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2024年3月の読書メーターまとめ

Humbaba
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感想・レビュー
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ナイス
167ナイス

2024年3月に読んだ本
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2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Humbaba
永久に生き続けられる生物などどこにもいない。どのような生物であれいずれは死が訪れる。ただし、その死がどのようにプログラムされているかは種によって大きく違っている。生殖をおこなうために成虫になるが、その期間は非常に短いため新たに栄養を摂取する必要はないとして口を持たない生物すらいる。効率的に生殖をして子孫を増やすという意味ではこれ以上に効率的なものはないかもしれないが、受け入れやすいかはまた別である。
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2024年3月の感想・レビュー一覧
64

Humbaba
食事は人にとってとても重要な要素である。それは現代も昔も変わらない。そのため、おいしいものを運ぶための道は今でもその名残を残している。そのような道を調べてどのような経緯をたどったのかを学ぶことは、そこで食べるものの価値をより一層高めてくれる効果がある。そのまま食べてももちろんおいしいのだが、来歴を知ったうえで味わうことでその価値がさらに高まる。
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Humbaba
どれほど優秀な医者でも、神ではない以上物事を見通すことなどできない。そのため、患者が何を求めているかを完全に把握してもらうのは不可能であり、また、少しでも多く理解してもらうためには患者の側から働きかける必要がある。神ではないと言っても敵でもないので、相談すれば受け入れてくれるしそこでより良い方向を見つけることができる。それによってよい医療が受けられれば、誰にとっても幸福へとつながる。
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Humbaba
自分自身は直接権力は振るわない。そのため表向き委は権力を有さないが、隠然たる力を持っている。それに対する評価は分かれるだろうが、そうして力を持っている人に対して表立って反論することはできない。積極的に攻撃をすればそのあとに待っているのは身の破滅であり、そうならないようにするためには相手とうまく付き合っていく必要がある。
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Humbaba
永久に生き続けられる生物などどこにもいない。どのような生物であれいずれは死が訪れる。ただし、その死がどのようにプログラムされているかは種によって大きく違っている。生殖をおこなうために成虫になるが、その期間は非常に短いため新たに栄養を摂取する必要はないとして口を持たない生物すらいる。効率的に生殖をして子孫を増やすという意味ではこれ以上に効率的なものはないかもしれないが、受け入れやすいかはまた別である。
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Humbaba
技術の発達する速度は予想されていたよりもずっと早い。発展の速度が遅いときには人々の意識が変化に追いつくこともできるが、それが早い場合には置いていかれる人が大半になってしまう。基本t系に技術は人を幸せにしてくれるが、そのためには技術を正しく使う必要がある。そして、正しく使うためには正しい理解が求められるが、急速に変化する時には何が適切かを判断するのは難しい。
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Humbaba
どのような人も常に勝ち続けられるわけではない。最終的に勝利者になれたとしても、多くのケースではどこかで大きく負ける。その敗北で腐ってしまったり、二度と浮上できなくなる人も多いが、そのような状況でもそれを糧とできる人こそが最終的には伸びる。わざわざ負ける必要などないし、負けずに済むのであればそれが一番だが、負けたからと言って全てが終わってしまうわけでもない。
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Humbaba
大学教授になるためには実力はもちろん必要だが、それだけでなれるわけでもない。通常の就職活動と同じく運もまた必要な要素となる。失敗にくじけず続けていくことが必要だが、何度も断られ続けていれば心を病みそうになるのもまた事実だろう。つらい状況もゴールが見えていればまだ耐えられるが、いつゴールがあるのか、そもそも自分は正しい方向に進んでいるのかがわからなければ辛さは倍増する。
Humbaba
焦って怒りをぶつけても、それで何かが得られるわけでもない。むしろ心の平穏を欠くことになり、ただストレスだけが増大する。それよりも焦らずに行動してあるものをそのまま受け止める方が大切である。全てが望み通りいくわけではなくても、受け止めているうちにそれもまた一つの道であると認識するようになる。それができれば人生は実りある豊かなものへと変わってくれる。
Humbaba
人によって能力が異なるため、同じ考えるという言葉でもそれに使える言葉は変わってくる。その時の相手に応じて適切な言葉を選択するというのは、物事を深いところまで考えるために欠かせない要素の一つである。だから自分とは異なる集団とも話をすることも大切なことであり、相手が理解できるように言葉を選ぶようにすればこれまでとは異なる見方ができるかもしれない。
Humbaba
争いなどはない方がよい。それは多くの人が願うことだが、願っていればそれが実現するかと言えば残念ながらそのようなことはない。起きない方がよいことだからと言って目をつぶっていれば、現実になったときに生じる被害は増大してしまう。また、目をつぶっているだけでは問題が発生する確率を高めることにもつながってしまいかねない。現実を直視し、適切な準備をしておくことで互いに問題を置きさせなくするのも大事なことである。
Humbaba
次代を経て多くの人が認識する存在となった場合、どうしても元のかたちとは違う部分が生まれてくる。また、広めるにあたりその時に力を持っている人や、広めようとした人の意志が入り込むことは避けられず、それにより元の意味は薄れていく。ただし、元の意味が全くなかったことになるわけでもないため、その時の時点で振り返ってみるとどこに本質があったのかを探すのが難しくなっていることもある。
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Humbaba
ジョークには一定の型がある。出てくる人物やその背景は多少異なっていても、そこに通じている価値観は同一である。偉い人や強い人ほど直接何かを言うことができないので、それに対抗するためにジョークという皮を被せる。愚かな人、下の立場にいる人がおかしなことをやってもそれは当たり前で何の印象も持たないが、上の立場、偉い人が行うことでそこに面白さが生じてくる。
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Humbaba
いつの時代であっても男女の関係というのは大きな関心事の一つである。そのあり方というのは時間や空間が変われば大きく変化しているため、今の時代の価値観でそれらを評価するのは適切ではない。ただし、そのような考え方があり、受け入れられていたという事実を知ることは無意味ではない。なぜそれが受け入れられて、うまく回っていたのかがわかれば、今の時代の価値観を理解する一助とできる。
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Humbaba
人は皆平等だが、生まれてきた時代によって得をすることもあれば反対に孫をすることもある。損得といっても金銭面に関する話であり、それが直接幸福と一致するかはまた別の問題ではある。しかし、幸福というのは人によっても全く違ってくるため誰もが納得できる評価軸を設けることはできない。一方で金銭はそれにどれだけ重きを置くかはともかく数値としては公平な尺度であり、そこにあまりにも大きな格差があるというのは正しい姿勢には見えない。
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Humbaba
問題に対して向き合うのではなく、それを避けることで対応する。最適ではないかもしれないが、それも一つの方法ではある。ただし、常に避け続けるわけにはいかないので、どこかでは本気になって向き合わなければいけない。それはわかっていたとしても、どうにかして避けられないかを検討してしまう。そのような精神構造を持たない人にとっては異常に感じるかもしれないが、人によっては様々な特徴があり、あまり悪意なくそう判断する人もいる。
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Humbaba
同じ両親からうまれた兄弟姉妹でも、親から同じように扱われるわけではないし、同じように成長できるわけでもない。問題なく独り立ちしていればよいのだが、場合によってはずっと実家で親の世話になっているという場合もある。親が元気なうちはそれでも良いが、いずれは年を取ってこれまでのようにはいかなくなる。その時にだれが代わりに面倒を見るのかというのは、本人のみならずその家族もあるので難しい問題である。
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Humbaba
都会の喧騒を離れて田舎でゆっくりと暮らす。それは確かに理想的な生活のように感じられるかもしれないが、残念ながらそのような理想郷は存在しない。実際には田舎では尊重しなければいけない相手が決まっているし、それによって凝り固まった人間関係が出来上がっている。後からそこに入ろうとしても辛いものであり、よほどの相性の良さか運の良さ、鈍感さなどがないとただ不幸になってしまうだけで終わる。
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Humbaba
コンビニはその名の通り便利な存在だが、何でもしてくれる場所という訳ではない。そこで働く人も自分と同じ人間であり、尊重しなければいけない。店員と客という関係だけを考えると失礼な態度をとっても問題ないと錯覚してしまうこともあるが、それを続けていれば誰もコンビニで働かなくなってしまう。それは誰にとっても不幸なことであり、気持ちよく働けるようにするためにも互いに尊重数r心が必要になってくる。
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Humbaba
物の価値というのは不変ではない。昔はそれほど価値が認められていなかったものも、時を経て希少性が増して誰もがうらやむようなものにと変わることもある。松茸もかつては簡単に手に入るものだったが、現代では貴重品になってしまった。貴重品ではいろいろと為うのも難しいが、そうではなかった時代には様々な食べ方を試して、失敗を重ねながらも新しい味を見つけることにも成功した。
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Humbaba
現代ではかつてとは比べものにならないくらい多くの情報に簡単にアクセスできるようになっている。それは、性風俗のコンテンツについても同様である。本物ではないとしても、ある程度満足できるものが簡単に手に入る。そのような状況においてわざわざリスクを冒し、さらに高いコストを払ってまで恋愛をするのを避ける。本物を知らなければ代替品でも満足できるし、面倒を我慢するほどの必要性を感じられなくなってしまう。
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Humbaba
どれだけ頑張ったとしても、人はいずれ人生を終える時が来る。それは避けることのできない事実であり、例え延命したとしても永遠にそれを続けることはできない。延命のためにはコストが必要であり、そのコストが高いかどうかを決めるのはそれを支払う人である。勿論その人一人の意見で決められるものでもないが、多くの人にとって受け入れられるものは自然とその処置のための値段が定まってくる。
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Humbaba
生き物のデザインは非常に優れている。一見するとなぜそのようなデザインになっているのだ、と感じることも、よくよく見ると非常に優れたバランスの上で成り立っていることもある。その生物は今のデザインで生きてきた以上、しっかりとした実績があるともいえる。そのような実績は侮るべきではないし、新しい工学のデザインを作るうえで学ぶべきことはたくさんある。
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Humbaba
SNSの場はまるで自分たち以外はいない蚊のように感じられる。そのため本来は他の人に話すべきではないことも平気で話をしてしまう。あるいは、実際の場では口にしないようなことも特に何も考えずに相手に伝えてしまう。SNSの先にいる相手もまた自分と同じ人間であり、尊重されるべき相手である。双方がともに尊重し合うからこそ正しい場ができるが、斬年ながら今の社会はそれができていないことも多い。
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Humbaba
年齢を重ねたとしても、他の人と同じように昇進できるとは限らない。それどころか、上の立場にまで上がれる人は限られている。ポストはそうそう増えない一方で、人の数は増える。それでは必然的に昇進できない人が増えるのは避けることができない。わかったうえで行動するのであればまだよいが、なんとなくで昇進できるだろうと考えていると痛い目を見ることになる。
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Humbaba
JRに匹敵するだけの鉄道会社など存在しない。しかし一強であることは必ずしもプラスにつながるわけではない。ライバルがいればそれに負けないように商品おレベルを高めようとするが、それがいないのならばコストをかけてさらに良いサービスを提供しようという気持ちは弱まってしまう。JRには現在のサービスに安住してしまうことなく更なるサービスの向上を望みたいところである。
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Humbaba
歴史というのは必ずしも正しいことが描かれているわけではない。人が人に物事を伝える時にはどうしても誇張が混ざる。そのため、実際に起こったことやその評価がそのまま残るわけではない。また、発言自体は実際にあったとしても、その意味が正しく伝わっていないこともあり得る。一度情報が固まってしまえば、たとえ後から誤りだとわかったとしてもなかなか人の意識を変えることはできない。
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Humbaba
長時間労働と滅私奉公。組織の中に入ってしまうと、なかなか客観的な判断は難しいし組織の空気に流されないようにするのは骨が折れる。周囲が全く疑っていないことを疑い反旗を翻す。完全にメリットがないことであれば対応も可能かもしれないが、昔からこれでうまくいってきたという実績があると覆そうにも覆せない。特に意思決定を行える上の人間がそれに染まっている状況では流されないようにするのも難しい。
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Humbaba
わかりやすくて手の施しようのない問題であれば、多くの人の耳目をひき問題に対処しようという機運が高まる。一方で身近で、しかも個人の努力である程度被害を抑えられる問題などはついつい見過ごしてしまわれがちである。雑草による被害は一気に何かが起こるというものではないし、雑草であれば個人での対応も可能である。そのため見過ごされてしまうが、雑草による環境問題は多くの場所で発生している。
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Humbaba
同じ円銀であっても種によって見た目は大きく異なるし、同じ種のペンギンでってもよくよく見れば個体を見分けることもできる。ただし、個体の見分けについては見分けるべきポイントを知っていなければなかなか難しいので事前の学習は必要である。そうやって見るべきポイントやそれぞれの種の特徴を知ることができれば、単になんとなく長江メルよりも多くのことを見て取ることができる。
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Humbaba
親も常に元気であり続けるわけではなく、いずれは最期の別れをしなければいけない時が来る。その時には実家についてもどうするかを考えなければいけない。子供のころに住んだ思い出の地であっても、長じて新しい人生を歩んでいれば思い出に浸ってばかりもいられない。家は誰も住まないと荒れてしまうため、何らかの管理が必要になる。場合によっては実家であってもたたむという判断を下すことになるが、その場合にもやらなければいけないことは多数ある。
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Humbaba
野山に生えている野草でも、知識と調理方法がわかっていればおいしくいただくことももできる。ただし、その際には十分な知識と観察が必要である。野草には有用でおいしいものもあれば、反対に毒を持っていて食べると問題になるものもある。特にキノコ類はそれが顕著であり、専門家の判断を仰ぐ方が無難であり、生半可な知識で挑戦すると後悔することになりかねない。
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Humbaba
人は必ずしも合理的な行動をするわけではない。勿論本人としては正しい判断を下しているはずだが、その基準は簡単にずれる。最初に見たデータによって無意識のうちに比較をして適切なラインが変わる。本来最初のデータと次のデータには関係がないのだから影響を受けるべきではないのだが、意識せずに変わってしまうので間違った判断をしているとすら思えない。それは怖いことであるが、だからこそ知っているかどうかで自分を変えられるし得できることもある。
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Humbaba
種によって大人のかたちは様々であり、自分の身を子供に食べさせるというものもある。子供が生まれるという幸福な日が、そのまま自分の最期の日を約束しているというのは一見悲しいことのようだが、そのような生態をしている種にとっては問題にはならない。どのようにして成長するかは種による違いもあるので一概には言えない。だからこそそれらを学び、何が違いなぜ違うのかを知ることは意味があるだろう。
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Humbaba
自分の悪いところというのはわかりやすく、つい意識してしまいがちである。しかし、それを意識すればするほど自分の価値がないように感じられて負のスパイラル二陥ってしまう。それを避けるためには、悪いことについては気にせずに自分はできるし成功するということを積極的に口にしていく。最初のうちは違和感があったとしても続ければ自然になるし、それが自然になれば行動も気持ちも良い方向に変わってくれる。
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Humbaba
自分がどのようなタイミングで恐怖を感じるのかを理解する。そして、その要因を分解して適切に対応する。言葉にすれば簡単だが、実際にやってみるとすぐにできることではない。ただし、少なくともそれを認知した時点で恐怖は薄れるため、パフォーマンスが向上できる可能性は高まる。そして、効果を理解すれば続けてやっていくことができるし、やり続けているうちにさらに上手にできるようになる。
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Humbaba
経済の基本的な用語やその流れを知ることで、物事の理解は大幅に早められる。知らなかったからと言って生活が即座に破綻することはないものの、知識の有無によって判断に差が生じることはある。その差は日々の生活でどんどん広がっていってしまうため、最初にしっかりと学ぶことが大切である。また、知っていれば相手が何を根拠に論理を展開しているかが理解できるため、悪い話にダマされる可能性も減じられる。
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Humbaba
数字そのものはうそをつかない。ただし、それをどう処理するかは数字を手にした人に任されている部分がある。数学的に正しい処理の仕方でも、それによって与える印象を変えることは可能でありそれにウソは含まれない。わかりやすい結論を求めることは多くあるが、その数値はどのようにして得られており妥当な手法なのかということを意識することを習慣づけないと、知らないうちに誤った印象を持ってしまいかねない。
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Humbaba
最近のデジタル製品はそう簡単には壊れない。だからこそまずは手に取って使ってみることが慣れるための第一歩となる。もしも壊れたらどうしよう、と不安になることもあるかもしれないが、それは杞憂にすぎない。わからないことがあるのは当たり前で、その時に必要な情報だけを覚えていけばよい。一気にすべてを使いこなすことはできないとしても、使っていればわかることも増えてくるだろう。
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Humbaba
カラスが頭がよいというのは一面では事実であるが、すべての状況においてそれが当てはまるという訳でもない。カラスにとっては見えているものが全てであり、自分の記憶と状況が食い違った場合にまず自分の記憶を優先する。だからこそ餌を持ち逃げされて鳶が飛び去ってもそちらを追わず、本来あるべき自分がえさを置いた場所を確認する。それは奇妙なことだし個体差もあるかもしれないが、そのような動きが複数見られている。
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Humbaba
生きている以上は苦しくなることもある。そのようなときに、人生を一つの劇だと考えてそれに合わせたセリフが言えれば、悩みもある程度軽くなる。勿論それだけで全ての問題が解決するわけではないので対応は必要ではあるが、少なくとも一度気持ちを落ち着けることはできるだろう。そうやって冷静になって考えてみれば今まで見えていなかったような解決策も見えてくるかもしれない。
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Humbaba
お金は大事なものであるのは間違いない。しかし、意外とどうとでもなるものであるのもまた事実である。借金をしているときはそのことばかり考えていて他に解がないように感じても、基本的には債務者を守るための方が整備されていてそれを使えば大きな問題にならないことの方が多い。借金して苦しむのことなどない方がよいものの、もしも苦しんでいるなら助けになるものが多数あるのでそれを活用すればよい。
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Humbaba
体の健康については多くの人が意識を払っている。確かに身体がうまく動かなくなるなどは外から見てもわかりやすく、指摘されることも多い。一方で精神面の老化については意外と無視されがちである。しかし、老化によって感情があまり動かなくなってしまえば、物事を楽しむことも難しくなる。それは単に手足が少し動かしにくいなどよりもよほど人生の楽しみを奪うことになってしまう。
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Humbaba
実際に人と会うためには準備も必要だし、その相手が自分にとってプラスになる相手なのかもわからない。しかし、あってみて自分とは違っていると思っても、その場で相手と別れるのも難しい。一方で本であれば安価で簡単に手に入るし、もしもあわないと思ったらその場でやめてしまえばよい。本は執筆する段階で多くの人のチェックが入っているので高品質である可能性も高く、コストパフォーマンスは高い。
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Humbaba
年を取ると、嚥下する能力も低下する。それは老化であり仕方ないと考えてしまうかもしれない。確かに嚥下する力が低下すること自体は仕方のない部分はあるが、諦めなければいけないほどの問題という訳ではない。しっかりと鍛えれば、のどはこれまでと同じ力を取り戻すこともあるし、そもそも低下することも避けられる。人間の力はとても強いので、諦めてしまわないで積極的に活用するのがよい。
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Humbaba
一日の時間は誰にとっても共通だが、その時間の価値は使い方次第で増えることもあれば反対に無駄にしてしまうこともある。後から振り返って判断すれば正しい道を選べるものも、ぐちゃぐちゃの状態では常に正しい判断をすることは非常に困難である。だからこそ1か月単位でスケジュールを管理することで自分の状態をよくわかるようにしておく。それができればとっさの時にも判断を正しく下すことができるし、振り返って不足しているものも簡単に見つけられる。
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Humbaba
お金は確かに生きていくうえで欠かすことのできないものである。しかし、ではお金さえあれば幸福になれるかと言えばそのようなことはない。情熱を注ぎたいとお模様な対象を見つけてそれにまい進することこそ本当に幸せになるためには必要になる。生きていくのに必死で他のことを考えている余裕がない時代には問題になることのなかったものだが、現代においてはそのように価値観が変わっている。
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Humbaba
リソースが無限にあるのであればすべてのことを同時に進めていけばよいが、使える人も時間もお金も限られている。だからこそ、まずどの問題に取り組むのかというのは非常に重要な要素となる。いくらある問題に対して良好な結果を出したとしても、それが本来解決しなければならないことに寄与しないのであれば意味は薄い。そうならないようにするためにも、最初の一歩である本質がどこにあるかにこそ時間をかけて検討する必要がある。
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Humbaba
今では当たり前のように口にしているものも、初めからあったわけではない。何らかの理由でそれまで口にできなかったものが口にできるようになった。あるいは、それを大っぴらにできるようになった。その状況がしばらく続けばやがてはあたかもはるか昔から続いているかのように感じられるようになる。しかし、それも紐解いていけばあるタイミングで広まってきたものにすぎないということも少なくない。
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Humbaba
全体が見えていなければ適切な分配はできないが、全体を一覧可能にするために報告を増やせばそれが足かせとなって仕事が進まなくなってしまう。順調に進む野出れば報告などしなくてよいというのがベストなのだが、互いをそこまで信用できなければそのような運用はできない。また、バッファをどれほど必要とするかについても相手が信用できなければどうしても厚くなり、ずるずると後ろに行ってしまう。
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Humbaba
やり方や流れを知っていれば、それを知らないで作った資料と比べれば雲泥の差が生じる。そのため、最初に作ったものと比べれば非常にレベルが上がったものは出来上がる。ただし、それを知っているのは自分たちだけではない。トップレベルであればそれらは当然のものであり、かつそれに要するコストも小さく、調達費用も安くできるため差は広がる。それを埋めようと思えば、ほかにないものを持ってくるしかない。
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Humbaba
どこまでリスクを許容すべきかというのはなかなか決めきれない部分は大きい。しかし、余りにその余地を大きくしてしまえば、ある人にはできて他の人にはできないという状況が生じる。物事を始める時には一部の人だけができるという状況はどうしても発生するが、それを放置しておくのは組織としては危険である。例えコストがかかったとしても、誰でも回るようにしておかなければ何かあったときにどうしようもなくなってしまう。
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Humbaba
外から手に入れた知識をつなぎ合わせるだけでは、本当の力は身につかない。問題が発生しなければ借り物の知識でもよいが、万が一何かが発生したときにどう治すべきかがわからなくなってしまう。趣味ではなく仕事として請け負っている以上は、適当なやり方は許されないし備えるべきラインも決まっている。そのため、例え大変であったとしてもやらなければいけないことはある。
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Humbaba
夢に向かって邁進する。目標が全くないのも問題だが、だからと言って高い目標を立ててそのために努力しすぎれば、他のことに時間を割けなくなる。その努力が見当はずれのものであれば諌めることもできるが、正しい努力で成果を上げそうという場合、大切な相手だからこそ止められない。しかし、時間には制約があり何かに集中すれば他のことに時間を割けなくなる。そのため、一緒にいられる時間が減ってしまうというジレンマに陥る。
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Humbaba
ユーザにとっては作り手の心もその思いも直接的には関係がなく、最終的な成果物が全てである。例えどれほど努力して作ったものでも、それが面白くなければ評価はされない。また、容量の都合で削ったとしても、もともとあったということは評価されず、最終的にそのようなものは存在しないという結果だけで評価される。身内は様々なものを考慮してくれるが、それに甘えていては結果的に良いものはできない。
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Humbaba
目標を持って、それに向かって全力で努力する。同じように目標を持っている人から見ればそれは尊い行動かもしれないが、そうでない人から見れば嫉妬の心を湧き立たせられて、それが故にダサいという評価を下してしまう。そうやってつらい評価を下されている状況で、素直に評価をしてくれる相手というのは貴重であり、また、そう評価してくれるからこそ相手に対しての好意も高まってくる。
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Humbaba
成功するためには努力が必要だが、その逆は必ずしも成り立たない。いくら努力をしても超えられない壁はあるし、その差に苦しむことになるかもしれない。後から振り返ってみればわかることやそこから得られたものもあるが、その渦中にいる時にはただただ辛さだけしか感じられない。そんな状況にいる時には相手の言葉を素直に受け入れるのも難しく、どのような言葉もマイナスに感じられてしまう。
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Humbaba
折角の才能を最大限発揮してほしい。それ自体は自然なことであり、相手のことを想っての行動でもある。ただし、その気持ちが素直に相手に通じるかはわからないしやり方次第では敵対することにもなってしまう。何が最適かなど人によっても違うし、同じ人でもその時の状況によって変わってくる部分がある。だからこそ絶対というものはないが、それを理由に行動しないというのもまた間違っている。
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Humbaba
問題を解決することは大切だが、必ずしも自分自身で解決する必要はない。誰かほかの人が解決してくれるかもしれないが、その際には連絡をすることが必要になる。連絡をしなくても誰かがただ無意味に動くことになるだけで、大きな被害はないかもしれない。しかし、そうやって動いて、特に何らかの犠牲を払ったとなればそれが徒労に終わったことがわかれば少なくとも精神的には辛いものを感じてしまう。
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Humbaba
趣味で行うならいろいろと自由にできるが、仕事として行うのであれば守らなければいけないルールは増える。また、仕事である以上は儲けを得なければならず、そのためにはいくらかかっていくら回収できるかを考えなければいけない。品質が上がるのはよいことではあるが、一つのソフトを作るためのコストが高くなってきているからこそその計算もシビアになる。
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Humbaba
自分が望んでいることをすでに実現し、しかも大切にしているように見えない。それは本人にとっては相手に対して怒りを抱くだけの正当な理由があると感じることである。一方で、何を大切にしてどう時間を配分するかは本人が決めるべきことであり、他人に強制すべきことではない。どちらかが間違っているという話ではないが、うまく話ができない状況でぶつかっても互いにすれ違ってしまうだけに終わる。
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Humbaba
天才の隣で同じ作業をする。自分が素人であれば天才との差は本当の意味では理解できないし、自分もいつかは追いつけるはず、と無邪気に信じることもできる。しかし、周囲から褒められるほどの才能を持っていれば、その差は歴然として感じられるし自分にはそれを埋められないこともわかってしまう。自分では追いつけないと分ければ、そのために努力を続けるのは困難であり、どうしても別の道を選びたくなってしまう。
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Humbaba
人間関係というのは悩みが尽きることはない。人から見ればそこまでの問題ではないように思えることも、当事者としては重大な問題だと感じる。そのようなときに他の人と相談すれば良いが、内容によっては相談することも憚られる。そのような話ほど個人差が多いために自分の考えや方法が実は平均から外れているということもある。軌道修正できればベストだが、すでに遅すぎるということも少なからずある。
が「ナイス!」と言っています。
Humbaba
自分が持っている常識は、相手の持っているものとは違っているかもしれない。それはなんとなくは知っていたとしても、実感をもって理解できるようになるのはその差を痛感させられるような失敗をした時である。わかっていない環境ではどうしても甘い判断をしてしまいがちである。そもそもそんな厳しい想定はしていなかった。それを口にしたとしても、すでに起こってしまったことは変えられないため、苦しい思いをすることになる。
が「ナイス!」と言っています。
Humbaba
努力をしたからこそ、それで目的を達成できなかった時のダメージは大きくなる。手を抜いていればそれを言い訳にできるが、全力を尽くしてしまえば言い訳はできずただ自分の実力が足りなかったということを示すだけになる。自分では手に入らないものも、周囲の人間は簡単に手にできる。それが自分の望むものであればあるほど相手との距離の取り方は難しいものになる。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2009/01/04(5594日経過)
記録初日
2006/05/18(6556日経過)
読んだ本
17558冊(1日平均2.68冊)
読んだページ
4230209ページ(1日平均645ページ)
感想・レビュー
12830件(投稿率73.1%)
本棚
1772棚

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