しかし、考えると、現代人が抱きがちなその問いに対する答えは、ますますはっきりしなくなっている。私は〇〇するために生きている、〇〇のために生きている、と人は言う。たとえそれがまやかしかもしれぬとうすうす勘づいていても、それを信じ込まざるを得なくなっている。食えればよい、というだけで生き続けられる謙虚な人はなかなかいない。少なくとも私はそうだ。私たちは、生きることの中に、食える、助け合う、愛する以外の何かしら高尚な生きる意味を探求することを強いられている。
それはきっと当時の人々にとっても同じで、きっとトルストイ本人も、この重大な問いに対して、答えの決して出ない思考を重ね、苦しんだに違いない。神という存在は、そんな苦しい思考の旅の中で、重要な助けになっただろう。私は、この本にある、この問いに対する原始的な一つの答えも、時折思い出すべきだと思った。
翻訳物ばかり読んでいます。
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