうまい。佃のフェアさ(それは裏目に出たりもするが)は相変わらずであり、それこそがこのシリーズの根幹を形成しているのである。伊丹の裏切りは意外だったが、結果としては天才的といわれた開発者の島津裕を得ることで相殺以上の結果となる(おそらくはそうなるはず)ものと思われる。
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ヴェネツィア
ロマネスクはゆるやかに浸透、拡大していったものだと思っていたが、紀元1000年を過ぎる頃からイタリア、ガリアを中心に爆発的な広がりをみせていったらしい。そこには消失しやすい木造から石造へといった材質の大転換があったことが大きくかかわっていた。神の家は永遠でなければならないのである。本書は絵画、レリーフ、石像、教会建築と幅広く俯瞰することでロマネスクの本質を解き明かしていこうとするものである。エッセイには饗庭孝雄をはじめ優れたものが多いが、アカデミックなものとしては数ある類書中、最適の1書ではないかと思う。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ロジャー・デュボワザン作。この人はジュネーヴ生まれで、アメリカで活躍する作家・イラストレーター。コルデコット・メダルも受賞。お話は、本を拾ったがちょうのペチューニアが巻き起こす騒動に、周りのみんながたいへんな目にあうというもの。最後はお勉強にいそしむペチューニアということでメデタシメデタシ。絵本の真骨頂はやはり絵にあるだろう。技法はペン画に彩色したもの。ラフでのびやかなタッチで、動物たちの動きが生き生きと描かれる。ペチューニアの表情もいい。やや文字が多いが、読み聞かせの反応もよさそうだ。とにかく面白い。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
賢治の生前に出版された唯一の童話集『注文の多い料理店』の中の1篇。まず何よりも物語の全体を貫流する詩的リズムと透き通った空気感がいい。そして、百姓たちと森や山との共生感が共に物語を形作るべく働いている。狼森と笊森、盗森という名前もその本質から童話的な響きだ。「黒坂森のまんなかの巨きな巌」が語るという構成もまたいい。巌の語りはけっして急ぐことなく、ゆったりと物語の時間を刻んでゆく。これはまことに至福の物語である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「犬の力』でもそうであったが、本書もまたマチズモが横溢する。ただし、今回のそれは悲しくも汚れたマチズモである。最初はささいな一歩であったかもしれない。しかし、それがしだいに雪崩をうったように広がり崩壊してゆく。「デニス・マローンの望みはひとつだった。いいお巡りになること、ただそれだけだった」結びのの一文はなんとも哀切に響く。物語の最初に還れば、本書は多くの殉職警官たちに捧げられていた。一見、マローンの行為はそれを裏切るようでもあるが、警官たちの抱える事実の限りない重みを本書は描いたのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この人は歌人としては新鋭の一人で、フラワーしげるを名乗っているが、西崎憲のペンネームで、ファンタジーノベル大賞を受賞した『世界の果ての庭』など、また翻訳書もヴァージニア・ウルフのものをはじめ多数ある。マルチな文筆家なのである。さて歌だが、この分野の新人とは思えない筋肉質の力強い詠いぶりである。定型に収まることなく(歌人自身はあまりそのことに拘っていないように見える)、しばしば破調を恐れない大胆な調べで詠いあげるのである。「あとがき」で「少し風変わりに映るだろうか」と語るが、それを自らよしとしているようだ。
ヴェネツィア
2024/03/22 17:42

あまりなさそうです。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/22 18:21

調べてきました!かなり西崎さん風変わりですね😅

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イブ・スパング・オルセン作。オルセンはコペンハーゲン生まれで、デンマークで幅広く活躍。国際アンデルセン賞も受賞。本書は、月から地上にぼうやが下りてくるお話で、それを活かす縦長変形絵本だ。お話はいたってシンプルなので、絵本の生命はもっぱら絵にあるだろう。ペン画の描線に彩色を施したもので、幾分か欧風コミックっぽいタッチで描かれる。空の高みからしだいに下降してゆく過程が見もの。途中には丸いもの探しの楽しみも付いている。なお、画中のデンマーク語"frugt grønt"は「フルーツ グリーン」のようだ。
ほのぼの
2024/03/23 09:29

投稿ありがとうございます!おかげで懐かしい作品と再会できました。

ヴェネツィア
2024/03/23 09:57

ほのぼのさん、私は初めて出会った絵本でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この始まり方からして、"THE FORCE"シリーズの1冊かと思ったのだが、どうもそうでもないようだ。というのも、物語が始まった時、主人公のマローンは長年のツケが溜まって、今まさに絶体絶命といった窮地に陥っているからである。これが読者にとって旧知の主人公であるなら、あるいは感情移入も可能であるかもしれない。ドラッグと暴力の街、ニューヨーク市警の特捜部に身を置くマローンはダーティな刑事でありながら、けっしてヒーローではない。もちろん、本書の眼目はそこにあり、あくまでもリアルな刑事像、および犯罪都市⇒
ヴェネツィア
2024/03/21 17:05

ニューヨークそのものを描き出すことにこそ目的が置かれていたのである。しかし、プロットも事件を追うといったスタイルを採らず、主人公もこれでは共感を寄せにくいのではないか。作者自身はこれでいいのだろうが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2008年刊行と、ちょっと古いので現状は代わっているかもしれないが、文字通り垂涎のパスタ料理のオンパレード。シェフは駒沢"IL GIOTTO"の高橋直史氏をはじめ14人。一部を除いて東京のお店である。こうしてみると(これ以外にも一流店は数々あるだろうし)東京はローマやミラノと比べても遜色がないくらいのイタリアン都市ではないだろうか。まことに羨ましい限りである。もっとも、東京に住んでいたとしても、こんなお店にはそうそういけそうもないのだが。ここに登場するパスタは22種類。キタッラなど聴いたこともないものも。
ヴェネツィア
2024/03/21 08:08

「野菜のパスタ」、「魚介のパスタ」、「肉・チーズのパスタ」の各章があるのだが、いずれも写真で見るからに絶品。美しいのである。メニューにこんなのが並んでいたら迷うこと必定。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
穂村弘の絵本。とはいっても、お話はかなりいいかげんっぽい。そもそも「あかにんじゃ」の思いつき自体が、穂村弘が子どもの頃に見ていた「仮面の忍者赤影」から来ているのではないだろうか。ページごとに変身するだけ、と言ってしまえば身も蓋もないのだが、ほとんどそんな感じだ。すなわち、本書は木内達朗の絵でもっているのである。絵は小学生がそのまま大人になったようなタッチのもの。一見したところでは上手いように見せないのだが、ボローニャ国際絵本展で入賞するなど評価は高いようだ。たしかにラストシーンなどは、なかなかに秀逸。
ヴェネツィア
2024/03/21 07:57

そうはいっても、子どもたちにはウケそうだなとは思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これも書肆侃侃房の「現代歌人シリーズ」の1冊。荻原裕幸は1962年生まれなので、もはや新進や若手ではなく、中堅どころか、さらにもう少し上。本書も第6歌集にあたるらしい。ただし私は初読だし、これまでは知らなかった(そもそも、知っている方が少ないのだが)。『リリカル・アンドロイド』ーなんともいいタイトルだ。ただ歌の内容からリリカルはともかく、アンドロイドの命名の由来はわからない。俳諧ではないので、季語というわけではないが、ほとんどが季節の推移と深い相関性を有した歌である。前衛風ではないが、静かにさりげなく⇒
ヴェネツィア
2024/03/21 07:42

ミサさん、おはようございます。どうやらなさそうですね。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/21 07:50

ヴェネ様、おはようございます🌞ないのですか⤵なんだかモヤモヤしますね🤔

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
古今の名画のパロディ、ネコ・ヴァージョンがニャスコーの壁画からルネ・マグニャットまで124点。近代以前の古典篇では、もっぱらその絵画の知名度と構図が命か。近代以降になると、その画家特有のタッチが巧みに活かされる。例えば、スーニャの点描やニャートレックのジャポニスム風ポスターなど。こうしてみると、近代絵画には個性が尊ばれたことがよくわかる。またフリーダ・ニャーロの「いばらの首輪」なども大いに楽しめるのだが、元の絵を知っているほど楽しみも大きそうだ。
ヴェネツィア
2024/03/20 07:39

表紙はデン・ハーグのマウリッツハイス美術館蔵のフェルメール『真珠の耳飾りの少女』だが、美術館のショップにこれをさらに精巧にしたネコ・パロディ版のグッズがあった。どちらが先かはわからないが、アイディアそのものは何人もが思いつきそうなもの。ただ、124点は立派。描いていて楽しかっただろう。一方、これだけあると見ている方は幾分マンネリ感を覚えるのも事実。

ヴェネツィア
2024/03/20 11:41

あるいはマウリッツハイス美術館ショップのネコ・パロディは、このシューヤマモト作だったのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻末の既刊案内では、シリーズ第1作のようなのだが、それにしてはフランソワ一家の人たちがすっかりバーバパパに馴染んでいて、彼らとの出会いは語られない。もっとも、この巻でバーバパパはバーバママと出会い、子どもたちが生まれる。なんと卵を産んで、植物の種を植えるように土中で育てるのである。そこにいたるまで、バーバパパはロンドン、インド、ニューヨーク、アメリカの田舎、よそのほしを旅するのであり、それがこの巻の見どころ。絵は線画に彩色の技法で、タッチもペイネなどフランスの漫画によく見られるもの。
海(カイ)
2024/03/21 10:53

AZレメディオスさん 再読してみてください🥰

海(カイ)
2024/03/21 10:55

ヴェネツィアさん 是非読んでほしいです☺️

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
未完文語定型詩の一つ。2連の末尾「いましも汽車を避け了へて こなたへ来るといまははた 急ぎガラスを入りにけり」の表現とタイトルからは、まだこの先に続いていきそうだ。このまま続けば、物語めいた詩になるか、あるいはいっそ童話作品に移行しえあかもしれない。また、「ごみのごとくにあきつとぶ」など推敲の余地も残しそうに思われる。
ヴェネツィア
2024/03/20 04:29

そんなにありましたか。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/20 08:47

青空文庫に書かれていたので、間違いなさそうです😺

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
書肆侃侃房の「現代歌人シリーズ」の1冊。書肆侃侃房は博多にある実に意欲的な出版社。こうした新進の歌人をシリーズで紹介してくれるので、私たち読者も嬉しいし、歌人たちも大いに励まされることだろう。さて、本書の瀬戸夏子。私は先端の歌人には疎いので、本書で初めて知ったような次第だが、結構なアヴァンギャルドぶりである。用いられている言葉の一つ一つは、いわば普通の領域にある。ただ、それが歌の諧調にのせられた時に、世界が混乱をきたす(それが面白みなのだが)のである。それこそが歌人の狙いであるのかもしれない。
yumiha
2024/03/19 16:37

瀬戸夏子さんは、多才な方で川柳作品も書かれているし、アンソロジー『緊急事態下の物語』に小説も書かれています。どちらも、ぶっ飛んだ作品でした。

ヴェネツィア
2024/03/19 16:47

yumihaさん、短歌と川柳という組み合わせはとっても珍しいですね。小説も読んでみたいので、ご紹介いただいた『緊急事態下の物語』を発注しました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
五味太郎作(絵と文)。「がいこつさんがねています。目をあけたままねているのかというと それはちがいます。あれは穴です。目ではありません」ー冒頭の1文がこれ。なんともとぼけた味わいである。ここから先、この「がいこつさん」が街へとくりだすのだが、どのページにも「それもそうだな」のリフレインがリズムを作り出す。がいこつさんが主人公だけれど、絵もちっとも怖くない。やっぱり飄々、淡々と歩みを運ぶがいこつさんである。最後はちょっと教訓ぽくはなくはないけど、結びがまたいい。
ヴェネツィア
2024/03/19 13:19

Feさん、すごいですね。こんなにあるなんて。

Fe
2024/03/19 13:25

福岡市総合図書館の五味太郎作品所蔵は424件! 1955年1月生まれの私は、1945年8月生まれな五味太郎さんの作品を、まだ半分も読んでいないんだなぁ。あと何冊読めるだろう?  https://note.com/fe1955/n/nb670e630a993 『がいこつさん 日本の創作絵本』文化出版局 1982.5 note覚書 私の投稿は感想やレヴューではなく、メモ(備忘録)なんですけど、読書メーターは長いメモには向かないので https://note.com/fe1955/ に覚書を作成しています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
俵万智さんの、とってもよくわかるエッセイ。高校教師を辞めて随分になるが、未だ若干の教師風を残す。前半は言葉をめぐるあれこれ、後半は短歌(古典も近・現代も)を鑑賞する。短歌は自家薬籠中のジャンルであるかもしれないが、言葉に関してもさすがに鋭敏だし、そもそも関心も深い。市井に出かけ、主として若い人たちの言葉に耳を傾け(耳をダンボにし)分析して見せる。ほとんど言語学者である。しかも、読んでいて面白い。この人はエッセイストとしてもまた一流である。
はる
2024/03/19 08:33

台湾の人たち読んで欲しくて訳されたのですかね?

ヴェネツィア
2024/03/19 13:21

はるさん、中国語訳は中国の人で、そのまた訳が俵万智さんによるものです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
散文詩だろうか。制作年はわからないが、後年の作品に比べると完成度は低いように思われる。「町はまことに諒闇の龍宮城また東京の王子の夜」といった比喩も、ちぐはぐな印象で、明確な像を結ばない。「にやにや笑ってうたってゐる」銀の小人は不気味さを表象するし、これら一連の幻想はどこか不吉で禍々しさを秘めているかのようである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『彦火々出見尊絵巻』の原本は12世紀後期の成立だが、本書は寛永17(1640)年に狩野種泰によって描かれた摸本である。したがって、保存状態はきわめて良好。原話は記紀神話に見られる彦火々出見尊(山幸彦)の伝承である。ただし、絵は王朝風のアレンジが施されており、風俗は全く平安朝そのものである。また、豊玉姫および龍王の装束は竜宮城の王と乙姫といった風情である。数々の場面から構成されるが、興味深いのは姫君の出産間近のシーンである。柱にしがみつく姫、魔よけの土器を踏みしだく女。祈祷師や僧はいないようだ。
毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/18 09:00

今調べたら、図書館にあったので。ヴェネ様にお聞きした次第です。レア本ですね。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/18 09:30

読みたい本に登録出来ました😊ありがとうございます😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
垣谷美雨は14冊目だが、この作品も軽快なテンポで日常生活 に生じた危機を語り、それを解決してゆくという物語である。ただ、今回は幾分か深刻さの度合いが緩やかで、その後の展開もまた辛辣さはしだいに影を潜めるばかりか、むしろ和解し受け入れてゆく。主人公の望登子(語り手でもある)がそれ相応の年齢ということもあり、価値観の衝突から多様性の受容へと変容してゆくのである。プロットもいつもながらスピード感とテンポで面白いが、町内会の丹野の登場からはトントン拍子にことが運びすぎるようにも思う。
みつちや
2024/03/18 20:24

初めて読んだ作家さんなのですが、なんだろう…遺品整理をした身としては深刻さが伝わらないのです。

ヴェネツィア
2024/03/19 04:39

みつちゃさん、垣谷美雨の作品はどれも軽快さが売り物なので、あまり深刻にはならないようです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のパトリック・デ・リンクは巻末には「古典研究家で翻訳家」としか紹介されていない。本書は14世紀から19世紀初期までの、いわゆるオールド・マスターズの絵を通観するもの。巻頭はドゥッチオ、ジョットからはじまって、ゴヤまでを取り上げる。ただし、取り上げられる画家はともかく、絵の選定はかなり恣意的である。例えばクラーナハは「エジプト逃避途上の休息」1点のみ、ゴヤもまた「1808年5月3日」の1点しか掲載されていない。また、絵の色彩の再現度にも難がある。もっとも、他の画集で見ればいいのだが。
ヴェネツィア
2024/03/17 17:21

「西洋名画の読み方」シリーズで何冊かが刊行されているので、この巻ではオールド・マスターズの確認ということで、続巻も読んでみようとは思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
吉川トリコは初読。この本を読むまでは名前も知らなかったのだが、これまでに既にかなりな著作があるようだ。さて、本書だが、最初はライトノヴェルかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。純文学の範疇に入れようか、エンターテインメントに分類しようか迷うような文体と位置づけである。6つの短篇が10年ごとに遡る形で描かれ、トータルには長編となる構成。全体としては、この女系家族の来歴が語られるのだが、時間軸を逆にしたことの効果がはたしてあったかは疑問である。しかも、語りとしては冒頭の木綿(小学校3年生)のものが⇒
ヴェネツィア
2024/03/17 17:00

⇒一番いいようなのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のリチャードソン夫妻はイギリスの美術研究者。本書は「名画のなかの世界」の1冊なのだが、編集方針が全くわからない。巻頭のアントニオ・カナルの「聖母マリア昇天祭の日のサン・マルコ埠頭」は、一応18世紀を代表する都市の風景画といえるだろうが、次はいきなり20世紀のパトリック・プロクターの「埠頭」である。では、埠頭つながりかというと、全くそんなことはなくて、その次はエル・グレコの「トレド風景」である。時代順でもないし、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のようなものもある。
ヴェネツィア
2024/03/17 08:01

見開きページの半分をしめる解説も個々の絵についてのみで、全体での位置づけや連関が述べられるわけではない。結局、色々な描き方があるものだという以外には得られるものもなかったようだ。

ヴェネツィア
2024/03/17 10:00

みあさん、マリアです。ご指摘感謝。訂正しました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シュタイナーの人智学に基づいたシュタイナー幼稚園(こども園)が各地にあるようだ。そこでの共通した理念は「年齢にふさわしい環境や学びの課題を通して、自分で考え、判断し、行動できる人間を育てる」ことにあるらしい。それが実践されているのであれば、大いに素晴らしいことだと思う。さて、本書はそんなシュタイナー教育を反映するおやつのレシピ集である。曜日ごとに、例えば月曜日は玄米、火曜日はカラス麦というように中心となる素材が決まっているようだ。いずれも、健康志向に溢れ(私には溢れすぎているようにも見えるが)ている。
ヴェネツィア
2024/03/16 17:34

7つの曜日のすべてに違った穀物でおやつを作るようだ。けっこうな手間暇かと思う。では、なぜ穀物かというと、「穀物には、ものを形づくる力=人間となる形成力に影響する『太陽諸力』がたくさん含まれている」からであるらしい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ作者のオースティン自身が「私のほかには誰も好きになれそうにない女主人公」というエマ。 エマは、私を含めて多くの読者の共感を得ることは難しそうだ。ハリエットとエルトンの間に恋愛感情を想像し、なかば強引なまでに二人を結び付けようとするエマ。この時、彼女はまだ21歳だったはずなのだが、これではもうほとんどご近所の世話焼きおばさんである。しかも、それは自分勝手な大いなる勘違いに基づいていたのだから。チャーチルが現れるや、今度はハリエットとチャーチルの間に愛情が生まれたと思いこんでしまう。最後にはハリエットは⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
青空文庫では文語詩未定稿に分類されている。七・五調の定型を残すが、同時に口語自由詩への指向が認められ、そのことが詩のリズムに破調をもたらしている。その意味では、推敲の余地がありそうで、たしかに未完かと思われる。また、第5聯の「政友会の親分の 手を綿入の袖に入れ 身内一分のすきもなき じろりと過ぐる眼はわびし」あたりは、賢治にしては妙に通俗的な表現も残るようだ。もっとも、この詩は全体としても日常を描く、一種の風俗詩だろうから、これとても全体の中には納まっているか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
リンド・ワード(文・絵)。ワードはシカゴ生まれ、アメリカの絵本作家。本書はコールデコット賞の受賞作。1952年の刊とあって、随所に古さは否めないが、絵本の歴史を概観するには必須の作品の一つだろう。お話も絵もまったくのリアリズムでファンタジックな要素はほとんどない。アメリカ北部の田舎(ミネソタあたりだろうか)で実際にありそうなお話である。絵の技法はモノクロームの石版画だろうか。これまた徹底して真面目に描かれている。なお、訳文は古いというよりも、そもそも日本語として幾分か難点が感じられる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ティファニーといえば、誰しもがニューヨークの五番街に本店を構える宝飾店を思い浮かべるが、ここで取り上げられているのは、ティファニー創始者の長男のルイスの方。彼は花瓶やランプなど、数々のガラス器を制作した工芸家。いずれも意匠はアール・ヌーヴォーである。中にはメトロポリタン美術館に収蔵されているモザイク壁画のように、工芸の域を超えた芸術品そのものといったものもある。もう一方のガウディは今さら紹介の要はなさそうである。それにしても、ティファニーの工芸品とガウディの建築とでは並置するにはいささか違い過ぎるのでは。
ヴェネツィア
2024/03/15 16:50

本書にはサリヴァンやライトの建築、ニューヨークの摩天楼の装飾、あるいはブラッドリーのアメリカン・グラフィックも紹介されているのだが、これらをまとめてアメリカ篇として独立させた方がよかったと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この作品が出版されたのは1815年。ワーテルローの戦いの年だが、すなわちオースティンが執筆していた頃、大陸はまさにナポレオンの巻き起こす嵐が吹き荒れていた。ところが、ロンドンからはさほど離れていない、ここハートフィールドは未だ前世紀の世界であるかのようだ。物語の空間は18世紀で時を止めたかのような世界観の中にある。その中で生きるエマの物語は、畢竟いわば閉ざされた世界であり、そこでの人々の動きはそれぞれの思惑を交錯させつつ構成されてゆく。私たち読者は彼らの間に交わされる会話を通して、それを知るのである。
ヴェネツィア
2024/03/15 08:09

まだ前半だが、本作はいかにも19世紀(世界観は18世紀的だが)のイギリス文学といった悠長さで展開してゆく。エマの造型については、全体を俯瞰できる段階で考えたい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小品ながら、なかなかに壮大な宇宙を展開する。物語の舞台となるのは、ツエラ高原の高所。「白いそらが高原の上いっぱいに張って高陵(カオリン)産カの磁器よりもっと冷たく白い」世界である。時間は薄明から黄昏、そしてやがて夜が明け、日輪が上るまでを描く。同時にそれは「一瞬百由旬ずつ翔けている」時間を超越した空間でもある。イメージの背後を支えるのは鉱物と結晶、主役は侍三人の天の子どもらを侍者に従えたインドラ(※)の網である。幻想の終結とともに物語は閉じられるが、そこはガンダーラの仏教を基軸としながらも、同時にそれを⇒
ヴェネツィア
2024/03/15 07:54

⇒包摂した汎神論的な絶対宇宙であった。※インドラはインドの軍神。本来は暴風雨をつかさどる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イーハトーボの春を高らかに謳いあげるスケッチ風の小品。楽譜から始まる珍しい作品だが、おそらくは賢治の作った曲なのだろう。「太陽マジックの歌」という命名は、あまり賢治らしくないようにも思うが。曲想は単純であるがゆえに明るく弾むような調子である。昨今では誤解されそうだが、ここにいうコロナは太陽コロナのこと。全編に春の光が溢れている。風の又三郎も登場するところをみると、賢治の後期の作品なのだろうか。また、喩法にも「空ではひばりがまるで砂糖水さとうみずのようにふるえて」と、賢治に独特の表現も見受けられる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
広重の『名所江戸百景』。安政4(1857)年頃の作。幕府崩壊まで後ちょうど10年。そんな時期の傑作である。ここに描かれた、なんとも平和で長閑な情景からは、世情騒然としつつある幕末の世相とは全く別世界のごとき江戸である。四季の部立てを採っており、まずは新春から。晴れ渡った空が美しく大きい。空に上がる凧がそれを巧みに強調して見せる構図である。ゴッホら印象派の画家たちが驚嘆した、こうした構図の妙は随所に見られる。というよりは、いずれの絵もすべてがそうだといってよい。広重に⇒          
ヴェネツィア
2024/03/14 08:12

⇒独特の遠近法かと思う。もっとも、ヨーロッパ流の遠近法を用いたものもあり、これまた興味深くはある。秋の部の「猿わか町よるの景」がそれである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
下巻で、さらに展開を見せるのかと思っていたが、さほど大きな変化を迎えることもなく、むしろ全体としては地味に収束していったという感じである。着想の奇抜さに比して、小説そのものはよく言えばオーソドックスだが、見方によれば羊頭狗肉の感も免れない。現代ドイツの文明批評としても、これまた常識の範囲を突き破ることはない。ヒトラー自身もまた現代に飲み込まれていくかのごとくである。ドイツにおいては、今もなおヒトラーはタブーであり、したがって本書もセンセーショナルであったかも知れないが、それは国を越えていく普遍性を⇒
めりっく
2024/03/13 20:36

おお、ヴェネツィアさん、厳しめですね。私は映画版を観ました。現代の社会風俗に順応し、民衆から軽く見られている隙に少しずつ影響力を増していく過程にゾワゾワさせられました。

ヴェネツィア
2024/03/14 04:29

めりっくさん、どうもタイトルほどのインパクはないように思います。物語としてのヤマ場も新聞社を屈伏させたというくらいですし、秘書の女性の出自(ユダヤ系)の問題も有耶無耶なまま終わりますし。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
黄金色が煌めく、美しくも、また幾分かは哀切感もともなった童話。イチョウの実たちの旅立ちの朝を描く。母たるイチョウの木と数多のイチョウの実。一つ一つに個性のある、そして大勢いる子どもたちを表出する賢治の目は暖かく、しかもたくさんであることを巧みに描いて見せる。イチョウの実たちの不安と緊張とが震えとして伝わり、一方では北風の厳しさが出発を促し、また一方ではと太陽の光の恵みが彼らの旅立ちを祝福する。末尾の一文はことのほかに印象深い。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
幾分かの先入観があるかもしれないが、食品のパッケージをはじめとしたスペインのデザインは赤が多用されているような気がする。また、他の国ではあまり見かけないものとしては、モザイク模様のキャンディの包装紙、そしてクモの巣模様のハエタタキ(これ自体が今や珍しい)がある。一方、ポルトガルは、これに比べるとやや地味というか普通のデザインである。ここにはないが、ポルトガルではローカル線の小さな駅までが美しいアズレージョ(青いタイル)で装飾されていたのが印象深い。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
歴史改変SFのようにも見えるが、むしろ思考実験といった手法だろう。1945年に自殺したヒットラーが、突如2011年のベルリンに現れたら、というのが物語の起点であり、同時に根幹である。双方に大いなる違和と軋轢が生じるはずだが、ヒトラーの方は案外にも、現代の世界情勢とドイツ政治、あるいはその後に開発・実用化されたモノ(例えばコンピューター)などを次々にすんなりと受け入れてゆく。物語の主眼がそこにはないからだろうが、読者としてはそのことに多少は違和感を感じざるを得ない。ヒトラーの語りが幾分か面倒なところも⇒
Johnnycake
2024/03/12 20:19

ヒットラーにはユダヤ人の血が入っているのですよね。自分のユダヤ人の部分を否定したいが為のユダヤ人迫害なのだと思います。規模は全然違いますが、30年ほど前に西オーストラリア州の首都でアジア系移民に反対する男がアジア系のレストランに放火したりした事件があったのですが、彼もインドネシア人の血が入っていて、自分のアジア系の部分を否定したかったのだということでした。

ヴェネツィア
2024/03/13 04:49

Jonnycakeさん、レイシストはどこにでもいるのでしょうが、なんだか悲しくなりますね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の川村英樹氏は、内外の数々の受賞歴を持つパティシエ。現在は吉祥寺の「アテスウェイ」のオーナーシェフ。この人がフランスで惹きつけられたのがブルターニュのお菓子。修行地は古都のサン・マロであった。写真で見るブルターニュ菓子の特徴は色合いが限りなく地味であること。焼き菓子が中心ということもあって、大半は焼き色が前面に出る。巻頭を飾るガレット・ブルトンヌ(名前からしてもブルターニュ菓子の代表格だ)がまさにそう。中には、「パヴェ・ブルトン・オ・キャラメル」のように繊細な飾りをほどこしたものもあるが、色は地味だ。
AZレメディオス@読メ再開
2024/03/12 13:07

そうなんですね〜。三重県内の図書館には蔵書が無くて、ちょっと迷ってます🤔果たして購入して使いこなせるかどうか…。

ヴェネツィア
2024/03/12 16:13

詳しいレシピがあるとはいえ、作るとなると至難の業かと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
未完の小説のように思われる。ただ、ここまではスムーズに書き進められてきたように見えるだけに、未完となった理由がよくわからない。また、内容からすれば、これはどうやら童話作品ではなく、小説であるようだ。物語の場所は地名の明示がないが、鉱山のある東北地方のどこか(秋田あたりか)であり、二人の技師たちの半夜の経験を描く。一夜を借り受けた田舎家に深夜、外に粗暴な男が現れるのだが、ここで断筆している。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内藤廣という建築家は本書で初めて知った。「NA建築家シリーズ」の第3巻に登場するくらいだから、おそらくこの分野では相当に名高い人なのだろう。素人であることを恐れずに言うならば、ダイナミックな力感と優美とが共存するデザインであると思う。巻頭の「海の博物館・収蔵庫」の竜骨がむき出しになったような天井はまさに船である。この人は、こんな風に木の梁を用いるのが得意なようだ。またあえて言えば伝統と先進性が稀有な共存を見せているのだろう。
すぶたのまるやき
2024/03/11 23:53

内藤廣さんは私が学生の頃から(四半世紀前?)名だたる賞を受賞して大活躍していた建築家ですね。奇抜を売りにするような建築家ではなく、素材を大事に景観性を重視した建築をつくる素晴らしい方です。相当頭が切れる方で、彼の講演は面白かったのを覚えています。日経アーキも昔からある雑誌ですが、マニアックなので、建築の関係者しか手に取らないことが多い本です。この本に巡り合ったヴェネツィアさんのセンスが素晴らしい。ぜひ、建築とその風土に巡り合う旅出かけてみてください。突然のコメント失礼しました。

ヴェネツィア
2024/03/12 04:43

すぶたのまるやきさん、コメントありがとうございます。「素材を大事に」というのは、解説記事の中でも述べられていました。私は、内装に用いられた木の質感と躍動感に感嘆しました。写真では十分には伝わりませんが、風土に密着した建築を実際に見ることの重要性も強く感じました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
意外なことに、下巻でもそれほど大きな波乱はなく(授時暦が蝕を外したのは、春海にとっては確かに大事件ではあったが)むしろ淡々と語られてゆく。冲方丁は初読なので、これがこの人の通常の語りの手法なのか、あるいは本作に特有のものであるのかはわからないが、私にはこの一見地味で平坦にも見えかねない語り方は成功しているように思える。貞享という時代が、政治的にも文化的にも実に大きな転換点であったことが見事に明示されているからである。政治的には保科正之に水戸光圀らが、そして文化的には渋川春海、関孝和、本因坊道策らがいた。
ヴェネツィア
2024/03/11 17:04

ここには直接は登場しないが、西鶴も芭蕉もこの時代の人である。物語の末尾近くに近松の『大経師昔暦』が登場するが、それに先立って西鶴が『好色五人女』巻3「中段に見る暦屋物語」で大経師家の醜聞を描いていたし、西鶴にはまた貞享の改暦を扱った浄瑠璃『暦』もあった。

ヴェネツィア
2024/03/11 17:07

【ネタバレ】上巻の段階での予想は当たった。いくらなんでもわざわざ"えん"をあれほど思わせぶりに登場させておいて、それっきりではないだろうとは誰しも思うところだろう。連句の恋の定座でもあるまいに。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻では『彦火々出見尊絵巻』と『浦島明神縁起』を収録。『彦火々出見尊絵巻』もきわめて興味深いが別途感想を書くことにして、今回はまず『浦島明神縁起』を。数多くある日本の昔話の類の中で、最も古い来歴を持っているのが浦島伝承である。なにしろ、その初出は『日本書紀』にまで遡ることができる。また、同根と思われる記述は『丹後国風土記逸聞』(こちらの方が詳しい)にもある。その後も『続日本紀』や『浦島子伝』など、いくつものヴァリエーションを派生させながら、今日に至っている。『浦島明神縁起』も、そうしたものの一つだが⇒
ヴェネツィア
2024/03/11 09:26

三浦佑之『浦島太郎の文学史』が『日本書紀』からはじまって、その後の伝承もかなり詳しく述べています。

NORI
2024/03/11 09:33

地元図書館にあるものから当たってみます!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
貞享の改暦を主導した渋川春美の修業時代を描く。上巻全体では、それほど大きな出来事があるわけではないが、青春記としてなかなかに爽やかである。読者の期待が満たされない(晴海にとっても同様だが)のは、"えん"が思いがけずも結婚してしまうことくらいだろう。そして、実はこの巻を進行させてゆく動力となるのが、登場しない関孝和であるという構成は、なかなかに味な趣向である。この関との対面、えんのその後、貞享暦の作成など、大いに期待を持たせながら下巻へ。
ヴェネツィア
2024/03/10 16:55

私の予想するところでは、春海は最終的には"えん"と結ばれるのではと思うのだが、さてどうなることやら。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「よくみてさがそう」の新約篇。文はやはり日本聖書協会で、絵はギル・ガイル。今回は新約聖書から、バプテスマのヨハネによるイエス様の洗礼に始まって、5つのエピソードを取り上げる。趣向も絵のタッチも旧約篇とほぼ同じ。時代考証は一応はなされている風だ。ただ、旧約の時以上に画面全体に展開するゴチャゴチャ感が気になる。また、本質には関りが薄いと思われる設問も、かえって子どもたちを聖書から遠ざけてしまいかねないような気もする。あるいは、入り口は何でもいいということだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
未完の文語定型詩の1篇。冒頭の語りかけ「いざ渡せかし おいぼれめ いつもこゝにて日を暮らす」は、そこにやって来た人物から渡し守の老人に向けてのものだろうか。第2連がまた解釈に困るのだが、「何を云ふともこの飯の 煮たたぬうちに 立つべしや」は、やはりこの人物から船頭への言葉であり、後半の「芋の子頭白髪して おきなは榾を加へたり」は、その視点からの情景と見る。この間、老いた船頭は一言も発せず、ただ焚火に榾を加えるのみであった。とすると、この情景は晩秋から冬にかけてのものだろう。それが寂寥感を一層募らせる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イギリス海岸は、北上川の堤防の一部を指す呼称のようだが、私は賢治が命名したのではないかと思っている。由来は、そこがドーヴァーの白い断崖(石灰質の泥岩だろうか)を思わせることから付けられたものと思われる。賢治は当然、イギリスには行ったことがないのだが、地層や鉱物への関心から、ドーヴァーを知っていたのだろう。北上川の岸辺を見て、遥かドーヴァーに想いを馳せるなどは、夢見る賢治にいかにも相応しいではないか。物語は何ほどの事が起こる訳でもないし、なんだか未完のようにも見えるのだが、そうした全てをイギリス海岸の⇒
ヴェネツィア
2024/03/10 04:17

たまさん、ありがとうございます。賢治の見たイギリス海岸は今は見られないのですね。

ヴェネツィア
2024/03/10 04:20

Jonnycakeさん、その頃から既に幻のイギリス海岸だったのですか。岩手とイーハトーブが違うように、それでいいのかも知れません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルのステラおばさんって誰なんだろう。一応、写真は掲載されているのだが、特定の個人というよりは抽象化されたアメリカの伝統カントリー料理の継承者ということなのだろう。ここで紹介されているのは、ダッチ・カントリー(ペンシルバニア州東部)のもの。一口にカントリーとはいっても、確かにテキサスとミネソタでは大いに違っていそうだ。さて、本書のお料理とお菓子だが、いやあお見逸れしておりました。私はてっきりキャンプ料理のようなもの(バーベキューと豆のスープ等)を想像していたのだが、なかなかどうして本格的なものである。
ヴェネツィア
2024/03/10 08:43

カピバラさん、なるほどの分析ですね。

カピバラKS
2024/03/10 08:52

この本の販促アイデアは博学高尚なヴェネツィアさん向けではないかも💦

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
益田ミリさんの2017、2018、2019年と都合3度のヘルシンキを拠点としたフィンランド旅。タイトルからはシナモンロールばかり食べていたかのようだが、そんなこともない。しかし、巻頭の写真を見るとかなりな数を食べている。ひたすらにヘルシンキ詣でのミリさんなのだが、何が彼女をしてそんなにヘルシンキに惹きつけたのだろうか。おそらく、一人旅の彼女にとっては、安全、快適、清澄が何よりも重要だったのだろう。そして、フィンランドの食とデザインもまたこの上なく魅力的だったようである。
ヴェネツィア
2024/03/10 08:10

何年か前にヴァンター空港(ヘルシンキ)で、トランスファーした時に、職場の後輩(若い女性)にムーミンのカレンダーをお土産に買って帰りました。ムーミン大好きの彼女で、フィンランド語のオリジナル版だったのはですごく喜ばれました。

yomineko@猫と共に生きる
2024/03/10 08:12

ヴェネツィアさん、フィンランド語グッズはとーっても貴重ですよ!!!本当によろこばrたと思います✨✨✨

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
大谷朝子は初読。本書は第46回(2022年)すばる文学賞を受賞している。作品は内向型純文学の流れを継承するものであり、いわば昭和文学以来の王道の一翼を担う位置にあるだろう。社員数30数人の印刷会社に勤務する平井は、自身が人生の重大な分岐点ではないかと思う38歳。結婚したくはない。子どもも欲しいというわけではない。しかし、その一方でそうした普通の人生を捨てる決意もまた持てない。そんな平井のアンビヴァレントな状況と心情の揺れ動きが描かれる。同居する菅沼との微妙な距離感と関係性も、まさに「文学的」なそれである。
ヴェネツィア
2024/03/08 18:12

結末も絶妙。上手い作家だと思う。次回作以下にも注目したい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
私はうかつにもこれまでニューヨークがこれほどまでにアール・デコを満載した都市であったことを見過ごしてきた。チェニイ・ブラザーズ・ビル、クライスラー・ビル、ホテル・カーライル、ロックフェラー・センター。まだまだ氷山の一角である。あのエンパイア・ステート・ビルもそうだ。これらのビルディングは、そのフォルムといい、細部の装飾といい、まさにアール・デコの権化である。思えば、こうしたビル群が相次いで建設された頃が、色々な意味においてアメリカの黄金時代だったのではあるまいか。超現代都市ニューヨークは⇒  
ヴェネツィア
2024/03/08 17:58

⇒同時にノスタルジックな街でもあったのである。かつて、ニューヨークを訪れた折に、グレイラインの夜のニューヨーク・ツアーに参加した時にエンパイア・ステート・ビルの屋上にも登ったのだが、その高度とエレヴェーターの速度に幻惑されてビルそのものは漫然としか見なかった。まことに残念である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
絲山秋子は久しぶり。一時期はシリアスな路線に突き進むかと思われたが、その後は再び軽妙なタッチに復帰。本書はタイトルからして思いっきり軽い。構成の核を成すのが、ジョルジュ食品の部長職にある三芳道造ことチャラ男である。そして彼の周縁にいる人たち(多くは同社の社員)による、15話+1話の語りからなる。全体を通読すれば、会社というのも、そしてそこでの人間関係や、また個々の人たちが抱えている悩みや、ささやかな喜びが浮かび上がってくるという構造である。私には会社員の経験がないのだが、会社とというのは概ねこんなもの⇒
ヴェネツィア
2024/03/08 08:04

⇒なのだろうという気もするが、実際には千差万別な様相を呈していて、一般化しがたいのかも知れない。なお、日本の未来を予見するかのような最終章の向かう先は、どうやらディストピアである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ドン・フリーマン作(文と絵)。1969年初版だが、内容が内容だけに古さは感じさせない。お話は、主人公のカリーナの図書館でのふとした微睡に、次々に動物たちがやってきて本を読むというもの。「としょかんではしずかにしましょうね」というのを物語化したようにも見える。絵はペンとクレヨンによる枠線に彩色したもの。行動は擬人化されているが、動物たちの絵も含めて基本的にはリアリズム・タッチである。背景も構図もいたってシンプルだ。なかなかに好感の持てる絵。また、年代の先入観のせいか、古き良きアメリカを感じさせもする。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1925年4月1日から1927年8月21日までの日記。連続して書かれた部分もあり、またしばらく断絶する箇所もある。「或る農学生の日誌」とあるので、一応はフィクションであるのかもしれないが、どうやら賢治自身の日記ではないかと思われる。もっとも、それにしても脚色はありそうだが。ハイライトは、北海道への修学旅行ののだが、それが小樽で終わっていて札幌以下の記述のないのはどうしたことだろうか。逆に言うと、そうであるが故に全体がフィクションであるとは思えないのである。
ヴェネツィア
2024/03/07 17:24

序では、賢治の複雑な胸の内が明かされている。賢治は、ここではそうとうに鬱屈し、韜晦めいた叙述なのだが、日誌本文では真摯な姿がうかがえる。というよりは、常に真摯なのである。干ばを案じ、また長雨に心を痛める賢治の姿は、「雨ニモマケズ」そのものである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フランボワーズ(=ラズベリー)以下イチゴからショコラまで、20の素材ごとに提示されるコルドン・ブルーのお菓子群。いずれも凝りに凝っている。ノエル・ド・ブッシュひとつとってみても、シンプルさからはほど遠い。ドイツの素朴なノエル(ドイツではノエルとは言わないか)が懐かしくなるくらい。それぞれに詳しいレシピが付いているが、私にはとてもこれらを再現できるとは思えない。こうしたお菓子をいただくシーンを想像してみると、最上なのはレストランでのデザートとして。次いでは高級洋菓子店の直営カフェのイート・インで。
naka ☆ naka
2024/03/07 08:21

おぉ、菓子の本!食のほうは早くも戻られましたか?ご自愛くださいね。

ヴェネツィア
2024/03/07 08:24

naka ☆ nakaさん、それでもいろいろと制限があるのです。それだけにいっそう美味しそう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作(文と絵)はサム・ズッパルディ。イギリスのヨーク在住の絵本作家らしいのだが、名前(姓)からは出自がイタリアっぽい。お話は、大事なことの前に現れる"どきどきモンスター"と、その対症法。指南役はママ。絵はクレパスの描線に水彩で彩色したもの。下書きの鉛筆の線を残したままにしておくのが特徴。それで何かいいことがあるのだろうか。また、絵は全体としていたってラフ。こういう独特の味わいとして受け止めておくことにしたい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本文は日本聖書協会の子ども版旧約聖書。絵はイギリスのイラストレーター、ギル・ガイル。技法はアクリル・グワッシュである。本書には「ノアのはこぶね」からはじまって、旧約のよく知られた説話が5つ取り上げられている。そして、これを読んでもらっている子どもたちにはミッションが課せられるというところがミソ。絵はいずれもゴチャゴチャというくらいにたくさんの素材で埋め尽くされている。そこから、例えばノアの3人の息子たちや、2羽のダチョウを探すというのがミッションである。「みつけましょう」の項目は、どのページにも多いし⇒
ヴェネツィア
2024/03/06 16:51

⇒子どもたちはたいへんである。絵はいたってカラフルで鮮やか。私はあまり好む絵ではないが、これくらいくっきりしていないと探せないだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
四方田犬彦は、これまで評論とエッセイは何冊か読んできたが、小説は初めて。どうやら、これが最初の小説であるようだ。四方田は1979年に1年間、建国大学師範大学で客員教授を務めた。そして、その翌年に「文藝」編集部の高木氏の提案で執筆されたのが、本書の初稿である。その後の紆余曲折を経て、最終的にはその初稿が甦り、2020年に出版の運びとなった。したがって、本書の社会的背景は1979年、朴政権下のソウルである。韓国社会が持つ強い熱量と、にもかかわらず寂寥感とが同居する小説である。ここに表出された世界観は⇒
ヴェネツィア
2024/03/06 16:40

⇒私には大江健三郎の初期作品が持っていたそれに通底するところがあるように思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者(井岡美保、小我野明子)は、共に奈良を拠点に活動する、部類のロシア好きのお二人。さて、ロシアのデザインだが、東欧のそれに似ているだろうとの予想は、幾分かはあたっているものの、はるかにあか抜けていて、その分商業的な雰囲気を漂わせている。素材こそマトリョーシカやチェブラーシカがよく用いられているが、色遣いや構成が巧みなのと、インクや紙の質がいいのだと思われる。そして、おそらくは専門的な商業デザイナーの層の厚さがうかがえるのである。もっとも、ここに紹介されている限りではだが、子どものおもちゃは共産圏時代の⇒
ヴェネツィア
2024/03/06 08:14

⇒名残りを如実にとどめているように見える。一方、絵本やカード類は欲しくなるものがたくさん。ただ、これまた変に生真面目そうな労働熊の絵本などもあり、これはこれで微笑ましくはある。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ主人公の梨子(物語の語り手でもある)は、大きくは2つの恋を生きることになる。生矢との初恋から結婚、出産にいたる、いわば普通の恋と、高丘との夢幻の中での恋(現実とも混淆するが)がそれである。しかも、高丘とのそれは、江戸の花魁に憑依した梨子((昔の章)、さらには王朝期の女房となった(また高子にも憑依するが)梨子とそれぞれの時代に現れた高丘との恋である。かくも構成は一見したところは複雑そうなのであるが、実際には意外とシンプルである。なぜならば、それらはすべて『伊勢物語』第6段「芥川の一口鬼」が基軸となっている⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『朝に就ての童話的構図』を習作とする完成稿かと思ったのだが、どうやら全く同じもののようで、タイトルが違うだけのようだ。このタイトルで「天才人」1933(昭和8)年3月号に掲載された。硬質なもの(例えば歩哨の持つスナイドル式の銃剣)と柔らかな(同時にそれは銃とは対極にある生命である)キノコとの対比と、やはり自然を謳歌する森の朝の情景が賢治らしい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エド・ヤング作(絵と文)。ヤングは中国で生まれ育ち、アメリカで学んだ。現在はニューヨークで活躍。お話は、もうまったく中国の諺そのもの。日本にも「木を見て森を見ず」(より直接的には、もう一つの方の諺なのだがそれは問題があるのでこちらを採用)があり、英語圏にも"You cannot see the wood for the trees."というのがあるようだ。七ひきのねずみたちが巨大な象の一部分だけを見て、それぞれに勝手な像を作り上げるというもの。本書はなにより絵がいい。黒を背景にコラージュでカラフルな⇒
ヴェネツィア
2024/03/13 16:24

つぼみさん、絵が特によかったですね。

つぼみ
2024/03/13 16:26

じっくり見直しました。イラストがよかったです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フィデルマのシリーズは2冊め。この巻は5つの短篇を収録。7世紀半ばのアイルランドを舞台に物語が展開するこの風土感と歴史の重みがあってこそのフィデル・シリーズ。今回も健在である。ただ、なにしろ時代の制約を背負っているだけに、捜査は予断とハッタリになりがちであり、現代的なミステリーの持つ緻密さ(例えばスカーペッタのシリーズのような)は、ここにはない。勝負どころが違うのである。その代わりというか、文学の持つ香気といったものが、このシリーズにはある。5篇の中では、解説の川出正樹氏は「晩禱の毒人参」を推して⇒
ヴェネツィア
2024/03/05 06:22

⇒いる。確かにそれもいいのだが、私は同じような構造を持つ「奇跡ゆえの死」をとる。もっとも、この2作は他を凌駕し、甲乙つけがたくはあるのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
半沢直樹シリーズ第4作目。遅ればせながら読み始めて、ようやく10年前まで追いついてきました。相変わらず痛快無比。4作目まで来ると、だんだんと敵役が強大になってくる。本作ではもう銀行の枠を遥かに越えてかなりの難敵。一時は半沢もここまでかというくらいまで、打つ手がなくなるほどに。ただこの手法を取っている限りは、読者は最後には半沢が勝利することを確信しているのであり、スリリングさは今一つないのだが。また、敵が次第に強く大きくなるのもやがて限度がやってきそうだ。この時点では、まだ大丈夫のようだが。⇒
ヴェネツィア
2024/03/04 16:41

⇒今回は敵も大物なだけに半沢の活躍もスケールが大きくなっている。一方、小説としての大風呂敷も(その方が面白いのだが)これまた限度があって、いつまでもという訳にはいかないだろう。さて、どこまで続くのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
あまりにも名高い賢治の「雨ニモマケズ」。一般にはこれは詩として受け止められているようだが、詩だろうか。私は賢治が自らに課した生の理想がこのような形で語られているのだと思う。そして、賢治のすごいところは、これが観念的な理想とはならず終生ほぼこの通りに実践されたことだろう。末尾に「南無無辺行菩薩」以下の祈りの言葉が連ねられているが、賢治の因って来たる思想的、宗教的な強い思いを支えた根底に、こうした法華経信仰があったのだろう。
ネギっ子gen
2024/03/06 20:37

ヴェネツィアさん、宮沢賢治ということでコメントさせていただきますね。「雨ニモマケズ手帳」の、59ページ目の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」に続く60ページ目、見開きの左側中央に大きく「南無妙法蓮華経」と書かれた“文字曼荼羅”。ヴェネツィアさんが書かれたように、根底には法華経信仰があるのでしょうね。“デクノボー”は“常不軽菩薩”に。

ヴェネツィア
2024/03/07 05:00

ネギっ子genさん、「雨ニモマケズ」との最初の出会いは中学校の教科書でした。もちろん、その時は法華経信仰のことは全く知りませんでしたが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
3.11大震災の救援にあたった自衛隊各部隊の記録。まず何よりも優れているのは、本書のルポルタージュとしての姿勢と文体である。過剰に感情移入することなく、というよりは極力客観性を保ちながら、それでも行間から溢れてくる強い共感性。むしろそれは読者をも巻き込む一体感と言っていいのかもしれな い。「千年に一度の日」では、多賀城駐屯地の隊員たちを語る。彼らは自らも被災しながら(とりわけ津波)、文字通り不眠不休で救援活動にあたった。凄まじいばかりの精神力と使命感である。続く「七十二時間」では、彼らの秘めた⇒
ヴェネツィア
2024/03/04 06:25

⇒(秘めなければならないのだろう)感情が吐露される。眼前の遺体、自分の家族への思い、様々なものがあったはずだ。それがさらにギリギリのところで露わになるのが「原発対処部隊」である。読んでいる側は悲壮感さえ感じるのだが、彼らは淡々と任務をこなしていく。それが自衛隊員としての自らの任務だからである。渾身、迫真のルポルタージュ。お薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
吉本ばななは実に久しぶり。本書はファンタジー『吹上奇譚』の第2巻だが、この独特の語りの世界がそうだったと思い出す。ここでは生命も、セックスも愛も何もかも軽い。それらは、極論すれば母親が作るどんぶりとさえ等価だ。しかも、物語の中にはほとんど葛藤といったものが見られない。「あとがき」で、ばななさんは「これはもはや、小説というものではないものかもしれない」と言うのだが、コアなばななファンにはこれでも十分に通じるのかもしれないが、作家にはもはや通じなくてもいいという思いがあるのではないか。この人にはもともと⇒
ヴェネツィア
2024/03/04 06:07

jamさん、ありがとうございます。概ね順調のようです。予定通りなら、あと2日。

jam
2024/03/04 08:23

順調で何より。お身体大変でなければ、この際、本読めるといいですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の河内和子氏は英米文学の翻訳家。68歳にして一念発起。単身でイタリアに渡り、ホームステイをしながらイタリア語を学ぶ。本書はその報告と紀行である。私の知り合いには80歳になってもヨーロッパを自由旅行している人がいるので、68歳には驚かないが、御本人には決意とそれ相応の覚悟とが必要だったようだ。アグリツーリズモはいい選択だったと思う。ただ、何処も車がなければ行けないような所が多いのが欠点だが。それにしても、初めての一人旅とはいえ、エージェントに何から何までを依頼するのはもったいない話だ。今時はパソコンで⇒
ヴェネツィア
2024/03/03 13:00

⇒すべて事足りるのにと思う。その方がスリルもあって、もっと楽しめるのだけれど。それでも、彼女はイタリア語のクラスに通い、ホームステイ先でイタリア語を勉強し、と大いにイタリアを満喫したようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
賢治の習作的童話か。アリの視点から眺める朝の光景である。その意味では、後の(?)『やまなし』などに引き継がれて行くものだろう。仰角で眺める森はまた違った様相をそこに展開する。ある朝、突然に出現したキノコへの驚き。それは子どものアリといった、いわば無垢の視点からの発見である。最後に種明かしがあるが、この部分の受け止め方で評価も変わりそうだ。すなわち、なあんだそれだけのことだったのかと思うか、大人の知識とそれを持たない子どもの目との対比と見るか。後者の場合、賢治の目はもちろん子どもの側を支持するのである。
ヴェネツィア
2024/03/03 08:39

絵本とは違うと思いますが、かなり可視的な表現ではあります。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/03/03 10:14

ありがとうございます✨探してます😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
下巻は、圧倒的に大輔が物語の中軸を背負うことになる。彼を早熟な小学生に設定し、性行動をさせる作家の意図が今一つわからないが、それも普通ではないことの表出の一つなのだろうか。香織の無軌道ぶりは、あり得ることとして許容できるが、大輔の行動規範にはどうしても"逸脱"感が拭えない。そしてあろうことか、物語は急展開を見せ、思いも寄らない結末へと雪崩込んで行く。元々の犯罪に関しては何の罪もない大輔が何故これほどの結果を背負わされねばならなかったのか。当初は犯罪者と被害者の双方の側のその後を追って進行していた物語が⇒
ヴェネツィア
2024/03/03 05:32

⇒作家自身にも止められないくらいに暴走を始めた結果がこれだったのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
幻想譚。夢の記述のようにも見える。個々のエピソードの間に脈絡がないのである。登場してくる者たちも、みんなそれぞれに奇妙だ。ことに区分キメラなどというのは。しかし、それはそこに存在するだけで、何をなすのでもない。そういう風にいうならば、語り手の「おれ」を含めて誰もが目的らしきものを持ってはいない。島に渡ってからは、孤独な心象風景が語られるが、最後に登場する測量士の志木が、これまた曲者である。この唐突さとわけの分からなさこそが、本作の味わいといえば味わいなのである。賢治観を拡げる物語。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ乃南アサの意気込みと、事柄が事柄だけに綿密に語っていく姿勢はよくわかる。ただ、物語全体の展開の遅さは幾分気になるところ。真裕子と建部の接近は誰もの予想通りだろう。互いの孤独が共鳴し合うのだから。一方、香織の豹変はとどまるところを知らない勢いである。してみると教師の妻としての香織は、その本質が抑圧されていたのかもしれない。また大輔にも、この先に危ういものを感じるのだが、犯罪者の息子といった遺伝的形質に流れないことを願う。これまでの筆法からすれば、半ばはその危険がありそうだ。さて、全体の結末をどうつけるのか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は最初から、かなりの長編になる覚悟で書き進められたものと思われる。乃南アサの練達の文章力は、読んでいて遅滞感を持つことはないが、物語全体の進行はかなりにゆるやかであ る。一つの犯罪は被害者の家族にも、また加害者の側にも大きな波紋を呼び起こす。それを丹念に追って行くことが、本書のとった方法であり、テーマでもある。上巻を読む限りでは、主な登場人物は真裕子と香織の2人の女性と、大輔と建部の2人の男性であるが、読者は真裕子にも香織にも共感しにくいのではないかと思われる。大輔に対しても同様であり、どうやら⇒
ヴェネツィア
2024/03/01 06:15

⇒作家はあえてそうしているのではないかと思われる。その意味では、過去の事件を追う記者の建部は中立的な存在として、彼らを繋いでいくのだろう。明るい曙光はほとんどないままに中巻へ。

ヴェネツィア
2024/03/01 06:18

『風紋』の続編だったか。それならば、読者の共感の持ち方も違うかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
8行からなる文語定型詩。リズムとイメージの飛翔は、北原白秋を思わせる浪漫派のもの。末尾の「朱塗りの盃」をあげるからは、この日が田植えを祝する目出度い日なのだろうが、それにしては冒頭の「あくたうかべる」は何故か。また第一連の最後の「熊ははぎしり雲を見る」も唐突な表現だが、これはイメージの跳躍と解すれば、むしろ詩に躍動感を与えるか。私の解釈では、全体としては晴れやかな祝祭詩である。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(4533日経過)
記録初日
2011/04/07(4770日経過)
読んだ本
6328冊(1日平均1.33冊)
読んだページ
1585121ページ(1日平均332ページ)
感想・レビュー
6237件(投稿率98.6%)
本棚
54棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、14年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から4752日(2024年4月3日現在)、冊数は6279冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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