https://hiddenstairs.hatenablog.com
https://note.com/kksk
HN変更。レビューは過去に読んだものも含めて気が向いたときに気ままに書いています。何でも読むと言うより、興味あるものだけを少しずつゆっくり読んでいます。ネタバレはあまり気にしていませんので。
ビバ、本。
自分でも小説書いてます。よかったら遊びに来てください
子どもの時から本の虫。
専門は仏語学・仏語音声学。
関心は言葉に関するすべて。言葉、言葉、言葉・・・
仏語史、日本語史、言語学史、辞書史、日本語文体論、出版文化史。
日本文学(古典・近代)も好きです。文体に重きを置きます。森鴎外、永井荷
風、木下杢太郎、中野重治、石川淳、加藤周一、山本夏彦などの和漢混淆文に傾倒しています。加藤周一の知の在り方、人としての在り方にいちばん敬意を感じます。
戦後作家では開高健、大江健三郎、遠藤周作、吉行淳之介、安岡章太郎、高橋和己・たか子、辻邦夫・・・
エッセイでは中井久夫、神谷美恵子、須賀敦子、玉村豊男、森まゆみ、池波正太郎、林望・・・
フランス語と英語が読めるので、できるだけ原書で文学やエッセイを読みます。19世紀から20世紀はじめのフランス語の散文が好きです。
現在のいちばんの興味は明治期の翻訳語の成立と近代から現在までの日本語の変化。
お気に入り登録・解除は御自由に。御挨拶は不要です。議論のための議論、知識くらべには加わりません。
天文学、数学、文学、心理学が好きです。
好きな天文学者:フレッド・ホイル
好きなSF小説:フレッド・ホイル「10月1日では遅すぎる」、「秘密国家ICE」、アーサー・C・クラーク「イルカの島」
好きな一般小説:ヘミングウェイ「老人と海」
好きな
心理学本:ジンバルドー「現代心理学ⅠⅡⅢ」
好きな映画:「2010年宇宙の旅」、「スニーカーズ」、「ゼロ・グラヴィティ」
今年こそは積読を減らしたい。
文学/精神学/社会学/東洋思想
ひっそりまったりとラノベ作家を目指す某三流大学の文学部卒業生。今は倉庫的なところで働いていると見せかけて無職に逆戻り、そして伝説(フリーター)へ……おや!? カラバコの様子が……! おめでとう! コンビニバイトは出版社バイトに進化した! ……そして時は流れ
、僕は新天地へと辿り着いた。というわけで現在はゲーム会社で働いてます。
読書傾向は純文学からラノベまで広く浅く。基本的に一般小説→ラノベ→外国文学→新書のローテで読書……そう思っていた時期が俺にもありました。漫画も読んでますがここには記録はしません。
好きな作家は芥川龍之介と村上春樹と大西巨人と伊藤計劃と森絵都と野村美月と成田良悟と片山憲太郎と榎宮祐などなどなど。詳しくは本棚『個人的傑作選』を参照してくだちい。
小生意気にも簡単な書評をやっていて、小説には十段階評価による評価を行ってまふ(詳細は後述)。
基本的には辛めの評価をする方ですが、褒めるところは褒めます。「悪いところ」を積極的に探すというようなことはしませんが、その逆もまた然りです。ただ率直に「思ったこと」を、やや過剰表現妄想爆発気味にまくし立てるスタイルだと思います。少なくとも、本気でブチ切れた時以外はいわゆる誹謗中傷をすることはないと思いますのでご安心を。それでも読メ平均で言えば「辛口」だとは思うので、不快に思ったならお気に入り解除推奨です。
それから、いわゆる「ナイス返し」にはあまり期待しないでください。良くも悪くも、ナイスの選考はシビアです。
そんな感じではっぴーうれぴーよろぴくねー。
あ、ツイッターとミクシーやってますよー。
そしてオマケにコミュニティ作ってみたのでよろしければご加入くださいませー。
そんなボクらの辛口批評
http://book.akahoshitakuya.com/c/332733
―評価詳細―
※2012年4月29日 現行の評価基準に変更
※2012年12月7日 評価基準の若干の変更
※2015年10月11日 評価基準の変更(従来の★評価に+-の評価を追加。ただし感想欄への表記はせず、本棚にてその区分けを行う)
※2016年2月5日 評価基準に関する追記(★★★+に関して。この評価はやや立ち位置が特殊な場合も有るので、下記「★★★」に説明を記載)・表記の若干の変更
★5(★★★★★)を最高点に評価。
★を星一個分として、☆を星半分として評価。
以下の評価基準、あるいは作品に与える評価の値はあくまで私個人の感受性によるものであることを予め記しておきます。
上記に加え+-の評価基準もあり。ただしこちらは感想欄への表記はせず、本棚における区分けでのみ表記します。
これは同評価内での更なる評価分けを目的としたものですが、場合によっては、上位作-よりも下位作+のほうを(少なくとも部分的に)評価している場合があり、上位下位の-+評価は事実上評価が拮抗しています。
○神作の領域
★★★★★ 最高傑作
掛け値なしの神作。個人的な琴線による基準を超え、物語性と文学性を完璧に備えていると判断した場合に与える最高評価。素面の状態でも作品に「神」を感じるほどの、私個人の一生に残る作品群。
○おすすめ作の領域
★★★★☆ 傑作
神に迫る優秀作。物語としての完成・瞠目すべき文学性を見出した場合に対し与える準最高評価。「神」には僅かに及ばないが群を抜いて優れていることに変わりなく、私個人の琴線の域を十二分に超えうる作品群。
★★★★ 秀作
単純に「面白い!」と感じた作品に与える高評価。特に抵抗なく面白いと言える程度には作品の質が高く嗜好に当てはまる優秀作。ただし上位作に抱く「面白い」に対し、その感情の質は軽い。
○準おすすめ作の領域
★★★☆ 良作
面白いといえば面白いが強く物足りなさを感じた作品に与える中評価。一応面白いと言い表すことは出来るが強く推すことは躊躇い、苦言を呈したくなる程度の欠陥も強く感じてしまう作品群。
★★★ 力作
取りたてて優れている訳ではないが捨て置けない何かを感じた作品に与える中評価。どちらかと言えば不満の方が強く感じるが、ただそれだけで済ますには口惜しさも感じ、若手であれば今後の成長に期待を持てる作品群。
※追記 「★★★+」評価に関して。この評価の立ち位置はやや特殊である。つまり「高度な文学性が備わっているのは理解できるが、それに(私個人の)小説的面白さを感じる感受性がついてこなかった作品」に対してこの評価を与える場合もある。額面通りにこの評価を与える場合もあるので一概に定義付けは出来ないが、上記を踏まえた上で「★★★+」の作品群を見てもらえると、場合によっては「★★★★☆」クラスに匹敵する作品に出会える可能性もあるだろう。
○凡作の領域
★★☆ 及第
辛くも何かしらの魅力を感じた作品に与える中評価。厳密に言えばつまらないに分類される程度の質だが、何かしらのフォローは入れてもいいかなと思える程度の質でもある。ただし、期待をしようとは思えない。
★★ 凡作
つまらないがまあ悪くはないと思える作品に与える低評価。つまらないことには変わりはないが、別に強い不満を感じることはない作品群。非常にネガティブに言い換えれば、ただの無関心である。
○駄作の領域
★☆ 駄作
普通につまらないと感じた作品に与える酷評価。評価の撤回はありえないが「人間ならこの程度の失敗はするよな」と引きつった失笑で済ませられる程度の傷でもある。ただし、その作者に対する信頼は確実に減退する。
★ 愚劣
作家としての資質を疑わざるを得ない作品に与える酷評価。押さえがたい不満を感じ、読んでいて自然と眉が曇る程度に酷い作品。この評価を受けた作者が私の信頼を取り戻すには、相当の巻き返しが必要である。
☆ 激怒
人間としての資質を疑わざるを得ない作品に与える酷評価。作品の愚劣を超え、吐き気を催す文章・思考に暴力性を伴った怒りを禁じえない作品。この評価を受けた作者が、私の信頼を取り戻すことは未来永劫ありえない。
繰り返し言いますが、以上の評価基準、あるいは作品に与える評価の値はあくまで私個人の感受性によります。
私が高評価を与えたところでその作品の品格が高まる訳でもなく、私が低評価を与えたところでその作品の品格が貶められるものではありません(むしろそれによって貶めるべきは私の品格です)。
その辺りのことをご了承いただいた上で、私の感想欄を眺めていただければ幸いに思います。
割と何でも読みます
一児の母。
"No text draws my attention if it is not supported by someone who convinces me that it deserves to be read."
-Adriaan T. Pepe
rzak, Thinking
「たとえ統計的にのっぺらぼうの数の中に埋葬されようと、この〈わたし〉という現象は、この世界に二度とふたたび、あらわれない。〈わたし〉という存在は、地球において四六億年の時間のなかで、ただ一回しかあらわれない。」
ー雑賀恵子・ エコ・ロゴス:存在と食において
「今は、弱さを誇りに思う。人は、弱く在ればいいと思う。」
ー森川すいめい 漂流老人ホームレス社会
「何かについてこれはいいものだと自分が感じたときに、なぜいいのかということは省略していい。むしろ省略できるぐらい強いものに自分の批評眼を育てなければいけない。」
ー谷川俊太郎 沈黙のまわり
「詩人が人々に供給すべきものは、感動である。」
ー谷川俊太郎
「なんて言うのかなあ、自分で自分のやっていることを解説できないような仕方で、言葉を発したい。つまり自分でもよく分らないような深みから。できれば言葉を発したい・・・」
ー谷川俊太郎 詩を書く
「何枚も書きつぶしながら、求める文体に近づいてゆくーそれは自分の内部の無意識を探っているような感じでもある。」
ー谷川俊太郎 詩を書く
「だって、人に読ませようと思って書いたんじゃなくて、必死になって、息苦しくて書いてたんですよ。」
ー森崎和江ー谷川との対話集「やさしさを教えてほしい」から
「今のアメリカの唯一のエネルギーは、黒人社会の芸術と、移民してきた人たちの築いた芸術とが釣り合いながら混在している、その中間芸術のエネルギーです。理想主義として魅きつけるだけのものは、それしかありません。」
ー吉本隆明 貧困と思想
「私たちが真剣に試みなくてはならないのは、知識を増やすことではなく、『ふれる』ということです。・・・誰が、いつ、その絵を描いたかを確認するよりも、ただ絵の前に立って、それを『見る』という経験の方が、ずっと大切です。難しいのは、眺めつづけることです。そして、誰に認められなくても、自分の感動を自分で大切にすることです。・・・書物も同じです。本を読む、わからなくたって一向にかまいません。意味などわからないまま、どんどん読んだらよいのです。私たちが本当に感動しているときは、おそらく言葉の意味を理解して動かされているのではありません。もっと全身全霊で、何かを感じているはずです。五感を超えた、知解を超えたところで私たちの魂は動いている。それを知識の問題にすり替えるなんてもったいないことをしてはいけません。」
ー若松英輔 死者との対話
「・・・さらに踏み込んでいうなら、知的なことを求めているのは知識層である、というのは大変大きな思い違いです。真実の知識、すなわち叡智とは、何の前提もなく、万人に開かれているものです。むしろ、そうでないものは、叡智としては不完全なものだと思います。」
ー若松英輔 死者との対話
「・・・希望とは、人々が抱える魂の苦しみの上に築かれていること、また、個々の労苦のうちにのみ、世界を真に変える力が隠されていることを示すことです。」
ー若松英輔 死者との対話
「言葉というのは、どうしたって生と死の間から生まれてくるわけです。僕自身も自分がやがて死ぬ人間でなければ、言葉というものをそんなに持とうとしたかなという気持ちはあります。・・・死というものは言葉の出所なのです。」
ー佐伯一麦 震災と言葉
「言葉というのは、こうやって普通に日常的にしゃべっている言葉というものも、もしその相手がその晩に亡くなってしまったとしたら、他愛ない話も遺言的なものになってしまうわけです。言葉は、死というものによってまた全然違うものになってしまう。」
ー佐伯一麦 震災と言葉
「そう、私たちには言葉しかない。『言葉もない』もまた言葉だ。私たちの日常も、私たちの喪失も、すべてを言葉が支えている。いかなる惨事にあっても、言葉が失われることは決してない。私たちは言葉とともに生き延びる。言葉が私たちをして語らしめ、さまざまな『活動』へ『出来事』へと向かわせる。」
ー斉藤環 被災した時間:3.11が問いかけているもの
「人生、いつ、どこで、どんなことが起こるかわからない。思いもかけない時、思いもかけなかったことが、しばしば、起こる。それにつれて、生涯のコースが、思いがけない方に走りだす。錯綜する因縁の意図の縺れが、様々に方向を変えながら織り出していく生のテクスト。それが、人生というものの真の姿なのではなかろうか。」
ー井筒俊彦 意味の深みへ
「つまり読むこととは、一瞬一瞬立ちあらわれる他者であるところの表現者の使用した言葉や構成した文に対して、その他者とは異質な言語システムをもった読者である『わたし』が出会いつづけていく運動にほかなりません。・・・つまり読むこととは、常に表現者の言葉のシステムとルールと、読者の言葉のシステムとルールとが、葛藤し争闘する熾烈な事件の連続であるということになります。」
ー小森陽一 出来事としての読むこと
「もしかして、書きながらこの回顧する主体はかわるかもしれない、・・・書いている現在の自分を、さらに『批判』することが可能になるのは、書いている時間の流れの中で、さっき書いていた自分が過去の自分になってしまうからです。」
ー小森陽一 出来事としての読むこと
「・・・いくら自分の声が世界に届かないといっても、そんなことは、我々が自分の言葉で書くのを妨げはしない。いったん自分の言葉で書くことを知った人間には、自分の言葉で書きたいという欲望ー精神の必然があります。快楽もあります。欲望と快楽。」
ー水村美苗 日本語が亡びるとき
「人は市民であるよりもただただ市場活性化のために狂躁的に消費する、消費させられる奇怪な生命体に変えられていきました。モノにせよ金融にせよ人の生活のためにあるべきなのに、逆立ちして、人はただ市場のため資本のためのみ生かされる存在にされた。所得が不当に不平等なのは問題にもされない。正社員と契約社員や派遣社員の不平等も当たり前だと考える。人間を機械の部品化し、消費マシーンとする発想によって世界全体がこれまで動いてきた。”繁栄”は、じつはそういう倒錯的基礎の上になりたっていた。それは、たんに経済的な問題ではない。われわれの精神生活もじつは意識の倒錯を土台にしてきたのです。」
ー辺見庸 しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか
「いまはことばで裏打ちできるような悪の実体が騙し絵のように前景の奥に消えてしまっている。むしろ耳に心地よいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、慄然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品の世界にうばいとられている。」
ー辺見庸 しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか
「・・・自分の尊厳というものを獲得する意味でも、できるならば秋葉原事件の青年のような発作とか痙攣というかたちではなく、そういう寄る辺ない哀しみと不安のなかに落としこめられた自分を、自分のことばで懸命に語っていくというか、対象化していく、そういう最小単位としての自分から自分を表現していく。モニター画面だけではなく、生身の人間にたいしてそれを訴えていく、表現していくということが、とてもむずかしいけれども必要だし、それを激励していくことが、まったくきれいごとではなく必要だとぼくはおもうのです。」
ー辺見庸 しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか
「空洞の言葉に、たくさんの死が憤っている。」
ー辺見庸 眼の探索
「ぼくらは言葉によって現実をつかみ、言葉によってつかまえた現実を生きているわけです。すると多くの言葉が死後の領域に入りつつあるってことは、ぼくたちの生も、生きたまま死後の領域に入りつつあると考えた方がいいのかもしれない。何をしても生きている実感がない、充実感がないというのは、そういうことではないのかな。」
ー片山恭一 どこに向かって死ぬか:森有正と生きまどう私たち
「あらゆるものが、いつも、つねに、そこかしこに現前してしまっている。おかげで私たちは、不在であるものを現前させる能力を、日々退化させつつある。日本人の精神の層は、髪の毛のように薄くなりつつあるのかもしれない。なぜなら精神とは、まさに不在のものを現前させる作用だからです。すでに現前しているものを、あらためて現前させる必要はないわけです。不在から豊かな意味はイメージを現前させることを通して、人間の精神性は培われてきました。宗教も芸術も、みんなそうやって生まれてきたのです。」
ー片山恭一 どこに向かって死ぬか:森有正と生きまどう私たち
「私が祈ることがどのような効力を持ちうるのか、正直にいってわからない。少しくらいは効力を持つだろう、と言い切るほどの自信もない。結局のところ、私は数多くの個人的欠陥を抱えた不完全な一人の作家に過ぎないのだから。でもそのような私のつたない非力ないのりが、少しでも受け入れられる隙間がこの世界のどこかにーいわば見落とされたようなかっこうでーあるなら、私は強く祈りたいと思う。」- 村上春樹 アンダーグラウンド
1992年3月生 / 慶應文4 / 文明塾11期生 / ミームの心臓主宰・劇作 / 19・20世紀の文学,映画,舞台藝術を愛する / 文章を書く事,言葉を綴る事がすき / 種々の断絶に架け橋を.
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