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2024年3月の読書メーターまとめ

踊る猫
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感想・レビュー
13
ナイス
472ナイス

2024年3月に読んだ本
13

2024年3月のお気に入り登録
3

  • 水原由紀/Yuki Mizuhara
  • venturingbeyond
  • ヘラジカ

2024年3月のお気に入られ登録
9

  • ホシ
  • 水原由紀/Yuki Mizuhara
  • しずかな午後
  • ががが
  • ᚹγअәc0̸א
  • 劫
  • Fighter
  • ヘラジカ
  • うたかた

2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

踊る猫
佐伯一麦は決して「浮き足立つ」ことがないな、と思う。言い換えれば「ブレない」芯の強さとそれをうまく活かす柔軟さがあり、ゆえにキャリアをここまで築き上げられたのだろう。東日本大震災を挟んだこの日記を読むと、そうした「一貫性」に貫かれた文がとても心地よい。他のエッセイ群でもわかることなのだけれど、この著者は実に自然をよく観察している。いったいどんな花が咲き、鳥が啼きすべてが移ろいゆくかを見渡す「眼」を備えていると思ったのだ。この観察力と穏やかな文体がこの日記を一本筋の通った実に「篤実」なものに仕立て上げている
が「ナイス!」と言っています。

2024年3月の感想・レビュー一覧
13

踊る猫
『日本語の外へ』や本書、ならびに英語や国際情勢を論じた片岡の他の仕事において片岡義男は実にあざやかな冴えを見せる。そこから見えてくるのは、彼が英語と日本語の関係を通してそこから更に日本人論・日本論へまで遡及・遡行し、ぐいぐいとスケールを広げていくその手つきだ。しかも彼は(賛否はともあれ)誰の言葉も引用せず、誰の「威を借りる」こともなく徒手空拳で論理を展開させていく。ゆえに「もっと枝葉を刈り込めるんじゃないか」と思えるクドさも見られるのもまた確かで、決して読みやすくはない。が、読ませる強度は並ではないと思う
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
村上春樹はこの記念すべき初期の長編において、一方では陰謀論の領域にまで踏み込み、その一方で北海道の歴史や現在にまで切り込んでフェイク/イマジネーションとリアルを「巧み」にミックスする手法を自家薬籠中のものにしたようだ。だからここで語られるストーリーはとても「巧い」。そしてその奥から浮き上がってくる、人間が持つ本質的にウェットな弱さを見据える姿勢にもあらためて唸らされる。だから悪く言えば(他の春樹の作品にも言いうることとも思うが)ストーリーに奉仕する「コマ」以上のものとして人物がせり上がらないのが気になった
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
彼女はもちろん音楽や映画、文学や政治といった領域の話題を果敢に語る。だが、それらに(言い古された指摘だが)スペシャリストとしてガチガチに束縛されることはなく、縦横無尽に彼女の人生哲学も駆使して論理を練り上げる。ゆえにどのコラムも彼女は抽象論を弁ずるのではなく、身近なスタンスで世界を見つめていることをうかがわせる。これは実にポップだ、と思った。ぼくはもう現在ポップとされているアートにはついていけていないのだけれど、彼女はたしかに「いま・ここ」を、絶望することなく生きようとたくましくしなやかに書き続けていると
踊る猫
2024/03/31 15:24

ただ、欲を言えば(もちろんこれは本書の欠点どころか瑕疵ですらなく、ぼくが単に「身のほど知らず」な読者だからなのですが、それでも思うのは)もっとニューロダイバーシティの話題も割いてくれたらな、と。平たく言えば発達障害/自閉症について、彼の国ではどのように扱われているのか知りたいと思ったのでした。それはそうと、本書で指摘されていることをたぶん「リベラル」はある部分だけをきれいに読み飛ばすのかな、と思うと薄ら寒い。もちろん自戒を込めて言うが、ロジック「だけ」をガチガチに固めるのではなくもっと心を見つめるべきだと

が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
語学を学び直すにあたって、このラヒリのイタリア語での試作は実に考えさせられる。ぼくが学ぶ英語とラヒリのイタリア語の学びはもちろん歴然とした違いがある(ラヒリの学びの姿勢から、あえて英語よりも「マイナー」とされかねない言語を学ぶ矜持についてぼくはもっと深く考えねばならないはずだ)。だが、同じ「言語の学び」という所作を愛しそこから新しい感覚(おそらくはそれこそ「新しい自分」)に触れようとするラヒリを必要以上に「敬して遠ざける」のはもちろん「もったいない」というもの。この本はその点で、学びの動機づけに実に最適だ
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
あまりにも生々しく、大胆かつ繊細に描かれる「生きづらさ」「居心地の悪さ」に息を呑む。アメリカで暮らす移民(ベトナム出身)という出自に加えて、ともすれば保守的なモラルの下では人権・尊厳すら疑われかねない「クィア」という性愛のアイデンティティ。ロラン・バルトを読みこなすだけの知性と繊細さ、そして蛮勇・勇敢さを備えた著者が記すこの小説は、古典的な小説としての完成度を時に食い破るようにして著者のレアな思い・叫びが響き渡る。ゆえにキャッチーな青春小説ではありえないのだけれど、それでも胸を打つ何かが確実に内在している
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踊る猫
テーマはいったいなんだろう、とものすごく幼稚なことを考えてしまった。後の作品では(保守派の『批評空間』的論客から常々批判されてきたように)「物語」への志向が見えてくる。だが、この初期作品ではそうしたストーリーの「うねり」はまだ見られず、それが著者の上述したテーマの骨組みを垣間見せている印象を受けるのだ。「伝達」つまりコミュニケーションを通して、嘘や嫌悪や行き違いをはらんだ他者との関係を踏まえてどう他人に対峙するか。こうした読み方は噴飯物だろうか。春樹はそれこそ自らが語ったように、激しく「内向」的作家だから
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
再読したのだけど、やはりこの本に対する疑念は消えない。脳の機能がすぐれているかどうかと多言語話者でありうるかどうかはまた別の問題だろうから、気をつけて論じないと優生思想にまで行き着きかねない(多言語話者を気取るぼくよりもその内省・思索の強度において抜きん出ている人なんてゴロゴロいるだろう)。だが、本書はふんだんに最新の知見を盛り込み読者にわかりやすく・フェアに伝えんとする労力を惜しまない。そのフェアネスを評価したい。だから、本書の議論を閉ざして祭り上げるのではなく、類書と接続していく作業が必要だと思われる
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
これはまた、現世から遊離して独自の境地へと軽々と至ってしまったな、と思う(その伸びやかな筆致には頼もしさと空恐ろしさをさえ感じる)。この著者がその叡智・狡知において抜きん出ていること、そしてその知性を以て高度に「現代的」な要素を満載した小説を煮詰められることをぼくは疑わない。ゆえに、その鋭すぎるクリアな知性と批評眼においてぼくはこの著者のファンになってしまった。だが、セックスやポエジーやバイオエシックスまで盛り込む器用さはどこかで「上滑り」を起こし、ただの「ハチャメチャ」に堕しているとも読めるのではないか
踊る猫
2024/03/21 22:35

こんなことを書くと顰蹙を買うが、「信者」と「アンチ」が見事にわかれる作風だと思った。さて、ぼくはどうするかな

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踊る猫
実に「クール」だと思った。この著者はまずこの世界の実相をきわめて鋭利な感覚でとらえ、そして違和感を率直にあぶりだす。だが、それを叩きつけることなく「クール」で洗練された筆致で記していく。さまざまな切り口から論じられる作品だろう。母と娘の断絶(血を分けた関係だからこそ浮き彫りにされる「わかりあえなさ」)が強調されるその一方で、登場するAIはなんでもかんでもこちらの手の内を探ろうとする。意識の高さを描写する喜劇的なセンス(しかしこちらの心理を確実にえぐる「クール」な冷笑も同時に確実に感じる)にやられてしまった
踊る猫
2024/03/21 16:40

ぼくが思うに、これは実にイギリス的な感性だと思いました。日本人離れしたユーモアが小気味よく、したがって確かな「居心地の悪さ」を感じさせてくれます。ですが、それこそすぐれた作品の証でもあると思います。なんでもかんでも「共感」で取り込めてしまう風潮への確かな皮肉を込めた批評性を感じます

が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
ざっくりした印象の域を出ない粗いコメントになるのだけれど、読みながらぼくが思い出したのはジェイ・マキナニー的な上質の青春小説だった。外国人が日本を観察する(「論じる」というのとは違う)作品はともすればそこにオリエンタリズムを匂わせてしまったり、あるいはそこから反射して自らの劣位を見つめ返す営みに陥りがちだ。だが、この著者はどちらにも向かわずあくまで個人の内面・肉体性の変化をつぶさに書き取りそれがいかように動いたか描き切ろうとしていると思った。ゆえに、カタルシスはない。そのかわり苦くも確かな成長が刻印される
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
この著者はきわめて聡明な人物と見た。そして、同時に(下衆な表現になるかもしれないが、それ相応の「生きづらさ」を抱えつつ)全力を込めて自らを開示することに挑む勇気をも備えた、恐るべき力を秘めた人であるとも。確かにここで語られる香港像をそのまま鵜呑みにしてはいけないだろう。あくまで著者というフィルターを通した香港であり、ゆえにフェアな立場から書かれたルポルタージュを期待すると火傷を負う。しかし、ここまで自らのよって立つ土地を愛憎を込めて語れるものだろうか。そう受け取ると、この「メモワール」が愛おしく思えてくる
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
佐伯一麦は決して「浮き足立つ」ことがないな、と思う。言い換えれば「ブレない」芯の強さとそれをうまく活かす柔軟さがあり、ゆえにキャリアをここまで築き上げられたのだろう。東日本大震災を挟んだこの日記を読むと、そうした「一貫性」に貫かれた文がとても心地よい。他のエッセイ群でもわかることなのだけれど、この著者は実に自然をよく観察している。いったいどんな花が咲き、鳥が啼きすべてが移ろいゆくかを見渡す「眼」を備えていると思ったのだ。この観察力と穏やかな文体がこの日記を一本筋の通った実に「篤実」なものに仕立て上げている
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
大陸を踏破する、実にダイナミズムにあふれた旅の記録。だが、虚心に読み進めていくと見えてくるのはもちろんその鋭い観察眼で語られる異国情緒の生々しさもさることながら、沢木自身がどこかで「旅の終わり」を意識し始めてあてどもないその日暮らし・さまよいの日々に終止符を打つことを決意するところで、つまり「成長」が如実に刻まれている。沢木にとって旅行とは愉快な非日常としてただ称揚して済ませられるだけのものではなく、その裏側に日常に帰ってこれなくなるかもしれない魔性の魅力を忍ばせたものでもあるのだろう。旅とは危険なものだ
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/07/15(3207日経過)
記録初日
2015/07/15(3207日経過)
読んだ本
1535冊(1日平均0.48冊)
読んだページ
505152ページ(1日平均157ページ)
感想・レビュー
1474件(投稿率96.0%)
本棚
5棚
外部サイト
URL/ブログ
https://backtolife.hatenablog.com/
自己紹介

踊ります!

#「あ~ん」を好きな文学作品で埋める

あ 『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト
い 『異邦人』アルベール・カミュ
う 『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン
え 『M/Tと森のフシギの物語』大江健三郎
お 『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ
か 『火山の下』マルカム・ラウリー
き 『奇偶』山口雅也
く 『苦海浄土』石牟礼道子
け 『化粧』中上健次
こ 『孤独の発明』ポール・オースター
さ 『さようなら、ギャングたち』高橋源一郎
し 『シンセミア』阿部和重
す 『好き好き大好き超愛してる。』舞城王太郎
せ 『Self-Reference ENGINE』円城塔
そ 『訴訟』カフカ
た 『第三次世界大戦秘史』J・G・バラード
ち 『血の熱』イレーヌ・ネミロフスキー
つ 『罪と罰』ドストエフスキー
て 『天国が降ってくる』島田雅彦
と 『道化師の恋』金井美恵子
な 『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
に 『日本難民』吉田知子
ぬ 『ぬかるんでから』佐藤哲也
ね 『眠れる美女』川端康成
の 『ノヴァーリスの引用』奥泉光
は 『匣の中の失楽』竹本健治
ひ 『日々の暮し方』別役実
ふ 『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周
へ 『ペニス』津原泰水
ほ 『ホテル・アウシュヴィッツ』山口泉
ま 『マルテの手記』ライナー・マリア・リルケ
み 『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー
む 『村上龍映画小説集』村上龍
め 『冥途・旅順入城式』内田百閒
も 『もうひとつの夏へ』飛火野耀
や 『夜間飛行』サン=テグジュペリ
ゆ 『夢十夜』夏目漱石
よ 『夜の子どもたち』芝田勝茂
ら 『楽天記』古井由吉
り 『リトル、ビッグ』ジョン・クロウリー
る 『ルビコン・ビーチ』スティーヴ・エリクソン
れ 『恋愛のディスクール・断章』ロラン・バルト
ろ 『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ
わ 『若き日の哀しみ』ダニロ・キシュ

(2023年2月5日時点)

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