
物語として面白いが、主人公級のリュシアンの人間像が深まらなくて(頼りないと云うかつかみどころがないというか)イライラする。正直、吾輩は、「娼婦の栄光と悲惨」というからには、娼婦の夜の生活がもっと描かれるかと期待していたのだが、期待外れ。下世話な艶聞小説ではないことは当然なのであり、社会の裏の裏を描くバルザックの力量をこそ楽しむべき小説なのである。
ギリギリ150冊越え。会社の仕事に庭仕事に慌ただしかった。それでもこれだけ読めたのは有り難いこと。読むこと居眠りすることしか能がないからね。 2025年の読書メーター 読んだ本の数:154冊 読んだページ数:53250ページ ナイス数:56891ナイス ★去年に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/556130/summary/yearly
これぞウエルベックだし、ここで示される観点なら、あるいは退屈に終わってしまった(人種差別主義者…人種的憎悪!であるなど、常識人からしたら欠点の多い)ラヴクラフトの諸作品の再読も再考すべきかと思えてきた。その前にウエルベック作品の再読も必須かな。
古典的な悲劇や喜劇の発想法に慣れると、深いとは言えないとしても自分なりに物語の構造や流れを理解しつつ読めて楽しい。これが原文購読だったらいかに楽しいことだろう。 この勢いで、というわけではないが、早速、ウィリアム・シェイクスピア 著『真訳シェイクスピア四大悲劇 ハムレット・オセロー・リア王・マクベス』(石井美樹子 訳 河出書房新社)を予約した。
著者の二井 一禎氏は、「1977年京都大学大学院農学研究科博士課程修了。現在、京都大学名誉教授、農学博士。専門、森林微生物生態学」という経歴の方。現役を離れたからこそ、こうした概括書を書けたのだろう。
「微生物を視野に入れて生命の進化を捉えるとき、真核生物の誕生こそが進化の大転換点なのだ。」進化すべきして進化したのか。それでも、こうした話題に興味は尽きない。類書が出たら、また手が出てしまうだろうな。
宮沢賢治の詩の中で、「春と修羅・序」の詩が特に好きだ。その冒頭の一連だけ転記してみたい: わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
宮沢賢治「ポラーノの広場」再び - 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2017/11/post-6bb8.html
あと、既にメモったが、「気になるのは、アメリカは、黒人を虐待し続けてきたその前に、アメリカの先住民を壊滅的に虐殺したこと。黒人問題が多少なりとも顕在する一方で、先住民問題の不在が視界から消えている」点。本書のテーマからは外れているので仕方ないが、できれば、先住民問題をどう考えているのか、どう扱うのか知りたいと思った。
ちょっとなるほどと!思ったのですが、仏文学を学んだ作家は漱石をあまり評価していないですね。むしろ嫌い。笑。僕の狭い範囲で思いつくと荷風、大岡昇平もそうですね。小林秀雄もそうでしょう?。あと東大の表象文化系もほとんど漱石を取り上げない、小林康夫くらいなか。。偽伯爵が『夏目漱石論』を書いていますが、師匠のヌーベル・クリティックを援用して書いたオシャレで、笑、かつ界隈の政治的な意図(覇権)があったもの。なんでなんでしょうね?。さすが面白い指摘です。。ただ荷風の漱石への恩義?のところはよくわからないです。
江藤さんが持ち上げすぎたのかな。ただ理由として邪推すれば、新聞を舞台にした国民作家であったこと。満蒙や朝鮮に対する(差別)意識、国家観(天皇制)に見解の違いがあったのか?です。そういえば大江さんも漱石について書いたことはあったろうけれど、無きに近い扱いだったのでは?。 仏文だとなんでなんでしょうね。笑。
が、吾輩の印象では本書の大半は、「物質の根源を探究し、原子と原子核をめぐる謎を解き明かすため、切磋琢磨しながら奔走する日・米・欧の科学者たち。多数のノーベル賞受賞者を含む人類の叡智はなぜ、究極の「一瞬無差別大量殺戮」兵器を生み出してしまったのか。近代物理学の輝かしい発展と表裏をなす原爆の開発・製造過程を(中略)詳しく解説する。」ということで、原爆開発のドキュメンタリーというかノンフィクション風な記述に終始していると思えた。
それが悪いわけではない。理論の門外漢の吾輩も現場の苦労の一端は垣間見えた。実際、核分裂で生じる凄まじい破壊力のメカニズムや、原爆製造の実際を知ることに異議があることは否めない。が、肝心なはずの原子爆弾という存在の齎す禍々しい現実への問いかけはあまり強くは感じられなかった。原爆の悲惨と世界での絶望的な政治的矛盾への問い掛けはもっと強く訴えかけてほしかった。
吾輩のように純朴単純な性分の人間はとにかく筋を追うのも大変なら(実は簡単なのかも)、登場人物群像を把握するのも大変(なので、登場人物を逐一メモしていった)。なんて苦労はこうした物語が好きな人には無縁なのかな。
物語として面白いが、主人公級のリュシアンの人間像が深まらなくて(頼りないと云うかつかみどころがないというか)イライラする。正直、吾輩は、「娼婦の栄光と悲惨」というからには、娼婦の夜の生活がもっと描かれるかと期待していたのだが、期待外れ。下世話な艶聞小説ではないことは当然なのであり、社会の裏の裏を描くバルザックの力量をこそ楽しむべき小説なのである。
ちょっとした田舎道を歩いていて、道端にお地蔵さんやら祠などがあると、気になって仕方ない。あるいはそれなりの砂利道から杣道か獣道へ逸れていくそんな道の先に何があるのか、先の先まで歩いてみたくなる。舗装された道から今は忘れられたか放棄された旧道にはどんな物語があったのか。どんな道にも歴史がある。歴史には残らなくとも人の足跡がある。汗と困苦の痕跡が埋もれている。吾輩には、谷川健一氏のように隠れた歴史の痕跡を掘り起こす能はない。でも、想像を巡らすのは勝手だろう。
ところで、本書の前半は表題の如く「埋もれた日本地図」風なのだが、後半は「琉球の宇宙観と他界観」とある。が、なんとも印象的なのは、「沖縄の日本兵」なる一篇だ。沖縄での日本唯一のアメリカ軍との本土決戦の悲惨は折々テレビでも特集されることがある。が、本書では渡嘉敷島での集団自決事件の凄惨な情景が縷々語られている。アメリカ軍が強いたわけでも、日本の軍幹部が強いたわけでもないが、集団自決せざるを得ない複雑な心理状況が胸を打つ。安易には感想を綴ることはできない。
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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吾輩のように純朴単純な性分の人間はとにかく筋を追うのも大変なら(実は簡単なのかも)、登場人物群像を把握するのも大変(なので、登場人物を逐一メモしていった)。なんて苦労はこうした物語が好きな人には無縁なのかな。