読書メーター KADOKAWA Group

2024年3月の読書メーターまとめ

ぐうぐう
読んだ本
36
読んだページ
8391ページ
感想・レビュー
36
ナイス
1524ナイス

2024年3月に読んだ本
36

2024年3月のお気に入られ登録
2

  • まみ
  • 桜木花道

2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ぐうぐう
ヴィクトリア朝京都、というアイデアが浮かんだ時点で、本作の成功は約束されたようなものだ。しかし、いざ読み始めると、その予想は裏切られることとなる。なぜなら成功ではなく、大成功であることを実感させられるからだ。それほどに本作は面白く、そして感動的な小説だ。ホームズもののパスティーシュとしての楽しさはもちろんなのだが、パラレルな設定をとことん採用することで森見登美彦は、メタ構造を恐れずに探求し、書く・書かれる関係性から『シャーロック・ホームズ』という小説を批評しようとしてみせる。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/05 20:02

この大胆な試みが理詰めで証明されるのではなく、血の流れるキャラクター達によって証明されてゆく躍動が、本作の肝なのだ。それはつまり『シャーロック・ホームズ』を読む理由として、ホームズの推理力に魅せられるだけではなく、その個性、そして良くも悪くも人間性に惹かれているのかもしれないという、裏の動機に思い当たらせようとする力が本作には存在するということだ(さらに言えば、事件簿の記録係としてのワトソンを通して、コナン・ドイルの心境まで想像する企みがある)。いやはや、凄い。何より、愛おしい小説だ。

が「ナイス!」と言っています。

2024年3月の感想・レビュー一覧
36

ぐうぐう
日本の南方沖マリアナ諸島の北端に位置する独立行政村国奥ノ鳥島。2500メートルの滑走路を無駄に誇る、名ばかりの国際空港が舞台。と、背景は荒唐無稽だが、あけっぴろげで奔放な空港長セレッソの、なんてことない日常が綴られている。それでいて、まるでこの島に住んでいるかのような没入感は、まさしく鶴田謙二の画力によるもの。何より、読んでいる間、ずっとまとわりつく幸福感がたまらない。至福の読書タイムだ。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
Audible。傭兵の三人をそれぞれ描いてきた前三作を経て、この第四作では由起谷と城木を軸に物語が進行する。背景にチェチェンがあることで、これまでで一番シビアな展開が聴いていて痛く、苦しい。だからこそ情感が溢れ、揺さぶられる。今作で朗読が橋本英樹から緒方恵美に変更されているが、それは今作が黒い未亡人という女性で構成されたテロ組織を扱っているからだろう。語りが男性から女性になった違和感は、しかしすぐに気にならなくなる。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/30 17:36

また、橋本に比べてややデフォルメされた緒方の演技も、それこそが原作に合っているように思えてもくる。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
地図にない場所「イズコ」の意外な真相。けれど二人は気付くべきだった。謎の答えが目的ではなく、謎の答えを求めて探す過程こそが大事だということを。隠し事が嘘に育ち、結果として相手を傷付けてしまう。けれど、そもそもないない尽くしの二人が、ない場所を探すという皮肉は、答えもないことを端から示していたではないか。「ない」中で出会い、育んでいった絆こそ「ある」ではないか。安藤ゆきにしては、やや理詰めで進んでいく展開に不満がなかったわけではないが、彼女が伝えたかったことは充分過ぎるほどに届いている。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
権力を掌握していくにつれ、ポールは様々な名で呼ばれるようになる。ムアッディプであり、ウスールであり、クウィサッツ・ハデラックであり、リーサン・アル=ガイブである。複数の名を持つということは、期待の数を表しており、自己の分裂をも意味している。違った未来視が見えるのは、複数の名を持つことと無関係ではないだろうし、自己の分裂とも関係しているはずだ。映画版ではまだ産まれていなかったポールの妹・アリアが、原作小説ではとてつもないインパクトを与えながら、その存在感を示す。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/29 20:24

アリアもまた、ポールの分身と言えないか。ハルコンネンや皇帝という敵を捩じ伏せ、権力の頂きに立とうとするポールは、つまり次なる敵が自分自身であることを読者はページを閉じたあと、その未来視として知る。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
『銀英伝』における最大のエピソードのひとつとも言えるべき事件が描かれる第13巻。ところが、その場面の藤崎竜の描き方は、どこかぎこちなく感じる。それは、あまりにも唐突な出来事であり、呆気に取られる中で行われた悲劇であることを意味するぎこちなさではないか。劇的に描くことは可能であり、だからこそ安易であるとの考えからかもしれない。このぎこちなさは、藤崎竜の言わば美学なのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
映画版に比べると原作小説は、キャラクターのそれぞれの内面がモノローグのように呟かれる。ハーバートが登場人物達に積極的に内面を吐露させるのは、いわゆる先の展開を躊躇せずに明らかにする物語構造の一環なのだろう。また、個々が何を考えているかが読者に露呈されると、そこには表面に出ない対立が浮かび上がってくる。しかしそれは、まさしく現実世界そのものと言っていいはずだ。私達は笑みを浮かべながら、内心で憤っていることもあるし、泣いていることもある。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/27 21:11

と同時に、内面の露呈による見えざる対立は、読者を試してもいる。ポールが未来視に試されているように。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
猫がテーマとなる『こわい本』11巻。冒頭に配置された「猫面」が、とにもかくにも凄い。猫を嫌う城主が猫を殺しまくった挙句、生まれた息子が自分が殺した猫そっくりの顔であるという因果。読み進めていくと、猫の怨念というよりかは、美醜についての物語のように思えてくるが、読み終えるとそうでないことがわかる。残虐性に抵抗し、敵を倒す過程でおのれが残虐性に呑まれてしまう皮肉な展開は、まさしく人の弱さや愚かさを描いている。そんな中にあって、梓のまっすぐな愛に人間の救いを感じるのだ。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
ヴィルヌーヴ版の映画を観たので、原作を読むことに。映画版PART2で登場する人物達が、原作では早々に姿を現すことが多く、それはつまりヴィルヌーヴがPART1の興収次第で後編の映画化が実現しない可能性を充分に考慮していたことを意味している。いや、それ以上にこの原作を読んでいて実感するのは、先の展開をハーバートが躊躇なく読者に知らせている点だ。映画でも示されていたように、ポールの未来視が先の展開を予見してはいたが、ハーバートはその宿命で物語自体を支配しようとしているかのようだ。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/25 22:53

そもそも原作は、皇帝の娘・イルーランがのちに記した著作を引用する形で物語を牽引する役目を担っており、その構造がすでに未来からの視座を獲得しているとも言える。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
Audible。殺戮する神。それは神と呼べるものなのか。「神以上に、絶対的な権力があろうか」力が強ければ強いほど、神はより神になる、のか。人の思惑により、その解釈が異なっていく神話。それぞれが信じる伝説が、対立を生む。翻弄される人々の中にあって、バルサは悩みつつも、惑わされることがない。なぜなら彼女は、常に弱きものの立場にいるからだ。その小さき視点は、バルサを「守り人シリーズ」の良心にしている。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
若者達にとって未来が見えづらいのは、先の時間が有り余っているからだ。けれど、うみ子にとって未来が見えにくいのは、時間がないから。広大で穏やかな時間の海と比べ、残り少ない時間の海は波が荒い。けれど、うみ子は気付く。時間が少ないからこそ、見えてくる未来があることに。高い波だからこそ、越える意味があることに。「今 私は 撮れる映画を撮るだけだ これからの航海で前を見るために」その眼前には、高い波がある。目標となるべき、それは波だ。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
『ギャラリーフェイク』と『ブラック・ジャック』の類似性を何度か指摘してきたが、細野不二彦が『BJ』を意識して『ギャラリーフェイク』を描いていることは間違いないだろう。冒頭のエピソード「ウラvsウラ」なんかは、いかにも『BJ』らしい展開だ。しかし、藤田が猪ヶ谷を救うのが情ではなく矜持である点を見過ごしてはならない。そういう意味では「モネの橋のたもとにて」こそ、『BJ』を連想する。読んでいて、名作「もらい水」を思い出してしまった。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
意外な展開が描かれている『グランマの憂鬱』最新巻。まず冒頭の第53話は、回想で百目鬼村が登場する。想い出として描かれるグランマ、この構成にドキッとさせられるのだ。第55話では、説教をしないと宣言するグランマがいて、それも意外だが、やっぱり第54話の意外性が一番か。なにせ「人間嫌ってナンボ 嫌われてナンボぞ」と、グランマが宣うのだから。もっとも「人に嫌われる事を恐れちゃいかんよ その人は きっと おまえさん達の人生に深みを与えてくれるかもだぞ」と納得のオチがあるのだけれど。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
タイトルが示すように、トキワ荘出身の漫画家達を中心とした交流を語る。しかし、本書がユニークなのは、北見けんいちがトキワ荘にまるで思い入れがないことだ。人気漫画家達のことをあまり知らずに漫画界に入ってきた北見ならではの視点が、実に独特で面白い。なにせ、赤塚不二夫を知らずにアシスタントになるのだから。とはいえ、そんな北見の屈託のなさが、のちにレジェンド漫画家達と親しい交流を構築するのに役立っているように思えるのだ。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/21 22:52

アシスタントをしていただけあって、赤塚不二夫に多くが割かれているが、スタジオゼロのことも詳しく語られていて、この辺りの証言は貴重。また、北見の代表作である『釣りバカ日誌』裏話も興味深い。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
二刀流として大リーグで活躍する大谷翔平。漫画を超えた現実を目の当たりにして、では漫画には一体何ができるのだろう。2017年の日本シリーズ第6戦、1点リードの9回表、1アウト1・2塁、世界初の女性投手がマウンドに立つ。しかし、これは夢の実現への第一歩に過ぎない。漫画に何ができるのか。その答えがこの作品にあるような気がする。小雨の中、雲に隠れてぼんやりと明るい太陽に向かって飛んでいく白球が、まさしく彼女達の未来であれ!
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
『正伝』が出て、もう9年が経つのか。まず、そのことに驚かされた。それほどに『正伝』の余韻が自分の中で長く続いていた、ということなのかもしれない。『Ⅱ』と題された続編は、まさに『正伝』の続きである1982年から1987年の5年間を振り返る。それは、劇団解散から再び演劇に帰ってきた(と世間的には位置付けられている)『今日子』上演までの言わば、つかこうへいの空白期を埋める行為である。その頃のつかを間近で見てきた長谷川康夫は、前著同様、積極的に寄り道(それは決して意味のない寄り道ではない)を辿りながら、(つづく)
ぐうぐう
2024/03/19 19:47

臨場感たっぷりにつかこうへいという演劇人を、あるいは人間を活写する。そんな空白期において長谷川の焦点が熱く注がれるのが、NHKのドラマ『かけおち‘83』と韓国で上演された『ソウル版・熱海殺人事件』であるのが興味深い。また、沖雅也との交流も避けずに記していて(なぜなら、そこからもつかという人間が確かに感じられるからだ)強い印象を残す。とはいえ、本著で何度も長谷川が繰り返しているように、解散後のつか芝居ではなく、やはり劇団時の舞台こそがつかこうへいであり、(つづく)

ぐうぐう
2024/03/19 19:47

その凄さは生で観た者にしか理解し得ないという主張には悔しい思いがする。このちゃぶ台返しとも言える身も蓋もない真実は、演劇の宿命であるとともに、その宿命を信じ、生きたつかこうへいの真実でもあるのだろう。つかの舞台を初めて観たのが、まさしく解散後の『今日子』からである俺などは長谷川に言わせれば論外に違いない。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
「今 重たいなにかが家にぶつかった 何度も何度もぶつかってくる(略)でも……怪物はどこにもいない…影も形も見えない」それは、人が見たくないからではないか。信じたくないからではないか。「これは人類が知るべきではない真実なのだから…」けれど“古のものども”は来る。その姿を現す。地球の支配者が人間ではないことを告げるために。かろうじて、危機は去る。しかし、それは平穏を約束するものではない。人類は、知ってしまったのだから。その内に生まれた恐怖は、二度と消えないのだから。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
Audible。伝説や神話の危うさを描く「守り人シリーズ」第5作。伝説や神話には、過去を過去で終わらせないための目的がある。過ちを繰り返さない先人の記憶を伝える行為は、それが伝承であることの危うさ以前に、そこに人の意志が込められることで起こる危うさがすでにある。人の視界は限られている。限られた視界における正義は、視界の外にある別の正義を排除した正義と言える。その事実に、人はなかなか思い至ることができない。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/17 16:59

伝説や神話が、そんな人の視界の狭さから生まれたものだとしたら、そこに描かれている神を人はどう信じたらいいのか。「……あんたは、祖先から伝えられたことを、真実という。けど、過去になにが起きたか、だれにもわからない。ほんとうのところは、だれにもわからない」噂が本当のことかどうかわからないと疑うのも困難であるのに、神話を疑うことはどれほど困難なことか。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
「“古のものども”はかつて存在したし“古のものども”は今も存在しており“古のものども”は将来も存在するのだ」オラウス・ウォルミウスによるラテン語完全版『ネクロノミコン』には、そう書かれている。過去にも現在にも、そして未来にも存在するという“古のものども”が、どうして人間に知ることができないのか。「人間は時に臭気によって“かれら”が傍に存在していることを知るが だれにも“かれら”の姿を認識することはできない」ゆえに人は、地球の支配者であることを許されたのだ。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/17 08:48

臭気は気配として否定することは容易だ。しかし、認識できぬ“古のものども”が姿を現した時、それを打ち消すことなど不可能だろう。その時、人間は許されていた支配者の地位から否応なく引き摺り下ろされるのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
セリフや擬音のない絵からは、当然なにも聞こえない。けれど、田辺剛が描く「ラヴクラフト傑作集」は違う。セリフも擬音もない場面は、一見静寂に満ちながら(その静寂さが極度の緊張を演出していながら)、遠くのほうで微かに地鳴りのような、あるいは何かの鳴き声のような、そんな音が(声が)聞こえてくるのだ。不穏を覚える読者の錯覚のようでいて、ラブクラフトの物語の呼び声のようでいて、そこには恐れしかない。田辺剛の画力だけが持つことを許された、それは力なのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
1993年に刊行された長編小説の文庫版。小池真理子がミステリ作家として脂が乗っていた時期の作品である。ボリュームといい、内容といい、新潮ミステリー倶楽部からの書き下ろしというスタイルといい、その当時の小池が持つ渾身の力で書いた一冊だというのがよく理解できる。オープニングからは予測不能なストーリーもさることながら、サスペンス要素に心理学的考察を積極的に取り入れたキャラクターの言動が、いわゆるミステリだけで終わらない深さを本作にもたらせている。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/15 21:35

もちろん、現在の小池ならもっと上手く書けただろうと思われる描写や展開の不満がなくはないが、主人公の男性とペンションの娘とに共通する罪悪感の記憶を対比し、やがて共鳴させる構造など、のちの恋愛小説に結び付く主題が内包されているのもいい。そして『墓地を見おろす家』以上に、本作にはキングの影響を強く感じる。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
こういった企画本は、得てして作品ガイドに終始してしまいがちなのだが、本書は作品のストーリー紹介ではなく、執筆過程に比重を置いたメイキング的構成で読ませる。デビュー前の聞いたこともないような作品タイトルが次から次へと出てくるのに驚かされ、初めて目にするキングのプライベート写真もたくさん載っている。また執筆過程も裏話で終わるのではなく、キング論に繋がっていきそうな批評性を備えているのが頼もしい。「キングはアイデアノートをつけていない。ことあるごとにこう言っている。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/14 21:36

悪いアイデアを不朽のものにする最善の方法は、それを書き留めておくことだ。良いアイデアは自然と残る」確かにキングの多くの作品は、何十年も前に思い付いたアイデアやある場面を発端として書かれている。それはノートにあるのではなく、キングの脳の片隅に長年残っていたものだ。映像化作品はもとより、エッセイや合作、限定版や未収録作品も網羅する、まさしく大全に相応しい充実の内容だ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
デバイス、という技術が「トビオ編」では重要となってくるのではないか。手塚治虫が『鉄腕アトム』を描いた時代には当然なかったテクノロジーが、ここではトビオとロボットをすんなりと結ぶのだ。アトムが人間とロボットの狭間で苦悩しながらも架け橋になろうと翻弄した姿が、まさしくデバイスそのものと重なっていく。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
三部作の前日譚とはいえ、まるで侮れない。ピップら高校生達が犯人当てゲームに参加するという設定なのだが、参加者個々にカードで指示が出される様子は、本格ミステリのメイキングのようで興味深いのだ。ある言葉に反応するようにという指示は、他の参加者にヒントを与える描写に繋がり、それはつまりミステリの構造に不可欠なものだ。逆に誰かの言動を見て「“相手をいらつかせるように”と書かれているのかもしれない」と疑心暗鬼な推理を働かせたりするのも。このメタ的な展開がスリリングなのだ。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/12 20:10

しかし、本作がただの前日譚に終わらないのは、犯人当てやミステリのメイキングの面白さだけではなく、三部作を貫くピップの人格をそこに絡めることで、三部作の主題をすでに予知させている点だ。ゆえに、侮れないこれは前日譚なのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
村上春樹の初期短編を未読であるという後ろめたさに、春樹の新作長編が刊行され、読む度に、気にはなっていた。中を片付けなくてはいけない引き出しがひとつだけ残っていて、でも引き出さない限りは中の乱雑さが見えないことを言い訳に、ずっとそのまま放置しているような、そんなしこりのような、宿題のような感覚がずっとあった。先日、春樹の初短編集である本書が単行本として復刊された。このタイミングを逃してなるものか。嬉々として引き出しを開くこととした。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/11 19:57

しかし、その拙さも4番目に配置された「ニューヨーク炭鉱の悲劇」までで、そこを境に「カンガルー通信」以降の作品はグンッと読み応えが大きくなるのだ。発表順に並べられた短編は、今回の復刊用に書き下ろされた春樹のまえがきによれば「カンガルー通信」までの4編が『1973年のピンボール』のあとに書かれ、「午後の最後の芝生」から後半の3編が『羊をめぐる冒険』発表後に書かれたものらしい。(つづく)

ぐうぐう
2024/03/11 19:58

その事実を踏まえると『羊をめぐる冒険』の直前に書かれた「カンガルー通信」から短編の質が向上しているのは、なんとも興味深い。初期作品における『羊を〜』が持つ重力の強さを実感させられるからだ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
Audibleで再読。『新宿鮫』が哀しみを描く一方で、絆もまたこのシリーズの肝のひとつだろう。『屍蘭』が胸打つのは、絆がひび割れていく過程が哀しみを導いていく展開だ。いや、関係性が生まれたきっかけがすでに哀しみを内包していて、だからこそ築かれた絆がやがて崩壊していくことにさらに哀しみを覚えると言うほうが正確かもしれない。人が死ぬから泣けるのではない。哀しみと絆がきちんと描かれているから泣けるのだ。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
映画『キングスマン』からインスパイアされたと思われる『バブルザムライ』。そのタイトルが示すように、バブル期の日本が舞台となっている。主人公に秘密があり、といった設定は、いかにも細野不二彦なのだが、そこにバブルという時代背景が加わると、さらにらしさに拍車が掛かるのが面白い。当時の世相を積極的に取り込み、あの時代を知っている読者には懐かしさが、知らない世代には新鮮さと驚きを提供するはずだ。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
抱えきれぬ秘密は漏れる運命にある。漏れることが必然だとしたら、漏らされた側の行いに罪があるのか。いや、そもそも抱えきれぬほどの秘密にこそ罪があるのではないか。「真実を探り真実のままに伝えるのが私たちの仕事だと思ってた でも本当は何を伝えるかを選ぶことがこの仕事なのかもね」人が人である限り、真実もまた形を変える。なのだとしたら、真実を真実のままに伝えることなどできないのかもしれない。そうして秘密は生まれ、大きくなる、のか。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
『マジンガーZ 2022』と同じく『激マン!』での劇中劇をサルベージした『キューティーハニー 2023』。これも同様だが、単なる再利用ではない貫禄と迫力が本作にもある。大判による画力も手伝って、実に読ませるのだ。とはいえ、その迫力が『キューティーハニー』が本来持っているコミカルさを遠ざけてしまったのは、ちょっぴり寂しい(ハニーのコスプレバリエーションが少ないのも残念)。『キューティーハニー』には『天女伝説』というリメイクがすでに存在するが、らしさで言えば『天女伝説』に軍配が上がる。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
さもわかったようなことを書く評伝ほど警戒しなければならない。そのことを小林信彦ほど理解している作家はいないのではないか。本書を読んで、そのことを痛感する。まだ売れる前の、つまりは『男はつらいよ』以前の渥美清と濃密な交流を経験しながらも小林は、友人ではなかったとし、あくまで自身が見た渥美のみを描く風貌描写に徹するのだ。その徹底した姿勢が、本書の格調を高めている。何より、詳細な記録と冷静な小林の観察から浮かび上がる若き渥美の姿は、(つづく)
ぐうぐう
2024/03/07 21:22

のちの寅さんから受けるイメージやメディアが安易に造形する渥美清像とはまるで違うものだ。私生活や本音を極力見せることのなかった渥美の、その素顔を都合よく妄想するのではなく、本人ではないのでわからないという前提に立って、あえて余白として配置する小林の誠実な方法論は、だからこそ謎な渥美清という人間への親しみを抱かせることに成功している。これは、そんな稀有な評伝だ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
奇跡のED薬は、諦めと共に奥底で眠っていた欲望を掻き立て、その結果として欲と欲との激突を生じさせた。人間の本能と結び付くからこそ強烈なその欲望は、そんじょそこらのストーリーとは別次元のドラマを繰り広げるに至ったわけだが、建男、鹿子、警察の三つ巴の戦いは、そもそものED薬、つまり人の本質的な欲望と少しずつ乖離した展開を見せつつあるのが残念だ。面白いからこその、それは贅沢な不満である。
が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
ヴィクトリア朝京都、というアイデアが浮かんだ時点で、本作の成功は約束されたようなものだ。しかし、いざ読み始めると、その予想は裏切られることとなる。なぜなら成功ではなく、大成功であることを実感させられるからだ。それほどに本作は面白く、そして感動的な小説だ。ホームズもののパスティーシュとしての楽しさはもちろんなのだが、パラレルな設定をとことん採用することで森見登美彦は、メタ構造を恐れずに探求し、書く・書かれる関係性から『シャーロック・ホームズ』という小説を批評しようとしてみせる。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/05 20:02

この大胆な試みが理詰めで証明されるのではなく、血の流れるキャラクター達によって証明されてゆく躍動が、本作の肝なのだ。それはつまり『シャーロック・ホームズ』を読む理由として、ホームズの推理力に魅せられるだけではなく、その個性、そして良くも悪くも人間性に惹かれているのかもしれないという、裏の動機に思い当たらせようとする力が本作には存在するということだ(さらに言えば、事件簿の記録係としてのワトソンを通して、コナン・ドイルの心境まで想像する企みがある)。いやはや、凄い。何より、愛おしい小説だ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
黎明期というのは混沌が付きものではあるが、その思いは純粋であるはずだとのイメージが安易にする。例えば、日本の左翼のその始まりはシンプルな平和主義であったり、平等主義であったり、というイメージがそれだ。しかし本書を読むと、いわゆる世直しという思想や運動がそのまま左翼という形を作ったのではなく、そこには右翼に加え宗教も入り混じり、まさしく混沌とした状態であったことがわかる。また、松方デフレが日本を資本主義に移行させるきっかけになったと同時に左翼運動を潜在的に準備することにもなった(つづく)
ぐうぐう
2024/03/04 19:18

とする佐藤優の指摘は興味深い。池上彰も「皮肉なことですが、寄生地主がいるからこそ革命運動も活性化し文化も生まれてくる」と語っている。「だから先進国ならともかく、日本のような後発国の革命的プロレタリアートの場合、自分たちが強くなろうとするならばまず敵を強化しなければいけないという隘路に入ってしまう」とは佐藤の弁。この歪な構造は、戦前の共産党における佐野・鍋山転向声明、あるいは袋小路に入ってしまい敵を見失った結果同志へ刃を向けるという連合赤軍事件へと繋がっているように見える。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
Audible。このシリーズは、意外と男女の欲情的な関係性を描くことが多く、シリーズがターゲットとしている読者層との乖離があるのではないかと疑問に思っていた。本作ではなんとW不倫が展開され、エスカレートしている感じすらする。また、せっかく刊行ごとに登場人物もちゃんと年齢を重ねる設定であるにも関わらず、第1作目の中学生時代の人としての環境をずっと引きずっているのも不満だった。ただ本作は、そのW不倫のおかげで事件そのものよりも登場人物達のドラマに比重が大きくなる効果を生んでいるし、(つづく)
ぐうぐう
2024/03/03 23:16

新しい人物を積極的に登場させてもいて、頼もしい。何より、レギュラーキャラクターの人間関係に変化をもたらせようとしているのがいい。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
「私はみちかちゃんにひどいことをしたのか、みちかちゃんにひどいことをされたのかわからなくて、どちらにせよ泣くことしかできなかった」というように、この作品は曖昧さに満ちている。「あの世」ではなく「あの世っぽい」ところもそうだし、神か人か妖かわかんないところもそうだ。もっと言えば「それはまりが決めることなの?」とみちかに訊かれたまりが「そうか 人間(わたし)が決めることじゃないか」と気付く場面。流れから言えば「人間が決めることではない」という意味になるけれど、(つづく)
ぐうぐう
2024/03/03 08:42

「人間が決めることじゃないか」という表現は言い方によれば「人間が決めることだ」という意味に取れなくもない。このような曖昧さは、読者の解釈を無限にする可能性を秘めている。それに戸惑う読者もいるだろうけど、それを楽しんでほしいと田島列島は言ってるはずだ。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
「「何読んでるの?」って言われて会話の流れですすめざるを得ないことあったけど やんわり断られて…変に興味持たれずにむしろホッとした」とする神林の言葉に激しく同意。普段本を読まない人に本を薦めるって、ハードルが高いのよ。長谷川のルブラン『ルパン対ホームズ』の否定的な感想にも頷いちゃった。中学生の時に読んだ際、俺も長谷川さんと同じ気持ちになったもん。というような「読書あるある」は面白いのだけど、それだけに陥らない深さがこの漫画にはあって。(つづく)
ぐうぐう
2024/03/02 08:56

「趣味に自分のアイデンティティを預けるな!「本を読んでないと私らしくない」って不安を抱えながら読書することになるぞ!」という神林はカッケーし「それっぽいだけだ」という神林はさらにカッケーよ(倍速コナンマラソンを『虚航船団』第2章と重ねる彼女のことが好きだわ)。読書から思索にハマるのは『サナギさん』の作者ゆえとはいえ、そこを個性として肯定し、笑うのは、救いであり、成長でもある。ラストのエピソードで、読む側が書く側へと転化する展開こそ、実はこの作品を象徴しているような気がしてならないのよね。

が「ナイス!」と言っています。
ぐうぐう
『MAO』をずっと読み続けていく中で、その面白さに満足しつつも、高橋留美子のギャグを恋しく思う瞬間もあったりしてたところに、摩緒を選ぶ理由をうっかり口走りそうになる幸子の場面に吹き出してしまったよ。こういう不意のくすぐりに出会えることの嬉しさ。油断ならないぜ、高橋留美子。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2008/10/03(5678日経過)
記録初日
2008/10/01(5680日経過)
読んだ本
7965冊(1日平均1.40冊)
読んだページ
1923373ページ(1日平均338ページ)
感想・レビュー
7961件(投稿率99.9%)
本棚
29棚
性別
血液型
O型
現住所
奈良県
自己紹介

本が好きです。
映画やお芝居、寄席にも足を運びます。
本は漫画をベースに、小説、評論、ノンフィクション、エッセイなど、節操なく渡り歩く日々。
読書は基本、近所のスタバでラテを飲みながら。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう