
この発見はすごくないか>佐渡島で初めて前方後円墳を発見!加茂湖畔に2基 日本海側最北、古墳時代前期4世紀の築造か「水上交通の有力者を埋葬」?(新潟日報) #Yahooニュース
通りすがりに失礼します。詳しい訳ではありませんが、これは確かにすごいですね!この時代の水上交通の有力者、色々と想像しちゃいます。佐渡に前方後円墳、浪漫を感じます。
本書で気になる箇所が多数に上り、付箋だらけになった。その都度、メモって来た。 ミチオ・カクは長年、ひも理論を研究してきた。今も、である。「現時点で、標準模型を超える量子論の筆頭(にして唯一の)候補は、ひも理論だ」と本書でも書いている。
その一方で、ひも理論が万物の理論なのか定かではない。解決策は、新世代の粒子加速器を作ることかもしれないとしつつ、それでもこの問題が解決できる保証はない、と。 その上で、「私の見解では、量子コンピュータがこの問題に究極的な答えを出してくれるのではないかと思う」と。繰り返しになるが、これが期待先行で終わらないことを願うばかりだ。
ただ、平成天皇皇后が築き上げてきた象徴天皇像の危うさも感じた。皇后美智子さまの存在感の大きさは想像を超えた。明仁天皇も感謝の念を明言されていた。まさに夫妻共々命懸け。題名の比翼の象徴そのものである。
平和憲法の理念を懸命に形として示してきたのだが、その根底には国民が時代をどう生きるか、何を選択するかに深く関わっている。平和を希求するなら平和憲法の理念の象徴となりえるが、時代が暗転して戦争を厭わない風潮が高まったなら、平和憲法ではなく、当代の風潮の象徴天皇像を生きるしかなくなるのではないか…。
エロティシズムと死とのせめぎ合いを妄想していた。 絶望的なほどの悦楽の一閃。垣間見たかのような錯覚。 愉楽のほんの片鱗に圧倒され、波間を泳ぐ前に大慌てで安全な海岸線に引き返してしまう自分。 バタイユの思想とはまるで違う、低次元の泥沼を這い回り、ほんの一瞬、波間から顔を覗かせた最中、世の中の健康さに眩しさを覚え、また闇の海の底へと溺れ込んでしまう。 健全さへの嫉妬と恐怖。 そんな小生にバタイユなど論外なのである。
土器の使用が定住の始まりとすれば、縄文文化は世界に先駆けて定住を始め、狩猟・採集をやめずに続け、世界で最もあとまで農耕段階に移行しなかった特異性をもっている。一万年もの間、狩猟・採集を持続してきたことは、日本列島の温暖で湿潤な気候のもと、植物の旺盛な生育により原生林化する森林を草原(疎林)にして再生し、そこから食料を確保することが最も容易で安定であったからと考える。」
念のため: 「カール・エドワード・セーガン(1934年 – 1996年)は、アメリカの天文学者・作家・SF作家。元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長。NASAにおける惑星探査の指導者。惑星協会の設立に尽力。核戦争というものは地球規模の氷河期を引き起こすと指摘する「核の冬」や、地球工学を用いて人間が居住可能になるよう他惑星の環境を変化させる「テラフォーミング」、ビッグバンから始まった宇宙の歴史を“1年という尺度”に置き換えた「宇宙カレンダー」などの持論で知られる。」(ウィキペディアより)
本書は同氏の最後の著作。最後の章では、「自らの肉体に見つかった異常、その経過と治癒への希望が述べられ」、「さらにエピローグでは彼の死後、夫人のアン・ドルーヤンが夫の代わりに執筆する」という驚きの構成。まさに白鳥の歌の書なのである。 それにしても、地球環境危機が大国の我儘で今や未曽有の危機的状況に陥っている。 カール・セーガンならどんな警世の声を発するだろう。
『百人一首』を選定した藤原定家は、若き日源平合戦に直面し、老境に入って後承久の乱を迎えて、「紅旗征戎、吾が事に非ず」の名言を吐いた。王朝の落日を目の当たりにしつつこのひらすら滅びゆく体制の全容を見極めようとする歴史的自覚を抱いた。そうした伝統の総決算の意味を持つのが『百人一首』なのだと目崎氏は序章で云う。
火垂るの墓 は、忘れられない本です。私の子どもが、丁度14才と4才の10才違いですので、己が子を見るようで切なかったものです。神戸三宮駅周辺の浮浪児となったと最後に書いてあった気がしますが、2度ほどあの辺りを訪れて、阪神淡路大震災はもちろんですご、戦後の浮浪児に思いを馳せたものです。
るいさん 二人のお子さんをお持ちなら、この作品は我輩とは比べようもなく胸に痛く感じられるでしょうね。空襲下も戦後も似た境遇の子らが、たくさん居たはず。ウクライナやガザの子らへも思いは尽きないです。
富山も地方都市県の例外でなく、人口減が顕著だ。皆さんいろいろ頑張っているが、東京などの一極集中の中、どう打開していくのだろう。気になるのは、富山市などコンパクトシティとやらで、市街地の発展に熱心なこと。これは、要するに富山県版の一極集中なのではなかろうか。むしろ、里山に限らず、富山県や富山市の郊外地域や山、川、海の森林や緑地の充実を図った方が余程有益なのでは。山にも近く、海にも近い、盆地風な平野部が特徴の富山県の特性を生かす算段に知恵を絞るべし。
ただ、読むたび気付かされるのは、ある作品と夏目漱石のある創作との近縁性。それは、本書の「日本海の岸辺で」の中の、「十」の項の話と、漱石の『夢十夜』の中の「第三夜」との類似性である。既にきっと誰かが指摘しているに違いないだろうが。 「第三夜」の末尾での「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」という決めのセリフ。
八雲の「日本海の岸辺で」第十話では、やはり末尾近くで「おとっつぁん、わしをしまいに捨てさしたときも、ちょうど今夜のような月夜だったね」が決め文句となっている。漱石の夢十夜のほうが有名だろうし、さすがの作品なのだが、八雲のこの話も掌編なのだが実に味わい深いのだ。
本ブログでも幾度となく採り上げたが、改めて感服するばかり。「伊勢物語」「大和物語」「源氏物語」「平家物語」「万葉集」のそれぞれを部分的に採り上げ、従前の読解に異議を呈する形で読み解いてくれている。「万葉集」の山上憶良の項など感動もの。再読して良かった!
三浦 佑之著『古事記講義』」や三浦佑之著『口語訳 古事記』は浩瀚なので、せめて三浦佑之著「古事記の神々 付古事記神名辞典」(角川ソフィア文庫)を薦めたい。吾輩自身は、改めて三浦氏の過去の業績を再確認したいと思っている。
ブログ日記には、それぞれの拙稿にリンクを貼ってある: 「案の定寝落ちしてしまった」 https://ameblo.jp/kk9381yy/entry-12892123292.html
国見弥一…やいっちです。 パスワード不明のため、臨時のサイト。
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