《ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のベネディクトゥスに含まれるヴァイオリンの歌は純粋な美であり、純粋な絶望であり、純粋な喜びである。わたしたちは息を潜め、どういうわけかこれが意味の源だと感じつつ、宙を舞う。これこそが時間の源だと感じながら。》
《水は、それが支える生命の連鎖という観点からも見なければならない。小さな植物プランクトンを、やはり微小な動物プランクトンが食べ、それを魚が濾し取り、その魚が他の魚や鳥、ミンクやアライグマに食べられるという連鎖が続き、物質が命から命へと伝えられていく。水中の必須無機栄養がそうやって食物連鎖の中を受け渡されていくのだ。人間が水中に垂れ流した毒物は自然界のこの連鎖には入らないなどということがあるだろうか。》
《現在の自然界のバランスは、更新世(約二五八万年前から約一万一七〇〇年前の期間)の頃と同じではないが、今も存在している。生きもの間に張り巡らされた精緻で高度に統合された複雑なそのシステムを無視するのは、重力を無視して崖っぷちに立って平気な顔をしている人よりも危険なことなのだ。》
《雌虎は歩いているというよりは流れていた。まるで存在そのものが、火山から流れ出たものさながらどろどろに溶けてたぎっているかのように、闇のなかでは檻の縦格子も獣の毛皮の縞模様も見分けがつかなかった。獣は橙色、艶やかな金色で、生きた炎だった。力であり、怒りであり、獰猛で優美だった。自らの体に監獄の檻の印をつけている。まさにこのために烙印を押されていたかのように、生まれ落ちたときからずっと捕らえられる運命だったかのように。》
《讃美歌に耳を傾けるとき、一つの音の意味は、その前後の音によって与えられる。音楽は時間のなかにしかあり得ないのに、わたしたちが常に現在にしか存在し得ないとしたら、どうして音楽を聴くことができるのか。なぜなら、わたしたちの意識が記憶と予想にもとづいているからだ、とアウグスティヌスはいう。》
《ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のベネディクトゥスに含まれるヴァイオリンの歌は純粋な美であり、純粋な絶望であり、純粋な喜びである。わたしたちは息を潜め、どういうわけかこれが意味の源だと感じつつ、宙を舞う。これこそが時間の源だと感じながら。》
nobiさんとの共読本ではないようですが、「柘榴のスープ」「九時の月」もイラン革命が主なテーマとなっています。DVや行き過ぎた革命派から逃れた家族、王党派なので国に留まった一族、様々と描写されています。
-2015年4月-
読書メーターへの投稿が、本の読み方をこんなに変えるとは思わなかった。255文字という制限も何とも心憎い。
テンションの上がった本は、その制約の中にどうやってエッセンスを収めるか苦労するし、逆に上がらなかった本は、その理由を突き詰めてみる。
-2015年2月-
選ぶ本は、芋づる式+毎日新聞の今週の本棚+松岡正剛の千夜千冊+本屋と図書館に並ぶ本の背表紙から+最近猛然と本を読み始めた息子から差し入れのように渡される本。
こんな訳で、特に、読書メーターに入って以降の読書傾向は無いと言ってもいいような状況です。
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《讃美歌に耳を傾けるとき、一つの音の意味は、その前後の音によって与えられる。音楽は時間のなかにしかあり得ないのに、わたしたちが常に現在にしか存在し得ないとしたら、どうして音楽を聴くことができるのか。なぜなら、わたしたちの意識が記憶と予想にもとづいているからだ、とアウグスティヌスはいう。》