特に白眉なのが第2~4章の電王戦を扱った章である。人間とAIの認知の差異。それが将棋という最高峰の知的営為において如何に現れたのか。そして、人間と機械の相互作用によって両者が、そして将棋やそこにある概念が如何に変容したのか。機械人間の生成を描く文章の力強さと面白さは小説顔負けで、なるほどこれがエスノグラフィーかと思わせられる。一方、朝井リョウやニコニコ動画、Twitterなどを例に公共圏の変容を論じた第6、7章は面白くなかった。描写の具体性が失われたためでもあろうが、議論が既に古びてしまっているのが痛い。
筆者は炎上のリスクなどに一応触れつつも、人称の変容をもたらすSNSを新たな機械人間の生成へ繋がる技術として比較的肯定的に評価している。だが本書が発行されて六年経った現在、憎悪と偏見と党派性を煮詰めて社会の分断ばかりを加速させる現代のソドムと化したSNSに、同じ視線を向けるのは難しい。第8章では機械の進化による人間概念の再帰的変容が論じられていたが、なかなか観念的で飲み込みがたい。これは5章以降すべてに言えることだが、文化人類学のスタイルは事物の具体性を離れた瞬間に極度に胡乱になるところがある。
自然が人類の存在基盤を揺るがすものになったのは近代科学文明のせいであるかのように筆者は論じるが、前近代文明が自然災害から受けた被害の数々を彼は知らないのだろうか。科学技術が結果として地球環境を改変しているのが事実だとしても、科学技術が同数以上の人命を自然から守って来たのを無視するのはフェアではない。筆者が心底恐れる豪雨や台風の中を何事もなく生き延びてぬくぬくと本を書けるのも、近代文明の産物たる建築技術と都市インフラのおかげであろう。
ところで筆者は阪神淡路大震災から復興した街の光景に対し「人間が住むための空間に作り変えられ、人間的尺度に従わされている」と暗に批判めいた言動をするが、ではいつまでも「人間的尺度に従わされた状況を揺さぶる」悲惨な光景が残っている方が良かったとでも言うのだろうか。関西出身の人間としては不快極まる。こういうインテリ特有の高踏な無見識とでも言うべき記述は随所に見えて、重要なインフラである自動車道路を「空虚な空間」呼ばわりし、非言語的な世界を説明する事例としてマニアックな現代アートばかりを引用する。全くうんざりだ。
ところで呉座勇一といえば例の事件だが、これほど該博かつ堅実な実証史学をやっている学者を、鍵垢で悪口言ってたくらいの理由でポスト剥奪せんとするアカデミアの党派性には驚かされる。
以上が第Ⅰ章「暗黙知」で展開される主張である。なかなか面白い発想だと思う。そこから「全てを明晰に実証化し尽くそうという科学の試みの原理的不可能性」を主張するあたりは特に。しかし、続くⅡ章「創発」Ⅲ章「探求者たちの社会」の内容はやたら壮大で、はっきり言ってスピってる。Ⅱ章はⅠ章で説明した部分と全体の関係を、物質から生命へという存在論的階梯に一般化(?)する試みであり、Ⅲ章はその階梯の果てに生まれた我々人間が今後構築すべき倫理の話だ。書かれたのが50年代ということもあり、この辺の議論は正直あまり面白くない。
ただまあ、ポランニーの狙いがⅢ章にあることは明白。彼の念頭にあったのは当時世界中で猛威を振るっていたスターリン主義の脅威である。科学と理性の産物である(というのは当時の認識だが)マルクス主義が、どうしてこれほどの思考停止と全体主義を生んだのか? ブハーリンとの議論でそんな疑問を覚えたポランニーは、その原因を近代の懐疑主義(無神論)と完全主義だと考えた。両者の背後にあるのは徹底的な経験主義だ。故に彼は暗黙知という経験主義によっては尽くせないメカニズムを提唱した。つまりスピってるくらいで丁度いいのである。
つまり勝てばなんとやらというやつで、官軍と賊軍を分けるのは勝敗のみであり、勝ったのは薩長閥であったというだけの話だ。そして従来は薩長のお仲間を祭り上げるための施設だったものが、西南戦争と日清・日露の対外戦争を経て「日本の」施設となっていった……。これが筆者の指摘する「国内問題」である。自分は幕末明治の歴史に詳しくないのでこの辺の記述の妥当性はよく分からないが……正直、地方が衰退しまくってるこの時代に藩閥時代の確執を指摘されてもなあという感じ。これをアクチュアルな問題として言い立てるのは流石に無理がある。
あと、勝てば官軍負ければ賊軍の論理から「第二次世界大戦で負けた日本は賊軍になってしまった」と筆者は言うが、これも無理がありすぎる主張に思える。天皇制というシステムの中で大義名分を争っていた薩長と幕府の間ならともかく、システムの外側に立つ合衆国との戦争に負けても米軍が官軍=天皇の軍隊としての大義を得るわけではなくないか。合衆国大統領はワシントン幕府の将軍ではないわけで。いや、もしかしたら筆者はそう思ってるのかもしれないけれど……。
しかし、自己啓発本とはいえ著者・山本常朝は武人である。ある種牧歌的で常識的なアドバイスと全く対等に「死」に関する異様な信念もまた並んでいて、そうした文章に触れた瞬間に我々現代人の意識は圧倒的な断絶を感じてしまう。彼らとは死生観からして違うのだと。ではそんな『葉隠』の「入門書」を著した三島はどうだったのだろうか。彼が『葉隠』の「死」の匂いに強く惹かれていたのは先述の通りである。特に第三章にそれは顕著だ。僅か10ページに満たないこの観念的な小文には、「死と生」「宿命と自由」に関する三島の思索が結晶化している。
三島が『葉隠』に共感するのはそこだけでない。戦国が遠くに過ぎ去り武士が官僚化し始めた江戸時代。帝国が滅び去り自由と生命の礼賛が始まった戦後日本。二人の生きた時代は相似形で、時代の敗残兵という点で二人自体も相似形だ。ゆえに「当世」に対する常朝の嘆きを、彼は己の嘆きとして引用する。本編の大部分は三島による『葉隠』の抜粋と解説だが、その多くはこうした当世批判と先述のハウツーで、彼と笑いながら茶飲み話でもしているような気がしてくる。しかし、それに紛れて不意に「死」が顔を出すのだ。そこにおいて三島は我々と断絶する。
明治武士道の成立にはいくつかの要因があった。第一に成立したばかりの帝国陸軍が拠って立つ思想的基盤を準備する必要があったこと。時代は自由民権論へ向いたが軍隊は自由や民権ばかりでは成り立たない。軍隊的統制を根拠づけるため、武士道が利用された。といっても明治初期にはまだ武士道を大っぴらに称賛するような言説は少なかった。西南戦争など「士族の叛乱」の記憶は生々しく、武士道は腫物だったのだ。ところが明治後期から話が変わってくる。軍人や国民一般の道徳的基礎を武士道に求める言説が増えてくるのだ。
大きいのは『教育勅語』の制定である。国民道徳の基盤を日本の伝統(国体)に求める議論が正式化されたため、武士道を含むあらゆる伝統を階級的限定性を無視して国民一般へ直結することが可能となり、かくして「日本人一般の武士道」である「明治武士道」が成立する。ここには黄禍論に対抗して自国の伝統の中に普遍性を見つける必要のあった国家主義者や、キリスト教と日本の接点を発見せねばならなかったキリスト教徒の思惑もあった。特に後者の新渡戸稲造の武士道論は欧米でも有名となり、以降の武士道像に多大な影響を与えることになる。
人文系の学生。専門は科学史。
他には哲学、冷戦史、軍事学、左翼思想、大日本帝国など。
小説はSFとラノベ中心。
歴史改変、ミリタリーSF、サイバーアクション、現代異能バトルなど。
英雄と運命を強靭に肯定する小説が読みたい。
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