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2024年3月の読書メーターまとめ

かふ
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感想・レビュー
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ナイス
809ナイス

2024年3月に読んだ本
26

2024年3月のお気に入り登録
3

  • Jssca1917117
  • 忽那惟次郎8世
  • みやや

2024年3月のお気に入られ登録
4

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  • 忽那惟次郎8世

2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
韓国のリベラル・フェミニズムは日本より先を行っている感じだが、キム・ジヘのこの本が特異というわけではなく、ロールズ『正義論』の「無知のベール」や男性原理のこれまでの形而上学を女性や弱者から見ていくもので、そのための権利が悪法よりも優先されるという。例えばそれは黒人の人種差別がアメリカのジム・クロウ法で国家により保証されていたとしても黒人の人権問題を蔑ろにする奴隷制的考えは悪法であり、そのために黒人の公民権運動は行われた。国民というメジャー視点に立つのではなく、弱者という少数派に立つ正義論なのかと思う。
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2024年3月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

松本清張『昭和史発掘』がなんとかおわったのでほっとしていたら「特別編」なんていうのがあった。2月は『源氏物語』も読み始めたのでますます混乱してくる読書だった。2024年2月の読書メーター 読んだ本の数:39冊 読んだページ数:10347ページ ナイス数:980ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2024/2

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2024年3月の感想・レビュー一覧
26

かふ
オーウェル的世界の北朝鮮の実態のような小説なのだが、思想教育(チュチェ思想)がソ連のスターリン主義を否定するような自主路線なのだが、それは北朝鮮の国家主義を謳う独裁政治になっていく。そんな中で詩人のキヘンが詩を書くことやめ翻訳家になったのに何故詩を書かないかと自白委員会に問い詰められる。そこで自殺した反権力親子の娘との出会いやロシアの詩人ベーラと出会い、雪解けの時代でありスターリン絶対主義ではなく歴史改変が東欧の民主化運動を引き起こしていくのだが、その反動として新たに全体主義国家が強まるのだった。
かふ
2024/03/29 07:14

白石という実在する詩人とキヘンというフィクションの語り手が入れ子構造になっているのが読みにくいかも。

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かふ
題名に父とだけあるが、その陰には母がいるというエッセイも多く、また父の姿も立派な父だけではなくどうしようもない父もいて面白かった。齋藤史と父の関係を読みたいとおもったのだが、最初に登場したのはその2.26事件で暗殺された渡辺錠太郎大将の娘だった。最初から濃いいドラマで圧倒される。島尾ミホは『狂う人』の続編のようなエピソード。また齋藤史は短歌中心で、二人の詩人、石垣りんと茨木のり子も詩が掲載されていて、その詩が良かった。この二人は正反対の父だったようだ。境遇も正反対だけど親友だという。
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かふ
最初に読んだのが1983年で本屋に積まれていたことを思い出す。オーウェルは『カタロニア讃歌』とかのようなノンフィクションの方が好きだが、けっこう理屈っぽいというか、通常のSFのようには楽しめなかった。ただディストピア小説の金字塔みたいなところがあって、のちの文学に影響を与えたのは間違いない(日本でも村上春樹や最近の芥川賞作品やら)。三部構成で、1はディストピア世界、2が恋のアヴァンチュールが反社会的な行為で、3が逮捕され権力側のオブライエンの指導を受ける洗脳教育なのか?
かふ
2024/03/26 17:54

ここがけっこう読むのがしんどいのはあるあるだからだろうか?

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かふ
逆説的であるのかもしれない。「わかる」というのは他者と分かち合うということで、美という時間が止まった状態では他者と分かち合うことが出来ない。孤独が近代になってからの発見という日本に自我という個人主義が入ってきたからだろうか?そういえば孤独の時に美を感じて、それは他者とは共有にしにくいものだと感じることはある。他者の批評は美を壊すものなのだ。だから死の状態が美だと思う時は、そこに時間的なものはなく刹那という意識に近いのかもしれない。他者との共有していく時間は変化していくものであり、そこに美を見いだしにくい。
かふ
2024/03/22 18:46

ただ追憶の記憶の中で美の残像を感じるのかもしれない。夕焼けのように。それはセンチメンタリズムの美だと思うことはある。

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かふ
韓国のリベラル・フェミニズムは日本より先を行っている感じだが、キム・ジヘのこの本が特異というわけではなく、ロールズ『正義論』の「無知のベール」や男性原理のこれまでの形而上学を女性や弱者から見ていくもので、そのための権利が悪法よりも優先されるという。例えばそれは黒人の人種差別がアメリカのジム・クロウ法で国家により保証されていたとしても黒人の人権問題を蔑ろにする奴隷制的考えは悪法であり、そのために黒人の公民権運動は行われた。国民というメジャー視点に立つのではなく、弱者という少数派に立つ正義論なのかと思う。
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かふ
和歌の呪術的な面と恋文のような相聞的な面は、ハレ(天皇の歌)とケ(恋文の歌)のように和歌の二面性を発展させていく。ハレ(公用的な)部分が強すぎると権力者に利用されたりもする。そして戦後に「第二芸術論」が出て和歌のリズムが奴隷の旋律と言われたりする中で、戦後は七五調のリズムをどう崩したりしていくかでモノローグ的な短歌も増えていくのだが、一方で俵万智が口語・句跨りという独自な短歌もブームになっていく。さらにそれはコピー化という経済にも利用されていく。
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かふ
先にKindleの翻訳で読んだのだが、あちらは英訳からの翻訳で、こっちはペルシア語からの翻訳。研究者の方の本で最初にイラン人の生活や社会についてのコラムがあり、テーマごとに詩がわけてあり分かりやすかった。Kindleを読んだときは単に酒好きの詩人かと思ったが、その前提として人生は苦い世界だというのがあったんだ。浪漫主義的な詩というよりも哲学・宗教的な詩人なのかなと思った。ハイヤームは科学者(数学・天文学)で科学では解明できない人生の不条理さを四行詩にしたのだという。
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かふ
窯変は帝の権力よりも皇后に付随する執政権力としての光源氏を描いていて、今まで読んだ中では特異だ。桐壺帝は悪帝として光源氏の父であったのだ。それは藤壺との間違い(摂関政治の上では間違いであって、それ故に光源氏も過ちに導かれることになると考える)。正しいのは弘徽殿女御の方であったのだ。ただその反逆者としての光源氏は悪の力を得て返り咲いたのは事実であった。そこで桐壺帝の呪いを払う儀式を行う。なによりも明石の君に娘を産ませたことで帝よりも強い力を得たと気がつくのであった。橋本治の源氏物語は権力闘争の物語だ。
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かふ
一つのまとめた歴史書ではなく、それらにまつわるエッセイ。まあ、断片のようなものだが、それらはこぼれ話的な屑を拾い集めたものなのだろう。ボードレールの詩でパリの屑拾いはその集めた屑によってその土地の歴史を知るというベンヤミンのボードレールの歴史論から、一見関係なさそうなものが歴史的に繋がっているという。大学の講義から若手研究者時代の資料の集め方から影響を受けた本まで面白い話も退屈な話も。そこから専門家以外の人が歴史の中で自ら関係してくるものが歴史を作っていたり、学ぶべきものがあるという。
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かふ
『源氏物語』にも出てきて影響を与えたのではないかというので読んでみる。最初の長編物語で、あて宮の婿選び争奪戦は、『竹取物語』にもあるけど、面白い。仲忠と涼のライバル関係や政治(藤原氏の摂関政治)の話は確かに『源氏物語』を先取りしていると思う。あて宮が「藤壺」なのも影響があるのかもしれない。その前に秘伝の琴を伝授する奇譚は澁澤龍彦『高丘親王航海記』のような遣唐使船が遭難してハシ国(解説によるとペルシア説があるそうで)にたどり着いてからの旅行記風でそれは『源氏物語』にはない話で面白かった。
かふ
2024/03/16 14:32

『源氏物語』との違いは姫の話よりも琴の継承や政治の話が中心になる。それは男が書いた物語だったからだろうか?悲劇のヒロインはあて姫だけで、男達の悲喜劇が多い。https://note.com/aoyadokari/n/n3abb5836d7c3

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かふ
句会の本は『東京マッハ』や『アウトロー俳句』と読んできたが、要は仲間作りが一番なのかと思う。例えば、ここに『東京マッハ』のメンバーが入って楽しめるかというとちょっと難しいのではないか。それは私が『東京マッハ』に感動して句会に入ってみたがあまり面白さは見いだせなかった。ここでは伝統俳句の達人たちの句会なので俳句作りの研究にはなるが、小林恭二が言う昨今の句会は点数ばかり重視され主催者(先生)の俳句をただなぞるだけだという意見はそうなんだと思う。ただここまで読みの解釈が出来る句会はそうないのではないか?
かふ
2024/03/14 14:39

俳句を詠むことよりも読み(解釈する)ということの難しさ。点数主義にならざる得ない能力主義みたいなもの。それは俳句だけではないのだが、なかなかそこまで余裕を持って遊べないということなのかもしれない。例えばこの中で一番点数が良かったのは岸本尚毅であって、正直無難な座興という句が多かったような気がする。あるいは、坪内稔典の句は伝統俳句からは外れてしまう(彼の質問は鋭いのだが、そういうことは初心者にはわからない)。それでも飯田龍太の句は確かに一番好きだなとは思うのだった。

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かふ
『RRR』はインド映画でも日本で大ヒットし、評判も高いのだが何故か批評する人があまりいなかった。それはラストの8人のインド独立の英雄の中にガンジーが登場しないのであった。その裏側は政権がガンジー・ネール派とは対立する政権になったこと。またGNPでもイギリスを抜いて5位(今日調べたら逆転していて7位に落ちていた)になったのでさらに国威発揚映画だったようだ。その歴史として日本にも関係のあるチャンドラ・ボースに焦点を当て武闘派がインドで何故受けるのか解説している。
かふ
2024/03/13 23:56

『ガンジー』がイギリス主体で作られたということもあるようだ。ガンジーの無抵抗主義の限界について、独立するときは武力闘争も必要だということなのだが。インドがナショナリズムになっている背景としてイスラムの脅威(パキスタン)があるようで、イギリスという仮想敵を作ることで国をまとめたいのかもしれない。ガンジーの失敗がパキスタンを分離させたとしているがそうなのだろうか?もともと部族社会であったインドを一つにまとめるのが難しいということのようである。

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かふ
ゾラはフランスの大作家というイメージだがこれまで読んで来なかったとは自然主義=私小説という日本のイメージで捉えていたのかな。解説にもあるとおり、日本の自然主義文学という感じではなく、どちらかと言えばストーリーテラー的な物語の面白さがあった。ミステリーあり、ラブ・ロマンスあり、成り上がり者の成功物語あり、で短編集だけどゾラの魅力が収められている入門書だと思う。あと死についての考察も日本人とは違って面白かった。
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かふ
他の方のレビューもある通り一番読みやすい(漫画は除外する)『源氏物語』かもしれない。後半部は出家したいという話が多いのだが、そういう無常観の文学なのか?ただ田辺聖子『新源氏物語』で鮮明なのは、『源氏物語』には光源氏の出家は描かれておらず、「雲隠」という何も書かれていない帖があるのだが、田辺聖子はそこも描こうとしたようだ。それも光源氏の愛情なのか?光源氏が位の高い女たちに手を出して火傷はするけど、それらを押しのけて生き続ける。
かふ
2024/03/12 07:28

これが本当の「もののけ姫」じゃないか?娘の秋好中宮がいたたまれなく母の怨念を鎮めるために出家するという。この時代は仏教の影響があるのだろうか?

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かふ
分厚い豪華本の表紙がなによりもクリムトの絵というのがセンスがある装幀。そしてアーサー・ウェイリーの翻訳は『源氏物語』も西欧の神話的愛の物語になっている。橋本治『窯変 源氏物語』と同時進行で読んでいるのだが、人物像は橋本治のほうが面白いとしても、絢爛豪華な宮廷の儀式は邦楽がバロック管弦楽になったような豪華さなのである。祝餅がラッキーケーキになって、ん?と思うような訳もあるが、総じて英語との違いを楽しめる。『紅葉賀』が「紅葉フェスティバル」になると庭で太陽の下の開放的セレモニーであるかのよう。
かふ
2024/03/10 23:06

あと植物の名前も翻訳されていて、姫たちの名前もそれぞれ興味深い名前が付いている。「夕顔」が「イヴニング・フェイス」とか「末摘花」は「サフラン姫」になっていい香りがしそうだ。須磨寺の守り神が「ドラゴン・キング」とか、龍王の訳なのか、明石入道はポセイドンの末裔かと思わせる。『源氏物語』の二次創作というようなことを解説で言っているがまさにそのように読める。そこから西欧人たちはヴィクトリア朝時代を思い浮かべ、オリエンタリズムだと思うが「千夜一夜物語」の幻想譚と成っているのである。

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かふ
映画『風よ あらしよ 劇場版』を観て、大杉栄が逮捕され後藤新平に長い手紙を書くシーンが印象的でその手紙を読みたくて読んだ。野枝の論法は逆説で大杉を勾留したままでいいですといい、その結果何が起きても責任が持てないというのだ。その逆転の発想が面白い。山川菊栄に対しても観念よりも実地から攻めているように思える。それは自身の体験からくる思想なのか。そこが平塚らいてふから「青鞜」を引き継いだ実地なのだろう(成功はしなかったが)。大杉栄との三角関係も観念的なものよりも行動が先に立つ人なのだ。それを愛と呼ぶべきか?
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かふ
ウィエリー版と田辺聖子版と同時に読んでいるのだが人間関係がドロドロしたところは橋本治が一番面白い。「葵」は六上御息所が物の怪になって葵の上に祟るのだが、御息所の娘は伊勢の斎宮であり、加茂神社の斎宮となるのが大宮の娘であり、帝の交代によって左大臣家に権力が移るのである。その京に対して地方の神々の力を得る光源氏はスサノオウ的な貴種流離譚なのだと思う。そのなかで怨霊となった六条御息所との呪術廻戦のような相聞のやり取り。結局、葵の上を殺してしまうのは紫の上という正妻を得るためだったのかと思った。
みあ
2024/03/08 19:50

そうですね!窯変源氏は面白いですよね。これからもよろしくお願いします。

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かふ
齋藤史の歌集かと思って借りたらインタビュー集だった。俵万智、佐伯裕子、道浦母都子と世代が違う三人がそれぞれインタビューする。俵万智は孫みたいな感じで昔話に花が咲く。モダニズムで出た齋藤史には俵万智には違和感ないように感じる。佐伯裕子は、死刑囚の肉親を持つ者同士なのだが、事情の違いがある。戦争を語る母と娘のような対話だったかな。道浦母都子は一番語れたのは天皇や歌壇に対しての反抗精神みたいなもの。批評精神とか。ただそれぞれ違う三人に対して同等に語り合っているのが素晴らしいと思った。お茶目さもあるモダン婆さん。
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かふ
映画『カムイのうた』を観て興味を持った。知里幸恵が書いた序文は映画でも重要なシーンだったが、北海道の近代化とともにアイヌが愛した自然は破壊されて失われて行った。その喪失した声の文学であり、ローマ字表記はもはやユーカラを再現出来るものではない白骨のようなものだ。そこに日本語の翻訳として物語が書かれてあるのだ。イソップ物語のようで、自然の神々(アイヌ)の中にも位があったり悪い神もいて愛らしい動物や自然のの姿が描かれている。ほんらいをそれらは謡としてアイヌの人々の自然の歌声だったのだ。
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かふ
田辺源氏はコメディ的要素が強い。末摘花の扱いも容赦なく笑いものにしたり、近江の君の奔放さは玉鬘のどろどろした関係よりも面白かった。それは関西弁の使い方かな。庶民的な感じがして、貴族生活の型苦しさを揶揄っているような。最後はお固い夕霧までモーションをかけて断られていた。玉鬘との比較で言うと男の都合で左右される人生よりも貴族生活の中に入っても垢抜けず田舎娘なのがいい。今までの姫の中で一番輝いているかも。
更紗蝦
2024/03/06 22:13

私も、近江の君は、「貴族生活の型苦しさへの揶揄」という解釈です~!

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かふ
今年から短歌雑誌を読んでいるのだが『短歌研究』がいいところは「作品季評」があるところか。文芸誌には『群像』に月間合同批評があったのだが、最近読んだら無くなっていた。合同批評はそれぞれの歌論があるのでそれを突き合わせていく面白さ。例えば、今月号だったら佐佐木幸綱という重鎮と大辻隆弘と今野寿美という中堅では短歌観が違う。そういうところで現代短歌の新作を読んでいく。勉強になります。特集はお笑い芸人と短歌。あと作品では初谷むいの作品が奇抜で目を白黒させたけど、けっこう好きかもと思ってしまった。
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かふ
俳句が関係性(座)の文芸と言われるのは句会を通して理解すると、例えばここではベテラン俳人と若手俳人の中に歌人の岡井隆を入れて同じ韻文詩でもその違いを明確にしている。また俳句の師弟関係もあるので、お互いに作風が読めるというのがあるようだ。それは内輪のゲームなのだが、それによって句会を楽しむということがある。俳句が挨拶だと言われるのは、季節や自然、そしてその場の関係性に対しての座の文芸なのである。その解説者として小林恭二がプロデュースするのは伝統俳句の約束ということになる。
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かふ
フェミニズムとサイードの「文化帝国主義」という問題。難しい。西欧中心のグローバルなフェミニズムは自国中心の論理で第三世界の文化を破壊していく。パレスチナでイスラエルがいくら正しい欧米の論理でもパレスチナでのジェノサイドが正しいとしてもそれは人々に沈黙を強いるのだ。ローティの弱者の方に付くということかもしれない。論理よりも感情による共感なのか?上野千鶴子が反論として論理的に責めているがそのような論理がすでに岡真理を黙らせることなのだと思う。何故ならすでに彼女は行動しているから。
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かふ
昭和三十年代の若手10人(今は重鎮になっていた)を論じた俳句批評。保守回帰の時代かな。岸本尚毅がわかりやすい。個人よりも関係性の文芸ということで花鳥諷詠の虚子を継ぎ挨拶句(忌日句)が得意とするような。櫂未知子のボディコン時代というのが想像出来ない。けっこう際どい性的な俳句を詠んでいた。でも体育会系かな。今だともっと前衛的な人がいると思うのだが、この時代に俵万智が登場してこなかったのが大きいかな。そう言えば夏井いつきが出てなかった。
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かふ
昭和史発掘の掲載されなかった二つは文春砲というような政治スキャンダル。一つは日本のラスプーチンと言われた宗教家飯野吉三郎の暗躍。もう一人は芸者からお筆先の占い師の女性で彼女も桂太郎首相の愛人になり助言していたとか。この国の暗部は宗教絡みが多いようだ。対談は城山三郎は恐慌が軍国主義に繋がったこと、五川味純は満州進出の重要性で『昭和史発掘』の解説的な対談なのだが、鶴見俊輔との対談は戦後の振り返りで戦後の『昭和史発掘』で面白かった。
かふ
2024/03/02 17:56

GHQが日本の軍備を解体したのは、その頃の将校たちがニューディール政策の新しい思想の持ち主だったということ。それ以前は日本についてまったく研究されていなかったという。戦争になってから急遽研究者を育て、その彼らが日本の占領政策を担っていくのだった。それで軍隊解体と天皇制存続をという方向に向かっていくのだった。ただ日本の官僚温存の場である大学を解体出来なかったので東大官僚が後の政治を支配していく。朝鮮戦争が始まると軍備の再編成と日本の基地化。天皇は欧米には視察に行けるがアジアには行けないという言葉が重い。

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かふ
ネタバレ松本清張最後の小説『神々の乱心』の解説書のような本。松本清張は『昭和史発掘』で天皇家にある確執、昭和天皇と貞明皇后(大正天皇の皇后)はイギリス王室など視察して近代化を目指す天皇と日本古来からある信仰(それが新興宗教と繋がってしまい神がかり的になる)勢力との対立、それは2.26事件から秩父宮を担ぎ出そうとした北一輝の妻もお筆先のお告げというようなことを言って、そういう力が台頭してくる危機感について、天皇家も天皇以外は家臣みたいなものだから、対立要素が出てくる。将来的に次の天皇は秋篠宮に移ることになるのだが。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5150日経過)
記録初日
2010/03/24(5142日経過)
読んだ本
2308冊(1日平均0.45冊)
読んだページ
560064ページ(1日平均108ページ)
感想・レビュー
2187件(投稿率94.8%)
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神奈川県
自己紹介

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