避けながらも、一頭一頭の性別・血統はもちろん、生育歴・家族構成・行動特性や性格などについて、愛情ある筆致で描き出していく。その膨大な記録の中からは、8と21で記される2頭の父子のオオカミの「感動的な生き方」が、特筆される存在として浮かび上がってくる。著者は、野生のオオカミ達の行動に、大きな人間性を感じているかのようである。近年わが国でも、シカによる食害が大きな問題になっているが、絶滅したオオカミの移入策等も含めて、自然を人為的にコントロールすることの是非について考えるための資料を、本書は提供してくれる。
た縄文文化のダイナミズムに触れ、日本文化はその発展の中で生まれたと説く。以下第六章まで、大陸との交渉、仏教や漢字との接触、イエ中心の日本社会のあり方、人間平等と「村社会」等のテーマで論じていく。総じて「性善説」的日本人論!と言えなくもないが、読んでいて元気が出てくる著者の言説には、大いに賛成したくなる。終章で、「円の思想」を変質させてしまうものと題し、現代日本の状況をふり返り悪しき個人主義の濫觴に対して、相手に合わせる柔軟性をもって生きる事が大切と説かれる。これからの人生の題目の一つとして心しようと思う。
今日ではエリートとされる特別な人々の倫理規定のことでしかないように思われる。それなりの所得が保障される職業であるならば、妬まれることのないための、その職業に付随した職業倫理でもある」。曰く、「道徳やモラルは、しばしば旧世代の人々が新しく生まれてきた人々に自分たちとおなじ生き方を押しつけようとするものであったが、それが今日新しく生まれてきた世代の人々に免除されるようになったことで、われわれは虚しくも、寄る辺なき倫理の真空をあてどなく彷徨う孤独な生活に追いやられているといえなくもない」寄る辺なき倫理の真空!
に販売されるため、消費者の圧倒的支持を得て、販路を急速に拡大していく。このような商法は、一見すると法を犯しているわけではなく、より良いものをより安くと、良いことずくめであるが、そこに大きな罠がある。長い目で見たとき、そのような商法は、日本が培ってきた産業の基盤を衰えさせ、国力を衰退させる。コスパが良いだけの商品は、その土地その土地が培ってきた文化力もなければ製品へのこだわりもなく、人々の思いのかけらも込められていないものである。そして、将来一部の工業製品といえども、日本が製造できなくなった暁には、原材料を
供給するかの国の言いなりになるしかない。経済は市場原理が支配する世界であるというが、その市場の底の底を全く別の原理が支配しているとしたら恐ろしいことではないか。著者は消費者がそれに気づき、行動を変えていくことが唯一の対処法であるとする。一言で言えば、それは消費者主導の地産地消、である。コスパ病は、現在のわが国のあらゆる局面で猛威を振るっている。グローバル化、サスティナビリティー等々の意味不明な言葉に踊らされることなく、日々の行動の意味を考え、自ら変えていくことが、デフレマインドからの脱却に繋がるのである。
半世紀にわたって買いためた積ん読本に囲まれる日々。少しずつ減らそうとするものの、新刊・古本が同じくらい入ってくる。
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