海上自衛隊の潜水艦「はくげい」が寄港していたので、用事ついでに観に行った。甲板には上がれなかったが圧巻の威容。見学者の中から「アメリカはパイロットを大事にしとったんですよ」と若者に熱弁するオジサマの声が。たぶんWWⅡでの米軍のパイロットのローテーション制の話。ところで「はくげい」と聞くと、文芸書はあまり読まないが、しかし読メ民の端くれとして、艦ではなくこっちの小説のタイトルの方が先に思い浮かぶ。
ゴム板で覆われてるのは、ソナーによる探知を避ける為なんですって。波が高い時なんか、滑って落ちたりする事はないんですかって質問したんですが、落ちるような奴には甲板で作業させませんって😅どんなに海が荒れてる時でも、一旦潜ると全く揺れないとも仰ってました。『みくま』長蛇の列だったんですね〜。人気の鑑はそうなっちゃいますよね。随分前になりますが、『かが』の時は2時間ちょっと並びました。
日本の潜水艦は極めて静音性、隠密性が高いといわれますが、そういう技術の結晶なんですね。「かが」乗艦されたんですか。羨ましいです。2時間はすごいですね。実質空母の艦ですから、見学者の人たちも珍しくて多く集まったのでしょうね。
⇒次いで警察組織をみると、悪名高いゲシュタポ(本書では「ゲスターポ」)の監視網が、これまた悪声で知られる東独の秘密警察シュタージのそれよりも粗く、密告者頼みだったとの指摘が目を引く。続いて、武装SSの戦闘能力について触れた箇所で、著者は武装SSの戦績がプロパガンダのために美化されがちであったとして「パンツァー・エース」ヴィットマンの華々しい戦果に懐疑の視線を向ける。ただ、戦果をどう評価するかは「武装SSの所属だったから」という政治的理由よりも、純軍事的な観点による分析の方がなじむだろう。⇒(2/3)
⇒最後に、著者はハンナ・アーレントがアイヒマン裁判を通じて提起した「陳腐な悪」としてのナチ指導者層の像が、近年の研究で更新されつつあることを述べる。なるほど、アイヒマンを含め、ナチの人種主義的世界観の具体的実践を担った幹部連中は、確信をもって悪事に手を染めたのだろう。しかし、重要と感じるのは、ミルグラム実験(アイヒマン実験)も示すように、政治的な野心のない市井の人間も、役割とプロトコルを与えられればどんな悪逆をもなしうる、ということだ。その意味で、アーレントの指摘はなお有効であると私は思う。(3/3)
⇒私見を2つ述べたい。筆者は首相権限の強化に伴って、官僚にとっては「内閣官僚」、つまり内閣の「補助機関」(スタッフ)として尽力することが重要な意味を帯びるだろうと指摘する。民主党政権の失敗と第二次安倍政権の成功との違いは、この「補助機関」たる官僚の扱いの差に現れているのではないか。前者が「政治主導」を強調するあまり官僚をつるし上げ、政治家と官僚との間に深い分断線を引いてしまったのに対し、後者は官僚に対する政治家の優位を確保しつつ、両者が「チーム」として一体的に政策の立案・実施にあたった。⇒(3/4)
⇒また小選挙区制導入の直接的な契機となった政治資金規正に対する姿勢も見逃せない。小選挙区制が志向された背景には、中選挙区制下における議員本位の選挙活動(候補者同士の「サービス合戦」となるため、とにかくカネがかかる)を改め、政党本位の選挙活動とすることにより、金権政治を防ぐという明確な意図があった。今般、自民党の裏金問題をめぐり政治資金規正が再びトピックに挙がっているが、政治家やメディアの意見、ネット上の声高な主張を見るに、それらの言動が確固たる論理の下になされているとはとても思えない。(4/4)
⇒著者も指摘するように、人間は自身の世界観と合致する情報を好んで収集しがちで、その世界観に反する情報に際会しても、正当化の論理を組み立ててやり過ごそうとする。かかる心理が「自分の世界観を補強するが、実は適切でないグラフ」を前に作用すれば、検証もなくそれを受け入れ、SNS上に拡散してしまうだろう。もし、そのグラフが社会や人命を脅かしでもしたら「気づかなかった」では済むまい。「検証の規律がジャーナリズムだけの倫理的責任であった時代は終わり、市民としての責任になるのかもしれない」(p.221)。⇒(2/3)
⇒では、市民ひとり一人が「誤情報やデマといった病弊に加担するのではなく、社会の免疫システムの一端を担う」(同上)ために注意すべきことは何か。著者はグラフを読み解くとき自らに課すルールを披歴する。情報源の透明性の確認、複数の情報源の渉猟、訂正のシステムを備えた情報源のフォロー、誤謬の訂正や反証に対して不誠実な情報源への注意、極端に党派的な情報源の受け流し、自身の世界観に合致する情報の批判的検討。ひとつ一つ、それなりに労力を要する作業だが、情報の受発信の「責任」はそれだけ重い、ということだ。(3/3)
→体制の矛盾を告発し、場合によっては政治への道を開くという意味に限れば、本書にいう「政治の再活性化」要因として、ポピュリズムにも一定の評価が可能だろう。他方でポピュリズムには、「民意」を聖剣の如く振りかざし立憲主義のルールを毀損するおそれがつきまとう。米国連邦議会の襲撃事件が分かりやすい例だ。ポピュリズムのこうした攻撃性に対しては、ポピュリズムそれ自体の存在は認めつつも、その行動が憲法秩序を紊乱し自由民主主義を脅かすならば許さない、という決意と具体的なアクションが国家の側に求められる。(3/3)
読書の記録管理と、新たな本との出会いを求めて利用中。
本を読むのは好きな方ですが、速度が遅いのであまり数はこなせません。それに飽きっぽい性格なので、読みたい本に次々目移りしてしまい、中途半端な積読が書棚の奥で埃を被ることもしばしば・・・多読家の方々には本当に敬服します。
令和6年は、昨年も目標に掲げながら惜しくも届かなかった年間60冊の読破を改めて目指します。
読むジャンルは、主に日本近現代史関係と、政治学や政治思想に関する本です。小説(娯楽傾向の強いものよりも、歴史や政治が絡む本中心。最近は歴史改変メインのSFも読むようになりました)も読みます。
平成元年の生まれですが、昭和戦前期世代の作家ばかり読んでいました。その影響で現代の作家はほとんど読んだことがありませんでしたが、最近になってぼちぼち読むようになり、その面白さを知りました。少しずつですが数を増やしていきたいと思います。
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→体制の矛盾を告発し、場合によっては政治への道を開くという意味に限れば、本書にいう「政治の再活性化」要因として、ポピュリズムにも一定の評価が可能だろう。他方でポピュリズムには、「民意」を聖剣の如く振りかざし立憲主義のルールを毀損するおそれがつきまとう。米国連邦議会の襲撃事件が分かりやすい例だ。ポピュリズムのこうした攻撃性に対しては、ポピュリズムそれ自体の存在は認めつつも、その行動が憲法秩序を紊乱し自由民主主義を脅かすならば許さない、という決意と具体的なアクションが国家の側に求められる。(3/3)
「政治への道」→「政治改革への道」