著者は日本中世史の大家ではあるが、自説として語る体系論は少し合わなかった。日本の数世紀単位の外交方針として「開の体系」「閉の体系」を繰り返していたと語り、それぞれのフェーズに当てはめて記載するケースも多かったが、著者が「閉の体系」とする10〜14世紀にも九州を窓口として宋や明との交流は大々的に行われているようにいくらでも反例を出せるものに感じ、あまりに理論先行すぎる気がして合わなかった。それ以外は非常に面白く読めた。
この本は著者の上間陽子の共同研究者である打越正行の「ヤンキーと地元」と表裏一体であり、セットで読むべき本だと思った。打越本で描かれた沖縄のしーじゃ(先輩)とうっとぅ(後輩)関係に象徴されるホモソーシャル社会も暴力と搾取が横行する社会だが、先輩からの被害者でもあるうっとぅ(後輩)も家族や恋人との関係では、より弱者である女性への加害者になる。本書の一章で描かれた優歌の事例は打越正行との共同インタビューであり、打越本でも詳細に描かれる。そこには常に男性の付属物として扱われる女性達の姿がある。
著者の上間陽子は沖縄生まれの教育学者であり、土地勘のある場所での調査研究となる。そのため、被参与観察者や街並みを見る眼差しは優しく、"他所者"ではないからこそできる調査研究だと思った。また、つらく厳しい経験を乗り越えて前に進む女性の話もあり、絶望感だけの漂う話でないことは救いだった。
年始に天皇の前で臨席する厳かな儀式でさえ多くの官吏がサボタージュするも罰則すらなく、儀式を成立させるために他の官僚による代返を認めるというルールさえ制定されるほど。専制君主である天皇の前に整然と官吏が並んで君臣関係を確認する、という儀式自体が中国の礼制や儒教意識のものであり、古代中小豪族の末裔や富農層からの叩き上げである下級官人にはその必要性や概念自体が理解できなかった。王朝側もそれを分かっていたのか、まともに処分しようとする気も薄く、上も下も非常にいい加減で緩い。
儀式をサボるだけならまだしも職務を仮病で休む等も横行しているが、高官である公卿や人事官庁たる式部省もそれを咎める意欲は薄い。よくいえば現実的、悪くいえば現状追認的に、怠慢な官僚が一定の割合で出ることを前提に制度化をしており、罰則も寛容な方向に流れるのが古代日本の風潮を感じられて面白かった。律令国家が崩壊することで荘園制が……などというイメージもあったが、そもそも中華風の律令国家というもの自体が古代日本の実態にそぐわず、まともに運用できない上からのルールでしかなく、換骨奪胎される運命のものだったのかな。
春秋期も最初は覇者への褒賞を周王が授与することで権威を保ったが、東周の存在感は徐々に薄くなる。春秋後期・戦国期以降、青銅器による礼器作成のケースは減っていき、礼制はむしろ儒家や諸子百家による体系化を辿ることになる。呉越や秦という新興国家も王を名乗るようになり、儀礼的存在としての東周王家の役割はほぼ薄くなってゆく。しかし、東周期の儒家は数百年前の西周期の礼制を理想化し、想像上の再現を重ねることで、後代に続く理想王朝としての周王朝観を作り上げることになる。
史記に載っている周王朝の姿とは異なる、リアルな姿の周王朝の姿を見せてくれる名著だった。また、前書きにもあるが、私自身がまさに中学生時代に宮城谷昌光で殷周革命や春秋時代にハマって史記を読むようになった人間であり、そうした人間に西周期の面白さ、金文の奥深さを教えてくれる良著だった。
平安時代を通して律令国家の軍団兵士制が崩壊し、武力の請負化による専業戦士層が誕生することになる経緯が面白かった。また、刀伊の入寇後の時代における歴史受容、新羅征伐神話の創造などは、東アジア世界へのコンプレックスの裏返しとして、日本なりの華夷思想を打ち立てる契機でもあり、村井章介の「中世日本の内と外」をも思わせる展開で面白かった。
著者は日本中世史の大家ではあるが、自説として語る体系論は少し合わなかった。日本の数世紀単位の外交方針として「開の体系」「閉の体系」を繰り返していたと語り、それぞれのフェーズに当てはめて記載するケースも多かったが、著者が「閉の体系」とする10〜14世紀にも九州を窓口として宋や明との交流は大々的に行われているようにいくらでも反例を出せるものに感じ、あまりに理論先行すぎる気がして合わなかった。それ以外は非常に面白く読めた。
積ん読は人生の選択肢を増やすと信じてる。小説は少なめ、人文系多めです。今までに読んだ本の登録は諦め、2020年に読んだ本からスタートします。漫画も大好きでよく読み、よく買いますが、登録が追いつかないため、登録しません。
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平安時代を通して律令国家の軍団兵士制が崩壊し、武力の請負化による専業戦士層が誕生することになる経緯が面白かった。また、刀伊の入寇後の時代における歴史受容、新羅征伐神話の創造などは、東アジア世界へのコンプレックスの裏返しとして、日本なりの華夷思想を打ち立てる契機でもあり、村井章介の「中世日本の内と外」をも思わせる展開で面白かった。