作品とは関係ないが、ストーンサークル文学(?)の傑作といえば、『アウトランダー』シリーズがベスト1なのだが、版権を早川書房に奪われてから、続きが出ず…(憎)石の円形建造物というと『ストーンヘンジ』を想像しがちだが、ロンドンから北には無数にあるらしい。日本でいうと、古墳みたいな感じ。巨大なものを見てから地方で作ったのか、だんだん権力が集中して大きくなっていったのかはわからないが。ピラミッドも同じね。ああ、アウトランダーの続きが読みたい……
本を読めば読むほど、読みたい本が増えていく…残りの人生は積読本を消化するだけにしようと思っていたのに…なぜ?
10月に三重県に行く予定で、松阪市文化財センターのはにわ館に寄って「船形埴輪」を観に行こうと思っているのだけれど、これはもう少し埴輪について勉強してから行かねば。それにしても、古墳時代というのは、3~6世紀。中国で言えば、三国時代なのに、なぜ日本ではまったく文献記録が残っていないんだろう??まさかとは思うけれど、江戸時代に全部燃やしたとか?(各地で古墳が「発見された」という記録はある)渡来人もたくさん来ていたから、「文字」がなかったとは思えないのだが。エジプトなんか紀元前から石碑があるんだぞ…?
金井遺跡群の発掘については、うっすらしか覚えていないので、もう少し詳しいことを調べてみる。よく考えるとこれも「火山」がもたらした災害に取り残された人の記録ってことなんだなあ、と。
謎を解くママはどことなく犯人たちへ向ける視線に、厳しさだけではないものが混ざっている、と思う。憐み…とも違う、どこか漂う諦観みたいなもの。それがなぜかと考えると、最後の「ママは憶えている」で明かされるように、ママも夫の家族も、亡命ユダヤ人であるからかもしれない。夫はドイツ系、ママはロシア系ユダヤ人でホロコースト/ポグロムからアメリカへ逃れてきた人々。人間の醜さを知っている世代だからなのかのかも。ママの料理がうまそう。
結婚後も母の家で一緒に食事をする、という習慣から、最初はイタリア系か、中華系の人かと思っていたけれど、ユダヤ系の方なら納得。おそらくこの習慣は現在も健在だと思う。フェイ・ケラーマンの『水の戒律』のシリーズを読むとそれがすごくよくわかる。”わたし”は単純な「マザコン」というわけではないのだ…シャーリィ―もそれがわかっているんだろうとは思うけれど、若い人なんだろうね。
御嶽山は私の祖父母が大好きな山で、たびたび登山に連れていかれた山であった。いまもまだ見つからない方がいると聞き、胸を痛めている。早くみんながご家族のもとに還ることができますように。小学校の頃に、ダイジェスト版で「ポンペイ最後の日」を読んでから、いつかポンペイに行ってみたいと思っていた。念願かなって行くことができたが、ツアーでいくと滞在時間が2時間しかないので…全然観たいところが見えなかったので、死ぬ前にもう一度行くことできるなら、1泊2日くらいで行きたい。この本の中では、噴火の時期について齟齬があるが、
現在は、噴火は知られているよりも半年ずれていた、というのが定説になっている。「過去」は研究によって新しくなるのである。同時に、この本でもちらりと触れられているように、東日本大震災以来、貞観地震について詳しく調査されてるようになった。日本という国は、自然災害なしでは暮らすことができない国なので、地層や地下に残っている跡を調べることで「防災」ができるのであれば、国はそちらにカネをかけて欲しいものだとつくづく思う。この本の題名は、「歴史を変えた火山噴火」であるが、本質、「歴史を”つくった”火山噴火」であろう。
よくはわからんが、犯人さん、そうまでして得たかったものってなんだろう?みんなに注目してもらうこと?刑期をおとなしく勤めあげてから、「刑務所の中で考えたレシピ本」とか書いたほうがよっぽど有名になった気もするが…5巻で主役のエステル・ドイルが初出だけれど、天才の書き方が定型的なのが気になるかな…天才さんの95%の人は常識人ですし、すごーく人に気を使う人たちですよ…
『優等生は殺人には向かない』シリーズもそうだけれど、イギリスの司法制度はかなり不備があるのかな…イギリスらしさがすごくするのは、どこかでみんなが階級を意識しているところ。低い階級の人が、アッパー階級のフリをするのを俗っぽいと嫌がる。アメリカ、フランスものにはない描写で、興味深い。
作品とは関係ないが、ストーンサークル文学(?)の傑作といえば、『アウトランダー』シリーズがベスト1なのだが、版権を早川書房に奪われてから、続きが出ず…(憎)石の円形建造物というと『ストーンヘンジ』を想像しがちだが、ロンドンから北には無数にあるらしい。日本でいうと、古墳みたいな感じ。巨大なものを見てから地方で作ったのか、だんだん権力が集中して大きくなっていったのかはわからないが。ピラミッドも同じね。ああ、アウトランダーの続きが読みたい……
同じように、たくさんの女性たちが自刃したし、白虎隊というのは16~17歳からなる隊である(ほかの三神の隊もあった)。柴五郎氏のお兄さんもここに編入されていたが、病気のために仰臥していて生き延びたらしい。柴五郎氏は一人、血脈を繋ぐためよそにやられていたという。この戦いで「生き延びて」しまった男たちは皆、魂が抜けてしまったようになってしまったというのは分かる気もするが、亡くなった女性たちも、男たちを支えて行かなければならない女性たちも気の毒すぎる。会津藩のものたちは斗南や北海道でさらに苦しむことになる。
柴五郎氏が、軍人になったのは、別に「武士の血脈のために」というわけではく、「生きるためであった」というのがまた…西南戦争にたくさんの会津人たちが兵の志願をしたと書かれていて、そりゃそうだようなあ、とも思う。柴五郎氏にしてみれば「西郷隆盛も、大久保利通も退治できた」と溜飲が下がったことだろう。ここにやはり、「暴力を受けたもの」が抱く本心があると思う。どう考えても…日本という国は「明治維新」から間違ってしまったんじゃないか、という気がすごくする。
対外戦争に勝ことによって賠償金で儲けようと、兵隊はタダで使える駒で、国民は戦争のために協力をするのが当然と信じられるのは、やはりそれまで戦争したことがないからか…?トップがどこかの藩のお貴族様だったから?アホとしか言いようがない。ちなみに今の自民党はまったく同じことを考えている気がする。
それにしても戦前の人々の顔の明るさ、そして「記憶」のカラフルさ。これは、『窓ぎわのトットちゃん』のアニメ版がとても上手に再現していると思う。トットちゃんの記憶の中の美しい戦前の東京、だんだんモノクロかかってくる戦中。そして、疎開に赴いた中で目の中に入ってくる「光の色」。色の記憶というのが、人の感情にとても関係にしているというのが改めてわかる貴重な書。
発掘した木簡は、(防腐剤入りの)水につけて保管するのだという。放っておけば水分は蒸発するので、適宜加えながら…木簡は、荷札のようにはっきりと書かれているのよりも、むしろ削りカス(一度使用した木簡は表面を削って新しい字を書きこんだ)がはるかに多く、それを様々な方法でつないでいくというのがすごい。おそらくこれからも新しいことがわかるんだろう。それにしても律令時代における租、調、庸は、かなり厳しいものであったのではないか、という気がする。都に自力で運んでいかなければならない、ところかすでに。
律令時代には都に集まったものを地位によって再分配していたが、都に運ぶのではなく賄賂的なものとして貴族にもたらされるようになり、ものを提供された貴族たちが自分たちの息のかかったものたちに再分配する、というのが、道長あたりの時代だったのではないか。だから、木簡というものは平安時代にはほとんど出土しなくなるのではないか、と。もっとも平安京はあまりにも火事が多いからそのせいかもしれないけれど…いろいろ興味深くて面白い。
息子の頼通も83歳、教通も80歳。そうそう、藤原実資なんて90歳ですな。片や、天皇たちの寿命の短さよ。円融天皇は33歳、一条天皇は32歳、花山天皇41歳、三条天皇も42歳…明らかにストレスだよね…あとは、疫病の流行がなかったこと。いいもの食べて、ストレスが少なくて、疫病がなかったら、長生きできるんじゃないかと思ったり。それにしても、この時代の人達は「死」をどうやって考えていたんだろう、とふと不思議になる。この後もさらにあの世でも生きたいって思うんだろうか…?
この本の中では短歌や俳句、詩がたくさん取り上げられているのだけれど、ほとんどが現代のものなので、古代で長生きの連中の歌なんかも検討してくれると面白かったかも。著者は「死後の世界を信じない」とのこと。私は「死後の世界」は生きている人間の脳の中に存在しているんじゃないかな、と思う。信じたい人まで否定はしないし、そう「感じる」人がいてもいいんじゃないか、と。生物学的、細胞学的には、生命は不滅であると最近証明されつつあるので。なので、生命は循環する、というのは確かだと思います。はい。
対して、「人間以外」であったキャスリンは、完全に言語が通じていても本当の意味でコミュニケーションできているかは不明である。「人間」に似せているが故に、「違い」を意識してしまうのではないか。人間と動物、人間と「人間以外」のコミュニケーションは実のところ、「人間」が相手に自分たちと同じような「人間性」を見出すことでしか成り立たないのではないか、という気もする。となれば、人間が相手とコミュニケーションできていると「感じられる」のは、相手が、人間らしい感情を持つ、”「人間」に”限りなく近いもの”である必要がある。
この作品の中で私にとってもっとも興味深いのは、三隅渓だが、彼女が考えるようにもし、キャスリンを同僚として医療現場で働かせるとしたら、かなり怖いかな…人間相手の医療従事者は、相手が「自分と同じ人間だ」と強烈に感じながら働いている。力が及ばないことがあったりすると、とても悔しいし、哀しい。そして、同僚も同じように感じている、と思えるので、お互いに「次はなんとかしよう」と思うわけで…そんな中にキャスリンがいたら…と想像するとちょっと怖いな、と思うのは私だけかな…
故人や、歴史人物の肖像をバーチャル映像で動かしてAIに喋らせるというのが出てきているようだが、とても醜悪だと思う。それよりも、「ロボット」という別ものを作って、そこに個性やら、魂やら、思考やらを「感じ」させるSFの方が好きだな。高性能キャサリンとその仲間たち(笑)はどうなるか。下巻へGO!
史実では維茂の名はなく、惟良と同一人物とされるらしい。かなり無茶苦茶な、いかにも「坂東もの」。勝手に兵乱をおこし、公の館を焼き討ちしたにも関わらず、許され、最後には鎮守将軍にまでなって、「畳の上で往生」することができたのは、道長との太いパイプ(多額の貢物)があったため。「今昔物語」では巻第25巻の第四、第五話にかなり長いエピソードがある。ところで、この第五話、藤原諸任に屋敷を襲われた時に逃げ出したエピソード、既視感があるな、と思ったら『炎立つ』で秀衡が逃げたエピソードそのものだった。ここが元ネタなのかな…
『今昔物語』の惟茂は見事に親の仇討ちをした男に理解を示さず、自分のメンツのことばかりを考えているし、相手を侮る猪突猛進的な男に書かれていて、『紅葉狩』で神の加護を受けて鬼を退治するって話になっているのはなんでなんだろう…?まあ、やっぱりこれも、政権寄りの人間は何をやっても許されるってことなんだろうな。この謡曲はやはりなんとなく、中央政府に殺されていった声なき人達を代弁しているような気もする。どうか、薪能は晴れてくれますように!
中世ヨーロッパにおいては、橋の管理はその国の領主が行うものだったし、城壁に 囲まれていたので、戦争はもっぱら城壁戦。橋は城内で渡るものであったので、外部から来た商人は通行税を取られた。日本ではあまり通行税を取られた…って話は聞かない(川を渡るために舟に払う通行税はあっても)が、実際どうだったんだろう。政府が橋を管理=何かあったらすぐに通行禁止、つまりは関所と同じだったんだろうな、と思うが…
「橋」があの世とこの世を繋ぐ、という思想、とても日本的だと思うが(ヨーロッパはあの世:天国と地上を繋ぐのは”梯子”)、なんでこうなったんだろう、ということが知りたかったが、それについては書かれていなかった。ので、別の本を読むことにする。
近年、本州でも、熊による被害が増えている。「被害」といったが、熊にしてみちゃ、餌がないのは「人間による被害」だろうな、とも思いつつ。でもやっぱり、街なかで熊に遭遇したくはない…
『古代アメリカ文明』(講談社現代新書)によれば、「世界四大文明」という言葉は学説でもなんでもなくて、山川出版社の高校教科書で勝手に使われた呼称に過ぎないという。文明は別に大河のほとりだけに生まれるわけでないのだ。ペルシア湾、つまりオマーン半島には「マガン」という地が栄えたのだという。ここは銅の産地で、鉄器時代前にメソポタミア、インダス文明を繋ぐ要衝地としてハフィート期、ウンム・アン=ナール期、ワーディー・スーク期と栄えた。ムレイハはワーディ―・スーク期後の前300年から後300年に繁栄し、突然消えたのだ。
実はイランにもエラム以外の文明が栄えていたことも初めて知った。ジーロフト文明と呼ばれ、ここもムレイハとつながりがあるのでは、と言われているようだ。残念なことに、中東は西欧によって蹂躙されて以来、戦闘が落ち着くことがない。もしかすると、現代文明よりも進歩的だったんではないか、と常々思っている古代文明の発掘調査が自由にできるようになってほしいものである。
歴史にifはないとわかっていても、もし義経と奥州軍が一致団結して戦っていたら、どうなっていたかな(もっとも義経が生きていたら頼朝は攻めてこなかったかも)と考えてしまう。阿津賀志山がターニングポイントなのでここをがっちり守るべきか。いやそうすると北陸軍に回り込まれるし。そうやって考えると、鎌倉軍、かなり戦略を考えてきている…やはり泰衡の対応ミスって気がしてしまう…高橋克彦氏の『炎立つ』の泰衡も好きなんだけれどね。
ちなみに今、鎌倉幕府成立は「1192年でなくて1185年」って話になっているらしいけれど、これも怪しいと思う。1189年でようやく奥州合戦後の戦後処理が完了して、1190年から建久元年が始まるので、おそらく世間的にここで平安末期からの動乱が一段落、という気持ちだったと思う。「幕府」というのをどのように定義するかは専門的でよくわからないけれど、1185年かどうかはこれから十分に変わりうると思う。
仮に歴史書を作っていたとしても、藤原の息がかかった人間が編集するのであろうからつくっても仕方がなかっただろう。こつこつと書かれた『小右記』が残っているお陰で、当時に自分の日記を残している貴族たちや道長本人の「嘘」があぶりだされて皮肉な気がする。繁田氏は道長のことを「希代の奸臣」と書き、「王朝時代は、天皇の時代ではなく、奸臣たちの時代であった」と言う。この時代の本は、どうしても藤原氏中心で書かれていることが多いが、この本は、「人間」天皇を書いてくれていてなかなか興味深かった。
円融天皇(一条天皇の父)の葛藤がかわいそうに思える…が、一条天皇もかなりイヤなヤツではある。『枕草紙』が醜いところはすべてカットして、「をかし」ことのみを追求したのはなんだかわかる気がする…清少納言ほど聡い人なら、宮中の色々なこと嫌なこともわかっていただろうし…今年の大河ドラマは史実からどれくらい改変されているかわからないけれど(まあ、フィクションなので仕方ない)、「当時の人たちは本当はどう思っていたんだろう?」と興味を持ってくれる人が一人でも多くなることを望む。
中山道は別名「姫街道」とも呼ばれていて、大名の姫様の輿入れ道中がよく通った道。姫様が止まった宿場では当時の献立も残されていて、それを再現してくれるところもある。江戸時代というのは、「とにかく栄養を取ること」が目的の食事から、「楽しむため」の食事を庶民も取れるようになった時代ともいえる。日本は他の国くらべて食事に対するこだわりが強いほうだと思うのだけれど、江戸の習慣からきているのだろうな、とは思う。戦争さえなければもっと豊かだっただろうね。
この話、稲をモデルにした「超スーパー食材(オアレ稲)」を提供することによって周囲の国を支配した帝国と、それを受け入れを拒否したために国民を飢餓に陥れたと、王位を追われることになった王族の末裔の少女が主人公。そのオアレ稲の製法も、肥料も帝国が握っている…というストーリーだが、よく考えるとこれ、日本の初期でも起こったことなのかも。そして、「米」作によって村から国へ、そして身分制度の差ができ、歴史を作っていったと考えると…
現在では律令時代につくられた租庸調はかなり初期の段階から守れなくなってしまっていたと考えられているようだけれど、少なくとも9世紀前後までは、近畿の人が秋田くんだりまでいって、蝦夷との闘いに駆り出されていたという記録があるのだから、その粋を集めた長屋王のごちそうもうまそうだけれど、ちょっと複雑な気持ちもする。私の先祖は間違いなく、グルメ食は食えなかっただろうからな…
そこで思い出すのが、聖武天皇の母、宮子を「治療した」という善珠の話。これは倉本一宏先生の『平安貴族列伝』(ワニブックス)にも取り上げられているが、長らく気鬱であった宮子を善珠が「見た」ら、気鬱が治って聖武天皇は37歳にして初めて母と面会した、という記事。それに対して宮中では善珠と宮子が密通していたという噂が流れたらしい。これにしても、「治療」が左道=邪道である、という認識が当時の人の心にはあったんだろう、と思われる。それにしても、子孫の道長が陰陽道で政治をするようになるっていうのもシュールねえ…
永山久夫氏による、再現食膳写真が気合が入っていて素晴らしい。そして美しい。レシピも本文中に書かれているので作ってみたい気もするが、牛乳1Lを半日かけて煮詰める気力はないな…再現食をどこかで食べさせてくれんかな。江刺の「藤原の郷」ならできそうな気がする。うまいアワビ食べたい…『懐風藻』を読んだことがなかったんで読みたい。漢文だとは知らなかったが、よく考えたら、万葉集も和歌以外の地文は漢文だよね…考古学でわかることがあるのと、律令国家の時代は資料がしっかり残っているので、楽しいですねえ。
そうそう、あの「ペン回し」。私はどうやってもできなかったなあ…でもクラスのほとんどの子ができてた。今の子たちはタブレットを使うのが主体だからできないだろうなあ。「ペン回し」文化で年齢がばれる(笑)生まれ変わり…っていうのは怖い罰としか思えないですねえ…人間界にもう一回戻ってこないといけないってことは成仏できないんですよ…死んだら世界消滅までどっかで眠らせて欲しいです、はい。
3歳児や8,9歳児の首を斬って、晒す所業を考えると、やはり幕府体制も末期だったんだろうな、と思う。様々に出てくる思想を力で抑圧しようとした国っていうのは滅びるのだ。無念で殺された人たちがちっとも礎にならない国っていうのが日本だな。
積読本を解消するためにせっせと本を読んでいるつもりですが、どんどん積み上がり中。紙の本が好きです。ミステリ、SF、歴史ノンフィクションが好きですが、なんでも読みます。最近は能楽にはまっています。書いている感想は、歴史的な考察、関連する他の本、趣味である映画や能などの伝統芸能の感想と絡めた雑文、長文です。
旅行記、能楽鑑賞録はnoteに投稿しています。https://note.com/shinonome55asahi
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『優等生は殺人には向かない』シリーズもそうだけれど、イギリスの司法制度はかなり不備があるのかな…イギリスらしさがすごくするのは、どこかでみんなが階級を意識しているところ。低い階級の人が、アッパー階級のフリをするのを俗っぽいと嫌がる。アメリカ、フランスものにはない描写で、興味深い。