「古代メキシコ展」へ行きました(国立国際美術館)。小学生の頃、NHKで「未来への遺産」という古代文明ドキュメンタリーを放送していて、これが大好きでした。番組で紹介される、マヤ、アステカという古代文明は私の心に強烈な印象を残しました。中国や中央アジア、エジプト、ギリシャなどの展覧会はよくありますが、中米は多分初めてだと思います。色鮮やかな偶像や装飾品。絵が描かれた器や壷。羽のある蛇の石像。石に刻まれたマヤ文字。球技や生贄の祭祀に使われた石。よくわからないことが多いから興味深いのです。
漫画家に憧れる若者は多い。漫画は雑誌に掲載されて初めて世に出る。雑誌は当然売れなければならない。そこで編集者が奮闘して「売れる漫画」を描かせる。厳しい商業原理だ。週刊誌ともなると、本当に自転車操業のような、冗談じゃない!制作現場に陥るわけだ。「売れる漫画」って何だ?オレは何を描きたいんだ?多忙と競争の中で成功できる漫画家には、ハガネの神経が必要だ。ヤリ甲斐搾取に負けるな!がんばれ、宏彦!だけど心と身体だけは壊さないように。稼ぐだけ稼がされて、捨てられた漫画家が山ほどいるのだから。
後水尾天皇が紫衣事件を契機に幕府に猛反発し、和子の娘の明正天皇に譲位した後、後光明天皇、後西天皇、霊元天皇と図らずも四代の院政を行う歴史の面白さ。後光明天皇の血気盛んなセリフ「朝廷がこれほど衰微してしまったのは、『源氏物語』のせいです。あれはすこぶる淫乱の書、人を軟弱にして堕落させる元凶です。それより儒学です。」天皇が儒学を極め、上下定分の理を理解すれば、後鳥羽天皇や後醍醐天皇のように倒幕に走ると危惧し「血は争えん」と苦笑しつつ、必死で訓戒書を認める後水尾院が人間臭くて良い。修学院離宮も素晴らしいですよ。
離婚した母と祖母の会話、「母から『後家さんは身をつつしみなさい。』と言われ、離婚の場合も後家さんと言うのかな、と辞書を引いてみたら、確かにあった。『もと、そろっていたもののかたわれ。例=箸の後家』―それなら、手袋の後家とか、イヤリングの後家というのもあるのだとおかしかった。」というくだりが面白い。向田邦子さんの趣きがある。40年前の福武文庫。
とにかくうんざりするほど戦に次ぐ戦である。応仁の乱直後は「下剋上を行った者は、在俗のままでは、私欲による戦をなしたとみなされる。」らしい。そこで伊勢新九郎は早雲庵宗瑞と改名するのだが、北条氏を名乗るのは嫡男の氏綱とは、新しい知見である。彼の姉・桃子は今川氏に嫁ぎ、孫が今川義元である。関東は北条、東海は今川の時代がしばらく続き、織田信長が生まれるのは、宗瑞の死の15年後だ。その頃には下剋上は新しき日常となり、在俗の大名がしのぎを削って争う戦国時代が到来するのだ。
ゼロから律令政治を始めた奈良時代の人々は本当に偉大だと思う。だが奈良時代は気の休まらない激動の時代だった。平安初期も負けず劣らず、油断すると失脚する時代だ。みな平穏を望むよね。三十段階あった役人の位階が平安時代前期に十六段階になり、蔭位の制も機能して、政治が有力貴族のみのものとなる。紫式部の父・藤原為時は「お前が男であればのう」と言う。宮中の女性が公務員の女官から貴族の女房へと変わる。階級が流動性を失っても、毎日、毎年、同じ日々が続くことを平和というならば、平安中期がまさにそうだった、と私は思う。
「アンヌ、僕は、僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来た、ウルトラセブンなんだ。」パラン!パラン!パラン!おおっ!「二人でお茶を」でスウィングしていたら、きたー!リパッティによる演奏、シューマンのピアノ協奏曲、もう、これしかないですよ!怪獣のように突然襲ってくるから、恩田さんは油断できません。
活字中毒を自認する者であります。小学生の頃から図書室が好きで、20代までは、司馬遼太郎、松本清張、横溝正史、五木寛之などをむさぼるように読んでいました。この時期の読書は、ライフスタイルの形成にまで大きな影響を受けたように感じます。
やがて気がつくと、興味を惹かれる作家の年齢が自分と同輩か年下になり、女性作家に傾いていきます。江國香織、森絵都、角田光代、小川洋子、梨木香歩などは出る本はたいてい読みます。彼女達の作品は、ファンタジー性のあるものからリアルに現在の日本の社会を描きだすものまで様々ですが、今の世の中を懸命に生きている人々の上を吹きわたる風を感じるのが爽快です。辻村深月、飛鳥井千砂、瀬尾まいこ、宮下奈都など、新しい人にも注目しています。歴史ものも好きですが、江戸時代ものよりも、古代、中世、戦国時代ものが好きです。
前に最近あまり本屋で本を買わなくなったと書きましたが、最近再び本買いの虫が復活してきました。人生において、食品を除いてもっとも頻繁に購入するものは“本”ではないでしょうか。小さな軽い本が、遠い異国へも、過去へも未来へも、見知らぬ感情のうずまく世界へも連れて行ってくれる。何と素晴らしいことではないでしょうか。
本以外にも、マンガオタク、映画オタク、怪獣オタク、アイドルオタク、歌謡曲オタクでもありました。しかし平成が進むにつれ、私が夢中になったモノたちは総じて懐かしい昭和と称されるようになりました。娘と息子が成長し、もはや彼らの時代であると実感します。二人ともディープに物事を追求すること、誰に似たのかなと苦笑いしつつ、ついていくことを諦めている自分がいます。
年をとると何事も好き嫌いがはっきりしてきますね。それでも読書だけは冒険をして、今の空気を思いっきり吸って行きたいと思います。
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とにかくうんざりするほど戦に次ぐ戦である。応仁の乱直後は「下剋上を行った者は、在俗のままでは、私欲による戦をなしたとみなされる。」らしい。そこで伊勢新九郎は早雲庵宗瑞と改名するのだが、北条氏を名乗るのは嫡男の氏綱とは、新しい知見である。彼の姉・桃子は今川氏に嫁ぎ、孫が今川義元である。関東は北条、東海は今川の時代がしばらく続き、織田信長が生まれるのは、宗瑞の死の15年後だ。その頃には下剋上は新しき日常となり、在俗の大名がしのぎを削って争う戦国時代が到来するのだ。