【女性について】 女性は家庭に入ることが前提としてあったので、仕事をしても男性よりも異常に低い給与しかもらえないため自立することができず、家計を支える男性が家族にいない場合には売春もやむを得なかった。 核家族化した都市のサラリーマン世帯では家事や育児を手伝ってくれる親族がおらず、それらが重労働化し女性は専業主婦にならざるを得なかった。
とはいえ俸給生活者が大半である現在の我々のご先祖様と考えれば連続性を感じる部分や参考になる部分も多く、特に、長い戦後恐慌(1920-)の後に訪れた好景気(1936頃-)によって保守化したサラリーマンが、暗黙のうちに戦争を支持し、やがて太平洋戦争に突入…という流れには考えさせられる。 【読んだきっかけ】 おととし亡くなった祖母がどのような少女時代を過ごしていたのかが知りたくて手に取った。参考となる映画や文学作品も知ることができて楽しい。
【女性について】 女性は家庭に入ることが前提としてあったので、仕事をしても男性よりも異常に低い給与しかもらえないため自立することができず、家計を支える男性が家族にいない場合には売春もやむを得なかった。 核家族化した都市のサラリーマン世帯では家事や育児を手伝ってくれる親族がおらず、それらが重労働化し女性は専業主婦にならざるを得なかった。
【あらすじと感想】 社会的地位の高い父親の元2男2女の末っ子として生まれ、文化資本にも恵まれ、面倒見のよい友や師に囲まれ、悲惨なはずの疎開も「何やら避暑地めいた」体験と化す祝福された著者。 戦後の苦労もありつつ作家として活躍…という羨ましい人生を送るが、しばしば姉や母、夫といった家族の存在が不吉な影となって著者の居場所を脅かす。脅かされた「じょうちゃん」世界に入った亀裂から出現する恐ろしいイメージに、理屈ではない人生の深淵を感じる。
【手に取ったきっかけ】 わたしの祖母と同時期に東洋高等女学校に通っていことを知り手に取った。 空襲で焼け出されたものの友人たちの助けというラッキーや自分自身の知性・決断力で再び武蔵野の地を踏んだ著者と異なり、わたしの祖母は文化の届かない辺境の地で誰の助けも受けず、何も決断せず、死ぬまで武蔵野の地に憧れながら非業の死を遂げた。何が明暗を分けたのかな、と…わたしもわたしなりの武蔵野の地を踏んでから死にたい。
自分が現在死者の鎮魂を必要としていること、悲惨な過去を笑い話にするテクニック(現実の書き換え方、現実の虚構化)に興味があることなどから、 平泉以降の芭蕉(義経の魂の鎮魂を済ませ「私が棄てた私」をも鎮魂し「俳諧精神」を突き詰め「風雅の境地」に至るまで)も気になる。 芭蕉はダブルピースで「乞食こそサイコー」と言えたのか? まずは、穎原 退蔵 ・尾形 仂『おくのほそ道ー現代語訳/曽良随行日記付き』( 角川ソフィア文庫 )を手に取ってみようと思う。
同じ著者の『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」:おくのほそ道はRPGだった』 (2014、じっぴコンパクト新書)もおくのほそ道本なのだが「芭蕉の旅の目的は義経の鎮魂だった!!」とぶちあげ、本書で「こんなこと書くとナンチャッテ本になってしまうので…」と濁している部分を全部書き切り、よりバーチャル讃歌?の方向に舵を切っていて、重複する部分もありつつとても面白い。特に本書では駆け足となっていた鎮魂の旅:飯塚〜平泉を2章にわけてじっくり解説している。
自分の感じたことや思ったことを文章にすること、それを他の人に見せることが、苦手だけれどやってみたいことでもあるので、まずは本の感想で練習したいと思い登録してみました。
かなり遡って記録できるようなので、昔読んだ本も思い出しながら記録していきたいです。
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とはいえ俸給生活者が大半である現在の我々のご先祖様と考えれば連続性を感じる部分や参考になる部分も多く、特に、長い戦後恐慌(1920-)の後に訪れた好景気(1936頃-)によって保守化したサラリーマンが、暗黙のうちに戦争を支持し、やがて太平洋戦争に突入…という流れには考えさせられる。 【読んだきっかけ】 おととし亡くなった祖母がどのような少女時代を過ごしていたのかが知りたくて手に取った。参考となる映画や文学作品も知ることができて楽しい。