2025年3月の読書メーター 読んだ本の数:30冊 読んだページ数:8183ページ ナイス数:678ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/515329/summary/monthly/2025/3 ▽月30冊超えは昨年12月以来の模様(自己セカンドベスト)。ラノベ以外も軽めの本が多かったけど,だいたいどれも良書だったのでよかった。感想も多めに書けて,おかげでナイスもたくさんいただけました。ありがとうごさいます。
自分の内から湧き上がるものに基づいていること,好きなものの楽しみ方を細分化・抽象化するところなどに,谷川嘉浩の衝動論[^1] と近いものがあるが,才能にしたがえば必ず仕事で成功できるとしている(私見ではあまり確かな根拠はなさそうだった)ところは大きく異なっている。そもそも仕事の成功を目指そう,それに才能を活かそうと考えられること自体が一種の才能だと思われるが,ビジネス書ゆえかそれは当然の前提となっている(才能の具体例1000リストにも記載がない)ように見受けられた。
[^1]: 「爆発」はストレス許容量を超えると起こる。堪忍袋とはよく言ったものであり,当該ページに見事にイラスト化されている。またその袋の中に,細かいストレスが数多く堆積することでも,ひとつの大きなストレスがドカッと居座るだけでも,許容量オーバーを招きうるとのこと。
進化論からみると,怒りは交感神経を高め,アドレナリンを出して危険・敵と戦うための感情であるそう(p. 43)。だから外敵と戦うにはいいけれど,集団内のメンバーに向けてしまうと,周囲との人間関係を悪化――避けられる,怒りに怒りで対抗されてしまいギスギスする, など――させてしまう(pp. 28-9)。また,怒るとエネルギーを浪費し, 怒ってしまったことへの後悔を抱きがち。そして自責と他責のループに陥りがちでもある(pp. 30-1)。そのように負の効果が生じているなら,なるほどコントロールする価値があろう。
ASDライクな健太くんのDIYスキルがとても高く,彼がいてこその成功であるのは間違いない。興味の偏りがいい作用をもたらしている例といえよう。彼の独特なコミュニケーションスタイルと,言いたいことをさっと汲み取ることができる主人公・万希奈との相性がよかったのも幸いしている。
初めての合奏がさっぱりうまくいかず諦め発言が出たのに対して,健太いわく:「あ……ぼくは平気。いつも笑われてるから、平気だよ。……でも、こんなにすぐにあきらめるのは、いやだ。自分で自分を笑い者にするのは、きらい」(p. 128)。けだし名言である。本質的に重要なことを臆せず気負わずストレートに表現できている。彼のような発達傾向の良い面がでたシーンといえよう。
アンガーマネジメント,アサーションなどについては,周りに適応するという受け身/守りの姿勢だけでなく,よりよい交渉・交流・説得を実現し,より高い評価を得よう,という攻めの姿勢でも学べるものだと気付かされた。▽挙げられている事例はドイツのものだろうと推定される(※そうだとの言及はない)が,事前の根回し(p. 285),上下関係の重視(p. 280),飲みニケーション的な非公式な場での情報交換(p. 171)と,意外に日本と変わらない部分もあるようだった。
こうしたNAが持つ効果のほどは本書だけでは判断しづらいけれど,自分の物語を聞いてもらえた,わかってもらえたというクライエントが得られる納得感は大きいものがあるに違いないと,読んでいて思わされた。▽理解や意味付けの図式を書き換えることで状況の改善を図る手法は,本書で言及されたものの他にも,動機づけ面接,認知行動療法・スキーマ療法などがある。どのように違うのかについては今後考えていきたい。なおオープンダイアローグについては著者自身が後著[^1] で論じている。
ナラトロジーにおけるナラティブ概念それ自体には,人文・社会科学の諸領域で使われるときのように,主観的な意味付けがクリティカルに重要という含みはあまりない――作品内容よりも形式=語られ方に注目する,あるいは超越的な「作者」よりも物語内部の語り手を重視するという方向性はあっても――らしいというのも一つの発見であった。
理論を使う側としては,個々の作品にそのまま当てはめて意味を引き出すと言うよりは,物語をより精緻に記述する――文章を文法やレトリック論で,音楽を和声理論でアナライズするのと同じように――ための言語的・概念的ツールだと思っておくのがよさそうに思われた。例えば,語り手の視点の変化がこうなっている(ナラトロジー理論による記述)から,このシーンではこういう効果が出ている(解釈・批評),というふうに。
集英社新書からも入門書が出ていますね。「何が正常なのか〜」はまさにその通りで、恋愛することが正常とされるこの社会においてアロマンティック/アセクシャルの方たちがされている苦労が、本書にはたくさん紹介されていました。
正直なところ、コメントするのが難しいのですが「異常」とされる人間が排斥される事は多いと思います。一概に、どうこう記せないのです。それは容姿でも思想(政治、宗教などを初めとする、始まる大きな意味での価値観)でも性的嗜好(アロマンティックも当然、含む)。多様文化をシンプルに受容すれば良いというだけでは、片付かない問題なので。分かりづらいコメントで恐れ入ります。
思考力=試行力,すなわち手持ちの解法パターンをあれこれ試してみることが数学の問題で考えることだ(pp. 28-31)というのも,言われてみればそうなのだよなあ,と。解き方のパターンを知らなければ,いくらうんうん唸ったところで下手の考え休むに似たり。私が高校生の頃にやっていたように,定理や公式だけ暗記して問題に立ち向かおうとするのは,文法だけさらって単語を覚えないまま英文を読もうとするようなものだったのかも。
以上のようなやり方は,数学的なセンスがない生徒がとにかく問題を解けるようになり,どうにか試験を乗り切るためのメソッドでもある(センスのある人向け,数学の本質的な理解・上達を目指すものはまた違ってくるのかもしれない)。その意味でマウスバード先生の『苦手なりの受験英語』の数学版,『苦手なりの受験数学』とも言うべきものであり,探していたそれにようやく出会えたのだと嬉しく思えた。
夫の喪に服し続けたヴィクトリア女王と『葬送のフリーレン』を〈彫像によって大切な人の死を共同体で共有すること〉で繋いでいる議論は,目の付け所がさすが文学者という感じ。▽ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』を取り上げた議論では,いわゆる「意識の流れ」の何がすごいのかというのを,孤独の無効化という面からも理解できた。たまたま同時に読んでいた『ナラトロジー入門』[^2] にも同書が出てきて,自由間接話法をより理解する助けにもなった次第である。
人文系レフト寄りオタク。人権を――思いやりなどの道徳にとどまらない社会の原理として――尊重できる方歓迎。アフロ・アメリカンな音楽が好き。
読書傾向は人文・社会科学系,音楽学などから漫画やライトノベルまで。詳しくは本棚を参照:https://bookmeter.com/users/515329/bookcases
【表記について】
- 拡張された Markdown やプログラミング言語の記法を使って注や強調,ブロッククォートなどを表すことがあります。
- 新聞記事で見られるように▽を使って段落や意味の変わり目を表示することがあります。
-(p. [数字])は出典明示のために感想を述べた本のページ数を記したものです。電子書籍では(~%)とか(位置no. ~)とも表記します。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
自分の内から湧き上がるものに基づいていること,好きなものの楽しみ方を細分化・抽象化するところなどに,谷川嘉浩の衝動論[^1] と近いものがあるが,才能にしたがえば必ず仕事で成功できるとしている(私見ではあまり確かな根拠はなさそうだった)ところは大きく異なっている。そもそも仕事の成功を目指そう,それに才能を活かそうと考えられること自体が一種の才能だと思われるが,ビジネス書ゆえかそれは当然の前提となっている(才能の具体例1000リストにも記載がない)ように見受けられた。
[^1]: 『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』ちくまプリマー新書,2024年