【2024年5月の読書メーター】月間ベストは葦原大介『ワールドトリガー』の第27巻。★読んだ本の数:11冊 読んだページ数:1965ページ ナイス数:283ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/73932/summary/monthly/2024/5
【広島】町の中心に6つの川が流れており、5つの三角州が形成されている広島。繁華街はすべて三角州の中にある。三角州は河口付近に土砂がたまってできた地形。土砂は海の中にもたまるため、埋め立てやすい遠浅の海になる。この特徴を生かして、江戸時代の人たちは堤防を造って、陸地を広げた。三角州は通常、平坦だが、広島の町には短くて急な坂道がある。その坂道こそ江戸時代の干拓堤防の跡地。海を陸地にするために、まず海に堤防を築く。その後、陸地側の海水を排水し干して、陸地化する。これが干拓堤防だ。
【広島】古くから広島市内を流れる川には、「雁木」と呼ばれる階段が数多く残っている。かつては雁木を使って、米や木材などを荷揚げした。広島は遠浅の海にできた町なので、潮の干満とともに川の水位が大きく変化する。その差はなんと最大4m。しかし、雁木を船着き場として利用すれば、船に簡単に乗り降りできる。ちなみに、平和記念公園周辺の川沿いには多くの雁木が並ぶ。原爆ドームのある場所には江戸時代、広島藩の米蔵があった。大正時代になると、米蔵だった場所には、広島県物産陳列館(のちの広島県産業奨励館)が建てられる。
【横須賀】江戸時代の横須賀の“要港”は、横須賀本港の隣の浦賀港。東京湾の入口にあり、深い入り江が続く浦賀は天然の良港で早くから海上交通の拠点として栄えた。千葉側に浅瀬が広がっている関係上、大型船は浦賀側を通らざるを得ない。横須賀沿岸の海底には深い谷が刻まれており、それは東京湾が陸地だった2万年ほど前にこの場所を流れていた川に由来する。その川の河床が海底の谷として残っているのだ。黒船の時代、大型船が安全に東京湾を進もうとすれば、このルートを通るほかなかった。それは今も同じである。
【横須賀】横須賀の造船所の起工は幕末に遡る。そのとき造られたドックが今も現役で使われる背景には、フランス人技術者・ヴェルニーの存在があった。横須賀の地形は、深い入り江の形や広さがフランス第一の軍港、トゥーロン港にとてもよく似ている。そのことがヴェルニーによる用地選定のポイントのひとつだったという。ヴェルニーはドック建設にあたり、江戸城石垣にも使われた「伊豆石」という良質な安山岩を使用した。さらに、ヴェルニーは地震国日本の特殊性まで考慮。「白仙山」と呼ばれる小丘を掘り下げ、より安定的な地盤にドックを築いた。
2010年9/7に登録。
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【広島】町の中心に6つの川が流れており、5つの三角州が形成されている広島。繁華街はすべて三角州の中にある。三角州は河口付近に土砂がたまってできた地形。土砂は海の中にもたまるため、埋め立てやすい遠浅の海になる。この特徴を生かして、江戸時代の人たちは堤防を造って、陸地を広げた。三角州は通常、平坦だが、広島の町には短くて急な坂道がある。その坂道こそ江戸時代の干拓堤防の跡地。海を陸地にするために、まず海に堤防を築く。その後、陸地側の海水を排水し干して、陸地化する。これが干拓堤防だ。
【広島】古くから広島市内を流れる川には、「雁木」と呼ばれる階段が数多く残っている。かつては雁木を使って、米や木材などを荷揚げした。広島は遠浅の海にできた町なので、潮の干満とともに川の水位が大きく変化する。その差はなんと最大4m。しかし、雁木を船着き場として利用すれば、船に簡単に乗り降りできる。ちなみに、平和記念公園周辺の川沿いには多くの雁木が並ぶ。原爆ドームのある場所には江戸時代、広島藩の米蔵があった。大正時代になると、米蔵だった場所には、広島県物産陳列館(のちの広島県産業奨励館)が建てられる。