読書メーター KADOKAWA Group

毒林檎*さんのお気に入られ
82

  • K
    • 2003年
    • A型
    • 大学生
    • 滋賀県

    短編小説【ジャンル:SF】

    『量子の彼方で眠るもの』

    第一章 シュレディンガーの囁き

    僕が彼女と出会ったのは、五次元通信の実験中だった。

    「この宇宙は無限に分岐している。観測するたびに、私たちは新たな世界を生み出す。」

    彼女——アマリリス・シュレ

    ディンガーは、そう言いながら、美しく配置されたフェルミオンのように微笑んだ。その瞬間、僕の意識は複数の現実へと引き裂かれる感覚を覚えた。

    僕の名は相澤凛久(あいざわ りく)、20歳。大学で理論物理学を専攻しながら、量子情報転送の研究をしている。だが、彼女の言葉が僕の知識を遥かに超えていたことは明らかだった。

    「君は、どこから来たんだ?」

    「私は、ここにいるし、いないわ。」

    彼女の声は、まるで観測されることで確定する電子のように曖昧だった。

    僕たちの会話は、通常の言語では成立しない領域へと突入していた。情報エントロピーを越えた何か——彼女はそれを「メタ実在」と呼んだ。

    「この世界は、私たちの認識が生んだ結果にすぎないの。観測者がいなければ、世界は存在しない。そして、あなたは既に観測者ではない。」

    彼女の瞳には、宇宙のすべての確率波が重ね合わされたような深淵があった。その瞬間、僕の脳内に高エネルギー粒子が衝突し、新たな現実が生成される感覚が走った。

    僕は確信した。
    この世界は、僕の知る宇宙ではない。

    第二章 量子幽霊

    目の前のアマリリスが、波動関数の崩壊のように揺らめいた。まるで確定していない存在。

    「僕は……観測者ではない?」

    「そう。あなたはすでに、この宇宙の基底状態には存在しない。」

    彼女の声は、量子トンネル効果のように、僕の理解をすり抜けた。

    「待て……どういうことだ?」

    僕は自分の手を見た。だが、そこにあるべき固有の質量感がなかった。まるで、僕自身が確率波の重ね合わせになっているような——。

    「あなたは、ある決定的な瞬間において、観測の主体ではなくなったの。だから、今のあなたは存在と非存在の狭間にいる。」

    「そんなはずはない! 僕は今こうして……」

    「あなたの身体は、観測者としての実在を失ったのよ。」

    彼女が手をかざすと、僕の身体の一部が透けて消えかけた。脳が警報を鳴らす。僕は、いま、存在そのものを失おうとしているのか?

    「……それじゃあ、僕は幽霊になったのか?」

    「違うわ。あなたは"観測される側"になったのよ。」

    その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

    アマリリスは、僕の思考が収束するのを待つように、静かに続けた。

    「これまでのあなたは、観測者として、宇宙に干渉する立場だった。だが、ある瞬間から、あなたは"観測される側"へと移行した。つまり……」

    「……僕は、宇宙そのものの一部になった?」

    彼女は微笑んだ。それが肯定のサインであることは、言葉を交わさずとも分かった。

    僕は今、この宇宙の"背景ノイズ"になったのだ。観測する主体ではなく、確率波の一つ。単なる情報の束。

    「でも、なぜ?」

    「あなたがそれを選んだからよ。」

    「僕が?」

    「ええ。あなたは量子実在の本質に近づきすぎた。そして、世界の裏側を"知る"という選択をした。結果、あなたは観測者ではいられなくなったの。」

    彼女の瞳には、無数の可能世界が映っていた。それは、量子コンピュータが同時に演算する無限の選択肢のように——。

    「じゃあ、僕はもう元には戻れないのか?」

    「戻れるかどうかは……あなたの観測次第ね。」

    彼女の指先が僕の額に触れると、世界が再び波動関数のように揺らぎ始めた。

    ——僕は、まだ"存在"するのか?

    第三章 シュレディンガーの牢獄

    僕の意識は、空間の裂け目に落ち込むように揺らめいていた。

    彼女の指先が離れた瞬間、世界は無数の可能性に分岐し、僕の存在はその狭間に浮遊している。

    「観測次第……?」

    言葉を発したはずなのに、僕の声は響かなかった。まるで、言葉そのものが物理法則の影に埋もれてしまったかのようだ。

    「そう。あなたは今、"決定"の外側にいる。」

    彼女の声だけは、明瞭に届く。僕は自分の手を見つめる。やはり、それは半透明のままだ。

    「……どうすれば、戻れる?」

    「簡単なことよ。"観測"を取り戻せばいい。」

    「観測……?」

    「あなたは今、シュレディンガーの猫の状態にあるの。存在と非存在の重ね合わせ。そのままでは、あなたの確率波は収束しない。」

    僕は思考を巡らせる。つまり、このままでは、僕は永遠に『"決まらない"存在』ということか。

    「じゃあ、誰かが僕を観測すれば……?」

    「ええ、でも問題があるわ。」

    「何だ?」

    「この状態で、あなたを観測できるのは、あなた自身だけよ。」

    僕は思考を停止した。

    「……僕自身が、僕を観測する?」

    「そう。でも、いまのあなたには"観測者としての主観"がない。」

    「それって……どういうことだ?」

    彼女は静かに目を伏せる。

    「あなたは、自分が今どこにいるのか、確信が持てないでしょう?」

    そう言われて、気づいた。

    僕は、"ここ"にいるはずなのに、"ここ"がどこなのか、わからない。

    この感覚は奇妙だった。まるで、座標軸のない空間に投げ出されたような感覚。いや、それだけじゃない。僕が"僕"であるという確信すら、ぼやけている。

    「観測とは、自己の確定行為でもある。けれど、あなたはいま、"自己"を持たない存在になっている。だからこそ、あなた自身があなたを観測できないの。」

    僕は、理解した。

    今の僕は、"僕"であると断定できない。だから、存在も確定しない。つまり、僕が自分を観測できるようにならなければ、ここから抜け出せないのだ。

    「……じゃあ、僕はどうすれば?」

    「"自分自身を観測する"という行為を取り戻すしかない。」

    「そんなこと、可能なのか?」

    「ええ。可能よ。」

    彼女の指先が、空間をなぞると、そこに数式が浮かび上がる。

    Ψ(𝑥,𝑡) = ∑ 𝐶𝑛 𝜙𝑛(𝑥)𝑒^(-𝑖𝐸𝑛𝑡/ℏ)

    量子力学の波動関数。その数式の意味は、一つしかない。

    「僕の存在は……確率の海に溶けてしまっている?」

    「そう。でも、完全に消えたわけじゃない。"選択"さえすれば、あなたは再び一つの存在として収束できる。」

    「選択……?」

    「あなたは、どの"僕"でありたい?」

    その瞬間、僕の前に、無数の"僕"が広がった。

    ある"僕"は、別の世界で生きていた。
    ある"僕"は、既に死んでいた。
    ある"僕"は、まったく違う人生を歩んでいた。

    そのすべてが、"可能性"として揺らめいている。

    僕は、自分がどの"僕"であるかを、決めなければならない。

    選ばなければ、僕は永遠に、観測されない亡霊のままだ。

    ——僕は、どの"僕"を選ぶ?

    第四章 波動関数の崩壊

    無数の"僕"が、確率の海に漂っている。
    ある"僕"は、平凡な日常を送る会社員。
    ある"僕"は、研究者として量子力学の真理を追い求める科学者。
    ある"僕"は、既に死んでいる。

    僕は、そのすべてを同時に認識していた。

    「選ばなければ、あなたは存在として確定しない。」

    彼女の声が、遠くで響く。

    だが、僕は選ぶことができるのか?
    何を基準に?
    どの"僕"が、本当に"僕"なのか?

    —— いや、違う。

    この問いの前提が間違っている。
    僕が"僕"であることは、選択によって初めて確定する。
    つまり、「本当の僕」が存在するのではなく、選んだ僕こそが本当の僕になるのだ。

    僕は、決断した。

    「……この"僕"だ。」

    僕が指を伸ばした瞬間、空間が収縮する。
    無数の可能性が一つに収束し、僕の意識が強烈な引力に引きずり込まれる感覚。
    空間が折りたたまれ、すべての"僕"が重ね合わせから外れる。

    視界が、一瞬、真っ白になった。

    第五章 観測者の眼

    意識が戻ると、僕は見覚えのある場所に立っていた。

    —— 自分の部屋だ。

    机の上には、開いたままの量子力学の本。
    デジタル時計が、午前3時42分を指している。

    僕は、震える指で自分の腕をつねった。

    痛い。

    「……戻ってきたのか?」

    僕は存在する。
    "僕"が"僕"であると確信できる。
    それこそが、"観測"の意味。

    だが、一つだけ違和感があった。

    部屋の片隅に、彼女が立っていたのだ。

    「おかえりなさい。」

    彼女は、あの場所から消えたはずではなかったのか?

    「……どうして、君がここに?」

    彼女は、穏やかに微笑んだ。

    「あなたが"僕"を選んだからよ。」

    僕は、一瞬息をのむ。

    「まさか……?」

    「ええ。あなたが戻ってくる"この世界"を選んだということは、"この世界の私"もまた、選ばれたということ。」

    —— そうか。

    波動関数が崩壊するということは、僕だけでなく、世界そのものも"決定"されたということなのだ。

    「これが……観測者の役割?」

    彼女は、優しく頷く。

    「あなたは、存在を確定させた。だけど、これで終わりではないわ。」

    「どういうことだ?」

    彼女は、部屋の窓の外を指差した。

    僕は、ゆっくりと窓に近づく。

    そして、カーテンを開けた瞬間——

    世界は、僕の知っているものとは違っていた。

    第六章 特異点の向こう側

    窓の外に広がる風景は、見覚えがあるようで、どこか違っていた。

    —— 夜の街。だが、静かすぎる。

    車のエンジン音も、人々の話し声もない。
    ビル群は確かに存在しているのに、すべての光が奇妙に歪んで見える。
    まるで、現実が波紋のように揺らめいているかのように。

    「ここは……本当に"僕の世界"なのか?」

    僕は、振り返って彼女を見る。
    彼女は、相変わらず穏やかな表情を浮かべていた。

    「そうね。あなたが"選んだ"世界ではあるけれど、完全に元の世界とは一致しないわ。」

    「どういうことだ?」

    「あなたは今、"観測者"として世界を再構築しているの。」

    彼女は、机の上に置かれた量子力学の本を指差した。

    「あなたが選んだ"現実"は、観測した瞬間に固定される。でも、それは"以前と全く同じ"という保証にはならない。わずかに異なる世界が形成されることもある……あなたは、そのことをすでに理解しているはず。」

    僕は、喉の奥で息を詰まらせた。

    —— そうだ。

    シュレーディンガーの猫の思考実験でも、観測によって状態が確定する。
    しかし、観測する前の可能性は無限に存在し、"どのように確定するか"は完全には制御できない。

    つまり、僕が戻ってきたこの世界は、元の世界と極めて似ているが……完全には同じではない。

    「それじゃあ、ここは……"パラレルワールド"なのか?」

    僕の問いに、彼女は視線を逸らしながら、そっと首を横に振った。

    「"あなたにとっての唯一の世界"よ。でも、それは必ずしも"以前と同じ世界"とは限らない。」

    「じゃあ、どこが変わったんだ?」

    彼女は、窓の外の街を見つめた。

    「それを確認するのは、あなた自身の役目よ。」

    第七章 不連続性の証明

    僕は、部屋を飛び出した。

    —— 街へ行けば、違いがわかるかもしれない。

    階段を駆け下り、エントランスのドアを開ける。

    その瞬間、空気の密度が違うことに気づいた。
    夜のはずなのに、空は不自然なほど暗い。
    街灯はついているが、どれもぼんやりとした光しか放っていない。

    道路に出る。

    誰もいない。

    —— いや、違う。

    "誰も"が、"いる"。

    道の向こう側、建物の隙間、交差点の角……

    視界の端に、"何か"が見える。
    人影のようなものが、こちらを見ている。

    しかし、視線を向けると、それは消えてしまう。

    まるで、量子もつれのように。

    —— "観測"できないものは、存在しないのと同じ。

    「……これは、どういうことだ?」

    僕は、背後に気配を感じた。

    振り返ると、彼女がそこに立っていた。

    「あなたが戻った世界は、"完全なもの"ではないの。」

    「どういう意味だ?」

    「あなたは"観測者"として、この世界を選んだ。でも、世界は"完全に確定"したわけではない。まだ、不確定な部分が残っている。」

    僕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

    「それが……"見えない人影"の正体か?」

    彼女は静かに頷いた。

    「あなたが"観測"しなければ、彼らは存在しない。だけど、あなたが"観測"しようとすると……彼らは消える。」

    —— まるで、電子の二重スリット実験のように。

    観測すると、状態が確定する。
    しかし、この世界にはまだ"確定していない部分"が残っている。

    「じゃあ……僕はどうすればいい?」

    彼女は、一歩僕に近づき、低い声で囁いた。

    「"すべてを観測"すればいい。」

    「すべて……?」

    「そう。すべての"不確定なもの"を、あなた自身の意識で確定させるの。」

    彼女の瞳が、深い深い夜の闇のように揺らめいていた。

    僕は、息を呑んだ。

    —— もし、"すべてを観測"したら……

    この世界は、本当に"僕の世界"になるのだろうか?

    それとも——

    第八章 観測者の代償

    「"すべてを観測する"とは、どういうことなんだ?」

    僕の問いに、彼女はゆっくりと微笑んだ。

    「文字通りの意味よ。この世界の"未確定の部分"を、あなた自身の意思で確定させるの。」

    僕は街を見渡した。
    ぼんやりとした光、視界の隅に現れては消える影。
    確かに、この世界には"不完全さ"がある。

    「でも、それが本当に可能なのか?」

    「可能よ。あなたはすでに"観測者"になっているもの。」

    彼女が、そっと僕の額に触れた。

    —— その瞬間、視界が変わった。

    街の建物、道路、標識……すべてが、"数式"のように組み立てられたものに見える。
    まるで、この世界が"コード"で構成されたシミュレーションであるかのように。

    「……これは?」

    「あなたの認識が変わったの。いま、あなたは"この世界の本質"を見ている。」

    僕は驚愕しながらも、一つの疑問を抱いた。

    「もし僕がこの世界を"観測し尽くしたら"……何が起こる?」

    彼女は少しだけ表情を曇らせた。

    「それは……"世界の決定"を意味するわ。」

    「決定?」

    「今はまだ、不確定な可能性がこの世界には残っている。でも、あなたがすべてを観測し、確定させた瞬間……この世界は固定され、二度と変化しなくなる。」

    僕の心臓が、ドクンと鳴った。

    「つまり……僕がすべてを観測すれば、この世界は"完成"する。でも、それはもう"変化しない世界"になってしまう、ということか?」

    「そうよ。」

    彼女の声は静かだったが、その響きは恐ろしいほどに冷静だった。

    —— 変化しない世界。

    —— 確定された未来。

    それは、ある意味"永遠"に等しい。だが、"自由"とは正反対の概念でもある。

    「もし僕が観測しなければ?」

    「この世界は不安定なまま。あなたが意識を向けた部分だけが確定し、他の部分は"未確定のまま"揺らぎ続けるわ。」

    —— どちらを選ぶ?

    完璧に確定された、変化しない世界。
    それとも、不完全であり続ける、未確定の世界。

    「……選択肢は、二つしかないのか?」

    彼女は少しだけ考える素振りを見せたあと、静かに答えた。

    「"第三の選択肢"を見つけられるかどうかは、あなた次第よ。」

    「第三の選択肢……?」

    彼女はそれ以上何も言わなかった。

    —— ならば、僕が見つけるしかない。

    僕はゆっくりと街を歩き始めた。

    目の前の世界は、まだ揺らいでいる。
    だが、その揺らぎの中にこそ、"新しい可能性"が眠っているのかもしれない。

    そして僕は、この世界の"本当の法則"を理解するための旅を始めることにした。

    第九章 第三の選択肢

    僕は街を歩いた。

    視界の端で、世界が僅かに揺れているのが分かる。
    ビルの輪郭が曖昧になり、信号機の色がぼんやりと滲む。
    路地裏の奥に広がるはずの風景は、まだ"未確定"のままだ。

    すべてを観測すれば、この世界は固定される。
    観測しなければ、不確定なまま揺らぎ続ける。
    ならば、"第三の選択肢"とは何なのか?

    考えながら、ふと気づく。
    通りを行き交う人々の顔が……見えない。

    彼らは確かに存在する。歩き、話し、何かを考えているように見える。
    でも、その表情の細部は"ぼやけたまま"だ。

    "僕が観測していないから"か?

    試しに、一人の男の顔をじっと見つめた。

    次の瞬間——

    彼の顔がクリアになり、細かいシワや瞳の色までもが鮮明に見えた。
    それと同時に、男はふっとこちらを振り向く。

    「……お前、誰だ?」

    僕は言葉を失った。
    なぜなら、彼は"僕の存在"を認識した瞬間、まるで"確定されたキャラクター"のように意識を持ったのだから。

    —— まさか。

    僕は次々に人々の顔を観察した。
    すると、観測した人物だけが"意識を持ったかのように"こちらを見返してくる。
    それ以外の人々は、背景の一部のように曖昧なままだった。

    「……これが"観測の力"か?」

    背後から、彼女の声が聞こえた。

    「ええ。あなたは今、この世界を作っているのよ。」

    僕は息を呑んだ。

    "観測"とは、ただ見ることではない。"存在を確定させること"なのだ。

    つまり、この世界は"観測者によってのみ構築される"。
    僕が見なければ、そこに存在しないのと同じなのだ。

    —— ならば、"第三の選択肢"とは?

    その答えが、ふいに頭をよぎる。

    「……僕が"世界を観測する側"であり続ける限り、この世界は僕の認識に依存する。」

    「そうね。」

    「でも……もし、"観測する主体"を増やしたら?」

    彼女は一瞬、目を見開いた。

    「つまり?」

    「僕だけがこの世界を観測しているから、世界の確定も、未確定も、僕の意思で決まる。でももし、"他の存在も観測者になる"としたら?」

    彼女は沈黙した。

    僕は続けた。

    「もし、僕だけでなく、他の人間がそれぞれ独立した"観測者"になれたなら……世界は僕の意識だけで決まらなくなる。"不確定"と"確定"の間に、新しい均衡が生まれる。」

    「……でも、それは簡単なことじゃないわ。」

    「そうだろうな。」

    この世界の住人たちは、基本的に"観測される側"だ。
    彼らが"観測者"になるには、自分の世界が未確定であることを理解し、意識的に世界を"見る"必要がある。

    だが、それが可能なら……

    "世界は固定されず、それでいて揺らぎすぎることもない。
    "観測者の集合知"によって、新しい現実が動的に形成され続ける。"

    「……おもしろい発想ね。」

    彼女は微笑んだ。

    「でも、どうやって人々を"観測者"にするの?」

    僕は街の人々を見渡した。

    彼らの多くは、ぼんやりと歩いている。
    まるで、"自分の生きている世界"について考えたことすらないかのように。

    「まずは、彼らに"気づかせる"しかない。」

    —— 世界は確定していないこと。
    —— 自分たちは"観測する力"を持っていること。
    —— そして、世界は"見た者の数だけ変わる"ことを。

    僕は深く息を吸い、決意した。

    「……実験してみるよ。」

    彼女は静かに頷いた。

    そして、僕は最初の一歩を踏み出した。

    第十章 集合知の誕生

    —— まずは、一人目だ。

    僕は目の前にいる男を見つめた。
    彼の顔は、すでに"観測"によって確定されている。
    だが、彼はまだ"観測者"ではない。

    「君は、今ここにいることを意識しているか?」

    唐突な問いかけに、男は戸惑った表情を浮かべた。

    「……どういう意味だ?」

    「自分の意識が、この世界を形作っていると考えたことは?」

    「何を言ってる? 世界は最初から存在しているものだろう?」

    予想どおりの反応だった。
    彼は"観測される側"の人間だ。
    今まで、この世界を"疑う"ことすらなかったのだろう。

    「なら、ひとつ実験しよう。」

    僕はゆっくりと視線をそらし、彼から意識を外した。

    —— すると。

    彼の輪郭が、徐々に揺らぎ始める。
    背後のビルの影と溶け合うように、存在が曖昧になっていく。

    「な、何だこれは……?」

    彼の声がかすれ、視界が揺れる。
    彼自身も、自分が"消えかけている"ことに気づいたのだろう。

    「おかしい……俺は、ここにいるはずなのに……!」

    「そう。君は"いる"んだ。」

    僕は再び彼を見つめ、意識を集中させた。
    すると、彼の体が再びクリアになり、輪郭がはっきりと戻ってくる。

    「……どういうことだ?」

    「君が"自分自身を観測しない限り"、君は存在しないんだ。」

    男は呆然とした。

    「でも……そんなバカな……!」

    「信じられないか?」

    男は震えながら、自分の手を見つめた。
    確かにそこにある。だが、一瞬前までは"曖昧な存在"だった。

    「……これが"観測の力"だ。
    僕だけでなく、君もこの力を持っている。ただ、それを使っていなかっただけだ。」

    「俺も……観測者になれるのか?」

    「なれるさ。だが、そのためには"世界を疑う"ことから始めなければならない。」

    男は目を閉じ、深く息を吸った。
    そして、ゆっくりと目を開く。

    「……み...見える。世界の“構造”が...」

    彼の瞳が、確かな意志を持ってこちらを捉えた。
    彼は"観測者"になったのだ。

    —— 一人目、成功。

    だが、これは始まりに過ぎない。
    まだ無数の人々が"観測される側"のまま、曖昧な存在でいる。

    彼らに気づかせなければならない。
    この世界は"決まっているものではなく"、"観測によって変わる"のだと。

    —— もし、すべての人間が"観測者"になったら?

    世界は、どこまでも流動的なものになる。
    個々の意思が、"確定"と"未確定"を行き来し、新たな現実を生み続ける。

    固定された秩序は崩れ、絶え間ない変化が訪れるだろう。
    それは"混沌"なのか? それとも"究極の自由"なのか?

    —— 僕は今、その境界線に立っている。

    「……やるべきことは決まったな。」

    僕は、新たな観測者となった男とともに、歩き出した。

    第十一章 観測者たちの夜明け

    彼が"観測者"になった瞬間、世界はわずかに揺らいだ。

    目に見えないはずのものが、彼には"見えた"のだ。
    彼の視界には、これまで気づくことのできなかった無数の"選択肢"が浮かび上がっていた。

    「……これは、一体……?」

    男は息を呑みながら、辺りを見回した。

    「どうやら、君の意識が現実を作り変え始めたようだ。」

    僕の言葉に、男は戦慄したように拳を握りしめた。

    「俺が……この世界を変えられる?」

    「正確には、"観測することで確定できる"と言ったほうがいいな。」

    僕はゆっくりと右手を上げ、宙を指し示した。

    「たとえば、あそこに"何かがある"と思えば、それは"存在し始める"。」

    男は半信半疑のまま、試しに手を伸ばした。

    —— すると。

    何もなかったはずの空間に、ぼんやりとした"形"が現れた。

    最初はかすかな影のようだったが、次第に輪郭がはっきりし、やがて"一本の万年筆"へと変わっていった。

    「……こんなことが……。」

    男の声が震えた。
    彼の脳は、まだこの"新たな現実"を受け入れきれていない。

    「これは……夢か? いや、現実なのか?」

    「どちらでもあり、どちらでもない。」

    僕は微笑んだ。

    「君は今、"観測者"としての第一歩を踏み出した。だが、これが何を意味するか理解しているか?」

    男は万年筆を握りしめながら、息を整えた。

    「……世界は、固定されたものではない。俺たちの意識が、世界そのものを形作っている……。」

    「そうだ。」

    僕はゆっくりと頷いた。

    「そして、もし"すべての人間"がこの力を持ったら?」

    男は沈黙した。

    その答えが、"秩序の崩壊"を意味することを、彼も理解し始めていたのだろう。

    —— 観測者が増えれば増えるほど、この世界の確定性は失われていく。

    だが、それこそが"真の自由"の始まりでもある。

    「俺は……どうすればいい?」

    男は僕をまっすぐに見つめた。

    その目には、もはや迷いはない。

    「君は、"次の観測者"を見つけるんだ。」

    彼は深く頷いた。

    —— 二人目の覚醒者が誕生した。

    夜明けは近い。

  • てん 

  • 香取奈保佐

    30歳の男。元記者。業務委託でライター業を請け負っています。
    noteには旅行記なども。

  • えとろん
    • O型
    • 東京都

    濫読派です。
    ただし余生を考える年齢になってきたので時間つぶしの本は読まないようにしています。
    馬鹿みたいにたまった蔵書の管理を兼ねて読書データに入力していますので、大量のデータが表示されてしまい申し訳ありません。
    そのうち落ち着きますのでよろしくお願いい

    たします。

  • がみ
    • 1993年
    • AB型
    • IT関係
    • 大阪府

    小説(純文学)を中心に幅広く読んでいます
    本に関することを時々呟きます

    好きなジャンルはSFとミステリーと純文学で
    好きな作家は三島由紀夫と村上春樹です
    昔はあさのあつこ作品をよく読んでました

    ///////////特に好きな作品///////////

    村上春樹『ノルウェイの森』
    村上春樹『1Q84』
    村上春樹『村上さんのところ』
    三島由紀夫『豊饒の海』
    宇佐見りん『かか』
    川上未映子『乳と卵』
    あさのあつこ『No.6』
    小川哲『ゲームの王国』
    伴名練『なめらかな世界と、その敵』
    伊藤計劃『虐殺器官』
    歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』
    スティーブン・R・コビー『7つの習慣』
    フランク・パブロフ『茶色の朝』
    pha『夜のこと』
    カツセマサヒコ『夜明け前の若者たち』
    最果タヒ『夜景座生まれ』
    F・スコット・フィッツジェラルド『The Great Gatsby』

    /////////////////////////////////

  • Rilly
    • めろん
    • のの
      • 1999年
      • A型
      • IT関係
      • 千葉県

      進学もせず、定職にも就かず怠惰な生活を送っていましたが「何もしない」が辛くなり就職を決意。
      現在は都内の小さな会社で働く駆け出しプログラマーです。

      好きな作家は上橋菜穂子、荻原規子、阿部智里…etc
      本に限らず物語が大好きです。物語に触れていないと生きて

      いけません。作家の好みからわかる通り中世和風ファンタジーが特に好きです。このジャンルの作家さんが少なめなのでカクヨム等のウェブ小説もよく漁ります。最近は難しい本にもチャレンジしています。

      小説はじっくり読む派です。
      読メはのんびり読書記録メインで使っています。
      本を選ぶ時や読了後の振り返りで皆様の感想、とても勉強になります。

    • srmz

        小説からエッセイ・啓発本・ビジネス本・図鑑などジャンル問わず読みます。

      • Lotus

          ●好き・興味のあるジャンル:SF、サイバーパンク、スチームパンク、ファンタジー、時代小説、武侠小説、伝奇小説、児童文学など。
          ●好きな作家:山田風太郎、夢野久作、泉鏡花、谷崎潤一郎、澁澤龍彥、種村季弘、稲垣足穂、江戸川乱歩、
          金庸、ケン・リュウ、チャイナ・

          ミエヴィル、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど。

          読書感想文なるものは昔から死ぬほど苦手で、小学生の頃から白紙の原稿用紙の前で唸っておりました。
          そして今でも相変わらず唸ってます。
          苦手意識を克服して、自らの気持ちを素直に言語化させるために記録していく所存です。

        • シノケン
          • 1993年
          • B型
          • 技術系
          • 神奈川県

          小説から自己啓発まで、ジャンルを問わず読みます
          ソフト関係の仕事をしていて普段パソコンの前にいることがほとんどなので、プライベートくらいは紙の本を読んで行こうと思います。
          目指せ学のある人!

          お気に入りwelcomeです。

          これまでのお気に入り
          小説部

          門  :図書館の魔女
          ビジネス部門:イノベーションのジレンマ
          投資部門  :金持ち父さん貧乏父さん
          人物部門  :SHOE DOG

          The rich invest in time, the poor invest in money.

        • よりこ
          • A型

          ミステリーとホラーとラノベ中心

        • 株式投資家

            ずっと本を読んでこない生活でしたが自分を磨くためにあがいてみようと思い乱読しています。
            outputのために感想を書き込み始めました。拙い文章で恥ずかしいですが、
            少しでも本の理解・記憶の定着になればと思っています。
            ★の基準は下記の通り
            ★★★★★・・・

            お勧め。絶対読んだ方が良い
            ★★★★・・・・★3と5の間
            ★★★・・・・・普通、興味ある分野じゃなければスルーか立ち読みでok
            ★★・・・・・・立ち読みで充分
            ★・・・・・・・読む必要なし
            ★4の定義が難しかった。。。面白くて興味なくても何か得るものは
            あるという定義を考えてましたけど3と5の間にします。

          • 獺祭魚の食客@鯨鯢

            ペンネームは、正岡子規の雅号「獺祭魚主人」から。鯨鯢は無辜の罪を着せられた菅原道真への悪口雑言の呼び方。
            写真は立花隆氏の猫ビル。何万冊もの蔵書は彼の遺言により全て古書店に売却された。記念館を作ることは本意ではなかったのだろうか。生涯褒章とは無縁だった

            のもジャーナリストとしての矜持かもしれません。松本清張氏と同様である。
             司馬遼太郎氏こそ日本を哲学する最高の知性であると思い、氏の「街道をゆく」に肖(あやか)りこれぞ日本人の精神を体現するものを行脚し探求している。
             氏は「名こそ惜しけれ」「外来文化への憧れと好奇心」などを日本人の特質としている。
            読み漁っている分野は司馬遼太郎作品を原点とし、歴史、宗教、哲学等々芋づる式に繋がり、辿っていくと東洋、西洋、古代と際限なく拡がっている。(これは安住アナウンサーの師匠齋藤孝さんの読書法)
             インバウンドという一過性に止まらない、世界中の人がいつかは訪れたいと望むこれぞ日本の花鳥風月、精神文化を理解するため、探究中である。

          • ねりわさび
            • B型

            Twitterだと返信が素早いです。
            ( ´ ▽ ` )ノ

          • べとべとさん
            • 1994年
            • 事務系

            最近あまり読めていません。英米文学を原文で読みたい。

          • pika

              SF、ディストピア、ロシア文学、イギリス文学、フランス文学、映画本、映画作家自伝、哲学
              #名刺代わりの小説10選
              カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー
              アンナ・カレーニナ/トルストイ
              月と六ペンス/モーム
              すばらしい新世界/ハクスリー
              旅のラゴス/筒井康隆

              素粒子/ウエルベック
              ガリバー旅行記/スウィフト
              モンテ・クリスト伯/デュマ
              わたしたちが孤児だったころ/イシグロ
              三体/劉慈欣

            • Trout27
              • 1997年
              • 技術系
              • 福岡県

              読書の傾向は科学や歴史に関する本です。
              空想科学にも同じくらいに興味を持っています。

              好きな作品の一節

              「人間の想像できることは、人間が必ず実現できる」-ジュール・ヴェルヌ

              「人は離れ小島ではない」-ジョン=ダン

              「なんど人にだまされようとも、

              なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか」-ロバート・A・ハインライン

              「神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」ーニーバーの祈り

              「子の曰わく、剛毅木訥、仁に近し。(先生が言われた、「真っ正直で勇敢で質実で寡黙なのは、仁徳に近い)」ー論語 巻第七 子路第十三

              「いまのあなたには空気だけが必要なのです、空気です、空気ですよ!」ー罪と罰

            • Yuhei
              • フリーター
              • 埼玉県

              昔から誰よりも本を読むのが嫌いな私でしたが、中学生の頃に太宰治の『人間失格』を読んだ時、その当時、優等生風に生きていた私が、主人公に対する不思議な共感を覚えた事がきっかけで、読書にハマるようになりました。今も精神状態を安定したい時は特に、読書するように心が

              けています。遠い昔に誰かが私に教えてくれた「読書は世界を救うと明言は出来ないが、少なくとも読書は人々の心を救う事は出来る」この言葉を座右の銘にしています。
              感想のない本は、自分の研究課題で使わせて頂いた者達です。無事に大学を卒業することが出来たのも、この者達のおかげによるものだと考えています。

            • DM
              • IT関係

              働いてます。

            • 全82件中 1 - 20 件を表示

            ユーザーデータ

            読書データ

            プロフィール

            登録日
            2017/10/31(3032日経過)
            記録初日
            2018/05/05(2846日経過)
            読んだ本
            112冊(1日平均0.04冊)
            読んだページ
            42733ページ(1日平均15ページ)
            感想・レビュー
            82件(投稿率73.2%)
            本棚
            2棚
            自己紹介

            2018年5月~読んだ本のみ記録。
            毒林檎なので、齧るとしにますよっ。
            20代の社会人。
            海外古典の感想率が高めです。
            登録も解除もご自由にどうぞ。


            偶然が噛み合って生み出す美、欠損が生み出す崇高さなど、人の計算や統制下に納まらないこの世のありとあらゆる混沌を畏怖し、愛しています。

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