一方の山の人生は視点そのものが面白い。ひたすら昔話を例示し、その連関を探るというつくりで昔話の語りと論考が一体化している。今なら援用した理論から引用箇所まで逐一明記しなければならないし、そういった態度こそが誠実だといえるが、柳田國男がいた時代がそれを超越し、特権的な作風を与えている。隠された子どもを捜す村民の「かやせ」の声と表紙を取る鐘太鼓の音が一体となった神隠しの項などは特に読み応えがあった。
また、仙人への憧れに義経記の起源を見ているのも柳田らしい。元々一本道だった原本を常陸坊海尊(百歳以上)を自認する者らによって語りなおされ、やがて地方のエピソードが回帰的に編みこまれていったらしい。編纂課程が発信者/受信者の欲望を通して肉付けられていく様はスリリングですらある。(その信憑性はさておき)。民俗学の起源に相応しい一冊だ。
描かれている怪奇現象はどれも火や水、光といった現象を操ることのできる生き物でそれが一々想像を掻き立ててくれる。化物の造詣や生態の提示に止まる作品が溢れるなかで、これほど視覚的/文学的な効果が発揮できているのは奇跡と言っていい。ラブクラフトに肉薄するような、重厚なスタイルを獲得している作品だと思う。
作中の主人公もこれまた面白い。怪奇現象が起きようが妖怪に舐められようが”騙されようが”何があっても寝る。京極夏彦オリジナルか、と思えば記録の方でもきちんと寝ているから、このユーモアも意図されたものなのだろう。あと、最期に理由が明かされるのも意外性があった。良いものを読んだ。
ジャンプカットやコラージュではなく、あくまで理路整然と自我を前景化していくあたりのが安部公房らしい。虚構に満足できない田代は首を吊ってしまうが、これも主客の転倒を止揚するための仕組みだろう。砕け散るのは個人の思い出ではなく認識の仕組みそのものなのだ。ただ、嘘に付き合うのは疲れる。戯言の質はいいが、何度も読み直す気にはなれない。藪の中くらいがちょうどいい。
また芥川との比較になってしまうけれど、今昔物語や宇治拾遺物語を現代的な視点で読ませてくれるという点では地獄変や羅生門と同じくらい大切な本だと思う。特に質感が独特で古典を異化するのに決定的な役割を果たしている。モラルを重視した芥川とも違う。古典でありながら新鮮さを感じるのはそういう細部へのこだわりなのではなかろか。
あと宇治拾遺、今昔は定番として雨月物語っぽいのも収録されてますね。ただ青頭巾は微妙に視点や筋を変えている。むしろ異本だったりするんだろうか。琵琶秘曲からの引用もあるらしいので、原典を探すだけでも大変そう。
面白いのが喧嘩停止令で、用水を巡って喧嘩が起こったがその際に刀の使用が確認されたから数名を処刑という判断が下ったらしい。武器を本来の用途から外れた使い方をしたから、というのは今の銃刀法と同じだが喧嘩そのものよりも武器の使用に重点をおいて、しかも処刑にまで踏み込んでいるのが興味深い。逆に一揆を起こした百姓に対して発砲を行い”非武装の人間に武器を向けるのはよくない”と体制側が上からお怒りを受ける場面もあったという。この辺の生命よりも身分制の維持、道徳の護持を優先するあたりいかにも近代以前の日本という感じだった
後半では明治の刀狩は警察権力による武力(銃)の独占にはじまり徴兵制に伴う軍隊の表象化に至った等々の若干角度を変えた刀狩批評が展開されているのも嬉しい。そも豊臣秀吉の刀狩は大仏建立の材料集めやそれに伴う功徳がウリだった、という豆知識も得られた。(これはこれで目配せをする相手がいるから重要ではあるのだけれど)。大変満足感のある読書だった。ただ、法令解釈については雑兵に続いて行き過ぎたものがちらほらあったので、そこだけは不満か。
また後半で展開される天下統一以後の世界もなかなか衝撃的だ。食うに困って雑兵になった百姓は戦時の味が忘れられず掠奪を繰り返し、時には都会に出ていくようになった。もちろん、このことで治安も問題にはなったが、同時に耕作放棄によって年貢は入らないわ、雑兵を雇い入れたことで兵の質も下がるわで散々だったらしい。税収の低下とコストカットによる職員の低下、とくればもはや封建や武士どうこうではない。世界中どこにでもありふれた風景になってしまう。
考察は兵農分離の意義を問うことから出発しているが、これを転換期の経済と治安に見ているのも面白い。やや法令解釈が独断的なところもあったので全面的に賛成とはいかないが、一次資料から丹念に情報を抽出していく様には目を見張るものがあった。名著。
ただ、これも一枚岩だったというわけではない。例えば荻生徂徠などは武士などというものは粗暴で学がなく、国を治める才覚などない、と言い切っている。同じ儒学者でも拡大解釈し武士を再定義した側と過去の兵法に詳しかったが故に拒絶反応を示した思想家によって態度が大きく変わっているのは面白い。
精神史としては楽しく読む事ができたが、思想家から思想家へ飛翔する際の欠落が気になった。特に国学ずっぽり抜けているが、そこに武士はいなかったのだろうか。また、中江藤樹と山鹿素行を取り上げるにしても彼ら自身の思想のなかでそれをどう位置づけていたかがわからないので精査することができない。まぁだから「思想史」ではなく「精神史」なのだろうけど。刺激にはなったが真に受けるにはちょっと危険な本だと思われる。
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あと中盤で東雅夫のアンソロに収録してそうだな、と思いつつ風の古道を読み終えてみればあとがきが東雅夫だった。だよなぁ……。