3月もカントの『純理』を読んでいく。読解するのに骨は折れるが、いろいろな発見があるので読み続けることができる。2024年2月の読書メーター 読んだ本の数:2冊 読んだページ数:964ページ ナイス数:85ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/464017/summary/monthly/2024/2
今回もカント独自のキーワードに悩まされた。まず「超越論的」と「宇宙論的」の違いや、直観や感性とは異なる「叡智的性格」の意味は捉えづらい。人間の自由意志が叡智的性格であり、経験的性格に基づく自然法則とは別であるのはわかるのだが、叡智という言葉がどうしても人間に相応しくないように感じてしまうのである。それでも経験的な範囲内での無限が「無限」であり、経験外での背進(条件づけられるもの→条件づけるもの)についての無限を「不定」と意味付けたのは興味深い。
それにしても理性の働きは面白い。なぜ経験的な範疇から抜け出そうと考えてしまうのだろうか。そしてなぜ人間だけが理性を持っているのだろうか。疑問は尽きない。本書130ページのカントの言葉は印象に残る。→「理性にとって便利でさえあれば、自然研究を貫く〈糸〉を勝手に切断し、認識を拡張するという口実のもとで、この〈糸〉に超越論的な理念を結びつけようとするのである。ところがこの理念によってわたしたちが認識できるのは、わたしたちは何も知らないということだけである」
細かいことを言ってすみません。が、「霊魂の不滅について、人間は経験することがないから認識できない」とカントは言ってないはずです。なぜなら、その問いは「超越論的」な問いだからです。超越論的とは先験的の意味ですから。ではなぜ先験的であてっも、魂の不死が認識できないかというと、時間的に無限、空間的に永遠という概念になると、人間の理性は論理的な判断が出来なくなるからですよね。重箱の角をつつくようですが、誤解するのはもったいないなと思ったので、コメしました。
哲学と宗教のジャンルを中心に読書しています。歴史小説や海外古典小説も好きです。あとクラシック音楽を少し嗜んでいます。
2024年のテーマはカントの著作を読むこと。
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