読書メーター KADOKAWA Group

Jessicaさんのお気に入られ
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  • urn
    • ゴールドまであと919日
      • 1952年
      • B型
      • その他
      • 兵庫県

      年金生活者。趣味は、読書、映画、旅行など。ついに、72歳、「ついにゆくみちとはかねてききしかどきのうけふとはおもはざりしを」、まさか自分が、その歳になるとは。驚きと嘆息です。ボケないように、日々頭と体を鍛える所存です。海辺のファーストペンギン、時々テ

      レビで見かけるペンギンの集団、一番先頭を行くけど、別にカリスマ性や深い考え、思惑があって先頭を突っ走ているのではないが、なにか行動的なものを感じる。ああいう感がなしでだけれども、自分を信じて突っ走る勇気と根性を見習いたい。ほんとうは、慎重に行動して他人のふり見てわが身を正せが信条でありつつ、突撃、神よ我にご加護を与え給えというのも大好きな人間です。(とりあえず一部改訂、年齢調整)

    • Sato
      • A型
      • 神奈川県

      2014年に入ってから感想を入れ始めました

      勝手な人なのでナイスは共感や、全く違う感想だったりで入れてます

      無言で勝手にお気に入りにしたりしてますので気にしないでください

      ※500冊を越えたのを期に分類もう少しきちんとを始めてみようかと思っています。

      ※乱読だが小説6割程度って考えてる今日この頃2018/10

      写真は愛犬であり家族で存在を認めてくれてる唯一無二のバディ笑

    • チェリ
      • 1986年

      コンサルタント兼AIエンジニアです。製造業の開発職から転職しました。軽めの専門書が好きで、広く浅く読んでいます。
      知識が自分を作る。そう考えると自分の本棚は自分を俯瞰するのに最適のツールだと気づき開始。ただ本以外からも知識は得るし、それこそ体験から学ぶこと

      も多いので、思っていたほどまとまらないことにも気づく。
      毎年読書の総括を書いていますが、学んだこと自体ではなく、学んだことから発想したことや気づいたことを書いているので、読書総括という感じでもなくなってしまった。

      2023年読書総括
      今年のベストヒットは「ストーリーは世界を滅ぼす」だろう。この本では物語の影響力の強さと、ある種の万能さを語る。物語に関する本にハマったきっかけは、以外にも「世界最強記憶術 場所法」という本で、人間の脳は数字などを記憶するのには適しておらず、一方で場所に関わる記憶には強いため、記憶競技の参加者は主に場所法を利用しているらしい。そして、場所法以外の有力な方法として物語で記憶するという方法を、本書では説明している。要するに場所と物語は記憶し易いのだ。この2つは社会科目の地理と歴史に対応しているように見えるのが面白い。記憶として覚えやすい=人間にとっては非常に重要 なのではないかと考えたのが、物語を重要視するようになったきっかけだ。
      意識に関する本もここ数年で読み始めている。そして意識がどうやって発生するかというHowの部分に関しては「意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論」でおおよそ理解することができた。一方でWhyの部分、なぜ意識が存在するかに関しては結構謎であった。しかし、リベットの実験、盲視、分離脳の実験などを学ぶことで、意識は傍観者・後付けとしての仕様・性質を持つということは分かってきた。分離脳の実験では分離脳の患者の、左脳には歩く様に指示して、右脳にはなぜ歩いたかと質問すると、分からないと答える代わりに「飲み物を取りに行くため」というでっちあげの回答をしており、意識とは物語を作りそして信じ込むという、システムを持つということを理解した。これらの知見からすると、人間はイベント(出来事)を覚えやすくする目的で、複数のイベントを物語の形式に整理するために、意識を利用しているらしい。これは先述の記憶術での脳の活用のしかたと全く同じに見える。記憶術とは単に意識を(より強く)使う方法ではないかと、そしてより重要かつ衝撃的なのはその逆の事実である。意識とは単なる記憶術であると。「○○が起きたから××が必要になり、それを手に入れるために△△した」という様に意識が発生するのは、それが事実でなくとも、物語として整理して記憶するためだといえる。かくして「人はなぜ物語を求めるのか」という昨年読んだ本に関する私の回答をまとめると、物語とは意識の大部分を占めるものあるいは意識そのものであり、意識は記憶を定着させるという機能を持つからだ、となる。「いい国作ろう鎌倉幕府」や子いぬ座など星の配置を無理やりの星座に当てはめること、より原始的には○○を食べたから腹を壊した、など情報を分かりやすく整理するために意識があると思うと、意識とはそれほどたいしたものではないのだなと感じた。本来 自分⊃脳⊃意識 という関係だが 自分=脳=意識 と考えてしまいがちであり、言い換えると「ファスト&スローあなたの意思はどのように決まるか?」でいうスローの部分のみを自分だと認識しがちであるが、実際は意識とは単なる記憶補助装置であることは理解すべきだろう。「物語」と「意識」という最近特に興味あるトピックがひとつにまとめて整理できたのは、なんともあっけない結末だった。
      昨年に人類の方向性は「成功」→「幸福」→「良い」→「」と変化しているのではないかと考えた。「成功」から「幸福」への変化は「自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究」で良く整理されているし、社会的な成功者の家庭環境や私生活が悲惨である例が多数知られるようになったことも影響していると思う。TVやSNSでひろゆき、オードリーの春日、カズレーザーの様な、金持ちなのに財をあまり使わないタイプの成功者もいることが知られたことも価値観の相対化を押し進めている。仏教の再評価、ミニマリスト、FIREなどが注目され、やっきにならない生き方が期待を寄せていることからも、「成功」から「幸福」への流れは徐々に進んでいるんだと思う。他にも、経済学者の成田氏は「ニコニコしながら没落」など成功とは反対方向に進むことを提唱しているが、人気を得て時の人となっている。
      「幸福」から「良い」へ進む流れは結構混迷としていた。というのも「自分の幸福以上に求めることが世の中にあるのか?」という指摘が正論過ぎるからだ。「良い」は「ハッピーエンドは欲しくない」の著者のブログから発想を得た部分であるが、そもそも何をもって良いとするのかという出発点すら結構難しい。そもそも私が「幸福」より上位の「良い」という概念を作りたい(そういう構造だと信じたい)理由として、みんなで幸福を目指そうという言説に漠然とした反発感があったからだ。そしてこれは「こちら、幸福安心委員会です。」という曲で揶揄され、この曲が人気を博したように、どうやら自分独自の感覚でもないらしい。もっと単純に、ドーパミンが出るレバーを押し続けるラットの実験を知って、このラット成りたいと思う人は少ないのではないか、という考えもある。そして意外にも、「良い」が何かという問いに対して、自分の求めていたヒントは「利己的な遺伝子」という本にあった。(実は概略を知っただけで、本自体はまだ読めていないのだが・・・)何が「良い」かは遺伝子を残せるのか、という視点で判断・整理できるのではないかと考えたのだ。極端な例でいうと自分が優れた人間であれば遺伝子を積極的に残していくことが「良い」行動であり、一方で自分は無能な人間であれば遺伝子を残さない様に消去的に行動することが「良い」行動になるという、優生学に近い危なげな考え方である。危ない思想ではあるが、自分が劣った人間であるのに「幸福を目指そう」、「強く生きよう」と言われてもピンとこず、反発したくなる原因が、そこにあると突き止めたこと(少なくとも仮定したこと)は一種の慰みにはなった。周りの優しい助言を、素直に受け取れない原因が分からないことは結構みじめなので、この慰みは案外重要なんじゃないかと思っている。ついでに言うと、このあたりの不和というか、違和感は発達した脳を持つ人間が生み出した社会に原因があるのではないかと考える。脳のニューロンの結合様式はDNAに組み込まれた情報ではなく、遺伝子から独立して後天的に発達させることができる、数少ない例外である。(脳の生理的な反応、例えば特定のシチュエーションでアドレナリンを出すなどは遺伝子に含まれているが)この脳が発達して論理的・合理的に考えることが出来るようになり、そこから社会的にも「人間ってこう生きた方が良いんじゃない?」という視点が生まれた。それらの主張をぎゅっと短くまとめると「成功」や「幸福」になる。しかしこれらはあくまで脳側の意見だ。脳と遺伝子は独立しているので、方向性を違えることがあるもの当然なことだろう。ただし、脳と遺伝子で判断が異なる状態は、論理的・合理的に反論はしにくいけど、なんとなく納得いかないという不協和が残り続け、それなりに不快である。私の中で「良い」とは遺伝子と脳が同じ方向を向いており、判断・行動できる状態であり、その状態では自分が無能な人間であれば遺伝子を残す・生きる行動は控えめにして、他人でも劣る人間に対しては避けたり攻撃したりする。実際に行動に移さずに、そう考えるだけであれば問題はない。そのため、自分が幸せを目指したいと思えなくても、何かの能力に劣る同僚や上司に攻撃したい・避けたいと思っても、なんら恥ずることはない。遺伝子から見ると正しい行動なのだから。それに自分が劣った人間だからといって、そのこと自体を苦しむ必要はない。代わりに他の人をサポートする(ほかの人の遺伝子を残すこと)という働き蜂的な遺伝子戦略も、種全体で遺伝子を残す視点で有効なのだ。他の生き物を見ても「成功」や「幸福」のために生きているかは分からないが、少なくとも遺伝子を残すように生きており、その意味で動物は「良い」生き方をしている。
      最終的に「」つまり無の段階に続くというのはより簡単に、人間はいずれ死んで無になるのだから、その終着点と目的が違ったらおかしくないか、という発想で考えた。これも同じく「利己的な遺伝子」で得られた知見から考えることが出来る。遺伝子の繁栄・進化のためには世代交代が必要であるため、遺伝子に従って生きることは、いずれ死ぬことすらも包括する。遺伝子に従って「良く」生きて、遺伝子に従って最終的に死ぬという思想を持てたことで考えをだいぶ整理できた。
      「物語」、「意識」、「遺伝子」をキーワードに新しい境地に至れたのはシンプルに嬉しい。新しい視点から物事を観られるようになると過去に得た知識も再解釈したくなる。
      昨年読んだ「暇と退屈の倫理学」を再レビューしたい。暇、退屈であるということは新しい情報が無い状態や、価値のない情報しかない状態だと捉らえることができる。「遺伝子」の要請として、可能な限り何かに「意識」を向けていたい、つまり新しい情報を「物語」に整理して、記憶したいというインセンティブがあるのだと思う。(具体的にどんなホルモン、化合物なのだろう?)情報を得る際に複雑な情報だとそのまま覚えることが出来ないが、一方で情報を変換するために「意識」という記憶術を使うのもエネルギーを消耗してしまうので、そのままの形でも覚えやすい「物語」のフォーマットが好まれるのだろう。「遺伝子」からすると、生きる上で必要ない「物語」がここまで乱立したことは予想外だったのかと。
      2年間に読んで感動した「ブルシットジョブ」との繋がりも簡単に考えてみたい。ブルシットジョブはまさに脳が生み出した現象であり、個人単位でみても種全体でみても遺伝子を残すという方向性にまったく合っていない。それどこから時間や体力を奪う、反遺伝子的な活動なのである。ブルシットジョブに従事していても「成功」までは至れるかもしれないが、「幸福」からは遠いし、「良い」人生からは大きく離れてしまう。「ブルシットジョブ」での著者の指摘はこれらの懸念感と共鳴したので、納得感が強かったのだろう。

      2022年総括(途中で挫折。考えがまとまらなかった。)
       読書はまるでBINGOの様だ。
       一つの本を読んだだけではまとまった思想を築くことは出来ないから、様々な本を読む必要がある。しかし、読んだ本同士の知識が繋がってないと、孤立し、活用しにくい知識が増えていくだけである。さながら、BINGOの開始直後に、ちまちまと散発的にマスを開けている時のように。去年読んだ「ブルシットジョブ」、「Humankind 」に併せて今年「暇と退屈の倫理学」、「人はなぜ物語を求めるのか」を読んだことによって、初めて自分の中の知識のBINGOが揃ったような気がした。勿論それ以前に読んでいた本も思想形成に貢献している。例えば「ホモサピエンス全史」、「嫌われる勇気」、「ファストアンドスロー」などが大事な役割を果たしているが、これらの様なベストセラー本はBINGOの中央のマスの様な立ち位置で、みんなと共有の空きマスに成っているようなイメージだ。
       「ブルシットジョブ」と「Humankind 」は共に人間社会で何が起こっているかを説明したが、「暇と退屈の倫理学」、「なぜ人は物語を求めるのか」はその原因の部分、人間のありとあらゆる行為・解釈の原理・動機を取り上げている。「暇と退屈の倫理学」にある「〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違える」は私含め多くの人にどハマりする重要な指摘だと思う。簡潔にまとまっている点でも良い文句だ。ウサギ狩りをしている人はウサギが欲しいのではなく、退屈な人生の代償として暇つぶしが欲しいのだ。人間の文化的な行為の原点を遡っていくと全てここに行き着くのではないかとすら思ってしまうほど根本的な考えだ。同じように「なぜ人は物語を求めるのか」にある(人間は)「理由ではなく、意味が知りたい」という指摘も、人間が物事をどの様に解釈するのか、従来の常識を完全に覆す指摘だ。突然不治の病を宣告された人が「なぜ私が」と問う時はその理由ではなく意味を求めている。理由などを考え出られるのは、余裕があるときだけなのだ。ここ最近読んで感銘を受けた本の内容が、きれいに一筋の内容につながったことに素朴に感動している。
       去年から幸福に関する本を何冊か読んでいる。「99.9%は幸せの素人」や「精神科医が見つけた3つの幸福」などだ。それぞれ、どうすれば幸せになれるのかを熱く語る内容だが、内容以前に「そもそも私含め皆は幸せになりたいのだろうか?」と根本的な部分に疑問を持ってしまった。これらの本は社会的な「成功」は必ずしも「幸福」には繋がらないことを解説する。それは良い。ただそもそも、皆幸せになることを求めているなら、幸せに対して素人のままであり続ける(あまり考えないままでいる)ことなどあるのだろうか?お金が欲しいと言ったら、周りからなんで欲しいのか聞かれるように、幸せになりたいという宣言や意思表示も、無批批判で受け止められるものではなく、疑問を投げかけられうるのではないか?甘いもの、明るい映画、前向きな曲だけが「良い」ものではない様に、苦い料理、暗い映画、後ろ向きな歌を「良い」と感じるのは特別なことではない。それなら幸せすらも盲信的に肯定し、追求するものではないのではないか?そんなことを考えている時に「暇と退屈の倫理学」、「人はなぜ物語を求めるのか」と出会ってしまったものだからハマるのも仕方なかった。もはや無いものだと諦めていた答えがあったのだ。
       では幸せに変わる人生の指針とは何だろうか?漠然と質問を投げるなら「良い」とは何か。私が人生で1番ハマった本「ハッピーエンドは欲しくない」の著者も同じ疑問を投げかけている。(いま思えばこのタイトルは非常に良い)真っ向から考え出すと途方に暮れるので一度視点を変えてみよう。「科学で読み解く笑いの方程式」によると笑いは記憶形成により起こる、つまり単純接触効果の強化版のような効果らしい。予想外なボケやおバカな回答などで記憶の結合距離が遠い、つまり情報として全く別のものが繋がるほどよく笑え、より面白いと感じる。例えツッコミなどで全く別の2つの概念が結びつくと笑いが起きるのもこの仕組みだ。この仕組みは「人はなぜ物語を求めるのか」で解説される、周りで起きたことを手持ちの物語に当てはめて快感を感じる人間の性質に近いと感じた。自分を物語に当てはめて生きるのが人間の原理・本質であるとすれば、その物語を拡張し更新する笑いとは、それに切り込む非常に重要かつ根源的かつ快感なコト、つまり「良い」ことではないか。笑いという強い感情表現までいかなくとも少なくとも、人生で起きたことを過去の経験や本で学んだことに当てはめて、物語を自己強化していくコトを私は「良い」ものだと感じるし、少し離れた知識が繋がると尚「良い」と感じる。「幸福」よりも「笑い」や「物語の強化」つまり物語に沿う様に自分の人生をハンドリングし、結果その通りに成れば物語の範囲が広がり内容も強化される、というサイクルを回していくことが私にとっては「良い」に近いらしい。「物語」を宗教、道徳、信念、美学、経済、アイドル、親からの期待、会社の経営方針、などに置き換えれば割と無理の無い主張、というか当たり前のことを言っているのが分かる。そして皆そうやって生きているじゃんと。まさしく「人はなぜ物語を求めるのか」の答えが「良い」であり、逆に「良い」を答えとする様な質問を探していくと「人はなぜ物語を求めるのか」に行き着く。
       「良い」は「幸福」から遠く、「笑い」に近いと言ったが、ではその近さあるいは遠さとはどのように理解すれば良いだろうか?「ゼロから作るDeep Learning ❷」や「自然言語処理の基本と技術」で知ったが機械学習では単語をベクトルとして処理する。単語をベクトルとして表わしているので、単語間の距離もベクトルで表現できる。その距離が単語の意味的な近さ・遠さとみなすことができる。私の中の単語ベクトルでは(社会的な)「成功」と「幸福」の距離を昔は近くに置いていたが、幸福のメカニズムを知ることでその距離が遠くなった。(年収が800万円を超えると、年収が増えても幸福度は上がらないなど)この2つの単語間を引き離すベクトルにはブルシットジョブジョブもあるのだろう。そして今「幸福」と「良い」の距離も離れてしまった。「幸福」よりも「笑い」や「物語の強化」の方が「良い」に近い。なぜならそれらは物語を求める人の性質を満たしてくれるし、暇と退屈をかき消してくれるからだ。「意識はいつ生まれるのか」で知った情報統合理論では、意識の発生には差異があり統合が出来るという性質が必要らしい。考察し切れていないが意識の発生のメカニズムと「良い」を作るメカニズムには、どこか似た性質があると感じた。
       概念として孤立していった「良い」に対して足がけを見つけることができた気もするが、抽象的すぎるので具体例も考えていきたい。例えば自分は野たれ死ぬのが運命(物語)だと感じているなら野垂れ死ぬのが「良い」人生だということだ。身も蓋もないように聞こえるが、成功や幸福を「良い」とするよりかは私には納得できる結論である。宗教家は教典通り生きることが、拝金主義は金を稼ぐことが、道徳を重視する人は道徳的に生きることが、オタクはアイドルの為に貢ぐことが、「良い」。これがマゾい方向にいくとDV被害や自傷行為の「良い」に至るのだろう。幸せではないだろうが、彼らにとっては「良い」ことなのである。また物語に即した「良い」人生を実現しにくい社会になったのは宗教の衰退や大きな物語の喪失によって、一つの物語を生涯に渡って信じ続けることが難しくなっていることが背景にある。手垢の付いた言葉で言うなら「良い」は自己肯定感に近いのかもしれない。ただ既にある言葉をもとに考察を進めようとして新鮮な結論には至れない。だから抽象的な「良い」という概念を追っていきたい。
       一方でより身近な問題、例えば仕事が辛い、人間関係がうまくいかないという現状を「良い」ものに変えるにはどうすれば良いか。「現代思想入門」では脱構築が現代思想の中核になっていることを示している。哲学者は概念、存在、社会の脱構築というやたら難しいことを行っているが、上述の「成功」と「幸福」と「良い」を分けていく作業もスケールは小さいが脱構築の一種だろう。ポスト〇〇主義が乱立しているのも、確固とした物語が失われていることを示しているのかもしてない。アートの世界でも脱構築が現代の流れであることを「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」ではピカソやデュシャンの例から詳しく学ぶことができる。ビジネス会でアート思考が推されているのもその流れの一種かもしれない。さて、脱構築を進めるため「良い」の依拠するところにある物語を分解していく、具体的には「他人の物語」と「自分の物語」にわけていく。
       本来集団とは同じ「物語」を共有して行動するメンバーである。「ホモサピエンス全史」でハラリはそれを虚構と呼んだ。しかし、現代の組織例えば会社ではどうだろうかダイバーシティの推進で多様化を進める前から、個々の考えはすでにバラバラで共感性に欠いている。その上でさらにサイコパス上司が自分の物語を押し付けていはしないだろうか?シットジョブには物語がある、しかしブルシットジョブには物語が無い。劣悪な条件の仕事(シットジョブ)でも「俺は中卒だからこんな仕事しか出来ないんだよ!!ガッハッハッハ!!」と物語に出来れば幸福かはさておき「良い」人生にはなり得ると思う。他方ブルシットジョブ下で、人に物語を押し付けられていては、自分の物語を生きることは出来ない。物語を押し付けてくるのは上司かもしれないし、親かもしれないし、学校かもしれない。その枠組みから離れてアウトロー的に自分の物語を生きていく事はできるだろう。しかしそれは社会のルールから外れることを意味し、結局は社会が押し付ける物語と言う重圧から逃れる事はできない。「他人の物語」から「自分の物語」を守りきる事は難しい。
       物語を守れないのであればどうすれば良いだろうか。1つ目の方法はもはや物語で生きることを諦め、物語を認識するメカニズムを破壊してしまう方法だ。仏教やニヒリズムと同じ方向性の思想だ。マインドフルネスによる発散した思考のリセットにも通ずる。ポスト物語主義とでも呼ぼうか。物語、信念、信仰を持たず生きること。これは「良い」ことなのか?そもそも実現する方法がよくわからず、今の自分では判断できない。
       2つ目の方法は「自分の物語」を守り切れるだけの能力を身につけることだ。会社員を辞め、フリーランスになる。最終的にはFIREを目指すなど、生活機盤を確立できれば、相対的には自分の物語を守りやすくなる。フラットな組織、会社に転職するというもっと敷居の低く現実的な方法もあるだろう。
       3つ目の方法は客観的な自分の状態は無視して、自分の物語だけを注目する方法である。良い意味で視野を狭く持つこと、自分が「良い」と思うナニカに向かって愚直に突き進んでいく。要はオタク化だ。今までの人生観を捨てて純粋な「良い」を求めていくことで、自分が何を「良い」と感じるかに気づき、例えば意外に1人でいることが好きだと気付けば1人で居る機会を意識的に増やしていくきとで「良い」人生を歩めるかもしれない。
       4つ目の方法は自分の物語と他人の物語を統合して一つの物語にする方法だ。客観的な自分と主観的な自分を同じものにする、この生き方しか自分には無いと愚直に信じ込む方法。今の自分の生き方、働き方以外の選択肢は取れないし、それに成功や失敗、幸福や不幸の判断を持ち込まない方法だ。与えられた役割と使命を愚直に果たしていくこと。私の知っており限り、人生に達観し、落ち着いて生きている人は、この様な価値観、人生観で生きてる人が多いと思う。しかし、その唯一の生き方が耐えられないほど辛い場合はどうだろうか?物語通りの生活、つまり「良い」生活なのに辛い状態になるのは何故だろうか?言い換えれば何故マゾになれない時があるのだろうか?
       色々と発想の飛躍(単に説明が飛躍してるだけかもしれないが)もあったかもしれないが、それが必要だった。「学校では絶対に教えてもらえない超ディープな算数の教科書」では証明問題で急に変な位置に補助線を引いたり両辺に不自然にナニカをかけたりするのは最終的に上手くいくようにさせる為であると説明する。発想を飛躍させているので、予めある程度の知識がないと、その手の問題は(普通は)解けない。
      「成功」、「幸福」、「良い」と発展させてきたがこの方向性を突き詰めていくとどこにたどり着くのだろうか?この三段階は、方向性としては抽象化、主体化が進む方向へと進んできたと言える。この方向性を突き進めていくとたどり着く先は空虚、つまり「」になるのか。抽象化が進みすぎてもはや捉えるべき言葉を持たず、主体化が極まっているため伝える手段もない。だからこその「」。
      る。一番面白かった本や漫画が年々更新されて行って欲しいし、そう受け止められる感性を持っていたい。

    • なつみ
      • 凛
        • 大学生

        音楽と本が好き。

        のんびり記録🕊🫧

      • 純米吟醸
        • B型
        • その他

        読書量に波がありますが細々と続けて行きたいです。読書メーターを使って良い本に出会いたいと思います。

      • 岡崎岳
        • りんがむ
          • 大阪府
        • 白河清風
          • O型
          • アーティスト
          • 東京都

          時がたつのは早いですね。古今東西の名作をあまり読まないうちに人生も後半に差しかかりました。皆さんの読書感想などを励みにして、いろいろ読み進めていきたいと思います。

          最近刊行した本(電子書籍)です。

          「松本隆の詞を愛でる」

          「白河清風の映画鑑賞」

        • kokada_jnet
          • 東京都
        • molysk
          • 技術系
          • 神奈川県

          年齢相応に不惑を志すエンジニア。

          専門知識を深めるだけでなく、
          幅広い教養を身に付けるため、
          様々な分野の本を読むことを目指します。

          本の感想・レビューの欄では、
          自分の感想を書くことに加えて、
          本の概要をまとめたり、
          関連する情報を集めたりすることで


          本への理解を深めるように努めます。

          同じ本を読まれている方が
          ほかにどのような本を読まれているか、を
          参考にさせていただくことのお返しに、
          自分からも、みなさまに
          興味を持っていただける本との出会いを
          提供できればうれしく思います。

        • たまき
          • 大学生
        • 轟直人

            プロフィール上限10240文字で自己紹介いたします。
            (※レビューの方は全て上限255字でまとめました。)

            定年退職した元中学国語教師です。

            校内暴力最盛期に採用され激動の教育界で鬱病で休職した同僚や問題を起こして懲戒免職になった同僚もいた中で40年近

            くを勤めあげました。

            毎年必ず「先生のおかげで国語が大好きになりました。」と言ってもらえたことが誇りです。

            小学4年で偕成社のホームズ全集5年で偕成社のルパン選集中学1年で角川文庫の乱歩全集中学3年で国名シリーズ悲劇シリーズを読破しました。

            高校ではリアルタイムで本格不在の渇きを梶原一騎・牛次郎の謎解き漫画で癒しました。

            「占星術殺人事件」の登場に狂喜乱舞し綾辻行人・有栖川有栖・加納朋子・米澤穂信・東川篤哉・蘇部憲一・金田一少年(青年)・名探偵コナン等等本格ミステリーを愛読しています。

            「謎解きはディナーのあとで」に「こんなのミステリーじゃね~」というレビューが多いのには驚きました。

            本格ミステリーというのは本格的にミステリー(謎)を解くことの面白さを中心にする作品なのに本格的な=大人向けの重厚な物語のことだと勘違いしているんじゃなかろうか?と思えます。

            本格ミステリーなんて探偵小説と呼ばれていた乱歩の時代から「稚気だけの遊戯」と呼ばれてきた「謎解きゲーム」にすぎないんですけれどね・・・。

            古典本格ミステリーを代表するエラリークイーンの国名シリーズは初めて「読者への挑戦」を挿入して作者と読者の謎解きゲームに徹しているのです。当然追求に値するほどの動機もなく動機なんて1行か2行で終わりです。

            乱歩亡き後松本清張の台頭で謎解きの面白さより社会性だの文学性だのリアリティーだの切実な動機だのを重視する社会派ミステリー全盛の時代が長く続いたせいでそういうもののほうが本格ミステリーなのだろうという誤認が浸透してしまった気がします。

            重いほうが本格的で軽いものは本格的ではないという印象を言葉の上からは受けやすいですからね。

            ミステリーという言葉も不可解な重苦しい印象を受けやすいですね。でも。クイーンの国名シリーズは全てタイトルが「〇〇××ミステリー」ですが内容は理屈っぽさ優先で重苦しさはありません。

            本格ミステリーを読んで「動機が物足りない」なんて文句を言うのは中国で餃子を食べて「ニンニクがなくて物足りない」なんて文句を言うのと同じようなもので恥ずかしいと思うのです。そもそも中国では餃子にニンニクはいれません。そもそも本格ミステリーは動機を重んじません。

            重苦しく動機を掘り下げるのは本格ミステリーではありません。社会派ミステリーです。1974年松竹映画「砂の器」は140分中50分が動機の解明です。1975年NHK「遠い接近」は70分中60分が犯行に至る動機の描写です。

            1970年代~1990年代の2時間ドラマの影響も大きい気がします。あの手のドラマはミステリーマニア対象ではありませんからロジックはなるべく排除してしまってハラハラやウルウルやエロエロを前面に出して犯人なんて配役見れば見当がつくようにできているのです。あれがミステリーだと思われたのではたまりません。(>_<)

            2時間ドラマは「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」本格ミステリーは「トリビアの泉」のようなものだと轟直人は考えます。

            2時間ドラマは犯人が分かってあたりまえ。本格ミステリーは予想外の驚きを楽しむものです。本格ミステリーを読んで「騙された!悔し~!」なんて悔しがっている人を見ると『本格ミステリーを2時間ドラマみたいに扱ってんじゃね~!』と無性に腹が立ちます。

            ただ・・・1982年1月2日の「天国と地獄の美女」はジェームズ三木のアレンジと叶和貴子の熱演で本格ミステリー暗黒時代の例外的傑作になっていますが。「大空に裸女千断の花火かな」乱歩。

            同じ2時間ドラマでもアメリカの「刑事コロンボ」はロジック優先で撃ち合いも追いかけっこもありませんが日本での人気1位は論理より感情が優先の「別れのワイン」ですからね。(>_<)

            轟直人の「刑事コロンボ」ベスト8は「殺人処方箋」「二枚のドガの絵」「断たれた音」「野望の果て」「意識の下の映像」「権力の墓穴」「自縛の紐」「5時30分の目撃者」です。犯行の動機は掘り下げるに値しない利己的な保身や営利です。同情の余地などないからロジックで犯人を追い詰める爽快感を堪能できるのです。

            「古畑任三郎」だって謎解きとは無関係な今泉慎太郎が人気を博してしまってスピンオフドラマまでできましたからね。三谷幸喜が自らノベライズするにあたって今泉を登場させなかったのは本格倒叙ミステリーとして工夫しているところを味わってほしいんだというメッセージではないかと解釈しました。

            轟直人は中学の時「刑事コロンボ」にはまって仕草も言葉も完全コピーして級友から「コロンボ」と呼ばれていました。国語の自習中「この問題分かるか?」と尋ねられて「ちょ~っと待ってくださいよ~」というのがコロンボでした。答が配られて全問正解して「すげ~!なんで分かるんだ?」と聞かれて「勘ですよ」というのがコロンボでした。

            が。コロンボの最も有名な言葉「うちのかみさんがね」だけはコピーできませんでした。(>_<)中学生にかみさんはいませんからね。

            教師になって結婚して使えるようになっても「かみさん」ってとしよりくさい感じで嫌なので「うちのグ妻がね」と言っていました。

            同僚に「愛妻弁当ですか?」「グ妻弁当です。」「またまた~。」
            ミスリードにひっかかりましたね!w
            愚妻と謙遜しているんだと思いますよね。じつは・・・
            good妻の意味でグ妻といっているのです♡

            グ妻は編み物に励み轟直人はパソコンに向かっています。
            「何打っているの?」
            「エンディングノート。」
            「何編んでいるの?」
            「エンディングドレス。」
            「ふふふふふ。」
            「ははははは。」

            1965年~1975年生まれのさくらももこ世代をX世代と称するなら
            1955年~1965年生まれの轟直人はW世代で
            1945年~1955年生まれの鈴木一平世代はV世代でいいのでしょうか?

            V世代といえば力道山ですがW世代の轟直人は伊達直人です!
            轟直人は「タイガーマスク」を「ぼくら」第1回から愛読していました。
            轟直人にとっては「タイガーマスク」といったら「♪白いマットの~」ではなく「ぼくら」付録ソノシートの「♪もうこのマスクにひかる目は~」です。

            轟直人の周囲で「ぼくら」を読んでいた級友はほかに1人もいませんでした。で。アニメの放送が始まると先の展開を1人だけ知っている轟直人は
            「ミスターノーはちびなんだよ。ドラキュラはハンサムなんだよ。スカルスターははげなんだよ。ゴールデンマスクは傷だらけなんだよ。」とネタばらししまくるのが快感でした。自分以外が知らないことを《教えること》≒《発見の驚きを与えること》が好きだったのです。

            X世代は昭和50年代に大ヒットした角川映画の「犬神家の一族」や「時をかける少女」を絶賛して懐かしがりますがW世代の轟直人は昭和40年代の「蒼い獣たち」や「タイムトラベラー」を観ているからそれと比べるとゴミだと感じるのです。角川春樹、後から作るなら前のものを超える自信があってからやれ、前のものより劣化してどうする!と思います。

            さくらももこは一文字隼人が好きになって「お荷物小荷物」を見るようになったと語っています。「お荷物小荷物」での佐々木剛は仁、義、礼、智、信のご兄弟の五男でした。視聴率では「木枯し紋次郎」に負けましたが轟直人は最終回まで観ていました。「木枯し紋次郎」は「見返り峠の落日」から観始めました。視聴率では「必殺仕掛人」に負けましたが轟直人は最終回まで観ていました。必殺シリーズは「必殺仕置人」から観始めました。

            さくらももこと同じくX世代の会川昇は「デスハンターなんて載っている雑誌を子供が買うわけはなかった」と述べていますが轟直人は「ぼくらマガジン」愛読していました。漫画では改造手術の傷跡を隠すために「仮面」をかぶるのにTVでは「変身」することにしてしまっていました。夜7時のお子様番組で漫画の通りに顔面がばっくり割れて傷跡が浮かびあがったらお子様は泣いちゃうでしょうが、だったら「変身ライダー」と名乗れ!と思ったものです。

            級友はカルビースナックがおまけについているカードを集めていましたが「ライダーガールズ」のカードは1枚もありませんね。本当にお子様対象のカードだったのだとよく分かります。轟直人は級友からダブったカードをもらって改造人間をさらに改造して「雲男」や「子守男」や「ゼブラ男」や口から火をふく「仮面ライター」や口から泡ふく「仮面サイダー」や仮面以外身に着けていない「仮面ヌイダー」を作って級友を楽しませたものです。

            大人になってから・・・ジョウロを持たせて「ジョウログモ男」緑色のモヤモヤで覆って「コケグモ男」を思いつきました。それで「ジョロウグモ」の「ジョロウ」ってなんだ?「ゴケグモ」の「ゴケ」ってなんだ?と思って調べてみたら・・・メスがオスを食べる蜘蛛なのですね。男を食い物にするから「ジョロウグモ」メスだけが残るから「ゴケグモ」とは・・・。授業では教えられません。

            というわけで轟直人は「仮面ライダー」は1回目だけ観てやめました。轟直人にとっての「仮面ライダー」は石森章太郎が描いた6エピソードだけです。

            「仮面ライダー」は路線変更前の放送開始当初は低視聴率だったそうですね。そうなると轟直人は「仮面ライダー」放送第1回をリアルタイムで観た貴重な日本国民の1人ということになりますね。えへんぷいw

            「ルパン三世」もファーストシリーズは低視聴率だったそうですが轟直人はリアルタイムで夢中で観ていました。なぜなら・・・ちょうどホームズやルパンを夢中で読んでいた時期だったからです。轟直人は「ルパン三世」ファーストシリーズを放送第1回からリアルタイムで観ていた貴重な日本国民の1人ということになりますね。えへんぷいw

            ただ・・・コミックでは1874年生まれの初代ルパンが1950年代には80代になっていて寝たきりの状態でも10代の三世に圧勝します。出典へのリスペクトを感じます。

            2020年には三世は80代。四世(ルパン小僧)だって50代です。

            2020年にやるんだったら「ルパン五世」だろ~!

            轟直人にとっては佐々木剛といったら一文字隼人でも滝沢信でもなく風祭右京(柔道一直線)であり高杉次郎(いとこ同志)です!

            「柔道一直線」というと「テレビ探偵団」がおちょくってとりあげたせいで「足ピアノ」が有名になってしまいましたが轟直人的には「柔道一直線」といったら「若者よきちがいになれ!」です!

            直也は「柔道きちがい」飛雄馬は「野球きちがい」轟直人は「ミステリーきちがい」「国語きちがい」ですね。

            轟直人が若いころはきちがいは『物事に全集中できる情熱の持ち主への誉め言葉』としても使われたのですが今は精神障碍者への差別言葉になってしまって迂闊に使えませんね。

            轟直人は「柔道一直線」より「ハリス無段」のほうが断然好きです。「柔道一直線」は「巨人の星」に始まる漫画版「宮本武蔵」の《漫画で教養小説》路線ですが「ハリス無段」はそれ以前の作品なので技と技の応酬の面白さだけに終始しているのがミステリーマニアの轟直人には楽しめます。

            「風巻竜のスクリュー投げをライバルはどう破るか?」「破られたらどうするか?」「闇剣之介の地獄投げを風巻竜はどう破るか?」

            この面白さは乱歩が「怪人二十面相」でやった「泥棒予告があったらどうするか?」「鉄の罠にかかったらどうするか?」「仏像を要求されたらどうするか?」「仏像に銃をつきつけられたらどうするか?」「落とし穴に落とされたらどうするか?」というロジカルな知恵比べの面白さです。

            乱歩が犯罪を題材にした「探偵小説」を梶原一騎はスポーツを題材にしてやったのです。

            その題材をさらにパチンコや料理や建築に広げたのが牛次郎だと思います。

            それが今日の和菓子を題材にした「和菓子のアン」本を題材にした「配達赤ずきん」古書を題材にした「ビブリア古書堂の事件手帖」などの日常ミステリー隆盛につながっているように思います。

            轟直人の衣食住ミステリー3部作は・・・「こっとん鉄丸」「包丁人味平」「建師ケン作」です!・・・高齢化社会においては「医食住」でもいいですね。その場合《医》は「Dr.コトー診療所」ですね。

            海堂尊は轟直人は好きではありません。医療現場で人殺すなよ!助けろよ!と思うのです。人を殺さなくたってミステリーは書けるのです。「遙か遠方で爆発事故で腕がちぎれかけた患者をどう助けるか?」「言語中枢のすぐそばに腫瘍のできた患者をどう助けるか?」心惹かれる《謎》に対する《驚》の解決が秀逸なミステリーだと感じます。

            夏目房之介は「巨人の星」などの梶原劇画の荒唐無稽な「魔球」や「必殺技」を廃してスポーツ漫画にリアリティーを持ちこんだのが水島新司の「ドカベン」なのだというようなことを述べています。梶原一騎が本格ミステリーなら水島新司は社会派ミステリーですねw

            しかしながら・・・夏目房之介は分かっていないと思います。梶原劇画は荒唐無稽なのではありません。荒唐無稽というなら「ONE PIECE」や「鬼滅の刃」のほうがはるかに荒唐無稽です。なにしろゴムゴムの実や水の呼吸にロジックは存在しません。大リーグボール養成ギプスや消える魔球には「体の全ての動きに反するギプスの装着によって効率的に筋力を強化する」「ボールが地面すれすれを通れば砂煙に隠れる」という論理的根拠が机上の空論ではあっても一応は存在します。

            「巨人の星」は「魔球」が登場する以前の少年時代からすでに「王貞治はなぜ初球をバントしたのか?」「飛雄馬はいかにして火の玉ボールを火傷せずに返球したのか?」といった心惹かれる《謎》に対する《驚》の答を提示してくれました。

            「ドカベン」「大甲子園」通して轟直人が特に好きだったのは飛雄馬の《魔球》に匹敵するロジカルな驚きを与えてくれた殿馬の《秘打》です。秘打黒田節で殿馬がバットを槍のように構えたのはなぜか?秘打回転木馬で殿馬がバットを逆さに持ったのはなぜか?この答は抜群に「なるほど~!\(^O^)/」です。

            轟直人にいわせれば「巨人の星」も「ドカベン」も同等に野球を題材にした謎解きを楽しめるスポーツ探偵漫画(スポ探)です!

            夏目房之介は「巨人の星」も「ドカベン」もロジックでなくフィーリングで読むから魔球ありは荒唐無稽!魔球なしはリアル!と捉えてしまうのではないでしょうか?

            謎解きの題材をスポーツからさらに娯楽や食に広げた牛次郎の「包丁人味平」にしても高取英は読者を釘づけにした名場面(迷場面)として《魚が骨だけで泳ぐ活け造り》を紹介していますが轟直人はそんな場面にはなんの魅力も感じずにスルーしていました。

            包丁人味平で轟直人を釘づけにしたのはキャベツの早切り競争です!ベテランが猛スピードで切っていくのに味平はのんびり1枚1枚巻いて並べていく・・・。なぜ?この《謎》に対する答は抜群に「なるほど~\(◎o◎)/!」です。

            フィーリングでは〖骨だけの魚が泳ぐ〗のは「ばかばかし~!(>_<)」のでしょうがロジックでは〖1枚1枚巻いて並べたキャベツは手早く切りやすいし盛りつけた時きれいに仕上がる〗のが「あったまい~!(^O^)」のです!

            轟直人が小学生の時一番好きだったアニメは「探偵スカット」です。毎回5分で100回でした。毎回「え~?」という場面で終わって「お~!」という解決で始まるの繰り返しでした。

            ごいんきょさんがこのアニメを取り上げたのですが「特になんということもない解決でした」なんて述べていたので?&!名義で異議を投稿させていただきました。

            たとえば《部屋に飛び込んだら豹が襲ってきた!どうなる?》で続いた次の回で《のどをなでたらおとなしくなった!なるほど~!》という感じで毎回強烈な〖謎と驚〗を楽しめた旨を述べたら・・・

            「サスペンスとは言えないですね(笑)」と返ってきました。

            「ごいんきょさん。サスペンスとミステリーは違いますよ。サスペンスは《ハラハラ》と《ドキドキ》を楽しむものですがミステリーは『え~?』という《謎》と『お~!』という《驚》を楽しむものですよ。」と教えてあげたのですがそれきり返事はありません・・・。(>_<)

            轟直人的にはへたな2時間ドラマなんかより「探偵スカット」のほうがはるかに本格ミステリーの《謎》(?)と《驚》(!)を楽しめたのです。

            なにしろ・・・

            中華じゃあるまいし本格ミステリーの「本格」は「大人の味」ではなくって「お子様ランチの美味」なのです。

            本格ミステリーはアートではなくてゲームです。軽く楽しめばいいのです。軽く楽しめるからいいのです。

            本格ミステリーは右脳でフィーリングを楽しむものではなくって左脳でロジックを楽しむものです。

            犯人の動機に共感するより犯人のトリックに感心するものです。

            「和菓子のアン」を読んで「和菓子が食べたくなりました~」と腹が減るのは感覚優先の文学作品の読み方です。「目から鱗が落ちました~」と知的好奇心が満たされるのが思考優先の本格ミステリーの読み方です。

            「イニシエーション・ラブ」を読んで「女は怖い(>_<)」と鬱になるのはフィーリング優先の文学作品の味わい方です。「上手い\(◎o◎)/!」と感心するのがロジック優先の本格ミステリの楽しみ方です。

            「謎解きはディナーのあとで」が「こんなのミステリーじゃね~」って・・・

            回転寿司ばかり食べていた子どもが本格的な寿司屋に行って「こんなの寿司じゃね~」と言っているのに近い気がします。

            裸の王様現象でここは「こんなのミステリーじゃね~」って言っておけば間違いあるまいと合わせている雰囲気すら感じます。間違い大ありですよ!

            轟直人は小学校入学前からー「タイガーマスク」体験の前からー《教えること》が大好きでした。1967年5月に「怪物怪獣大全集」が書店に置かれました。買ってもらえなかったので毎日日が暮れるまで座り読み(座り眺め)して「金星ガニ」や「火星コウモリグモ」を目に焼きつけて家に帰ると紙に書いて翌日友達に見せて驚かせるのが楽しみでした。これがガラモンやぺギラでは「知ってる~。」になってしまうからダメなのです。教職は轟直人の天職だったと感じます。

            読書メーターでも「和菓子のアン」や「謎解きはディナーのあとで」に対して「ミステリーではない」というレビューを目にします。そのレビュアーさんは長すぎる社会派ミステリー台頭の弊害で《ミステリー=刑事が殺人事件の犯人を追いかけて悲しい動機を明らかにするもの》という誤ったイメージが刷り込まれてしまっているのかもしれません。

            それで轟直人が「ミステリーですよ。」と《教える》コメントを送ると・・・・

            「感想は自由です!」というコメントが返ってくることたびたびでした。(>_<)

            それで轟直人が「犬の肉を食べて『犬の肉は美味い』といおうが『犬の肉は不味い』といおうがそれは感想だから自由です。しかし、犬の肉を食べて『この羊は不味い』といったらそれは感想以前の間違いです。同様に、ミステリーを読んで『ミステリーは面白い』といおうが『ミステリーはつまらない』といおうがそれは感想だから自由です。しかし、ミステリーを読んで『ミステリーではない』といったらそれは感想以前の間違いです。」と《教える》コメントを送ると・・・

            削除ブロックされて「へんな人に絡まれた!」とつぶやかれることたびたびでした。(>_<)

            中学生が相手なら「『巨人の星』は野球の謎を解くミステリーなんですよ。」「『ドラえもん』の『天の川鉄道の夜』は辻村深月絶賛のミステリーなんですよ。」と《教える》と「へ~\(◎o◎)/!」と素直に納得してくれるのに大人になると自分の思い違いを指摘されても素直に正せず正そうとした相手を悪者にしてしまうのですね・・・。(>_<)

            というわけですから素直に自分の間違いを認められるメロスのような心を失ってしまった大人を相手に間違いを正しても正しいことをしたほうが悪者扱いされるようだから間違えている人へのコメント欄ではなく轟直人のプロフィールに正しい本格ミステリーの捉え方を述べておくことにしました。

            あまりにも長いのでまともに読む人なんていないかと思いきや・・・
            「面白かったです。」とか「勉強になりました。」とかコメントしてくださるユーザーさんもいて恐縮してしまいます・・・。(#^^#)
            長ったらしいプロフィールにわざわざ目を通してくださったユーザー様。まことにありがとうございました。m(__)m

            さて。轟直人はまじめな純文学が大っ嫌いで小学生の時から現在に至るまで夢中で読んだ本といえばほぼほぼ推理小説ばっかりでしたが高校では国語だけは学年で1番。大学でも専門課程の成績はオール優でした。

            《国語の正解は1つではない》という俗説がありますがいやいやいやいや国語の試験問題の正解は1つですから。その正解を導きだすために必要なのは文学作品を読んで培われる想像力ではなくって推理小説を読んで培われる思考力ですから。

            生徒にも我慢して純文学読まなくてもいいから推理小説を楽しんで読書は楽しいものなんだってことを知ってくださいと言っていました。

            ただし・・・教育現場で殺人事件を扱う話を奨励したくはないので日常ミステリーを薦めていました。

            江戸川乱歩「智恵の一太郎」米澤穂信「氷菓」初野晴「退出ゲーム」坂木司「先生と僕」鯨統一郎「なみだ学習塾をよろしく!」辻村深月「ロードムービー」などです。

            とはいっても文学作品を読むなと言っていたわけではもちろんありませんし推理小説以外は読んだことがないというわけでもありません。

            中学高校の時映像を見てから「日本沈没」や「吾輩は猫である」や「ルーツ」を3か月くらいかけて読みましたし

            大学では近代文学ゼミで1作家4作品くらい(ゼミ12人÷3人=4グループだったためです)取り上げて毎回レポート提出だったので宮沢賢治や芥川龍之介や太宰治や川端康成や三島由紀夫の作品を読んで・・・

            「やっぱり純文学はくっだらね~(>_<)」と改めて思いました。卒業論文は・・・江戸川乱歩論です!

            大学の4年間を東京で過ごしながら大学と下宿以外で立ち寄ったのは本の町神田と国会図書館だけ!

            地元に戻って教員生活が始まりました。

            「授業を受けるのはなんのため?」轟直人の考える答えは・・・「発見の驚きを楽しむため!」です。

            ミステリーが大好きな轟直人はミステリーのテクニックを授業に活用して生徒を惹きつけてきました。

            「クイズ日本人の質問」の趣向をいただいて生徒が疑問に思うことを書かせてその中から授業のねらいにあうものを選んで「生徒が知りたいことを解明する授業」の形にしました。

            「メロスは勇者か否か?」(走れメロス)

            「客が私に伝えたかったのはどんなことか?」(少年の日の思い出)

            轟直人は40年近く授業という名のミステリーを綴ってきたのです。

            轟直人のお薦め外国文学。英・・・ガリバー旅行記。米・・・ルーツ。仏・・・猿の惑星。独・・・ほら男爵の冒険。露・・・イワンのばか。

            轟直人の現代語訳で楽しく読めるお薦め古典文学。「有斐閣新書の注釈万葉集《選》」。「星新一訳竹取物語」。「桃尻語訳枕草子」。「森村誠一の平家物語」。「山田風太郎の八犬伝」。

            轟直人のお薦め近代文学。「夢十夜」(パロル舎)。「蜜柑」(立東舎)。「女生徒」(立東舎)。「銀河鉄道の夜」(偕成社)。「黒蜥蜴」(学研文庫)。

            轟直人のお薦め現代文学。「ボッコちゃん」星新一。「日本沈没」小松左京。「戦争童話集」野坂昭如。「サラダ記念日」俵万智。「ひとりずもう」さくらももこ。
            ※大学の近代文学ゼミでは故人は近代文学の対象としていましたがすでに4人は故人ですね・・・(>_<)

            轟直人のHNの意味は・・・

            轟直人→ナオトトドロキ→ナゾトオドロキ→謎と驚→?&!。本格ミステリーの2大要素『冒頭の謎=〖?〗と結末の意外性=驚=〖!〗』が大好きの意味です。《直人》は伊達直人をイメージしています。それでアイコンも「伊達直人」です。

            Amazonカスタマーレビューとヤフーニュースへのコメントには?&!のHNを使用しています。

            轟直人の稚拙なレビューにナイスくださったレビュアーさん。どうもありがとうございます。お気に入り登録させていただきますことをお許しください。m(__)m

          • itokake

            貝、虫、植物など生き物全般、
            心理学、精神医学、自然現象、言語などが好き。
            アイコンは大好きな貝のイトカケガイです。ニックネームもここからとりました。

            心のオアシスは「大草原の小さな家」と「キャンディ・キャンディ」。

            2025年は【読書で世界一周】をし

            ます。1月に1か国のペースで、1年かけて世界一周。
            1韓国→2中国→3モンゴル→4ロシア→5中央アジア諸国→6イラン→7トルコ→8ギリシア→9イタリア→10→スペイン→11ポルトガル→12カナダ

            好きな作家:
            ・中島敦
            ・森類

            お気に入りノンフィクション/ルポ:
            ・砂漠の囚われ人マリカ  マリカ・ウフキル
            ・生かされて。イマキュレー・イリバギザ
            ・女盗賊プーラン プーラン・デヴィ
            ・老親を棄てられますか  門野晴子
            ・鴎外の子供たち 森類
            ・ブッシュマンとして生きる 菅原和孝
            ・庭とエスキース 奥山淳志
            ・子どもたちの階級闘争 ブレイディみかこ
            ・無人島に生きる十六人  須川 邦彦
            ・転がる香港に苔は生えない 星野博美

            お気に入り小説:
            ・小説アーサー王物語 バーナード・コーンウェル
            ・大地 パール・バック
            ・夫のちんぽが入らない こだま
            ・流転の海 宮本 輝
            ・ふたりの老女 ヴェルマ・ウォーリス

            お気に入りその他:
            ・すねこ・たんぱこ(岩手の昔話) 平野直
            ・カメムシの母が子に伝える共生細菌 細川貴弘
            ・現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき 吉岡乾
            ・ニッポン貝人列伝 時代をつくった貝コレクション 奥谷喬司
            ・心理学の7つの大罪 クリス・チェインバーズ
            ・カイメン すてきなスカスカ 椿玲未
            ・カタツムリの謎 野島智司

          • ゆいまある
            • 専門職

            おばさん精神科医。
            お菓子とコーヒーと、本があれば何日でも過ごせます。
            理屈っぽい唯物論者なので、ほのぼのした日常系、癒し系は苦手です。
            ほぼノンフィクションと、血も涙もなく人が死ぬようなミステリに偏って読みます。

            原則自腹購入して読みます。なので高い本

            が面白くないとつい、レビューが辛口になります。

          • ふじ
            • Памир
              • 羊男
                • A型

                読書メーターのおすすめの読書家の方をお気に入りにさせていただいています。

                下記の10段階評価で感想に記載

                10点★★★★★
                9点★★★★☆
                8点★★★★
                7点★★★☆
                6点★★★
                5点★★☆
                4点★★
                3点★☆
                2点★
                1点☆

              • 六点
                • B型
                • 技術系
                • 京都府

                濫読を愛し、書の海に揺蕩う謎の黄色くて巨大で。 Rubber Duck is watching you!

              • 全25件中 1 - 20 件を表示

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              プロフィール

              登録日
              2022/03/23(1186日経過)
              記録初日
              2022/01/01(1267日経過)
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              三島由紀夫とフランス文学が好きですが、図書館に行った際に片っ端から新刊を読むのでジャンルはバラバラです。

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