昨日、退院することができました。入院中はご心配をいただいたり、励ましのお言葉をいただき感謝にたえません。私は幸いわずか1週間足らずで済みましたが、読友の方の中には入院中の方も、またそうでないまでも闘病中の方もいらっしいます。皆さまの快癒をお祈りいたします。入院中にあらためて思ったのは、別世界へ飛翔して行ける読書は、やはり最良の友かと。
出遅れログインで今頃すみません!しかもご旅行中ですね。「別世界へ飛翔して行ける読書は、やはり最良の友」!本当にそうですね。ご自愛されてこれからも仰ぎ見る読書家の存在であり続けてくださいませ。
⇒さすがによく見知ってはいるものの、贋作との区別などはつけようもない。またラインハートのようにキャンバスをただ一色に塗った絵(他にも何人かそんな画家がいるのだが)にいたっては、もうお手上げである。以前に別のところにも書いたが、ニューヨークの近代美術館でも、何の変哲も無い椅子が置いてあるだけであったり、ロープが床に置かれているなど困惑するばかりであった。面白いとは思ったけれども。
坂茂氏の、こうした活動の成果は東日本大震災においても遺憾なく発揮されている。すなわち、大槌町などに作られた避難所用間仕切りシステム(これも紙管と木綿の布でできている)や女川町仮設住宅などがそうである。
ヴェネツィアさん こんにちは 昨日の『だめよ、デイビット!』に次いで、此の絵本も長い年月のお気に入り蔵書絵本の一冊です。 {宵待草の絵本めぐり}でも、ご紹介させて頂いて居ます。 ハンス・フィッシャーは大好きな絵本作家の一人で 『ブレーメンのおんがくたい』や『こねこのぴっち』も好きな絵本です。 読書メーター登録以前の既読本も含めると、ヴェネツィアさんとの共読本は、現在の28冊の倍以上は在るかと? ヴェネツィアさんとの、共読本が一冊一冊加わる事は、励みに成ります!🍀 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草
宮沢賢治の「オツベルと象」は、確かに表面上は勧善懲悪の物語に見えるかもしれませんが、賢治独特の表現やテーマが織り交ぜられている点で、一層の深みを持っていますね🌟
歌集に入っているすべてが高校生らしいというわけでもない。中にはこんなのも。「天井に水面が映り水の夢浸透圧に冒された昼」、「船という巨大鋼鉄とりまいて原生生物夜光虫浮く」ー溢れる才能と可能性を感じる歌である。
ヴェネツィアさん おはようございます。 此の絵本は『だめよ、ディビット:シリーズ』の内の、蔵書絵本の一冊です。 読み返す度に、最終頁にホッコリさせられます。 {宵待草の絵本めぐり}で、ご紹介予定に選書して居た内の一冊です。 何時も、有り難うございます!🙋 季節の変わり目ですので、呉々もご自愛下さいね!✨ 宵待草
⇒ヒントを多々与えてくれる。これを読んでいると、今の若い人たちが頼もしく思え、未来に少しだけ光明が見える気がする。その前に、あらためて私の問題であることを自覚しなければならないのだが。
ヴェネツィアさん、お久しぶりです。先日ダブリンに留学した際、チェスター・ビーティー・ライブラリーも訪れました。源氏物語や、甲冑の展示もあったように思います。日本でまたここの名前を聞くことになるとは思わず、驚きました。
伊之助の修業時代が大半で、最後はやや性急に終わり、付記の形でその圧倒的な成功を伝える。南北を伝えるには、天才大道具方、長谷川勘兵衛との邂逅などもあってもよかったと思う。
ニューヨークそのものを描き出すことにこそ目的が置かれていたのである。しかし、プロットも事件を追うといったスタイルを採らず、主人公もこれでは共感を寄せにくいのではないか。作者自身はこれでいいのだろうが。
「野菜のパスタ」、「魚介のパスタ」、「肉・チーズのパスタ」の各章があるのだが、いずれも写真で見るからに絶品。美しいのである。メニューにこんなのが並んでいたら迷うこと必定。
表紙はデン・ハーグのマウリッツハイス美術館蔵のフェルメール『真珠の耳飾りの少女』だが、美術館のショップにこれをさらに精巧にしたネコ・パロディ版のグッズがあった。どちらが先かはわからないが、アイディアそのものは何人もが思いつきそうなもの。ただ、124点は立派。描いていて楽しかっただろう。一方、これだけあると見ている方は幾分マンネリ感を覚えるのも事実。
福岡市総合図書館の五味太郎作品所蔵は424件! 1955年1月生まれの私は、1945年8月生まれな五味太郎さんの作品を、まだ半分も読んでいないんだなぁ。あと何冊読めるだろう? https://note.com/fe1955/n/nb670e630a993 『がいこつさん 日本の創作絵本』文化出版局 1982.5 note覚書 私の投稿は感想やレヴューではなく、メモ(備忘録)なんですけど、読書メーターは長いメモには向かないので https://note.com/fe1955/ に覚書を作成しています。
見開きページの半分をしめる解説も個々の絵についてのみで、全体での位置づけや連関が述べられるわけではない。結局、色々な描き方があるものだという以外には得られるものもなかったようだ。
7つの曜日のすべてに違った穀物でおやつを作るようだ。けっこうな手間暇かと思う。では、なぜ穀物かというと、「穀物には、ものを形づくる力=人間となる形成力に影響する『太陽諸力』がたくさん含まれている」からであるらしい。
本書にはサリヴァンやライトの建築、ニューヨークの摩天楼の装飾、あるいはブラッドリーのアメリカン・グラフィックも紹介されているのだが、これらをまとめてアメリカ篇として独立させた方がよかったと思う。
まだ前半だが、本作はいかにも19世紀(世界観は18世紀的だが)のイギリス文学といった悠長さで展開してゆく。エマの造型については、全体を俯瞰できる段階で考えたい。
おお、ヴェネツィアさん、厳しめですね。私は映画版を観ました。現代の社会風俗に順応し、民衆から軽く見られている隙に少しずつ影響力を増していく過程にゾワゾワさせられました。
めりっくさん、どうもタイトルほどのインパクはないように思います。物語としてのヤマ場も新聞社を屈伏させたというくらいですし、秘書の女性の出自(ユダヤ系)の問題も有耶無耶なまま終わりますし。
ヒットラーにはユダヤ人の血が入っているのですよね。自分のユダヤ人の部分を否定したいが為のユダヤ人迫害なのだと思います。規模は全然違いますが、30年ほど前に西オーストラリア州の首都でアジア系移民に反対する男がアジア系のレストランに放火したりした事件があったのですが、彼もインドネシア人の血が入っていて、自分のアジア系の部分を否定したかったのだということでした。
内藤廣さんは私が学生の頃から(四半世紀前?)名だたる賞を受賞して大活躍していた建築家ですね。奇抜を売りにするような建築家ではなく、素材を大事に景観性を重視した建築をつくる素晴らしい方です。相当頭が切れる方で、彼の講演は面白かったのを覚えています。日経アーキも昔からある雑誌ですが、マニアックなので、建築の関係者しか手に取らないことが多い本です。この本に巡り合ったヴェネツィアさんのセンスが素晴らしい。ぜひ、建築とその風土に巡り合う旅出かけてみてください。突然のコメント失礼しました。
すぶたのまるやきさん、コメントありがとうございます。「素材を大事に」というのは、解説記事の中でも述べられていました。私は、内装に用いられた木の質感と躍動感に感嘆しました。写真では十分には伝わりませんが、風土に密着した建築を実際に見ることの重要性も強く感じました。
ここには直接は登場しないが、西鶴も芭蕉もこの時代の人である。物語の末尾近くに近松の『大経師昔暦』が登場するが、それに先立って西鶴が『好色五人女』巻3「中段に見る暦屋物語」で大経師家の醜聞を描いていたし、西鶴にはまた貞享の改暦を扱った浄瑠璃『暦』もあった。
【ネタバレ】上巻の段階での予想は当たった。いくらなんでもわざわざ"えん"をあれほど思わせぶりに登場させておいて、それっきりではないだろうとは誰しも思うところだろう。連句の恋の定座でもあるまいに。
何年か前にヴァンター空港(ヘルシンキ)で、トランスファーした時に、職場の後輩(若い女性)にムーミンのカレンダーをお土産に買って帰りました。ムーミン大好きの彼女で、フィンランド語のオリジナル版だったのはですごく喜ばれました。
⇒同時にノスタルジックな街でもあったのである。かつて、ニューヨークを訪れた折に、グレイラインの夜のニューヨーク・ツアーに参加した時にエンパイア・ステート・ビルの屋上にも登ったのだが、その高度とエレヴェーターの速度に幻惑されてビルそのものは漫然としか見なかった。まことに残念である。
⇒なのだろうという気もするが、実際には千差万別な様相を呈していて、一般化しがたいのかも知れない。なお、日本の未来を予見するかのような最終章の向かう先は、どうやらディストピアである。
序では、賢治の複雑な胸の内が明かされている。賢治は、ここではそうとうに鬱屈し、韜晦めいた叙述なのだが、日誌本文では真摯な姿がうかがえる。というよりは、常に真摯なのである。干ばを案じ、また長雨に心を痛める賢治の姿は、「雨ニモマケズ」そのものである。
⇒名残りを如実にとどめているように見える。一方、絵本やカード類は欲しくなるものがたくさん。ただ、これまた変に生真面目そうな労働熊の絵本などもあり、これはこれで微笑ましくはある。
⇒今回は敵も大物なだけに半沢の活躍もスケールが大きくなっている。一方、小説としての大風呂敷も(その方が面白いのだが)これまた限度があって、いつまでもという訳にはいかないだろう。さて、どこまで続くのだろうか。
ヴェネツィアさん、宮沢賢治ということでコメントさせていただきますね。「雨ニモマケズ手帳」の、59ページ目の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」に続く60ページ目、見開きの左側中央に大きく「南無妙法蓮華経」と書かれた“文字曼荼羅”。ヴェネツィアさんが書かれたように、根底には法華経信仰があるのでしょうね。“デクノボー”は“常不軽菩薩”に。
⇒(秘めなければならないのだろう)感情が吐露される。眼前の遺体、自分の家族への思い、様々なものがあったはずだ。それがさらにギリギリのところで露わになるのが「原発対処部隊」である。読んでいる側は悲壮感さえ感じるのだが、彼らは淡々と任務をこなしていく。それが自衛隊員としての自らの任務だからである。渾身、迫真のルポルタージュ。お薦め。
⇒すべて事足りるのにと思う。その方がスリルもあって、もっと楽しめるのだけれど。それでも、彼女はイタリア語のクラスに通い、ホームステイ先でイタリア語を勉強し、と大いにイタリアを満喫したようだ。
⇒作家はあえてそうしているのではないかと思われる。その意味では、過去の事件を追う記者の建部は中立的な存在として、彼らを繋いでいくのだろう。明るい曙光はほとんどないままに中巻へ。
2011年4月からの参加で、14年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から4752日(2024年4月3日現在)、冊数は6279冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。
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