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2024年3月の読書メーターまとめ

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感想・レビュー
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355ナイス

2024年3月に読んだ本
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2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

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57頁。周は草原地帯と接近する西北地方に拠点を置いていたことにより、早い時期から戦車を用いた車戦に習熟しており、車戦の戦法が殷より勝っていたことが、周の武王が牧野の戦いで殷を破った原因の一つ。殷末の周の拠点は殷墟より西方に位置している。現在の西安、昔の長安の近辺にあたるが、長安がシルクロードの中国側の起点となったように、草原地帯と交通という点で殷より更に有利である。周は草原地帯への地の利により、馬の管理や利用に関して殷王朝の独占を崩すことができ、かつ殷より積極的に戦場で車馬を活用できたということになろう。
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2024/03/04 05:56

270頁。「中国」を統一した漢と「草原帝国」を統一した匈奴は、同時期に勃興し、前後して最盛期を迎え、ともに歩調を合わせるように斜陽を迎える。様々な勢力間による戦争を通じて「中国」が膨張していき、最終的に「草原帝国」との戦いを通じてその範囲が定まっていく時代を「中国」の古代と位置づければ、両者の代表である漢と匈奴がともに衰退していく武帝の時代以後は、古代の終わり、すなわち「古代末期」と位置づけられるだろう。武帝の時代を生きた司馬遷の『史記』は神話の時代から「古代末期」の始まりまでを描いた史書ということになる

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2024/03/04 05:57

271頁。「中国」という呼称の始まりは西周時代であった。西周の滅亡後、諸侯たちが外交を身につけ、「中国」の内部で国際秩序を形成した。諸侯の中には周辺の諸勢力を征服して「小帝国」を形成するものもあった。その「小帝国」を作り上げ、諸侯の第一人者となった秦は国際秩序の維持を選ばず、郡県制のものでの統一を選んだ。しかし中央集権的な統一への忌避感が秦への反抗を促した。秦の滅亡後、「中国」では国際秩序復活の揺り戻しが起こる。新たな第一人者となった漢は郡国制のもとで、「草原帝国」との戦いを経て「中国」を形成していった。

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2024年3月の感想・レビュー一覧
8

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斉の名臣「管鮑の交わり」管仲、『韓非子』韓非、『孫子』孫武、呉の名臣「死体を鞭打つ」伍子胥、秦の宰相法家商鞅、縦横家張儀、戦国四君「鶏鳴狗盗」の孟嘗君、燕の名将楽毅、趙の名将廉頗、趙の名臣「刎頸の交わり」藺相如、始皇帝の刺客荊軻、秦の丞相李斯などを紹介している。列伝は形式上、一人を主とするもの、二人を組み合わせたもの、題目によって複数の人物を集めたものの3種類に大別される。篇題に二人を挙げる場合、その選択・配合には司馬遷の意図が窺える。例えば老子韓非列伝は韓非が老子の学説の継承者であるという認識を示す。
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2024/03/27 06:09

17頁。管鮑の交わり。天下の人々は管仲の能力が優れている事をほめるよりも鮑叔が人物を認める事ができる事をほめた。142頁。刎頸の交わり。刎頸とは首をはねる意で相手のために首をはねられたとしても悔いる事のない交際。この語は、廉頗と藺相如、張耳と陳余の交わりを書く時用いられている。ただ廉頗と藺相如は刎頸の交わりを全うしたが、張耳と陳余の場合は憎しみ合う様になる。213頁。列伝は李斯が中心とはなっているが、後半は趙高の策略家ぶりが際立っている。そのためか、宋の『通史』では趙高の部分を取り出し宦官列伝に入れている

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37頁。後の社会主義運動の展開を考える上で重要なのは、明治社会主義以来の運動を担ってきた山川均や堺利彦が共産党の再建に反対したことである。彼らにとって共産党は再建されるべきものではあったが、日本の運動の実情から見てそれは遠い将来の話であった。共産党再建運動は最大の労働者組織であった日本労働総同盟の内部で左派の結集を目指したため、総同盟の左右対立は決定的なものとなり、左派は分裂して1925年5月に日本労働組合評議会を結成する。この後、評議会を中核とする共産党系の運動は、無産政党組織の動向に大きな影響を及ぼす
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2024/03/23 12:14

136頁。一般に高橋財政として知られる経済政策は、円の為替レート低下を放任し、低金利を維持し、政府の財政支出を激増させたことを指す。政府支出の膨張は主として満州事変費を中心とする軍事費、及び不況対策の公共投資であり、その財源として、日銀の引き受けによる赤字公債の発行という新しい手法が取られた。高橋是清の本来の政策は、金再禁止は断交するが為替相場は極力維持して緊縮政策を続ける性格のものだったのが、軍事予算膨張による円為替の暴落のもとで、本来の意図とは異なる円安維持の結果となったという。

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2024/03/23 12:14

216頁。塘沽停戦協定後、関東軍は華北における国民政府軍の影響力を後退させ、進出する足がかりを拡大していた。いわゆる華北分離工作である。協定に定められた非武装地帯における中国側の治安騒乱を理由に日本軍は中国側に強要して、まず1935年6月に梅津・何応欽協定を結ばせた。さらに同月中に土肥原・秦徳純協定で、内蒙古チャハル省から中国軍を撤退させた。このほか日本がつくらせた冀東防共自治政府が日本軍の容認の下に密貿易を公認して、中国世論と海関を掌握していたイギリスの態度硬化を招くといった事態が進行していたのである。

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9頁。江戸幕府の人々は、条約自体に関して押しつけられたという意識はあったにせよ、領事裁判権や片務的最恵国待遇などのような内容が特に不当であるとか不平等であるとか考えていなかった。日本国内の傾向も同様である。日本側が不平等性の認識を十分にもたなかったことは、国際関係に関する知識の不足が影響を与えていた。ただそれだけではない。例えば領事裁判制度では、西洋人に対する処罰を巡って、かえって西洋諸国とトラブルになり得る。不法を働いた西洋人は西洋諸国の側で処罰させるというのは、幕府にとって自然な対応だった。
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2024/03/20 05:59

200頁。太平洋戦争。相手国が強大というのは日露戦争もそうである。時間が経てば軍事バランスが相手に有利になるため戦うなら今だとの開戦に向かう同種の理屈もあった。ただ日露戦争時は首相の桂太郎や外務大臣の小村寿太郎が明確な意思をもって開戦を主導した。また外交部門も軍事部門も、どうすれば優勢な状態で講和に持ち込むことができるか、いかなる条件で講和が成立し得るか、当初から具体的に考えていた。しかも日英同盟があり、アメリカもおおむね日本に好意的だった。

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2024/03/20 06:01

それに対して太平洋戦争のときは、第二次近衛内閣期に外交方針をめぐって松岡外相が周囲と対立を深め、松岡を外す形で第三次近衛内閣が成立する。対外政策を一貫して指導する者はなく、国家意思決定に関わる諸集団の考えもバラバラだった。長きにわたる中国との戦争が続いている。ソ連とは一応中立条約を結んでいるものの潜在的に緊張関係にある。期待をかける同盟国のドイツと日本は真に協力して戦争を遂行する構えではない。それぞれの目的・戦略本位だった。そうしたなかで日本はアメリカやイギリスを相手に戦争を始めた。

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19頁。津波が沿岸に来襲すると、ほぼそのまま反射して今度は沖に向かう。だから南海地震で発生した津波が紀伊水道を北上するとき、東西の和歌山県と徳島県では津波のキャッチボールが行われる(これを多重反射という)。このため、たとえば田辺市にはおよそ20分ごとに津波が来襲するようになる。同じことは豊後水道をはさんで愛媛県と大分県でも起こる。瀬戸内海に津波が入れば、複雑な海岸線と多くの島があるので、津波は反射を繰り返し、それらが時空間に重なるから大変複雑になる。
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2024/03/16 06:20

173頁。東日本大震災では津波による死者の約90%は溺死である。これは津波が原因で負傷すると、水中で息ができなくなって窒息死するからであり、肺には海水が入らないことになる。従って、体内でガスが発生しないので、遺体は膨張せず沈んだままである。行方不明者数は三県で2542人に達し、直接死者数の合計の16%を占めている。仮に南海トラフ巨大地震に当てはめてみると、津波の犠牲者数が約22万人と推定されているので、3万5200人が6年余り経過した時点で行方不明のままになると考えられる。

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2024/03/16 06:21

202頁。2011年に東北地方が見舞われた津波災害では、約30%の人々が逃げなかったことがわかっている。その一方で「釜石の奇跡」と言われるように、3000人近い小・中学生がほぼ全員助かったという事実がある。なぜこのような差が出るのだろうか。なぜ小・中学生はすぐに逃げたのか。それはそれが正しいということを学校で学んでいたからである。小・中学校では先生は正解のある問題しか教えていない。万難を排して逃げることが正解であると教えられていたから、それを実行したのである。命を落とさないためには、逃げればよいのである。

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自己の主張を100%実現させる外交を展開するか、51点を目指す外交を展開するかは、外交の有り様を大きく左右する。あるべき姿は51%を目指すことだが、多くは100%を目指すのが外交だと思い、間違いを犯す。本書は「妥協」を軸に日本外交や国際政治の有り様を問う。基本的にはウクライナ問題や尖閣諸島問題や北朝鮮の核開発等を扱う。29頁。NATO側は「東方拡大をしない」とロシアに約束している。これが冷戦後の欧州の安全保障の基本だった。これを今米国が変えようとし、緊張が生まれている。これがウクライナ問題の本質である。
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2024/03/12 05:35

88頁。ウクライナが、ロシアの懸念を配慮して、①NATOをウクライナに拡大することはしない、②ウクライナ東部のロシア系住民を迫害しない、という二つの政策を明確にしていれば、多分ロシアのウクライナ侵攻はなかった。でもウクライナ政府はその選択を採用しなかった。その背景は、米国、NATOが軍事的に支援してくれるという誤算をしたことにある。バイデン大統領は米軍をウクライナに派遣しない理由を二つあげている。①ウクライナはNATOに加盟していないので防衛義務はない。②米ロが撃ち合えば、世界大戦を引き起こす。

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2024/03/12 05:35

126頁。核の傘は中国を例にとると次のようになる。①中国は日本に「核兵器を撃つぞ」と威嚇する。②日本は米国に助けてくれと頼む。③米国は中国に「報復に西安や杭州を核兵器で攻撃するぞ」と牽制する。①→②→③→中国は日本に対する核攻撃の脅しを取り下げる。以上が核の傘と言われるものだ。しかしここで終わらない。中国は「西安や杭州を攻撃したら、シアトルやユタ州を撃つぞ」と応酬する。それでも「日本を守ることが重要だからどうぞ」と言える米国の政治家はいない。自己犠牲してまで同盟国は守らない。核の傘なぞ存在しない理由である

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なぜ日本人は英語が苦手なのか。①語順の違いを意識できていない。日本語とは異なり英語は語順によって意味が変わる言葉である。日本語では「その男性はりんごを食べた」でも「りんごをその男性は食べた」でも意味は通じるが、英語では全く意味のない文になってしまう。②主語が抜け落ちる。③字面にとらわれる。英文の意味を考えず日本語を英語にそのまま訳していると、変な英語になってしまう。①と②は語順、②は主語、③は意味に関係したミスだ。逆に言うと語順と意味を押さえておくことで使える英語が身につき、英語への苦手意識も消えていく。
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57頁。周は草原地帯と接近する西北地方に拠点を置いていたことにより、早い時期から戦車を用いた車戦に習熟しており、車戦の戦法が殷より勝っていたことが、周の武王が牧野の戦いで殷を破った原因の一つ。殷末の周の拠点は殷墟より西方に位置している。現在の西安、昔の長安の近辺にあたるが、長安がシルクロードの中国側の起点となったように、草原地帯と交通という点で殷より更に有利である。周は草原地帯への地の利により、馬の管理や利用に関して殷王朝の独占を崩すことができ、かつ殷より積極的に戦場で車馬を活用できたということになろう。
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2024/03/04 05:56

270頁。「中国」を統一した漢と「草原帝国」を統一した匈奴は、同時期に勃興し、前後して最盛期を迎え、ともに歩調を合わせるように斜陽を迎える。様々な勢力間による戦争を通じて「中国」が膨張していき、最終的に「草原帝国」との戦いを通じてその範囲が定まっていく時代を「中国」の古代と位置づければ、両者の代表である漢と匈奴がともに衰退していく武帝の時代以後は、古代の終わり、すなわち「古代末期」と位置づけられるだろう。武帝の時代を生きた司馬遷の『史記』は神話の時代から「古代末期」の始まりまでを描いた史書ということになる

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2024/03/04 05:57

271頁。「中国」という呼称の始まりは西周時代であった。西周の滅亡後、諸侯たちが外交を身につけ、「中国」の内部で国際秩序を形成した。諸侯の中には周辺の諸勢力を征服して「小帝国」を形成するものもあった。その「小帝国」を作り上げ、諸侯の第一人者となった秦は国際秩序の維持を選ばず、郡県制のものでの統一を選んだ。しかし中央集権的な統一への忌避感が秦への反抗を促した。秦の滅亡後、「中国」では国際秩序復活の揺り戻しが起こる。新たな第一人者となった漢は郡国制のもとで、「草原帝国」との戦いを経て「中国」を形成していった。

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14頁。仏教には三系統があり種々の相違がある。第一は、南伝仏教と呼ばれるタイ、スリランカ、ミャンマーなど東南アジアの仏教だ。経典はパーリ語で書かれたものが用いられる。南伝仏教は上座部仏教と呼ばれ、修行者のみの成仏を目指すのが大きな特徴である。第二は、中国、韓国、日本など東アジアに広がった仏教だ。経典は漢訳仏典を使用する。この東アジア仏教は大乗仏教の系譜を引く。大乗仏教の立場は修行者本人のみならず他者の救済をめざす点に特徴がある。第三は、チベット、シベリア、モンゴル、中国などに展開しているチベット仏教だ。
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2024/03/01 06:12

166頁。僧侶が組織的に葬式に従事することは仏教伝来当初からのことではない。中世において、遁世僧教団による組織的な葬式従事が始められるまでは僧侶は葬式従事を避け、死体は遺棄されるか、墓場に運ばれても風葬に処されることが一般的であった。古代における基本的な僧侶集団は官僧であり、死穢忌避の制約から原則的に葬式従事は憚られたからだ。そのため中世の私僧、遁世僧によって葬式従事が一般化していった。近世の葬式仏教は、①本寺・末寺制度の確立、②宗門改寺請制度の成立、③檀家制度の確立という過程を経て成立したと考えられる。

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2024/03/01 06:13

247頁。新宗教。日蓮宗系としては、国柱会、創価学会、霊友会、立正佼成会が挙げられる。それらはプロの僧侶ではなく、在家信者が中心に活動する点に大きな特徴がある。国柱会の主張は日蓮主義と呼ばれ、関東軍作戦参謀として満州事変・満州国建国を主導した石原莞爾、テロリストの井上日召なども、その会員となり日本の中国侵略の思想的な背景ともなっていた。日蓮主義は日本の対外侵略を正当化するイデオロギーとなっていたと評価できる。ところで宮沢賢治が熱心な法華信者であった。18歳の時以来の信者で1920年12月には国柱会に入った

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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2012/01/17(4477日経過)
記録初日
2012/01/18(4476日経過)
読んだ本
1437冊(1日平均0.32冊)
読んだページ
407197ページ(1日平均90ページ)
感想・レビュー
1417件(投稿率98.6%)
本棚
49棚
外部サイト
自己紹介

歴史、特に近現代史を中心に読みたい。

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