読書メーター KADOKAWA Group

2025年1月の読書メーターまとめ

Gorikell
読んだ本
28
読んだページ
10766ページ
感想・レビュー
28
ナイス
388ナイス

2025年1月に読んだ本
28

2025年1月のお気に入り登録
7

  • qwer0987
  • おりこ
  • Roco
  • りえぞう
  • ぎじぇるも
  • いぐさみき
  • esop

2025年1月のお気に入られ登録
7

  • qwer0987
  • おりこ
  • Roco
  • りえぞう
  • ぎじぇるも
  • いぐさみき
  • esop

2025年1月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Gorikell
ネタバレ「そういうものだ。」「芥子ガスとバラ」「スプーンのように」「プーティーウィッ?」など、この物語には、繰り返し出てくる表現がある。大戦という怖ろしい状況では、平時であれば驚愕、狼狽してしまうような場面に出会っても、繰り返しそれらに触れるにつれ、脱感作的に、そんな経験も路傍の石かなんかのように思えてしまうのだろう。きっと、そんな経験をした後に、従前の価値観に戻ることは無理だろう。そういうある種の思考停止を表しているのではないだろうか。ビリーは戦後もうまく社会を渡るが、その中でも、「そういうものだ。」と続ける。
が「ナイス!」と言っています。

2025年1月の感想・レビュー一覧
28

Gorikell
今だと、NOを突き付ける人が居そうな思想だな、という印象。というのも、生得的要素の違いにより、苦しい人生を送っている人々の事例が、今多く取り上げられているからだ。科学的議論や道徳的是非は私の扱える埒外だから置いておいて、「ただ追求するだけ」「ただやるだけ」という美しい目標が、本当にこの物語で述べられるような素晴らしい出口に通じていると断じてしまってよいのだろうか。人生がつまらないのは、単にそのような目標を達成できていないからだと、雑にまとめてしまっている節がなくもないのでは。鴎の写真はきれいだった。
Gorikell
2025/01/31 23:07

独特な話。鳥をペットとして飼う身としては、今この手の上で羽繕いしているこいつもこんなこと考えてたらウケるな、と思いつつ読了。

が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ切ない最後だった。起こった出来事は、文量と比して決して多くはない。これだけの長編となった理由は、どう考えてもそれぞれの登場人物らが物凄くおしゃべりで、一人残らず時に数ページにもまたがるような長広舌を繰り広げ続けるからに他ならない。では冗長な小説か、と言われると決してそうではない。17世紀に書かれたとは思えないほどユーモアに富んでいて、しかも各キャラがしっかりと立っていて、後篇に至っても飽きさせず、時々吹き出さざるを得ないこともあった。また、当時の風俗をリアルに追体験できる貴重な小説だといえよう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレサンチョ大活躍。判事的なことをやりだすパートはなかなか痛快。こんなに賢かったのかお前、とニヤニヤさせられる。ドン・キホーテも、騎士道物語から離れればまるで説教師か何かのように(当時の)道理にかなった長広舌を垂れだす。一方で、騎士道にかかるペテンには幼児のように簡単に引っかかってしまうのだ。前編の時は、ペテンにより駆動されるのではなく、迸る自身の推進力によって行き当たりばったり猛進し、自身の頭から突拍子もなく出てきた妄想によってひどい目にあっていた。だいぶそこから変わってるなとも思う。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ前編に比べ、ドン・キホーテ一行は豊かな旅できてるじゃないかと思わされる。ドン・キホーテはその英雄譚にまた1章1章と加えていくような活躍(と本人は思っているもの)をかさねるし、サンチョも美味いもの食べれているし。前編はあれだけ踏んだり蹴ったりだったのに。前編でも少々見られたメタ的描写も冴えわたる。また、浅学のため、ドン・キホーテ前編ができ、後編が上梓されるのに10年もかかっており、その10年のうちに贋作が世に出たということも知らなかったので、作中冒頭で早速それが取り沙汰されビックリした。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレさらにさらに作中作が展開されるが、その内容に面白い点がいくつかあるように思う。特に聖母崇敬の強力さ、そして教化をどんどん推進すべきという寓意を含んでいそうなこと、挿話外の宗教関係者らの姿勢などを見ると、英米文学、ロシア文学等と見比べたとき、違うなと思わされる(宗派・時代の違いであり、当然か)。また、モーロ人との紛争、そしてスペイン人とモーロ人が入り乱れる緩衝地帯の描写も面白い。ドン・キホーテも、いろいろあって元居たところに落ち着いてしまった。果たしてどんな騒ぎを起こしてまた逃げ出してしまうのか。期待。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ章末注釈がいくらかはいるが、その内容が面白い。作中に存在した矛盾を作者が版を重ねる際に訂正したようだが、その訂正がどこにどのように入り、結果どういう矛盾が解決したかということが丁寧に説明されているのだ。かわいいところあるねミゲル君(印刷屋のせいという可能性もあるか)、と思いつつも、こんなこと晒されてちょっと可哀そう(?)だなともおもった。きめ細やかな脚注を入れてくれている訳者には頭が下がる。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
格調高い訳文。しかもところどころ詩が挿入されたりして、あまりなじみのない文語文がときどき出てくる。昔の小説特有の、とめどない長広舌も印象に残る。こう書くと、17世紀の大古典ということもあり読みにくいのではと思われるかもしれないが、内容は驚くほど軽快で、ユーモアに富んでいる。前編1/3にしてすでに何度も吹き出してしまった。騎士道物語に滑稽なほどに毒されてしまったドン・キホーテと、そのまた滑稽なほどに従順な従者、サンチョ。二人の掛け合いは、この序盤にしてすでにある種のコンビ漫才のようになっている。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ「そういうものだ。」「芥子ガスとバラ」「スプーンのように」「プーティーウィッ?」など、この物語には、繰り返し出てくる表現がある。大戦という怖ろしい状況では、平時であれば驚愕、狼狽してしまうような場面に出会っても、繰り返しそれらに触れるにつれ、脱感作的に、そんな経験も路傍の石かなんかのように思えてしまうのだろう。きっと、そんな経験をした後に、従前の価値観に戻ることは無理だろう。そういうある種の思考停止を表しているのではないだろうか。ビリーは戦後もうまく社会を渡るが、その中でも、「そういうものだ。」と続ける。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ典型的小説のように、全ての真相を知る第三者が時系列に沿って語るという形式ではなく、語り手も、状況も、時系列も、あっちこっち飛び回って状況把握が難しい。しかし、こういう形式だからこそ、みな実は、他人のことを分かったつもりになっていても、全然その人が腹の底でどんなことを考えているかわかっていないんだなということを、空々しくない形で表現できる。何か先入観があって、感情に突き動かされ誰かに対し行動するとき、行動者は、ものすごくその対象のことを単純化して、決めつけて見てしまう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ最後のマーロウとクルツの妻との会話に対比がある。それは、野生を捨て、社会の法則を頼みに生きるクルツの妻と、それが全然異なるアフリカの奥地で時を過ごしたクルツ本人の価値観の違いである。ただ、結局もともと進歩した社会にいたクルツが、何に触れてああなったのかは、明らかにされない。「怖ろしい!怖ろしい!」という言葉だけである。何が怖ろしいのだろうか。文明に守られていないことだろうか。何百キロも広がる広大な魔境の中にいることだろうか。現地民、いや、人類共通の巨大な神のようなものに触れたのだろうか。想像しかできない。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ人は何となく惰性で生きているところがある。はたから見たら輝いて見えるような人も、どん底で駆けずり回っているように見える人も共通して、自分が直面している現在を、ぼんやりと処理し続けている。そこに、自分が誇れる人生を送っているとか、自分は惨めな人生を送っているとか、ほかにももっと複雑な形式の自意識があったり、思い出や、信仰(クエーカーや、医師のいう「回心」)なんかがそこにスパイスとして働いているような感じなのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ人間同士の認識の違いによるすれ違いを、克明に描写する。ドロシアがカソーボンに抱く幻想。ロザモンドがリトゲイトに抱く幻滅など。筆者の文体において、このような状況を描写するとき、一度第三者視点で突き放しつつも、鳥瞰視点から当事者のもとに降り立つような形式で、本人には尤もらしいと思えるが、人には理解されない心中を描く。特にロザモンドなど、読んでいてどうしても私個人の主観が入りイラつくことがあったが、それでも、こういう気持ちになってしまうことって、自分にもあるな、と、突き放すことはできない何かを感じてしまう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ緊張と緩和は面白い物語に不可欠。3巻終了時点では、そのうちでは緊張が最高潮に至りつつある。カソーボン氏は、案外あっけなく退場するも、とんでもない爆弾を残す。ロザモンドのカップルも、予想通りうまくいかなくなってきた。一方、放蕩息子フレッドは、どんどん人間としての成長をしつつある。バルストロードの資産問題や、ラッフルズの動向などの問題が、どのようにこれらのストーリーに絡んでくるのか。そして、この高まった緊張がいかにして解決されていくのか。ハッピーエンドであってほしいなと思う。期待。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレいくつかのカップルができたが、その間には、明白な認識の差異があって、うまくいかないんだろうな、と思わされる。しかし、誰も責められない。人のことを買いかぶり見くびってしまうのは、たとえ恋人であれ、他者のことなど自分のことほどは考えていないため。まして、理性という、こういうことを考察するのに唯一役立ちうる武器が恋愛で弱ったとき、当然認識はどこまでもずれていくしかない。この認識の差異を修正するとは、当初の新鮮な憧れや喜びを否定することで、苦痛なのだろう。ロザモンドのカップルも、先行き大丈夫…?期待。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
濃密な心理描写が印象的。性格やその時の心境に関する表現が非常に詳細で、また当時のイギリスのニュースや学説を交えてあり、非常に面白い。ヘビーな文体ではあるが、詰まることなく、するする読めてしまう。しかも、大仰な理屈でポカーンとさせられてしまう感じではなく、何となく日常で感じたことを上手に言語化されている感じで、19世紀の小説とは思えない。物語のほうも、第一巻終盤には舞台が整い、ずんずんと動き出していく。どんな展開となるのか、楽しく読み進められそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレペチョーリンは人間らしいキャラだと思う。すごく賢いのはわかる。が、それを明晰に自覚したうえで、振り回しすぎている。突き動かしているのは何なのか。美しい女、それも、ほかの男が血眼になって口説こうとしている女を見ると、ぶち壊さずにはいられない。彼は達観したようなことを言うが、結局そもそものところは性欲ないし嫉妬、征服欲であろう。やはり彼といえど、行き当たりばったりでなくなることはできないのだ。全てはわが掌の上、とでもいうように振舞ったとき、それは、マクシム・マクシームイチのような人間には妙に映るのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
国民国家であるイギリスに支配された、そうでないインド。支配者間で振るわれる社会性というものは、空虚。インド人社会とイギリス人社会の対比によりそのことが浮彫りにされる。支配者らが頼みにしている社会秩序は実は集団的幻想であり、それはあくまで圧倒的豊かさを背景に存在できるもの。イギリス人も同じ気紛れさを持っているのに、様々な理屈でそれに蓋をしなければ生きていけなくなっている。インドにある靄のような価値観、そしてあいまいな一つではない神々は、いかに豊かさを振りかざして圧迫しようとも、人が滅びぬ限りただあり続ける。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ泡沫の至福の味と、平板な毎日をどうしても比べてしまい、もがき苦しむ。一度箍が外れると、際限なく持ちうるものを捧げ、その背徳の甘美に身を晒さずにはいられない。たとえその至福が、マンネリ化してきて、忌み嫌う平凡の様相を呈し始めても。何度裏切られ、打ちひしがれても、その甘美の一部でも認めると、いつの間にかその機会に飛びついてしまっている。男は、善良で平凡。結婚相手として彼を持つとき、その善良、平凡が、耐えきれない退屈さを与えてしまうという点で、仇となってしまったのかもしれない。結婚は大変だ。娘が一番可哀そう。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
二重人格!サスペンス!ホラー!斬新な設定により、驚きをもって受け入れられた作品!ととらえていたが、しっかり目を通してみると、これほど取り上げられ続けるのはそれだけが原因じゃなさそうだと思う。エンタメ的な質も、映像化との相性が良いのも分かる。人の心が本来の心と純粋な悪の心の二面に分かれ、同一人に同居するという設定は現実離れしているように思える。が、みな、裏表を持つのも事実。品行方正、窮屈な生活を送る人こそ、それに辟易してハイドのような生活に浸ってしまうと、そこには依存性があって、戻れなくなりやすいのかも。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ自分の手元に無いものばかりが気になってしまい、ついついそれを持っている人を羨んでしまう。が、実のところ、自分の手元にもたくさん、人が羨ましがるものがあるはずで、自分がそれらを持っていることは、余りに当たり前すぎて全然意識できない。あんなに欲しがっていたものも、手に入れたら全然違う、つまらないものにかわっている。本当に大切なものは何処にあるか、ということを伝えたいのだろう、と思う。光、火、水、イヌ、ネコ、パン、砂糖、森の木々、動物、まだ生まれていない子ら、幸福、不幸などが妖精として登場し、面白いストーリー。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレアンチユートピア小説。当時の世界の科学技術の発展に伴う社会の潮流を危惧した作者が、それに警鐘を鳴らす側面が強い作品とのことだ。自由は不幸の根源、不自由こそ真理、という世界。丸い手首、S文字のような体つき、など、面白い表現が多々見られる。また、√-1や2+2=4など、数学的な概念を用いて、主人公がいる世界のことを表現しようとする。この物語は主人公が書く覚書という体裁をとっており、彼の心情の揺れにより、書きたいことを書き、書きたくないことは書かない。それにより、物語の空白が生まれ、そこを想像する面白みがある。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレバラバラに展開されていた主要人物らのストーリーが、ち密に一つにまとめられ、あの悲劇的な大団円に至る。そこには、中国の長い歴史によって踏み固められ、儒教思想に裏打ちされた社会構造が、強力な外圧によって、抵抗むなしく、少しずつひびを入れながら、崩されていく姿が見えた。習わしに固執する彼らの姿にもどかしさを覚えるとともに、素朴な民草らが踏み潰される姿には寂しさも覚えた。しかしその散りざまは、誇り高く、そして美しいものだった。描写も明快で、イメージしやすく、エンタメ小説としても楽しめる(ちょっとグロいが)。最高。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ今のところ、めちゃくちゃ面白い。グロテスクな描写が多く、万人に勧められる内容ではない。清衰退期における人々の民俗(風水、舞踊、信仰など)を重んじる姿。外的圧力からくる地域内の理不尽、動乱。そして隋の時代から続く官僚政治の衰退が、美化なく、生々しく、数人の登場人物の一人称視点から描写される。それらは、今の中国を、外から見た姿からは想像できないものだ。そして上巻後半には、その多視点から構築された世界観はち密に完成し、物語は、いくつかの筋に沿って展開される。それらがどのように絡まりあい、結末を迎えるのか。期待。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ南北戦争前の自由州・奴隷州の区分が残る時代を舞台に、悪ガキで、ふらふら揺れ動くが、良心を持つ少年ハックルベリイ・フィンと脱走奴隷ジムの逃避行を、痛快に描く冒険活劇。フィンのつじつま合わせの才能はとんでもない。そしてトムの出まかせの才能はもっととんでもない。訳の分からんことを言って、いうだけで済ませず、実行しかけて、そこそこのところで自己満足。自由奔放。振り回される側はたまったもんじゃない。読後、訳書によって登場人物の口調がだいぶ異なり、また違った感じで面白いと聞いた。再読時は、ほかの訳者のものも試したい。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレヴェネツィアという舞台、許されざる愛に狂い死ぬ。最初はしっかりと掲げていた理性も、持ち前の高い知能からくる広い視野も、どんどん弱り、狭まっていく。幾度もなぞられたであろうプロットではあるが、マンによる、ある種衒学的ともいえるような、情報モリモリの文体が印象に残った。正直読みやすい部類の本とは言いづらい。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ世俗的なことに人がいかに縛られているか、それがいかに人々の間に溝を作っているかということを示した作品。今も、トルストイが本書を執筆した当時も、クリスチャンを自称する人々の中に、宗教の違い、宗派の違い、性の違いといった属性の溝や、本人の生活(立身出世、家庭生活、恋愛など)のしがらみなどのような世俗的なもののため、「敵を愛する」という根本的教義を有名無実の物のように扱ってしまう人がいたのでは。亡国ローマという舞台をとったのも、かつてトルストイが居て、そして今私がいるこの社会の行く末を憂いてのことだったのかも。
が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
人は何で生きるか、という答えのない問い。農民たちが厳しい人生を送る中、何に縋ればよいのか。何をすべきで、何をすべきでないのか。私はトルストイが説く愛(=神)という単純な答えを、批判したくなってしまう。食うに困ることも、隣人とつまらぬことで争うことも滅多になくなった。ここから俯瞰すると、どうにもこのような教訓は、昔話のように思えてしまうのだ。こんなことじゃないだろう、生きる意味は。もっと良い生き方があるのだ、今は。こんな簡単に自分の人生に納得できるものか。古典から生きる教訓を見出すなど、むなしい試みだ、と。
Gorikell
2025/01/02 15:45

しかし、考えると、現代人が抱きがちなその問いに対する答えは、ますますはっきりしなくなっている。私は〇〇するために生きている、〇〇のために生きている、と人は言う。たとえそれがまやかしかもしれぬとうすうす勘づいていても、それを信じ込まざるを得なくなっている。食えればよい、というだけで生き続けられる謙虚な人はなかなかいない。少なくとも私はそうだ。私たちは、生きることの中に、食える、助け合う、愛する以外の何かしら高尚な生きる意味を探求することを強いられている。

Gorikell
2025/01/02 15:48

それはきっと当時の人々にとっても同じで、きっとトルストイ本人も、この重大な問いに対して、答えの決して出ない思考を重ね、苦しんだに違いない。神という存在は、そんな苦しい思考の旅の中で、重要な助けになっただろう。私は、この本にある、この問いに対する原始的な一つの答えも、時折思い出すべきだと思った。

が「ナイス!」と言っています。
Gorikell
ネタバレ過去の遺物となり下がりつつあることをはっきりと自覚し、実存的危機と向き合う。そんな中彼は、スキャンダルに直面し、恥辱に背を向ける形で、移住する。移り住んだ先では、社会が激しく動く中生きる娘と衝突する。彼は、彼女が女として、無為に「消費」されようとしていると思い、疎開させようする。しかし彼女は、それに首肯しない。彼女はこうした恥辱もまた、この土地の生きるには受け入れなければならないと、譲らない。きっとこれからも、様々な屈辱を味わうことになるだろうが、それを耐え忍ぶ決断をした。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2022/09/15(897日経過)
記録初日
2022/09/01(911日経過)
読んだ本
144冊(1日平均0.16冊)
読んだページ
53906ページ(1日平均59ページ)
感想・レビュー
116件(投稿率80.6%)
本棚
0棚
性別
年齢
31歳
自己紹介

翻訳物ばかり読んでいます。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう