角田作品は『源氏物語』の翻訳を入れて4作目ですが、この本と同時に3冊買ってしまったのでまた近々読む予定です。今度エッセイも読んでみたいと思います。
この本の最後の3巻は旧約聖書の『創世記』冒頭の解釈がそれなりの長さで語られるのですが、それまでの半生記とは異質なため、翻訳によっては削除されるケースもあるとのことです。しかし、回心後の自らのあり方に照らした過去の想起ということを、この創世記の象徴的解釈によって天地の再創造としてもう一度包括的に捉えようとする試みではないのか、と読んでいて個人的には感じました。
今回読んだ翻訳は中公文庫で出ている山田晶氏のですが、実はかなり昔に買った岩波文庫の別翻訳を持っていて、最初そちらで読もうかと思ってたところ、どうも山田訳が解説含め評判良さそうなので購入しました。訳文自体のわかりやすさもありますが、注釈がかなり丁寧なのでそれがよい評判の原因のようです。元々『世界の名著』で出版されたものの文庫版で、訳自体はそれほど新しくはないのですが、今読んでも違和感なくおすすめできると思います。
この小説は1999年に起きた文京区幼女殺人事件をモデルにしてるようなのですが、作者はお受験ママのことについて取材的なこともしてるんでしょうか。何か読んでて凄い世界だなと思いましたけど、決してエキセントリックな出来事が起きるということではなくて、ああこういうのは本当に嫌だなぁ、という、日常の些細なところから派生するどうしようもなさを感じさせると同時に、そういう登場人物たちを、ただそういうものとして描いていく、その筆力がとにかく凄い。
角田作品は『源氏物語』の翻訳を入れて4作目ですが、この本と同時に3冊買ってしまったのでまた近々読む予定です。今度エッセイも読んでみたいと思います。
今回は1996年に出た岩波文庫の翻訳で読みましたが、これはそこから30年前にみすず書房から出ていたものの改訂版。正直読みやすい文書と思わなかったのですが、内容そのものに難解さがあるというよりも、原文の長い文を分割しないでそのまま訳した、という方針から来ているのが大きいです。あと、この手の本は索引があるべきだと思いますが、それが無いのが残念。それでヘブライ語などのカタカナ表記の単語が一度日本語訳付きで出た後は以降そのまま出てきたりするのは結構辛いと思います。
にも関わらず、バートルビーはそこに居る。物語の語り手がすぐ声をかけれるすぐそこに。人々はなんとかしてその不気味なものを排除しようとしますが、語り手は自分も同じ感情を持ちつつ排除できない。なぜか?語り手自身も実は「配達不能」性を帯びている、その存在が人間的秩序から外れた場に意図せず在るからです。それは、実は誰もが既にバートルビーであるし、むしろそのことを隠蔽するために人間的秩序があるということなのかもしれない。
今回読んだのは「バートルビー 翻訳」でググったら出てきた放送大学サイト下のPDFファイルで、なんと天下の柴田元幸氏の翻訳ということでありがたくそれを読みました。短編より少し長めくらいの小さな物語ですが、多くの人々が様々に解釈し、関連する書籍まであるみたいですね。自分と似たようなこと書いてる人もいるのだろうか。しかしメルヴィルって『白鯨』もぶっ飛んでましたが、どういう作家なんでしょうね。計り知れない凄さを感じます。
最近老眼が進んできたために焦って読書中の50代男性です
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この小説は1999年に起きた文京区幼女殺人事件をモデルにしてるようなのですが、作者はお受験ママのことについて取材的なこともしてるんでしょうか。何か読んでて凄い世界だなと思いましたけど、決してエキセントリックな出来事が起きるということではなくて、ああこういうのは本当に嫌だなぁ、という、日常の些細なところから派生するどうしようもなさを感じさせると同時に、そういう登場人物たちを、ただそういうものとして描いていく、その筆力がとにかく凄い。