2022年2月の読書メーター 読んだ本の数:61冊 読んだページ数:9137ページ ナイス数:1740ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/247008/summary/monthly/2022/2
作中では『少年探偵ジュンの事件簿』は「1巻しか出ていないようです」との記述になっていますが、現在では電子書籍で2巻が刊行されています。おそらくこれ以外にも、電子書籍化されたり、新装版が出たりして、2015年当時に比べてぐっとレア感が減った作品があるのではないでしょうか。
読んでいていて驚いたのは、「男女の言葉づかいの違いが男女格差を生んでいる」という批判が戦後にはあったという指摘で(199~201p)、しかもそういう意見は女性ではなく男性から出されています。(ジャーナリストの鈴木文史朗、作家のタカクラ・テル、評論家の古谷綱武、日本語教育者の釘本久春、言語学者の大久保忠利。)女性差別を批判する男性識者の声が無視されてきたという事実は、「男女格差が改善されないのは女の努力が足りないせい」だの「女の足を引っ張っているのは女」だのいう意見はとんだ言いがかりということになります。
…とはいえ、持続化給付金の受給に関しては、「工夫」レベルのものまで「悪知恵」と断じて「不正」に含んでしまっているのには、モヤモヤしてしまいました。正直者が馬鹿を見てしまっている事態を見過ごせないという著者の正義感は理解できますし、手続きの煩雑さや受給の基準の厳しさへの批判的目線はきちんとあるものの、生活のために知恵を絞る行為を「ズルをしている」でひとくくりしてしまうのは、ちょっとどうかと…。
コメントありがとうございます! 中学校の国語の授業で文学史を習うと、どうしても「タイトルと作家名を機械的に覚える」という方法なってしまいがちですが、挿絵のビジュアルイメージと共に覚えた方が記憶に残りやすいのでは…?と、この本を読んで思いました。
「切る」「炒める」などの一つ一つの作業を、「ソロパート」のように捉えて、「全てが調和して一つの作品として仕上がるイメージ」を読者に伝えているのかな…?と思いました。
栗本先生だって、他者の作品を読んで「違う、そうじゃない」と思うことはもちろんあったでしょうけど、その「(個人的な感想としての)ダメ出し」を自分の創作に転化するというかたちで「活用」しています。増山氏は、萩尾先生や竹宮先生へのファンレターをチェックして選別していたことが『少年の名はジルベール』の中で明かされていますが、「なぜ、その読者はそういう解釈をしたのか」という分析をせずに選別するという行為は、ただ「ダメ出し」してそれで終わりというだけのことでしかなく、リサーチとしてはあまりにもお粗末で非効率的です。
おそらく、もっと根本的なところでは、栗本先生と増山氏の違いというのは、「人間が好きか嫌いか」というところにあるのではないかと思われます。増山氏は「人間嫌い」ゆえに、「どういった読者が、どんな作品を好むのか」を分析することは、ストレスでしかなかったのでしょう。そして、自分自身をも嫌っていたゆえに、オタクとしての自分を自己分析することもできなかったのではないでしょうか。
著者がお寺に嫁いだのは、“寺ガール”としてテレビに出演し、仕事にかこつけてお寺をたくさん巡ったからだと御自分で書いている(184p)のに、「自分が結婚できたのは、お香で良縁に恵まれたおかげ」ということにしてしまっているのは、「因果の誤謬」としか…。「趣味や仕事がきっかけで出会いが生まれた」というだけのことなので、お香の効能とは関係ないです。
「山の地図の等高線描きに雇われた」と語っていますが、もしかしたら、『天人唐草』の主人公の勤め先での働きぶりは、その体験を参考にして描写していたのでしょうか? 確か、『天人唐草』の主人公も、半官半民のところに就職して、製図の作業をしていました。
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「山の地図の等高線描きに雇われた」と語っていますが、もしかしたら、『天人唐草』の主人公の勤め先での働きぶりは、その体験を参考にして描写していたのでしょうか? 確か、『天人唐草』の主人公も、半官半民のところに就職して、製図の作業をしていました。