読み終わってもいないのに、黒っぽい本を間違って図書館に返却してしまった。1日で読み終わる本だったのに、残念。それが、桐野夏生の『もっと悪い妻』の本。再予約したら、70番以上の待ちで、手にするのは3月以降になりそう。読みたい本があるので、失敗はさっさと忘れてしまえ!
それでも、家庭内の問題は警察や病院の厄介になるまでは面子を保っていた。やがて、息子の一人が妻と無理心中。父親が脳卒中に倒れ、重い精神症状を抱えた息子たちが入退院を繰り返す。これが現代であれば、まだ状況が違っていたかもしれない。この本のなかにこんな言葉があった。「統合失調症に関して最も有害なのは、患者の人格への近づきがたさかもしれない。だからこれほど多くの人が、この病気のある人々と結びつけないでいる。そしてみんな疫病のように避けたがる」と。→
ユーモアあふれるものから、自虐があったり、はっとさせられる文章が綴られている。老いを生きるとは、こういうことかと考えさせられる。高齢者、行くところまで行く必読本。以下、抜粋――〈2020年8月〉記憶が、だんだん遠くなっていく。あまり遠くまで見渡してゆくと怖くなる。〈同年12月〉よくぞ生きてきたとも思えない。老人の実感もない。ただ力が抜けていくだけの寄る辺なさ。〈21年4月〉人との接触のない今の環境。ともかくキャンバスの中に入りこまない限り時間が流れない。〈同年5月〉年を取るにつれて、命への未練。→
〈同年7月〉ふつうに暮らしていて、命尽きれば、その時を寿命としよう。〈同年10月〉この世に生きて、余生という暮らしの期間があるのだろうか。何もしなくて、ただ寝そべっている日々。人生の終末がそうなら、あまりにも寂しい。〈22年5月〉長寿は、みんなの憧れになっている。日々を、誰よりも長く繰り返すのは、そんなにも仕合せなことなのか。〈23年2月〉健康のためなら死んでもいい。誰が言ったのか、笑えるなあ。――これぞ諧謔。
「たとえ無駄だとしても道義的原則にのっとって抵抗すべきだ」と話す場面が出てくる。この2人の邂逅場面が興味深い。ソルニットにとって先達はヴァージニア・ウルフで、その次にソンタグが来る。この系譜はおさえておこう。
性的に消費されないために坊主頭になった若い女性が裸になった家族写真(長島友里枝のセルフポートレート作品)、ルイーズ・ブルジョワの巨大な蜘蛛の彫刻と家によって頭が隠された女性の絵画など、さまざまなフェニミズム・アートの紹介がある。
「自分の願望や欲望よりも先に病気の家族の願望を優先させてしまい、しまいに自分が何を求めているのかわからなくなる」など自分の内面のイメージを表出する。自我崩壊と自我保存という言葉もあったけれど、とにかく表現するなかで、ヤングケアラーの存在を社会化することが大事だと思う。
画像を変更(2016.9.25)。実家からチャリで10分、安田侃の作品が点在する公園。夏、本を読むお気に入りの場所。
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それでも、家庭内の問題は警察や病院の厄介になるまでは面子を保っていた。やがて、息子の一人が妻と無理心中。父親が脳卒中に倒れ、重い精神症状を抱えた息子たちが入退院を繰り返す。これが現代であれば、まだ状況が違っていたかもしれない。この本のなかにこんな言葉があった。「統合失調症に関して最も有害なのは、患者の人格への近づきがたさかもしれない。だからこれほど多くの人が、この病気のある人々と結びつけないでいる。そしてみんな疫病のように避けたがる」と。→